保茂が企画した【カミノライザンをフランスまで応援しよう!】プラン。当選した人、個人的なお金でフランスまでの旅行を選択したファンは多くいる。また、旅行会社が別で企画したプランで来たファンもいる。
そしてその中には、かつてスピードシンボリでヨーロッパ遠征を敢行した埜平と輪田の姿もあった。
「……」
ここに帰ってきた、埜平はその思いに駆られる。スピードシンボリとともに駆け抜けたこのロンシャンを、今度は観客として戻ってきた。無念のような気持ちを感じていた。
埜平もカミノライザンの強さは知っている。日本において敵なし、圧倒的な強さを見せつけた牝馬。ここフランスに集ったファンが多くいることから、彼女はファンに愛されているということが分かる。
しかしそれでも……埜平は欧州競馬を知っていた。彼らがどれだけ強く、また日本の競馬がどれだけ遅れているのか。
(勝てなくても良い。せめて、一つでも上の着順に……)
かつて凱旋門賞を経験したからこそわかる。カミノライザンにとっては分の悪い勝負だ。日本と欧州の芝は違う、掛かるプレッシャーも尋常ではない。ただでさえ前哨戦を使っていないこの凱旋門賞、圧倒的不利は覆らない。勝てるとは思っていなかった。
埜平の隣にいる輪田が口を開く。
「埜平。カミノライザンは……勝てると思うか?」
他愛もないその疑問は埜平にしか聞こえていないようだ。ファンはカミノライザンが出てくる時を今か今かと待ちわびている。埜平は、すぐさま答えた。
「厳しいですね。言うまでもなく、ここ欧州は競馬の本場です。日本とはレベルが1つも2つも違う。いくらカミノライザンが強くとも、それは日本での話。ここでは通用しないかもしれません」
「……同意だ。だが、勝ち負けに絡めずとも1つでも上の着順に、とは思うが」
2人の意見は一致していた。
競馬場の雰囲気を肌で感じながら、埜平はふと思い出す。
(そういえば、
あの時のことを思い出して、笑みがこぼれそうになる出来事だった。こちらの人脈を利用して、向こうでの受け入れ厩舎を手配したのは記憶に新しい。
「そういえば、タニノムーティエもなんとかアメリカの競馬に適応しようとしているらしいな。この前のレースは3着だったらしい」
「そうですか……日本競馬の未来は明るいかもしれませんね」
「あぁ。このまま、着実に海外で結果を出していけば、海外にも負けない競馬を作ることができるだろうな」
カミノライザンとタニノムーティエ。世代の二強が海外で結果を残すことができれば、上も海外へと目を向けることになるだろう。そうすれば、確実に日本の競馬は強くなれる。そう確信めいたものを感じる2人だった。
凱旋門賞に出走するメンバーの中で異彩を放っているコンビ。日本からやってきたカミノライザンと富永紘一だ。
「へへ」
「ヒヒ」
「……」
周りの騎手は明らかに見下すような笑みを浮かべている。敵として思っていない、勝ち負けに絡むことすら不可能な相手……そう思っていることだろう。
無論彼らも勝つために資料を読むことは欠かさない。カミノライザンは日本において最強と名高い牝馬であり、セプターですら成しえなかったクラシック五冠という偉業を成し遂げている。
だがそれは、
もっとも、富永はそんな視線など意に介さない。今回の凱旋門賞をどう走るか?それだけを考えていた。
(さて、と)
「行こうか姫……勝ちに」
「ヒヒン」
確信めいた表情で返し馬を済ませるカミノライザン。発走の時は着実に近づいていた。
