京都競馬場は異様な雰囲気に包まれていた。普段であれば、ラフな格好をするファンが多いこの場所。服装に気を配るようなことなどなかったはずだが……今回は違う。
辺りを見渡しても、スーツを着ているファンが
その理由はやはり、
「き、今日は天皇陛下が観に来られるからな。相応しい服装ってもんで来ねぇと!」
「んだんだ。休日だってのにおらもスーツ引っ張り出してきちまったよ」
「間違いやないで。そんだけえらいことやからな!」
「天皇陛下が観に来てくださるなんて、明治以来のことなんだろ?とんでもねぇよなぁやっぱ」
あくまでスーツの人間が多いだけで、ラフな格好をしているファンもチラホラと見受けられる。開門までの間も大人しく待っていた。
「開門でーす!」
そして訪れる開門の時。いつもであれば開門ダッシュしているファンも、この時ばかりは整列するように動いていた。しっかりと、キッチリと。怪我がないように動いている。
第1Rから始まる京都競馬場。いつものような野次は幾分か鳴りを潜め、応援の声が目立っている。天皇陛下の御前で汚い野次など飛ばすべきではないと考えているからだろう。それでも、外れた者は野次を飛ばすことがあったが。
この第1Rから天皇陛下はレースを見ていた。レースを見て、満足げな表情を浮かべている。
「良いですねぇ。一度、観に来てみたかったのですよ。今日は足を運ぶことができて本当に良かった」
笑顔を浮かべながらそう呟いた。SPの人達も、この言葉に満足そうな天皇陛下の表情があれば頑張りが報われたというものだろう。もっとも、SP達は仕事として当然のことをしているまで、とも思っているかもしれないが。
レースは滞りなく進み、ついにその時が訪れた。本日の京都競馬場メインレース、春の天皇賞の時間である。
春の天皇賞に出走する競走馬達がパドックに姿を現す。その中には勿論、カミノライザンの姿もあった。
「お~しおし!今日もええ感じや!しっかり走ってくれるでこれは!」
「太め残りにもならず、しっかりと調整してきてるな!というか、どの陣営も滅茶苦茶仕上げてきてるぞ!」
どの馬も、完璧な状態に仕上げてきていた。中には悪そうな馬もいたが、過半数以上は期待の持てる出来である。
その中でも一際目立っていたのは──やはりカミノライザンだろう。青毛の馬体はより一層輝いて見えており、体重も絞ってきている。間違いなく勝ち負けに絡むだろう……そう判断された。
最終的な人気は、カミノライザンが突き抜けた人気を誇る。1番人気、加えて単勝支持率は72.2%だ。大舞台での強さ、そして実績がこれほどの支持率を叩き出したのだろう。
パドックを終えた馬達が今度はターフへと姿を現す。実況の声もわずかに上ずっていた。
《この日がやってきました。京都競馬場メインレース春の天皇賞。芝3200m、古馬最高峰の戦いが幕を開けようとしております。前日からの雨の影響により、馬場の状態は不良馬場との発表。雨はすでに上がって曇り空ではありますが、チラホラと日の光が見え隠れしております。そして今回はなんと言っても!天皇陛下がこの春の天皇賞を観に来ておられます!私、興奮が収まりません!明治以来となる天覧競馬、果たして勝つのはどの馬か?各馬続々とターフに姿を現します》
威風堂々と入場してくる競走馬達。中にはガチガチに震えている騎手も何人か見受けられた。
「下手な騎乗はできんでこれは……」
「アカン。八大競走に初めて騎乗した時よりも緊張するわ」
「万が一がないようにしねぇと」
しかし、そこは歴戦のジョッキー達。返し馬の段階で大分緊張はほぐれていた。
カミノライザンに騎乗する富永もまた、落ち着いた様子で返し馬を済ませている。頭の中では今回の作戦を立てていた。
(今回は不良馬場。末脚は伸びてこないだろう。タニノムーティエは菊花賞のような先行策で来る可能性が高い。後気をつけるべきはダテテンリュウに……にしても)
「これ凄いな……ほとんど田んぼだぞ」
それでも気になったのは今回の馬場。不良馬場と発表されてはいるものの、あまりにも状態が悪かった。天皇賞・春までのレースでかなり荒れており、どこもかしこもデコボコしている。
距離も相まってタフなレースになるだろう。富永だけではなく、京都競馬場に集まった全員がそう思った。
返し馬を済ませた馬達が続々とゲートに入っていく。
《本レースダントツの一番人気はこの馬を置いて他にはいないでしょう!青毛の馬体は曇天でも輝いて見えます、カミノライザン!父シンザンに母父セントライトの三冠馬血統のクラシック五冠馬。年明け初戦は落としたものの、この大舞台では負けられない!盤石の態勢でこの春の天皇賞に臨みます!ここで気になるのは2番人気のタニノムーティエでしょう。年明けから連勝続きで勢いに乗っているタニノムーティエ。この不良馬場でもムーティエ街道は炸裂するのか?3番人気はダテテンリュウ。菊花賞で鎬を削った3頭が上位人気3つを独占しております。菊花賞で長距離もいけることは証明済み、果たしてどのようなレースを見せてくれるのか?順調にゲートインが進んでおります》
最後の馬がゲートに入り、係員が左右に散らばる。ファンと天皇陛下が見守る中──ゲートが開く音が響いた。同時に、各馬一斉に駆け出す。
《さぁ始まりました!春の盾、曇天に光が見え隠れする空の下各馬一斉にスタートであります!好スタートを切って最初に飛び出してきたのはっ、シュンサクオーだ。外枠からシュンサクオーが伸びてくる。激しい先行争い、注目のカミノライザンもこの先行争いの位置につけております!内の方からはコンチネンタルとカミノライザンが上がっております!ダテテンリュウはカミノライザンをマークするか?いや、これはしないようだ。外目につけるダテテンリュウ。タニノムーティエは変わらずの後方スタートであります》
春の天皇賞が幕を開けた。天覧競馬を制するのはどの馬か?
