第2コーナーを越えて向こう正面へと入る春の天皇賞。不良馬場も相まってか、かなりのスローペースとなっている。
隊列は固まってきたが、ポジション争いは続いていた。とは言っても、大本命のカミノライザンに関しては特に問題がないのだが。
カミノライザンが走っているコースはオオクラの後ろ……非常に荒れている内側の馬場だ。そんなところを走ろうとする馬はほとんどいない。現に、オオクラとカミノライザン、そしてタニノムーティエぐらいしかいなかった。後はまだ芝がある外の方を走っている。
《向こう正面へと入ります。向こう正面で先頭はオオクラ、オオクラであります。そのすぐ後ろにつけますはカミノライザン、カミノライザンは変わらず逃げ馬を見る形でレースを展開。この王道スタイルこそが彼女の強さであります。そのカミノライザンと並ぶようにシュンサクリュウですがっ、コンチネンタル上がってきました》
まだ先行争いは続いている。できる限り前の方につけようとしているのだろう。この不良馬場では切れる末脚も鈍るというもの。ならばできる限り前につけ、ペースを握り消耗戦に持ち込む……そう考えているのかもしれない。
後方の隊列は固まってきているが、前ではまだ先行争いが続いていた。
《コンチネンタルがシュンサクリュウの外から上がってきましたシュンサクリュウが4番手に変わります。さらにメジロムサシだ、メジロムサシは先行策現在5番手。そのメジロムサシの内に、タニノムーティエだタニノムーティエだ。カミノライザンと同じく内の経済コースを走っております。メジロムサシとタニノムーティエの間、真ん中にスピーデーワンダーが控える前から7頭目》
先行集団は第2コーナーを越えてからというものの、前はペースアップしている。前にいる8頭はやや早めのペースで進んでいた。その証拠に、中団にいたダテテンリュウとタマホープとの差が少しずつ開いている。すでに4馬身はあろうかという差だ。ダテハクタカはさらにその後ろ、ダテテンリュウ達からさらに2馬身は離れた位置につけていた。
向こう正面でタニノムーティエに騎乗している廉田は舌打ちしそうになる。この状況は、
(ムーティエの末脚発揮するんやったら外のまだ芝が残っとるとこやないと無理や。やけど……こうも固まっとると外に持ち出すんも厳しい)
先行集団の8頭は固まっている。今から外に持ち出すというのは至難の業だ。一番良いのは無理矢理下げてまた外へと再加速することだが……厳しいと言わざるを得ないだろう。
実質的にムーティエ街道は封じられた。これがカミノライザン陣営の思惑通りかどうかは分からないが……カミノライザンにマークを集中しようとしたツケが回ってきた形になる。
(しゃあない、切り替えていくわ。内のコースを回っとるわけやから距離的な有利は変わらへん。後はいかにしてスタミナの消耗を抑えるか……やな)
廉田はこの経済コースを回る覚悟を決める。
《向こう正面半分を過ぎました。まだ先行集団は固まっております。先頭はオオクラ、オオクラであります。そのすぐ後ろにカミノライザン、そのまた後ろ6番手の位置にタニノムーティエだ。オオクラの外、2番手にコンチネンタル、3番手シュンサクリュウであります。カミノライザンは最内の4番手。5番手はメジロムサシ、最内に6番手タニノムーティエ真ん中にスピーデーワンダー7番手であります》
「いけいけー!オオクラの逃げ切りもあるかもしれんで~!」
「アホいうたらあかんわ!あの位置はカミノライザンの十八番!勝てるヤツはおらん!」
「ムーティエのマークも不気味だな。ただ荒れてる内側で大丈夫なのか?」
第3コーナーに向かう各馬。後続はどこで差を詰めてくるのかも注目である。
富永はペースを把握する。
(向こう正面でややペースアップ、ただ最初はかなりのスローペースだった。やっぱりこの馬場が影響しているんだろうな)
内側は田んぼ、外は多少マシとはいえそれでも荒れていることには変わりがない。ならばと富永は内の経済コースを回ることを選択した。