この時のオッズは1番人気のミルリーフがオッズ単勝1.7倍と突き抜けていた。ちなみにカミノライザンはというと──最低人気の19番人気。加えて、オッズも120倍という明らかな低人気である。
「あれが日本の馬ねぇ」
「見栄えは良いが、明らかにデカいな」
「こっちで一度も走ってないんでしょ?じゃあ無理無理」
「調教師はいける!って言ってたけど、たかが知れてるしな」
そんな声が上がる。そもそもこの時、1番人気のミルリーフは休養も取って万全の状態。日本馬など眼中にすらなかった。
ミルリーフに騎乗する騎手──ガリア・ロイスも、カミノライザンを侮っている。
(アレが日本の馬か。資料で確認はしているが……警戒するに値しないだろう)
自分とミルリーフならば負けることはない。そう断定した。
日本から来た応援団は勿論カミノライザンを応援する。その中にはカメラを回している記者の姿も複数あった。
「頑張れ~!ライザーン!」
「ここから応援してるからな~!」
その応援に、現地の人々は微笑ましくも見下すような笑みを浮かべているが、そんなものは関係ないとばかりに応援する。
返し馬を済ませた競走馬達がゲートへと入っていく。ロンシャン競馬場の空は──晴れ渡っていた。
《この日がやってきました凱旋門賞。頂点を決める戦い、今回は19頭での出走だ。圧倒的1番人気に支持されたのはやはりミルリーフ!3歳馬でありながら古馬相手に6馬身差を披露したキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスSの走りはまさに圧巻!果たしてこの凱旋門賞はどのようなレースを我々に見せてくれるのか?他にもフランス3歳牝馬最強のピストルパッカーを始めとして世界の強豪が勢ぞろい、各馬ゲートへと入っていきます!》
カミノライザンの枠は丁度真ん中の位置。綺麗に収まり、ゲートの中で発走の時を待つ。
(絶対に見逃すな……ゲートが開くその瞬間をッ!)
富永が思い出すのは
《最後の馬がゲートに入りました。ロンシャンの芝2400m、世界最高峰の舞台凱旋門賞!その凱旋門賞が今、始まろうとしています!》
風の音さえ聞こえてきそうな無音が支配する。その静寂を切り裂いて、ゲートが開いた──瞬間。
《ゲートが開いてスターっ、とぉっ!?な、なんと勢いよく飛び出す馬が1頭!圧倒的なスタートを決めた馬がいる!あの馬は……ッ!?あ、あの馬はカミノライザン!カミノライザンだ!日本のカミノライザンがとんでもないスピードでゲートから飛び出したぁ!?》
誰よりも早くカミノライザンがゲートから飛び出した。凱旋門賞が始まる。
◇
凱旋門賞が始まると同時に上がったのは驚きの声。次いで聞こえてきたのは──笑いである。
「おいおい!日本の馬暴走してるじゃねぇか!」
「本当!あんなに良いスタートダッシュ決めたのに、あれじゃあまるでラビットね!」
「ハハハ!精々レースを盛り上げてくれよ日本のお嬢さん!」
観客席の人々の目に映ったのは、カミノライザンが逃げる姿。凱旋門賞に出走している馬の1頭であるラムシンの陣営が用意したラビットの馬オシアンよりもさらに前……明らかに暴走に近い形で駆け抜けているカミノライザンの姿があったからだ。
日本のファンからも悲鳴が上がる。ロケットスタートでダービーの時のようなことになる!と思っていたが、実際には暴走に近い形の逃げ。
「あぁ!?なにやってんだよ!」
「ここは日本じゃねぇんだぞ!」
一気に旗色が悪くなるのを感じる日本のファン。それは埜平達も例外じゃない。目を丸くして驚いている。
(富永紘一は天才だ。何か考えがあるのか?)
