五冠馬シンザン。競馬業界に携わる人間でその名を知らない者はいないだろう。
そのシンザンの娘が、シンザンが所属していた厩舎に入厩する。それは瞬く間に話題になった。
「ほう、シンザンの娘が」
「聞くところによると青毛らしい」
「青毛?そりゃまた珍しいな」
「なんにせよ今後の動向に注目だな」
もっとも、シンザンの娘と言えど今は外国の種牡馬が注目されている時代。それに牝馬ということから少し話題になっただけだった。
そんな中、シンザンの娘──三姫を迎え入れた猛田文男はというと……。
「あ~……
なんとも微妙な表情をしていた。
それは他の厩務員も同じであり、全員が一様に微妙な表情を浮かべている。
全員が三姫を見て口をつぐむ中1人が意を決して口を開く。
「毛艶、明らかに悪いですね。もの凄く不調そうです」
北海道から猛田厩舎の関西へ輸送。その輸送により三姫は誰が見ても分かるぐらいに不調だった。
「とりあえず、どうしましょうか?猛田さん」
「ん~……」
猛田は三姫をじっくりと観察する。じっくりと観察して、また溜息を吐きそうになる。
猛田は馬主である保茂から三姫のことを聞いていた。
曰く、シンザンの娘の中で凄いのがいると。保茂が興奮気味に語っていたのを猛田は思い出す。
(シンザンの娘でえらいのがおる言うてたけど……これはなぁ)
だが猛田の目の前にいるのは本当に絶賛するほどの馬なのか?という疑念だった。
輸送による影響で調子を落としているのはまぁいいとして、それを抜きにしてもパッとしない馬体だった。
猛田は落胆しつつも保茂の言葉を信じることにした。
(まぁ父親が父親やし、長い目で見てこか)
思えばシンザンも最初はそうだったと思い、猛田は気を持ち直す。
「ひとまず馬房やな。入厩予定やった馬房に入れてやってくれ」
「はい」
三姫は馬房へと連れて行かれる。
(なんにしても、体調を戻さんと話にならんな)
猛田は今後の予定を立てながら他の馬の調教へ行った。
それから数日。三姫の体調はようやく回復し、調教が開始されることになった。
猛田は改めて三姫の馬体を見るのだが……評価は変わらず。あまりパッとしない馬体という評価を下す。
(後は動きの確認やな。ただでさえ俺は前例があるからな)
シンザンのことを思い出し、猛田は苦笑いをする。三姫は早速調教をすることになった。
猛田は調教の様子を確認しているのだが……いかんともしがたい感情に駆られていた。
(悪くはない。悪くはないんやけど……)
絶賛するほどか?と思わずにはいられなかった。
三姫と同じ時期に入厩した他の馬と比べても突出した速さがあるわけじゃない。動きが良いというわけでもない。
保茂は何故こんな馬を?と思い始めた猛田だが、三姫を見続けているとその評価が徐々に変わり始める。
それなりに走りをこなすと馬もバテ始める。だが、三姫は違った。
(落ちてこぉへん。他はバテて落ちとんのに、姫だけは落ちん)
他の馬は明らかに動きが悪くなった。しかし三姫だけはバテずに動き続けていた。
しかもスピードが変わっていない。一定のスピードを刻み続けている。これには猛田も思わず舌を巻く。
もしかして、抑えて走っているのか?それとも何か別の理由が?
(なるほど。確かにこれはえらい逸材や)
賢さ、スタミナ、どれも期待がもてる。保茂が気に入っていたのが少し分かったかもしれない。
それからも調教の度に期待は高くなる。
(とにかくスタミナが凄い。心肺機能が突出しとる)
人を乗せての調教も最初は体調を崩しがちだったもののすぐに順応。
他の馬との併せもするが、三姫は落ち着き払っていた。
他馬に前を行かれても騎手の指示があるまではジッと耐える。騎手がゴーサインを出すとするっと抜け出す。
(とんでもなく賢い。これはほんまにえらい馬やな保茂さん)
猛田も三姫を気に入るようになった。
さらに三姫は大食いでもあった。
入厩して間もない頃は飼い葉食いも悪かったが、順応してからは改善。今ではかなりの大食いである。
「ほんまによう食うな姫は。馬体もえぇ感じや」
「全くですよ。その内ここの飼葉全部食べつくしちゃったりして?」
「そない冗談言うてると姫に蹴られるで?お前」
そんな冗談を飛ばし合うぐらいには姫は大食いだった。
さて、そんな三姫だが競走馬として登録しているのでちゃんとした名前がついている。厩舎の人間からはもっぱら姫と呼ばれているが。
調教を終えて騎手達がそれぞれ馬から降りてくる。
三姫に乗っていた騎手──粟田(あわた)は興奮していた。
「いや、ホンマに凄いですね姫は!これは期待できますよ!」
「あぁ、クラシックの1つや2つは固いかもしれんな」
粟田の言葉に猛田は落ち着き払って答える。猛田も内心はかなり盛り上がっているが。
調教を終えた三姫は騎手の指示を待っている。粟田は彼女に近づき、首元を撫でていた。
「リラックスしとるなぁ姫は。どや?粟田。新馬戦乗ってみる気ないか?」
「あ~……是非!って言いたいとこなんですけど」
頬を掻きながら粟田は答える。それは三姫には騎乗しないという言葉。
「シンザンの娘ですし、乗りたいって気持ちはあるんですけど。どうも減量が……」
「あ~、苦労しとったなお前」
「それに、確か保茂さんから
猛田はそうだった、と思い出す。
実は三姫の新馬戦に、粟田の言うアイツを騎乗させてもらえないか?と保茂から打診があった。
それ自体は別に構わない、のだが……。
「あぁ、
「う~ん……保茂さんも何か考えがあるだろうし。それに、アイツ才能は有るので。良い機会じゃないでしょうか?」
俺も保茂さんの考えには賛成ですよ、と付け加える粟田。
少し考えたものの、猛田は保茂の指名する
そのことを保茂に報告すると、保茂は電話越しでも分かるぐらいに上機嫌で答えた。
「分かった!」
こうして三姫改め、競走馬──カミノライザンの鞍上は決まった。
◇
どうも、三姫改めカミノライザンです。牝馬っぽくない名前だって?俺もそう思う。
しかしこの名前にはちゃんと由来がある。大体察しはつくと思うけどな!
