天覧競馬となった春の天皇賞から数日が経ったある日のこと。カミノライザンの馬主である保茂がとあるイベントを企画した。
「実は今回、カミノライザンの海外遠征に伴いまして……とある旅行プランの方を考えてみました」
そのイベントというものが、【カミノライザンをフランスまで応援しよう!】というものである。簡単に言えば、フランスで開催される凱旋門賞の応援にファンを呼び込むといったものだった。
内容としては、抽選によって選ばれたファンがフランスまで行く際に料金の何割かを負担するという簡単なもの。そんな企画をしていた。
「また、凱旋門賞やワシントンDCなどのレース映像は、帰国後に映像を流させてもらう予定です」
そして、海外でのレースはきちんと映像に残し、見に来ることができなかったファンのために公開する予定である旨が明かされた。これにはファンも大喜びである。
「本当に保茂さんは太っ腹だぜ!」
「当たれ~、当たれ~!なんとしてでも抽選に当たってくれ~!」
「行きたい、なんとしても行きたい!頼むでホンマ!」
帰国後に映像が見れるとはいえ、それはそれである。やはり現地で見たいというのがファン心というもの。中には抽選に当たろうが当たるまいがフランスまでの旅行を計画するファンもいた。それだけカミノライザンは愛されていることの証明でもあるだろう。
そんなカミノライザンの次走は宝塚記念。このレースを最後にカミノライザンは海外へ飛び立つかもしれない……と、噂されている。あくまで噂は噂であり、真実かどうかは分からないのだが。
「宝塚もライザンがもろたで!ほぼ決まりや決まり!」
そんな声がチラホラ聞こえている。クラシックもクラシックでヒカルイマイの台頭により、さらに盛り上がりを見せていた。
盛り上がる競馬界とは裏腹に、タニノムーティエ陣営は……苦虫を嚙み潰したような表情が多くなった。
「クソっ、クソッ!」
谷瑞も悔しそうに地団駄を踏む。しかし、そんなことをしても状況は一向に良くならないと分かっているからかすぐに止めた。
谷瑞は焦っていた。厳しいスパルタトレーニングを耐え抜き、自信をもって送り出したタニノムーティエがいまだに八大競走を勝っていないという事実に。
八大競走は日本競馬界の頂点ともいえるレースだ。勝ち負けに絡めるだけでも凄いことなのだが、それで満足する谷瑞ではない。それだけタニノムーティエにかける期待も大きいということであり、タニノムーティエの強さに自信を持っていた。
だが、同世代に
クラシック前は歯牙にもかけなかった。どうせ牝馬だからという侮りがあった。きさらぎ賞での負けは意外だったが本番では負けない。そう思っていた。
最終的に、カミノライザンはクラシックの5つを制した。タニノムーティエを筆頭とした並み居る強豪牡馬達を下し、世代の頂点に輝いたのである。一応、タニノムーティエも啓衆社賞*1において最優秀4歳牡馬に選ばれたものの、クラシックで鎬を削ったカミノライザンは年度代表馬。実績を考えると当然ではあるが、悔しかった。
「タニノムーティエは強い、強いはずなんやっ。相手がカミノライザンかて、負けてへん!」
そう己を奮い立たせて挑んだ年明け。最初の邂逅は京都記念だった。
タニノムーティエ陣営は万全、だったのに。不祥事をやらかしたマスコミのせいでカミノライザンが調整不足だった。
結果は全力を出すまでもなく抜き去ってタニノムーティエが勝利。もっとも、この結果には当然のように納得していなかった。
春天前に鳴尾記念を使ってここも圧勝。そして挑んだ、天覧競馬となった春天。タニノムーティエは──4着敗戦だった。
「すんません……っ、ホンマにすんませんッ!」
そう涙を流しながら謝る廉田に、谷瑞は言葉を失った。ようやく絞り出した一言が、よく頑張ったというありふれた言葉。
実際、廉田を責めることなどできるはずもなかった。カミノライザンをマークし、脚を消耗させ最後に抜き去る。定石ならそれでいけるはずなのだ。実際菊花賞はあと一歩のところまで追い詰めた。いけるはず!と思っても不思議ではないだろう。
現実は無情。マークしたことを逆手に取られ、圧倒的な不利を背負わされた。そうなった結果、末脚振るわずの4着に敗戦である。
天皇陛下の御前で掲示板入りできただけでも凄いことかもしれない。だが……それではダメなのだ。
「勝ちたいっ、ただただ、アイツらに勝ちたいッ!こんまま負けっぱなしで終われるか!」
京都3歳ステークスの勝利は鞍上の判断ミス。京都杯は向こうが様子見。京都記念は調整不足。勝ちは勝ちかもしれないが、それでも納得のいっていない勝利が多い。だからこそ、谷瑞達はただカミノライザンに勝ちたいと思っている。谷瑞も、主戦騎手の廉田も。
タニノムーティエの次走は──カミノライザンと同じ宝塚記念。すでに1ヶ月を切っているこのレースに向けて、調整を進めていた。
