日本ダービーから早いもので一か月が経った。カミノライザンはというと。
「よ~しよし、良いぞ~姫。たくさん食べて、夏をしっかりと乗り越えるんだぞ」
「ブルル」
「飼葉食いも戻ってきたなぁ。良いことだ!」
しっかりを疲労を回復しており、飼葉食いも以前までのものに戻っていた。大量の餌をペロリと平らげ、おかわりを催促するように飼葉桶を鳴らす。どこか懐かしさを覚える光景に刈谷は安堵の笑みを浮かべる。ウキウキ気分で次の飼葉を用意するが、調教師である猛田に咎められる。
「ちょいちょい。その辺にしとき刈谷。それ何杯目やねん」
「え?え~っと……は、8?」
「9やド阿呆。飼葉食いが戻って嬉しいんは分かるけど、その辺にしとかな他に影響が出るわ。おまけに姫も、もう食べる気ないみたいやで」
カミノライザンへと視線を向けると、馬房の奥に引っ込もうとしていた。もう餌は大丈夫だということだろう。刈谷は照れ笑いをしながら用意しようとしていた餌を元の場所へと戻す。
刈谷はカミノライザンの担当厩務員として、関東遠征にもついて行った。無論、偉業も目にしている。他のスタッフ達と肩を抱き合って喜んでいたのを鮮明に思い出せるし、その日はどんちゃん騒ぎだった。
だが、目にしたのは偉業だけではない。疲労の影響でカミノライザンの食欲が落ちているところも目にしているのだ。
担当厩務員として歯がゆい日々を送っていた。無理をさせないようにと思いつつも、しっかりと餌は与えなければならない。全てにおいて身体が資本、餌を食べないと栄養は回らないのだから。
幸いにも、食べなければならないということを理解していたカミノライザンは、少量ではありつつも餌を食べることは欠かさなかった。励ましながら、刈谷はずっと餌を与え続けていた。
そんな状況を見てきた刈谷だ。飼葉食いが戻ったのであれば嬉しくなるのも仕方がない。猛田もそのことは分かっていたので、やんわりと叱るぐらいに留めておいた。
馬房で大人しくしているカミノライザンを見て、猛田は今後の調教を考える。
「……うん。状態も戻って来とるし、ぼちぼち軽めの調教やなくて本格的な調教をやろうか」
「そうですね。放牧でも元気に過ごすようになりましたし、問題ないと思います……相変わらず一頭だけで走ってますけど」
カミノライザンは他の馬とあまり関わらない。正直、生産牧場でもそうだったらしいのであまり気にしていないが。
猛田はこの事をポジティブに捉えていた。それはきっと、カミノライザンが自分で身体を作っているのだろうと。
「姫も自分で鍛えとるんやろ。強くなるために余念がない……えぇことや」
「ストイックだなぁ。でも、頑張れよ姫~」
刈谷がそう呼びかけると、姫がその声に反応するように一鳴きした。
今までは軽めの調教で済ませていた。日本ダービーまでのダメージが抜けきっていることを確認してから、今までの調教に戻していく。
しかしそれだけではない。この夏は菊花賞に向けて強くなるための夏だ。
「バンバン走らせて、バンバントレーニングや!クラシック四冠取ったからって油断したらアカンで!痛い目見んのはこっちやからな!しっかりと追い切れー!」
最初は今までと一緒のトレーニング。そこから徐々に負荷を強めていく。しっかりと鍛え、秋に向けて成長していかなければならない。
確かにカミノライザンはクラシック四冠馬となった。日本競馬史上初の偉業だ。誇ることだし自慢しても罰は当たらないだろう。
だが、カミノライザンの目的はあくまでクラシック五冠である。そこを忘れてはならない。
「これで菊花賞負けましたーなんてなってみい!俺らには悔いしか残らんわ!後、世間様からまーた批判されるで!」
猛田もそれが分かっているから絶対に油断はしない。この夏を経て、どの陣営も成長してくるだろう。
後れを取るわけにはいかない。この夏でカミノライザンも成長して、菊花賞を制す。そして……クラシック五冠馬となるのだ。
順調に好タイムを記録するカミノライザン。猛田も内心喜んでいた。
(えぇタイムや……調教再開してまだ2週間経ってへんのに、もうタイムが戻っとるどころか
順調に成長し続けている。そのことが嬉しかった。
カミノライザンに騎乗している富永も、確かな手ごたえを感じていた。成長を実感している。
(ハハっ、君はまだまだ成長中……ってことか!)