第一に、カミノライザンは重い馬場を苦にしない。不良馬場であっても問題なく走れるという点。
第二に、カミノライザンのスタミナ。スタミナという点に関しては、カミノライザンは現在出走しているどの馬よりも豊富という自信。
第三に、他の馬も巻き込むというもの。特にタニノムーティエが釣れたのは大きい。
(タニノムーティエも不良馬場は苦にしない。だけど……これだけ荒れた馬場かつ内側じゃあいつもの末脚は使えない)
そうなると外に持ち出すしかない。だがそれも、これだけ密集している状態では無理だ。外に持ち出すというリスキーな択は絶対に取れない。
考えられるとすれば……
(コーナーを回る際、どうしても外に膨らむ場合というものはある。その時にタニノムーティエを外に持ち出す……俺ならそうする)
しかし、富永に不安はない。
第3コーナーへと入る各馬。先頭で入るのはオオクラだ。京都の坂を上っていく。この坂で──カミノライザンは仕掛けた。
オオクラがわずかに外に膨らむ。その隙をついてカミノライザンはオオクラの内につけた。
「ック!」
オオクラも負けじと粘る。内にカミノライザン、外にオオクラという隊列に変わった。2頭が競り合う形になる。タニノムーティエはまだ自分の位置をキープしていた。
《坂を上ります各馬。ここでカミノライザンが動いた!カミノライザンがオオクラに並びます!カミノライザンとオオクラが競り合う形!五冠の女王がオオクラと競り合っております!タニノムーティエはまだ来ない、まだ来ない。まだ控える様子だ。オオクラの外にシュンサクリュウとコンチネンタル上がってくる。シュンサクリュウとコンチネンタルもオオクラとカミノライザンに並びます!》
第3コーナーの坂を上り、今度は下り坂に入る。ゆっくりと下っていった。
廉田はここでタニノムーティエを動かす……
(いや、アカン!こん馬場で加速したら、どうなるか分からん!)
ただでさえ荒れている馬場を全速力で、しかも下り坂で仕掛ける気にはなれなかった。臆したとか、怖気づいたとかではなく常識的な話だ。脚を取られて転びでもしたら大惨事である。
タニノムーティエは完全に後手を踏まされていた。最初から外に持ち出していれば、カミノライザンのマークを早めに切っておけば……たらればはいくらでもあるだろう。しかし、目の前で起こっていることが現実であり真実である。ムーティエ街道は完全に封じられたのだ。
最終的にタニノムーティエにできたことは……わずかにペースアップをして外に持ち出すこと。最後の直線に向けて、少しでも荒れていない馬場へと持ち出すことだった。
廉田の目に諦めはない。ただ前を睨みつけ、機会を窺っていた。
(……最後の直線や!最後の直線だけで、全員捲ったる!)
普段は最後方だが、今回のタニノムーティエは先行策。捲れる可能性は十分にあった。廉田は自信を持っている。タニノムーティエならば、最後の直線で全員捲れると。
《京都の下り坂、カミノライザンにとっては庭といっても過言ではないでしょう!自らの庭を優雅に下るカミノライザン!ついにオオクラから先頭を奪いました!先頭はカミノライザンだ!カミノライザンがそのまま後続を突き放しにかかります!カミノライザンペースアップだ!各馬も一斉に追いかける!五冠の女王を追いかける!後続もそろそろ追いつきたいところ!タニノムーティエは外に持ち出した!》
最内をついて上がるカミノライザン。オオクラ・シュンサクリュウ・メジロムサシとの差を広げにかかっていた。
後続も負けていない。必死にカミノライザンを追走し、絶対に逃がすまいと躍起になっている。坂を下り終え、まもなく最後の直線に入ろうとしているところだった。
レースを観戦している天皇陛下も興奮気味にレースを観戦している。カミノライザンが先頭に立った瞬間、色めき立っていた。他の者には悟られないようにしていたが。
