凱旋門賞が着々と近づいている今日、富永は猛田達とともに競馬場を訪れていた。できれば騎乗してレースに立ってみたかったが、さすがになんの実績もない騎手を乗せてくれるはずもなく。見学だけとなった。
富永達はレースを見て、難しい表情を浮かべる。
「う~ん……」
その理由は、
富永自身、保茂や猛田を介して知識はあった。欧州の競馬はチーム戦であると。最初はよく分からなかったが、こうしてレースを見るとよく分かる。
チーム戦とはいえ、勿論妨害をするわけではない。自分達の馬を勝たせるためにわざと妨害する……そんなことをすれば即失格だ。ただ、妨害でなくともやれることはたくさんある。
「好位置につけさせるため、走りやすいペースで走らせるため……色々とあるんですね」
「これが欧州競馬の醍醐味の1つってことさ。勿論、全部が全部そうってわけじゃないけどね」
「やけど、日本じゃできんことやな。色々と決まりが多いわけやし」
自分達がやってきた競馬にはない価値観。これが欧州の競馬か、と感嘆の息を漏らす。
チーム戦とは言っても、やはり勝つのは強い馬だ。これに変わりはない。中にはチーム戦をしなくても勝つ馬というのは存在するし、そちらの方が多い。保茂の言う通り、あくまで1つの作戦としてあるだけの話だ。それにこのチームというのも、同一馬主や同じ厩舎の馬を使ってやっていること。特にルールに抵触しているわけではないらしい。
その中で、富永がとりわけ興味を持ったものがある。それが──ラビットと呼ばれる馬の存在だ。
この馬の役割はペースメーカーである。日本では逃げと呼ばれる脚質に分類される馬。時に破滅的なペースを作り、チームを組んでいる他の有力馬が有利になるようレースを作る馬。
(後方からレースを展開する馬が走りやすいように、自滅覚悟のペースを作り出す……そんなこともあるらしいけど)
「勝つ馬の予想を立てやすい、ってことか」
レースを見ながらそんなことを思う富永。もうすぐ今日のメインレースが終わろうとしていた。
レースが終わった後、富永達は宿泊しているホテルへと戻る。富永は自分の部屋に戻ると、凱旋門賞に出走してくるであろう馬の資料を漁っていた。保茂から手渡されたものである。
(ミルリーフ陣営が用意してくる……のはちょっと考えにくいな。あの馬は確か、後方ではないはずだから)
どちらかといえばカミノライザンと同じ王道競馬。好位置からポンと抜け出すタイプの馬だ。
資料によると、どうやら昨年イギリスに誕生した無敗の三冠馬、ニジンスキーと肩を並べるほどの逸材……との触れ込みがあるらしい。そのニジンスキーは去年すでに引退しており、今では種牡馬をやっている。
無敗の三冠馬と同じ実力者……怖気づくどころか、富永はむしろ燃え上がっていた。
「勝つ、絶対に」
そのためにも情報収集を欠かさない。自分達が勝つ可能性を1%でも上げるために。明日が調教休みなのを良いことに、日付が回るまで資料とにらめっこしていた。
翌日。目の下にクマを作った富永はジョエルの下へ訪れていた。ジョエルは富永を見るなりぎょっとした目をする。
「『どうした紘一!もしや、ホテルのベッドが悪かったのか?』」
「あ、あぁ……『ちょっと資料とにらめっこしてまして』」
ガイドブックを用意して、たどたどしいフランス語を話す富永。保茂を連れてくればよかったと後悔するが……その後悔はすぐに無くなる。
「あれ?富永君じゃないか」
「ほ、保茂さん?」
どうやら保茂も来ていたようだ。富永は保茂に頼んで、通訳をしてもらうことになる。
「『その、ラビットについて教えてもらおうと思いまして』」
「『ラビットについてかい?君達が知っている範囲のことしか教えられないが』」
「『凱旋門賞でも、そのラビットが来る可能性はありますか?』」
富永の質問に考え込む。少しばかり考えた後、ジョエルは口を開いた。
「『
「特に凱旋門賞は大舞台だからね。1頭や2頭はいると思うよ」
「そうですか……」
「『聞きたいことはそれだけかい?』」
ジョエルの言葉に富永は頷く。その顔には──笑みがあった。
「『はい、ありがとうございますジョエルさん。
「ほう?」
「へぇ?」
富永の言葉に、興味深そうな表情を浮かべる保茂達。その反応に、富永はさらに笑みを深めていた。
◇
凱旋門賞が近づいてんな~……お陰様で、俺の体調もどんどん悪くなる一方だぜ……!
『や、ヤバい……!気分が、気分がぁ……ッ!』
世界一を決める大舞台、プレッシャーがかからないはずもなく。最早当たり前のように体調を崩す俺である。あ、ジョエルさんが血相変えてこっちにやってきた。そういやこの人は俺のことよく知らねぇんだよな。そりゃ心配になるわな、これ見ると。
「『元春!カミノライザンは大丈夫なのかい!?凄く調子悪そうにしているけど!』」
うん、相変わらずなんて言ってるのか分からん。分かることといえば、心配されていることぐらいだ。
クソ神がやってきたが、こっちはこっちでいつも通りだからかあっけらかんとした表情……ではなく、こっちも結構焦った様子である。おや?