「よしっ!ラスト一本、気合入れていこう姫!」
しっかりと追い切る富永。充実したトレーニングを積めていた。
調教後、他の業務が終わったことを確認して猛田は富永を呼び出す。カミノライザンの具合について話し合っていた。
「……ほんで?姫に騎乗してみてどうや、調子は?」
「
「タイムも上々やしな。まだ成長しとるんが恐ろしいわホンマに」
この先どこまでいけるのだろうか?身震いする猛田である。
調教の話も程々に、次に話題に上がったのはカミノライザンの次走のことについてである。猛田は当然プランを用意していた。
「前哨戦で京都杯*1で一叩き。そっから菊花賞のローテや。保茂さんもこれで納得しとる」
菊花賞の前哨戦である京都杯を使い、そのまま菊花賞へと進むローテ。これが現在考えていることだった。馬主である保茂もこのローテには納得している。
さすがにダービーから菊花賞に直行するのはまずいという判断だ。レース勘を取り戻すためにも、どこかでレースを一叩きしておきたい。なら、前哨戦である京都杯を使って菊花賞前に勘を取り戻す……それがこのローテの意味だ。
富永も深く頷いて納得する。これでカミノライザンの今後は決まった。
「にしても……年末の有馬はどうするんですか?姫なら間違いなく出走できますけど」
そろそろ解散かという時、富永はふとした疑問を猛田にぶつける。年末に開催される有馬記念、出走は考えているのだろうか?と。
カミノライザンなら間違いなく出走できるだろう。実力・実績・人気全てにおいて問題なし。
だが、猛田は首を横に振る。そして猛田は、保茂から言われたことをそのまま伝えた。
「有馬記念には出す気ないらしいで。なんでも、今年はたくさん頑張ってくれたから菊花賞が終わったら北海道に放牧やって」
「あ~、それも当然ですね……今からファンの反応が怖くなってきたのは俺だけでしょうか?」
恐怖からか身震いする富永。カミノライザンのファン人気は相当なものだ。菊花賞を制したら、そのまま有馬に出走してくるはず!とファンは思っているだろう。現実は北海道への放牧になるわけだが。
猛田も同様のことを考えていたのか、黙って目を伏せた。
「……そん時はそん時や。おまけに、どんだけ言われようがあの保茂さんやぞ?絶対に北海道へ放牧させると思うわ」
「まぁ、見た目からは想像できないですけど頑固者ですからね保茂さん」
カミノライザンの五冠ローテが良い例だ。保茂はなんと言われようが、JRAからの要請があろうが菊花賞が終われば北海道へと放牧させるだろう。そんな信頼感があった。
「……んじゃま、この辺にしとこか。お前も他のレースがあるんや、気張れよトミ!」
「はい!しっかりと結果を残していきます!」
これで本当に解散となる。一日が終わった。
◇
え~、本日の気温は──可もなく不可もなく。いや、暑いっちゃ暑いが去年とさして変わらないから全然我慢できる。それはそれとして今日も今日とて走るぞ走るぞ~。
(フッフッフ……、今の俺はすこぶる体調が良いぜ!クラシック四冠の頃が嘘みてぇだ!)
絶対疲労が抜けただけだろうけどな!ただ、個人的にも成長が実感できている。我ながら結構スピード上がって来たんじゃないか?
(猛田さん達の話聞いてる限りでも、俺のタイムは良くなっているみたいだからな)
以前のタイムよりも好タイムを記録している。そんな声が聞こえるので確実に成長しているということだろう。よしよし、良い感じだ!このまま成長し続けて、クラシック五冠目も取ったろうじゃねぇか!
調教外。放牧の時も基本は走り回る……俺1人というか一頭で。ただ黙々と走り続けている。
(こういう日々の積み重ねがマジ大事。特に菊花賞はスタミナがいるからな)
京都の3000m……問題なく走り切れるだろうが、走り切れるだけじゃだめだ。勝てるようにしないといけない。なので放牧中だろうが走ることは止めない。
(つーか、もう習慣化してるから今更止めるのもアレだしな)
目指すは打倒!ダテテンリュウである!
涼しさ的には去年とさほど変わらないとはいえ、競走馬になにかあったら一大事。
「ちょっとでも涼しくなるように工夫せぇよ!夏負けさせたらあかんで!」
猛田さんの指示の下、馬房を頑張って冷やしている。扇風機とか使ったり、氷とか用意したり。なので外よりも大分涼しい感じだ。
(夏負けはヤバいからなぁ。俺もならないように気をつけ……て、どうにかなるようなもんじゃねぇわ)
一応、やれることはやるけど。
馬房の奥で大人しくしていると、刈谷がやってくる。
「餌だぞ~姫」
(待ってました!)
さっきから腹が減ってたからベストタイミング!今日も沢山食うぞ~!
「うんうん。たくさん食べろよ姫。元気なのが一番だからな!」
刈谷、とりあえずおかわり。飼葉桶をガンガン鳴らす。
「今日も良い食べっぷりだ!すぐ持ってくるからな!」
今日も今日とてたくさん食べる。待ってろよ菊花賞!
体調も戻ってきた主人公。なお酷暑にはなりませんでした。やったね。