谷瑞は考える。きっと、向こうの陣営はこちらのことなど歯牙にもかけていないのだろうと。
(どうせ俺らのことはその他大勢と変わらんと思うてるんやろな、向こうさんは)
それも仕方ないことかもしれない。大レースでことごとく負けているのだから。
本当なら大レースで勝ちたいという思いはある。八大競走のような大レースで、タニノムーティエが勝利するところを見たいのはある。だがそれ以上に、今はただカミノライザンに勝ちたかった。自分達の、納得がいく形で。
自惚れかもしれない。ただ、こちらはライバルと思っている。タニノムーティエはカミノライザンのライバルだと。そう思っている。
「だからこそ本気で勝ちに行く。宝塚は絶対に勝つで、廉田ぁ!」
「はいっ!」
タニノムーティエ陣営、気合十分。
◇
「やはり来ますか、タニノムーティエ」
「当たり前やろ。タニノムーティエやぞ?」
新聞片手にそう話すのは猛田と富永、そして保茂である。3人は
「やっぱ来るよね~。いやまぁ、分かり切ってたことだけどさ」
「こっちはえらい恨まれてますからね。分からんでもないですけど」
「凄いローテにぶつけてきますもんね」
宝塚記念にタニノムーティエが出走してくる。そのニュースを聞いて、3人の考えは一致した。
「カミノライザンの最大のライバルですからね。毎回勝つために試行錯誤してますし……作戦が上手く嵌る度にホッと胸をなでおろしてますよ」
「せや。ホンマに強いねんムーティエは。毎回対策を考えなあかんこっちの身にもなって欲しいわ」
「作戦考える時って大体ムーティエをどうするかを決めるからね~。ムーティエの対策をして、その後他の馬を対策しよって考えたら」
「大体他の馬にも流用できる、って感じですからね」
今回も首を捻る3人。宝塚記念をどう攻略するかと考えていた。
毎回毎回大レースでは勝っているので想像はつきにくいが、カミノライザン陣営は常に頭を悩ませていた。タニノムーティエの対策に。なにより、歯牙にもかけなかったら京都杯で様子見に徹することなどもない。
タニノムーティエはカミノライザン最大のライバル。ライバルといえば4歳馬シーズンではアローエクスプレスにタマミ、古馬戦になるとメジロムサシなどが台頭してきたが、最も意識しているかつ負けたくないという思いが強いのはタニノムーティエだ。そう断言できる。
徹底して対策を練り、絶対に負けないようにする。カミノライザンとタニノムーティエはライバルなのだ。
ひとまず宝塚記念の作戦を考えることにした3人。状況を整理する。
「まず間違いなく、姫もムーティエも出走できるやろうな。やから向こうがどう走ってくるかやけど」
「こっちをマークする作戦……さすがに変えてくるかもしれないですね」
「だねぇ。菊花賞も春天もマークして負けた。だからここいらで作戦を変える可能性がある」
作戦を立てる3人……だが。
「ま、
「はい、任せてください」
「富永君の作戦毎回毎回凄いからねぇ」
最終的には富永に一任することになる。これはクラシックの途中、ダービーからそうなのだが、カミノライザンの騎乗に関しては富永に一任しつつあった。猛田が口を挟むこともあるが、基本的には富永が作戦を考えている。富永の騎乗を信頼しているのもあるし、それに応えてきたという実績もある。
代表的な例が菊花賞だろう。本来であれば敗北のリスクがあった真っ向勝負を容認したのも、富永の騎乗技術を信頼してのことだ。富永でなければダメときっぱり断っただろう。
とはいえ、何もしないわけではない。猛田も猛田で作戦を立てる。それを富永の意見とすり合わせて、本番でどう走るのかを決める。これがいつも通りの光景だった。
「宝塚まで一か月もない。姫の調整もしっかりしていくで!」
「はいっ!」
「よろしく頼んだよ~、富永君」
元気よく返事をして答える富永。
そんなカミノライザンはというと。
(いや~、天皇陛下の御前で勝つことができて良かったぜ!ぶっちゃけレース前のプレッシャーヤバすぎてお腹痛かったけど)
春の天皇賞のことを思い出していた。ちなみに今回もバッチリと体調を崩していたりする。レース前には体調を整えていたが。無事に勝つことができたので心はウキウキだった。
(まさか京都競馬場で天覧競馬になるとはな~……もしかしなくてもヤバいことやってるな、俺)
おそらく史上唯一になるんじゃないか?と今更ながら事の重大さを再認識してお腹が痛くなる気配を感じるカミノライザンである。過ぎたことなので気にしても仕方ないか、ということですぐに治まったが。
今日も飼葉をたくさん食べるカミノライザン。宝塚記念はもうすぐである。
この時の宝塚記念、なんとオークス・ダービーよりも前である!後皐月賞ではヒカルイマイがいたり。