◇
1周目の第3コーナーを越えて徐々に開いていく隊列。ハナを切ったのはシュンサクオーとダテハクタカの2頭である。最初はシュンサクオーがハナを切って進んでいたが、内を通ってダテハクタカが襲い来る。坂を下り終わったところで、完全にダテハクタカが先頭になった。
その2頭から3馬身程離れる形でカミノライザンがつけ、外にコンチネンタルとメジロムサシ。1馬身程離れてスピーデーワンダーがつけていた。まだまだ続く先行争い、誰がハナを切るのかが注目される。
《1周目の第4コーナーを越えて正面スタンド前を走ります。先頭で入ってきたのはダテハクタカ、内にシュンサクオーであります。完全に荒れている最内を嫌ってまだ比較的荒れていない内側を上がるシュンサクオー、その3馬身後ろにカミノライザン、カミノライザンはこの位置だ。やはり逃げ馬を見る形、いつものスタイルであります。タニノムーティエは少し前目につけているか?現在中団の位置であります》
ほとんどの馬は荒れている内側を嫌って外へと持ち出していた。内は完全に空いている形になる。
その内をついて上がっていく馬がただ1頭──経済コースを通って上がっていくオオクラの姿があった。1周目の第4コーナーからペースを上げていき、先頭へと襲い掛かる。ダテハクタカとシュンサクオーを躱し、オオクラが先頭を取ろうとしていた。
これに負けじとシュンサクオーやカミノライザンの位置につけていたコンチネンタルが上がっていく。スタンド前に入っても先行争いは続いていた。とは言っても、やはり不良馬場が影響してかペースとしてはかなり遅めである。
カミノライザンはまだ比較的荒れていないコースを走る。先頭争いには加わらず、先行集団の位置をキープしていた。
《正面スタンド前を走る各馬。ここで先頭が変わりました。スタンド前半分を過ぎて先頭はオオクラ、オオクラであります。しかし負けじとシュンサクオーにコンチネンタルも上がってきました。まだまだ続く先行争い、しかしかなりのスローペース、かなりのスローペースであります!やはりこの不良馬場、スローペースとなりました春の天皇賞!内と外はかなり大きく空いております。内の経済コースを取ってオオクラ、オオクラであります》
しかし、ここでオオクラはペースダウン。まだ無理をする段階ではないと判断したのだろう。最内の経済コースを通るオオクラはペースダウンをし、控える形をとった。
「ッ!ここだな!」
ここでカミノライザンが動く。カミノライザンがオオクラ同様に、
最内をついて上がっていくカミノライザン。最早ダートに近いコースを上がっていく。第1コーナーのカーブを迎えようとしていた。
《まもなく第1コーナーのカーブ。外を大きく回ってシュンサクオーが上がっていきます。内の経済コースからはオオクラとっ、カミノライザンだ!カミノライザンが内につけました。オオクラの外につけますカミノライザン。第1コーナーを曲がっていく各馬。ここで先頭はオオクラに変わります!先頭はオオクラだ。このコーナーではオオクラが有利だ。そしてピッタリとつけるカミノライザン、カミノライザンが2番手であります。半馬身外にシュンサクリュウとコンチネンタルであります》
内の距離ロスがないオオクラとカミノライザンが有利を取り、オオクラが先頭、そのすぐ後ろにカミノライザンはつけることができた。加えて、荒れた馬場を嫌ってか他の馬も無理には寄せてこない。カミノライザンは、
しかし、そうは問屋が卸さないのが世の常。カミノライザンの後ろには──タニノムーティエも控えていた。
カミノライザンとタニノムーティエの距離は2馬身から3馬身程離れている。しかし、カミノライザンに倣うように荒れた内側を走っていた。
(ホンマにえらい馬場やなコレ……あんま走りたくないで)
ただ、廉田としてもこの荒れた馬場はできる限り走りたくないのか向こう正面では外に持ち出そうか?と考えていたが。
カミノライザンは変わらず内を走っている。荒れていようがお構いなしだ。
「……ッ」
前だけを見据える富永紘一。カミノライザンは軽快に走っていた。
始まる天覧競馬。というかレース映像が残ってるので見たんですけどこの時の内の馬場がヤバすぎる。