「うわっ、本当だ……大丈夫?ライザンちゃん」
いつものように話しかけてくるが、その顔は心配している表情。どうしたどうした?いつものことなのに。
『いや……いつものプレッシャー負けだけど』
「……水が合わないとか、身体に異常があるとかそういうわけではなく?」
『水はもう慣れたし、異常があると言えばいつものプレッシャー負けだよ』
正直に告白すると、クソ神は溜息をついて……おい、なんだその反応はおい!
「『大丈夫だったよジョエル。ただのプレッシャー負けだ』」
「えぇ……?『そんなことあるか?』」
「『そんなことがあるんだよ』」
半信半疑といった様子のジョエルさん。やがて納得したのか、こちらを心配するように一瞥した後他の馬のところへといった。
俺の目の前には呆れ顔のクソ神である。
「気持ちは分かるけどさ、ここにきてプレッシャー負けで出走できませんでした~なんて止めてよね?」
『だ、大丈夫だよ!流石に本番までには何とかするから!』
「まぁ毎回なんとかなってるからとやかく言わないけど、本当に気を付けてよね?こっちだって君が心配なんだから」
なんも言い返せねぇ。毎回毎回迷惑かけてます本当に……。
とりあえず今日の調教はお休み。放牧でゆっくりと過ごすことになった。とりあえず適当に寝っ転がる。
(なんか最近天気悪いんだよな~。この年の凱旋門賞って芝どうだったっけ?)
詳しく覚えてないし、なんなら凱旋門賞っていつも雨が降って重馬場とか不良馬場でやってた記憶しかない。季節の関係で仕方ないのかもしれんが。
ただでさえ重い芝が、雨の影響でさらに重くなる。そうなると俺はさらに不利ってわけだ。
(……春天の田んぼ馬場に比べればどことなくマシに思えるのは、俺がフランスの重馬場を体験したことがないからだろうな)
実際どっちがマシなのだろうか?ちょっと気になってきた。まぁいいや、適当に寝っ転がって過ごすとしましょうかね。
◇
日本から来た馬が凱旋門賞に出走する。そのニュースは、
ただ……その評価は当然芳しくない。
「おいおい、日本からまた凱旋門賞に出走する馬がいるらしいぜ?」
「あ~?どこだよ日本って」
「ほらあれ。確か……2年前にもいなかったっけ?」
「何かいた気はするけど……スピードシンボリ?だっけか」
「確か凱旋門賞着外だろ?それで挑戦しに来るとか、変なヤツらだねぇ」
特にこちらで結果を残したわけではない日本の調教馬が凱旋門賞に出走する。当たり前だが勝てると思われていなかった。いくら日本で目ざましい結果を残したと言われても、しょせん競馬後進国での実績。評価に値しないと思われている。
欧州で活躍しているジョッキー達もそうである。
「なんだこのジョッキーの名前?聞いたこともねぇよ」
「日本人の騎手ねぇ。ま、妨害さえしてこなきゃなんでもいいよ」
「どうせ記念出走だろ!ハハハ!」
明らかにカミノライザン陣営を舐めている。果たして先頭から何馬身差つけられて負けるか、10着以内に入れるかどうかで賭けが始まる等やりたい放題である。精々恥をかかないように頑張れ……それが共通認識だった。
そんな情勢の中、カミノライザンがプレッシャー負けをしてから数日。ついに最終追い切りの日がやってきた。
タイムを測る猛田達。カミノライザンのタイムを見て──笑みを浮かべた。
「ハハ!『本当に凄いお姫様だ!これなら……なんとかなるかもしれないな』」
本場フランスの調教師、ジョエルのお墨付きである。この言葉に、猛田達は自信を深めた。
だが、気を抜くわけにはいかない。凱旋門賞に出走してくる馬はどれも一流の競走馬達。立場を考えれば……カミノライザンよりも
カミノライザンの評価は相変わらず低い。どの新聞社も明らかに下に見ている。今回凱旋門賞に出走するのは19頭なのだが、カミノライザンを
「『やっぱり最有力はミルリーフ。次点で地元フランスのピストルパッカーにブルボンってところだな』」
「『ウチの姫様は……ま~最低人気やな』」
「『こっちでの実績なんもないですからね。何なら記者の人達1人も来てないですし……日本の記者以外』」
変わらずの最低人気にそんなものだろうと評価を下す猛田達。もっとも……カミノライザンからしたら、何よりも美味しい状況なのだが。
調教は順調、最終追い切りのタイムも悪くない。なにより、フランスの芝にもすぐさま適応した走りを見せた。不安要素は最早ないに等しい。
「後は勝つだけや。作戦、決まっとるんやろ、トミ」
「はい。必ず勝ってきます猛田さん」
「良いねぇ富永君。これで君が勝てば、間違いなくヨーロッパ中大騒ぎになるよ」
まもなく凱旋門賞。決戦の時は近い。
当然と言えば当然かもしれない評価。どうなるか凱旋門賞。