(神の礼賛でカミノライザン。結構気に入ってんだよな)
それにしてもこの厩舎に来た時はすげぇ大変だったぜ……。話は入厩する時に巻き戻る。
無事に保茂が馬主になった俺は北海道から関西へと輸送。向こうの厩舎でお世話になることになった。
それで輸送されながら向こうでのことを考えていたら……思いっきり体調を崩した。
(気に入られなかったらどうしよう?怖い人ばかりじゃねぇよな?まさか隅に追いやられたりしないよな!?)
そんなことばっか考えてたらめっちゃ体調崩した。厩舎に着いた時の厩務員たちの目は今でも忘れられないぜ……。
保茂のヤツ、俺のことをすげぇ馬だって触れ回っていたらしく俺に対する期待度は滅茶苦茶高かった。
それだけじゃねぇ。俺はあのシンザンの産駒だ。いくら海外種牡馬が幅を利かせている時代とはいえ、2代目三冠馬であるシンザンの娘というだけでとんでもないネームバリューだ。
つまるところ……プレッシャーに負けて体調崩しました、はい。
明らかに不調な俺を見て厩務員たちは落胆の表情。申し訳ねぇ……申し訳ねぇ……。
その後なんとか復調。調教が始まったのだが。
(最初は微妙な表情されてばっかだったな)
ま~突出して速いわけじゃないし当然かもしれんが。
だがスタミナにだけは自信があったからな。一定のペースで走り続けていたら、徐々に目の色が変わっていった。
そして現在。俺はかなり期待されているのだ!でもあんま期待し過ぎないでくれ、体調崩しちゃうから。
そうそう!テンション上がる出来事はまだまだある!
俺の調教の時に乗っていた鞍上……まさかの粟田さんだったのだ!
(俺の父親シンザンの相棒!シンザンを見出した名ジョッキー!そんな人から絶賛されて嬉しくないわけがねぇ!)
平静を保っていたが内心はもうウキウキよ!俺の素質が名ジョッキーに認められたってことだからな!
調教では無駄な力は使わないようにして賢さアピールみたいなことしてる。そのおかげでこいつは賢い!と思われるようになったぜ。
でも鍛えないといけないので、放牧中はめっちゃ走り回ってる。
(もうそろそろ俺の新馬戦が始まってもおかしくない。いつでもいけるように準備しとかねぇと!)
後太りすぎるとよくないし!ただでさえ大飯食らいでここの飼葉食べつくすんじゃね?なんて冗談が流行ってるぐらいだし!レディに対して何言ってんだよ!中の精神男だけど!
飼葉をもりもり食っているとアイツが来た。
「やぁやぁライザンちゃん。今日も元気にしてるかい?」
クソ神もとい保茂である。あ、ちなみにコイツの下の名前は元春(もとはる)らしい。保茂元春(ほしげ もとはる)……どこぞのRTAしそうな人達が好みそうな名前だ。
『よう保茂。相変らずだよ』
「それは良かった。ライザンちゃんみんなに期待されてるからねぇ。僕も嬉しいよ!」
う~んとてもいい笑顔。転生させたときのことを思い出すから蹴りたい。
『それで、どうしたんだよ?なんか進展あったのか?』
「あ、そうそう!君の新馬戦が決まったよ」
耳を立てる。ついにか!
『決まったのか!で、いつ頃デビューなんだ?』
「10月の京都競馬場の新馬戦さ。ひとまずここを頑張ろうか」
『おっしゃあ!気合が入るぜ!』
10月の新馬戦か!これは頑張らねぇとな!
……もう一つ重要なことがあるな。
『で?俺の鞍上は誰なんだよ?』
ここも重要だ!俺の鞍上は誰になるのか?個人的にめっちゃ気になる!
「ふっふっふ……」
おいなんだその含み笑いは?絶対に愉快なことになるじゃねぇか!
『もったいぶらずに教えてくれよ!俺の鞍上は誰なんだ!?』
「聞いて驚かないでね?君の鞍上は……」
もったいぶるクソ神。二の句を今か今かと待ちわびていると……。
「富永紘一(とみなが こういち)騎手さ!君も知っているだろう?あの天才ジョッキーの名を!」
『SSRだぁぁぁ!』
「ふははは!働きかけた甲斐があったよ!」
マジで!?新馬戦からそんな、ええんですか!?
……って思ったけど。
『この頃の富永騎手ってまだ新人じゃね?』
「ま、そうだね。でもなんだかんだ猛田さんも期待しているんだと思うよ?」
う~ん、そうなのか?なんにせよ富永さんはまだ天才と呼ばれる前ってことだな。
新馬戦の日程と鞍上も決まり、俺のデビューは着々と近づいていた。
三姫もといカミノライザン出陣。