レースではなく、レース周りの方で色々とあった安田記念。結局カミノライザンもタニノムーティエも出走することはなく、ファンとしては肩透かしを食らった気分だった。
この一件で馬主である保茂オーナーの株は下がった……のだが。
「なんであの人カミノライザンが絡むとおかしくなるんだろうな?」
「カミノライザンに夢見過ぎとんちゃうか?」
「カミノライザンが絡まなければ良い人なんだけどな」
最終的にはカミノライザンが絡まなければ普通な人に落ち着いた。むしろ、絡まなかった場合は常識人そのものであり、競馬界発展のために尽力しているのでなんとも批判しづらいものがあったのである。それはそれとして、今回の安田記念で起こった事件についてはさすがに批判が集まったが。なお、猛田厩舎への批判は0である。
「そりゃまあ、宝塚記念後のインタビュー見てると、どう考えても無関係なの分かるし」
これでファンの意見は一致している。そして、とある記者が極秘で取材に行ったのだが。
「あのアホにはしっかりとお灸据えときました。今まで積もるもんもあったんで」
最早猛田にアホ呼ばわりされるオーナーである。それだけのことをやらかしたので擁護の声は0だが。
しっかりとお灸を据えられた保茂オーナー。まぁ今まで聖人のような優しさを持っていた保茂オーナーの人間味溢れる部分が垣間見えたことで、どことなく親近感を覚えたファンも多いらしい。
さて、ここでカミノライザンなのだが。このまま海外遠征に──行くわけもなく。せめてもう一走使うことになった。
「怪我の具合を確かめなあかんのと、あんま間隔空くと実践の勘が鈍るんで。ま~新潟記念でも使いますかね」
ひとまず怪我の具合を確かめるということで新潟記念に出走することになった。余談だが、カミノライザンが新潟記念に出走する頃にはタニノムーティエ陣営はアメリカに飛び立ったようである。飛び立つ前の言葉が。
「首洗っとけやカミノライザン!後アホオーナー!お前らぶっ倒したるからな!」
である。
そして始まった新潟記念。無論トップハンデを背負うことになったカミノライザンだが。
《さぁ突き抜けた突き抜けた!最後の直線残り200でカミノライザンが先頭だ!カミノライザンが先頭だ!パールトンやや苦しいか!?パールトンは苦しい!ここでトキノシンオーだ、トキノシンオーが上がってくる!差を詰めるトキノシンオー!だがこれはカミノライザンだ!カミノライザンが最後までリードを保った保った!カミノライザンが1着です!怪我明けでも問題なし!これがカミノライザンの強さであります!斤量62kgもなんのその!トップハンデも問題なし!》
全く苦にせずに新潟記念を制する。この勝利を以って、いよいよ海外遠征をすることになった。
◇
慌ただしく動く猛田厩舎。それもそのはず、もうすぐでカミノライザンがフランスへと飛び立つからである。
「ええか!絶対に忘れもんするんやないで!後刈谷!お前の役割がいっちゃん重要や!飛行機飛んでる間の姫の世話、お前に一任しとるんやからな!」
「はい!分かっています!」
「俺らは別便で飛ぶ!刈谷の飛行機には保茂さんが乗るから、なんかあったら保茂さんに連絡せぇ!」
海外遠征をするための準備を着々と進めるカミノライザン陣営。
他厩務員の仕事の引継ぎ。向こうに着くまでの間、少しでも喋れるようにフランス語や英語の勉強。向こうの厩舎との連絡……色々とやるべきことは山積みだ。
それにしても、と猛田は受け入れ先のことについて考える。
「ホンマに保茂さんの人脈は謎やな……向こうにも知り合いがおるとは」
今回の受け入れ先に関しては、保茂の人脈によって得られたものだ。それがなければ海外遠征は実現不可能だっただろう。聞くところによると、アメリカにも伝手があるらしい。向こうの受け入れ先にも話を通してあるのだとか。
「これで偶の暴走さえなければ良いんですけどねぇ……」
「もう過ぎたことや。忘れろ刈谷」
やはりカミノライザンさえ絡まなければいい人なのだ。ただ、カミノライザンが絡むと少し暴走しがちになるだけで。思えば最初の頃からそうだったと猛田は思い出す。
何はともあれ、今は海外遠征に向けた準備である。向こうの有力馬の情報を現地で調達しなければ……と思っていた猛田だが。
「はい猛田さん。これ」
「……なんです?コレ」
ニコニコ顔の保茂から渡された資料。中身を見るとそこには──競走馬の情報がびっしりと書いてあった。しかも、全て聞いたことがない馬の名前だ。
「ピストルパッカー……アイリッシュボール……なんです?コレ」
依然として笑顔の保茂に問いかける猛田。保茂はあっけらかんと答えた。
「凱旋門賞に出るかもしれない馬の情報。ちゃんと日本語訳して押さえといたよ」
「はぁっ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げる猛田。当然だ、まだ向こうに渡ってすらいないのに何故こんなものが用意できるのか?なにより、どうやってこんなものを用意したのか不思議でならなかった。
「現地の人達に頼んでさ、資料を用意してもらったんだよね~。日本語訳する
「……」
「あれ?どしたの猛田さん」
大口を開けて絶句している猛田を不思議そうに見る保茂。しかし、猛田が絶句するのも無理はないだろう。
(向こうに伝手があるのは知っとったけど、こんなもんまで用意できるんかこの人!?)