観衆もカミノライザンが先頭に立った瞬間、歓声を上げていた。
「おぉし!カミノライザンが先頭や!そんまま突き放したれ~!」
「ええぞええぞ~!ライザンのお決まりや!」
「そんまま突っ走れ~!」
最後の直線へと入る各馬。先頭で入ってきたのは──後続に1馬身差つけているカミノライザンだった。
ここで恐ろしいのは、第4コーナーを曲がる際全頭外へと膨らんでいたのだ。これはオオクラも例外ではない。
しかし……カミノライザン
《最内をついてカミノライザン!カミノライザンであります!最後の直線、2番手オオクラに1馬身差つけてカミノライザンが上がってきました!先頭はカミノライザン!2番手はオオクラにシュンサクリュウ、さらにはメジロムサシにコンチネンタルも上がってきた!4頭が追走追走!タニノムーティエは苦しいか!?タニノムーティエは苦しいか!メジロムサシのさらに外へつけようとするタニノムーティエ!しかしこの進路は苦しい苦しい!》
最内を選択したカミノライザンは、最終的に外へと膨らんでいく。荒れている内の馬場から外の馬場へと持ち出していた。
全く苦にした様子を見せないカミノライザン。優雅に、華麗に、鮮やかに駆け抜けている。京都競馬場の荒れに荒れた馬場を、軽やかに駆けていた。
「これもやはり……月友の血でしょうな」
「おそらく、いえ、間違いないでしょう」
天皇陛下の呟きにSPは反応する。産駒が重馬場において無類の強さを発揮した月友。その血を受け継ぐカミノライザンが重馬場に強いことは容易に想像できる。現に不良馬場のオークスを勝利しているのだから実績もあった。
最内から荒れていない外へと持ち出すカミノライザン。オオクラ達が必死に追走するが……カミノライザンの末脚には敵わない。
(向こうは荒れた馬場を選択した!俺達よりもスタミナのロスは激しいはずだ!)
そう思う騎手が多数だったが、カミノライザンが落ちてくる気配は──ない。外へと膨らんだことでの距離ロスで差は縮まったものの、すぐにその差は元の距離まで広がった。
1馬身、後たったの1馬身なのだ。たった馬1頭分の差。なのに、その差が果てしなく遠くに感じる。
タニノムーティエも上がってくるが、
(す、スタミナ切れやと!?)
驚愕する廉田だが、考えてみれば当たり前で。外に持ち出すことでの距離ロス、道中ずっと荒れた馬場を走らされたこと、その荒れた馬場で加速をしたこと。これによってスタミナはいつも以上に消耗していた。トドメに春の天皇賞は3200mの長丁場……いくらタニノムーティエのスタミナが豊富といっても、これだけの悪条件が揃えばスタミナは切れるだろう。
もっとも……目の前には
さらにはカミノライザンのペースアップも加わる。カミノライザンに追いつくために他馬はペースを合わせようとするだろう。なので、余計に消耗した。しかも、外に振らされたのである。これはタニノムーティエだけではなく、メジロムサシらも該当する。
鞭を振るい、必死に追走するオオクラとメジロムサシ。タニノムーティエはその後塵を拝す。前を捕らえんと、追いつかんと必死に走る……差は、埋まる気配がなかった。
大歓声が支配する京都競馬場。果てしなく遠く、埋まらない1馬身差。残り100mを過ぎても変わることはなく。
《残り100を切りました!残り100を切っても差は埋まらない!オオクラとメジロムサシ接戦!2着争いは接戦でありますが先頭はカミノライザン!カミノライザン先頭変わらず!タニノムーティエは伸びないか!?タニノムーティエは伸びないか現在4番手!天皇陛下の御前で!御料牧場の結晶が!至上の輝きを放ちます!》
カミノライザンが先頭で駆け抜けた瞬間、歓声はさらに大きくなって勝者を祝福した。
《今カミノライザンが先頭で駆け抜けた!カミノライザン1着!カミノライザン1着であります!気づけば空から光が差し込んでいる!勝者を祝福するように、陽光が差し込んでおります!》
陽光に照らされるカミノライザン。青毛の馬体が、輝いていた。