埜平が考えて出した結論は──プレッシャーによるもの。いくら天才とて、初めて走るこの大舞台で緊張しているのだろう。そう判断した。
そもそも、凱旋門賞に限らず欧州で逃げるのはかなり分が悪い。勝ちの定石から外れたレースだ。
(欧州で勝つための逃げは存在しない。ペースメーカーとしての役割でしかないのだから)
埜平と輪田はそのことをよく知っていた。
これはもうダメか……そう思わざるを得ない埜平達。しかし保茂達は、
「予定通りだね」
「あぁ、これで1つ目は突破ですわ」
レースを見守る。変わらず先頭はカミノライザン。2番手オシアンとの差は──ざっと5馬身はついていた。
2番手でカミノライザンを追走するオシアン。その顔には笑みがあった。
(へ、あの日本馬……
本来であれば自分達がペースメーカーの役割を果たすつもりだった。ラムシンが有利にレースを展開するために、自分達は死に役として凱旋門賞に出走していた。しかしこれならば、自分達にも勝ちの目があるんじゃないか?そう魔が差すオシアンの騎手。
(ま、日本の馬なんて所詮こんなもんだ。たかが知れてやがるぜ)
ただ、ペースメーカーの役割は果たさなければならない。速すぎず遅すぎずのペースを守る。
《序盤の先行争い、先頭に立つは日本のカミノライザン!2番手オシアンとの差はすでに6馬身はついている!これはカミノライザンがペースメーカーとなるのか!?2番手はオシアン、そのオシアンから1馬身遅れてオーティスやブルボンなどの先行勢が追走!その先行勢を見る形でミルリーフだ!1番人気のミルリーフはここにいる!しかしこれは明らかな暴走だ!カミノライザンレースを捨てたか!?》
ミルリーフの騎手ロイスも怪訝な表情を浮かべる。
(なんだあの馬は?暴走か、果たして何か思惑があるのか……)
悩んだ末に、ロイスが出した結論は
(幸いにも、あの馬の近くを追走する馬は
この好位置でレースを展開する。ロイスはそう決めた。
レースが800を過ぎた頃。カミノライザンは変わらず先頭。そこから8馬身程離れてオシアン。そのオシアンから1馬身離れた位置にいるのが先行勢だ。
その時先行勢は、オシアンとカミノライザンの
(おっと、気づかないうちにペースを上げていたか)
そう判断した先行勢は
(ちょっと先頭のアイツにあてられすぎたか。落とさねぇとな)
少し抑えて様子を窺う。先頭のカミノライザンとの距離は──離れていた。
その様子にオシアンと先行勢はほくそ笑む。これで、疑問は完全に無くなった。
(あの馬、暴走してるな。間違いねぇ!)
じわじわと広がっていく差が何よりの証拠だ。ここでオシアンの騎手はどうするべきか迷う。
カミノライザンに競りかけに行くか、それともこのペースを守るか。元々ペースメーカーとして自分はあの馬に競りかけるつもりだったのだが、あまりにも上手いスタートに出遅れた。あの馬は競りかける間もなくすっ飛んでいき、ずっと先頭に立ち続けている。
(勝ちに行くか、それともペースメーカーの役割に徹するか)
悩んだ末に導き出した答えは──カミノライザンに競りかけること。ペースメーカーとしての死に役を選んだ。
そうと決まった騎手の判断は早い。鞭を入れてカミノライザンとの距離を縮めにかかる。先行勢はそれに引っ張られることなく、オシアンと先行勢の差は広がっていった。
《前半の1000m、タイムは
カミノライザンとの差は容易く縮まる。5馬身、4馬身と縮まっていた。
しかし、カミノライザンは動じない。そのことに一瞬苛立ちを覚えるオシアンの騎手。だが、その理由にすぐに気づく。
(おーおーそんなに必死になってよぉ。ご苦労なことだ)
必死になりすぎてこちらに気づいていない。そう判断した。これ幸いとカミノライザンとの差をさらに詰める。オシアンと先行勢の差は逆に開く一方だ。すでに7馬身は開いているだろうか?それだけの差がある。
先頭を走るカミノライザン。それに競りかけようとするオシアン。先行勢は焦らずにレースをじっくりとうかがう。
「大丈夫かな?カミノライザン」
「おとうさん、ライザンはかてる?」
「大丈夫さ、こういう時こそ勝つのがカミノライザンなんだから……!」
日本のファンは祈るようにレースを観戦する。埜平と輪田は、沈痛な面持ちでレースを見ていた。
富永の表情に──焦りは全くない。凱旋門賞は進んでいく。