資料に目を通すと、事細かに情報が書いてあった。主な勝ち鞍やどの位置取りで走るか、また騎乗する騎手もどれだけの実績を持つ人物なのか……かなり細かく書かれている。
これは凄い、確かに凄い……のだが。
(……なんでこれができて、姫が絡むとおかしなるんやこの人)
とても安田記念でやらかした人物とは思えない。同一人物かを疑ってしまう。
ニコニコとしていた保茂も、怪訝な表情を浮かべる猛田の様子が気になる。
「どうしたの?なんかおかしいとこでもあった?」
「いや……」
言うべきか、言わざるべきか。少し迷ったが。
「なんでこれができて安田であんなアホみたいなやらかししたんやろうなって……」
「……その話はもう忘れてくれると助かるかな」
思いっきり目を逸らす保茂。どうやら保茂としても、あの安田記念は忘れて欲しいくらいには黒歴史だったようだ。それに、その後は後悔の言葉ばかりが出ていたので本人としても深く反省しているようである。
「じゃあワシントンDCは「そっちは出走するよ。当然ね」……そっちも自重してくれると助かったんやけどなぁ」
「ライザンちゃんなら大丈夫だって」
「ホンマに姫が絡むとおかしなりますね保茂さん」
どうやら凱旋門賞からのワシントンDCは既定路線のようである。呆れつつも、海外遠征に向けた準備は着々と進んでいた。
◇
あ~、暇。超暇、すげぇ暇。後……。
『滅茶苦茶揺れて気持ちわりぃ……うぷっ』
現在の俺、空の上を飛んでおります……別にヤバい意味ではなく、飛行機に乗っているということでね。近くには刈谷がいる。
「大丈夫か?姫。調子悪そうだけど」
だ、大丈夫だ。しばらくすれば落ち着く……。
にしても、めっちゃ揺れるなこの時の飛行機。クソ神が特注で用意した専用機らしいが、それでも揺れるもんは揺れる。これでフランスまでは大人しくしとかなきゃいかんのか。ガチで苦痛だな。仕方ないっちゃ仕方ないが。
にしても、ついに俺も海外デビューかぁ……お腹痛くなってきた。
(相手が相手だもんな~。ブリガディアジェラードがいないとはいえ、あのミルリーフがいるんだろ?大分キツいぞそれ……)
ミルリーフ。日本でしか広まっていないが、欧州三冠と呼ばれるレースを全て制した競走馬だ。ダービーステークス・キングジョージ・凱旋門賞。欧州中距離路線の3つのレースを制した競走馬の称号。俺が生きていた時代でも、達成できたのはミルリーフと神の馬として名高いラムタラの2頭だけである。
というか、相手はミルリーフだけじゃない。この辺はもう詳しく覚えていないが、確か割と豪華なメンバーだった気がする。
「フランスの牝馬路線を総なめしたピストルパッカー、愛ダービー馬のアイリッシュボール……まぁ色々といるよ」
『おう、クソ神。お前もこっちなんだな』
「まぁね。ライザンちゃんが心配だし」
というかこうして話しているが……と思ったけど刈谷だからいいか。いつもこの光景を目にしているだろうし。
クソ神が目を通しているのは凱旋門賞の資料。コースのこととか、出走するであろうメンバーについてまとめてある紙だ。やっぱりこの辺の準備はクソ神は頭抜けている。毎度毎度本当に助かってるぜ。
資料を見て、クソ神は一言。
「まぁ豪華なメンバーだね。やっぱり世界最高峰のレースは伊達じゃないよ」
そりゃそうだ。クソ神の言う通り、凱旋門賞は世界最高峰のレースの1つなんだからな。権威もあるし、歴史も古い。ジョッキーなら誰もが憧れる夢舞台なのは伊達じゃないぜ。
『ふ~ん……ま、これに勝たなきゃいけねぇのが俺なんだけどな』
別に勝っても負けても特に影響はないとはいえ、勝てるレースは勝ちたい。別に、
「実際何か考えがあるの?凱旋門賞をどう走るのかって」
『あるにはある。ただ、まだ見極めが必要なところだな』
あっちの芝とか色々と確認せねばならん。ま、9割9分大丈夫だろうがな。
『にしても暇だ……なんかねぇの?』
「そういわれてもね。何もないよ」
『じゃあお前のやらかしでも話すか?』
思い出すのは安田記念。あれは本当にとんでもないやらかしだった。結局新潟記念に向かったからいいものの、関東遠征がほぼ無意味に終わったわけだからな。大体こいつのせいで。
「本当に止めてよ……安田記念は悪かったって」
ま、コイツも十分に反省した。これ以上弄るのは止めておくか。
飛行機のフライト時間はまだまだある。仕方ないからひと眠りしますかね。
やらかしを延々と擦られるクソ神である。