凱旋門賞が終わって数日。カミノライザン陣営は惜しまれながらもフランスを飛び立った。
「『元春、とても良い経験だったよ!また会おう!』」
「『うん、ジョエル。ライザンちゃんの子がこっちで走るかもしれないから、その時はよろしくね?』」
「『カミノライザンの子か……そりゃ楽しみだな!』」
別れの言葉を交わして、アメリカ行きの飛行機へと乗る。今回は猛田に富永も一緒だ。富永は、ロイス騎手と握手を交わしている。
「『紘一、君達とのレースはとても良い経験だった……またこちらに来ることがあれば、よろしく頼むよ』」
「は、『はい!ありがとうございました!』」
「『次は、こちらが勝たせてもらうよ』」
フッと笑うロイス。本場の騎手に認められたことで、富永の自信にも繋がることになった。
準備を終えた保茂達は飛行機へと乗り込む。フランスへ来た時は別々だったが、今回は一緒だ。同じ飛行機でアメリカへと向かうことになる。
「向こうに着くまでは完全に暇ですね」
「ま~仕方ないやろ。到着までの我慢や」
「向こうで走ってるタニノムーティエの資料もさすがに取り寄せられなかったからね~。向こうでお世話になる厩舎に貰わないと」
そんな他愛もない会話をしながら、カミノライザン陣営を乗せた飛行機はアメリカへと飛び立った。
◇
一方その頃のアメリカ、タニノムーティエ陣営。
すでにこちらのレースをいくつか走っているタニノムーティエ陣営の表情は──芳しくない。その原因は、これまでのレース結果にあるだろう。
谷瑞はどうしたものかと頭を抱える。
「この前ようやく3着に入れたけど……ホンマにようやくや」
日本の競馬が遅れていることは、アメリカの遠征先を口利きしてくれた埜平達の助言から知ってはいた。いざ実感してみると、確かにそうだと思わざるをえない。
向こうとはなにもかもが違う。作戦やペースの取り方、さらには芝さえも違ってくるとなると、ここから調整していかなければならないのは至難の業だった。
しかし、悪いことばかりではない。
「3着に入ったレース……あれを考えるに、ムーティエはアメリカの走りに適応したっちゅうことかも知れんな」
問題は、それをレースで確かめることができないという点だが。大目標であるワシントンDCが間近に迫っている中、もう1レースを使おうとは思えなかった。
今後の予定を試行錯誤していると、扉がノックする音が聞こえる。1つ断りを入れて入ってきたのは、タニノムーティエの主戦騎手である廉田だった。廉田はかなり慌てた様子である。
「た、た、谷瑞さん!聞きましたか!?」
「なんや廉田。聞いたって、なんの話や?」
怪訝な表情をする谷瑞に廉田はゆっくりと息を整えてから話始める。
「凱旋門賞……カミノライザンが勝ったみたいです」
「ッ!」
その言葉に、谷瑞の表情は一気に強張る。それでも、なんとか取り繕うように笑みを浮かべた。谷瑞の頭の中にあったのは、やはりあの馬は強いのだという気持ち。
(ムーティエは手こずっとるのに、向こうはさっさと適応して世界の大舞台を勝っとるんか……ホンマに、えらい馬や)
そんな馬を相手にしなければならない。そう決めたとはいえ、こうして対峙する相手のことを考えると手が震えそうになる。
だが、その震えそうになる手を無理矢理抑えつける。分かっていたことだと、あの馬は本当に強いのだと、それが改めて分かっただけと自分に言い聞かせる。
平静を装って、廉田へと問いかける谷瑞。
「……それで?それがなんや?俺らに何の影響があるっちゅうねん」
そう質問する谷瑞に、廉田は不敵に笑って答えた。
「いえ──そんな相手と戦って、勝ってみたいと思うとります」
およそさっきまで慌てた様子とは思えないほどの言葉。思わず谷瑞は肩透かしを食らった気分になる。
「……はぁっ?」
「いや、凱旋門賞はヨーロッパ最高峰のレースやないですか。そんな馬に勝ったらどないなるんやろう思いまして」
そう言う廉田の手は震えている。しかし、その震えは……武者震いだった。
廉田は本気で勝ちに行こうとしている。カミノライザンという稀代の名馬を相手に、次のワシントンDCで勝とうとしているのだ。その事実が谷瑞に叩きつけられる。
相手は欧州の芝にすぐさま適応した、アメリカの芝にもすぐに適応するだろう。鞍上は若き天才にして無二の相棒である富永紘一、常にこちらの手の内を把握しているように動き、幾度となく苦汁を舐めさせられた相手。前哨戦では勝てても、本番では勝てなかった。
加えて、こちらは適応するので精一杯。この前ようやく3着に滑り込めた出来だ。勿論、タニノムーティエが悪いわけではないが、どうしても差というものを感じてしまう。
それでも廉田は、言ってみせた。次のワシントンDCで……カミノライザンを負かしてみせると。
(……はっ、臆病風に吹かれとったんは、俺だけっちゅうことか)
思えば、紹介してもらった埜平達にも大口を叩いていたことを思い出す。
「ええか輪田さん。俺らはワシントンDCでアイツに……カミノライザンに勝ってみせますわ!アイツらの、特にあのオーナーの鼻を明かしたる!」
そう言った時の輪田達の表情は、鳩が豆鉄砲を食ったような顔だった。
谷瑞は真っ直ぐに廉田を見る。すでに震えは止まっていた。
「ええか、廉田。こっから先が正念場や」
「……分かっとります」
「相手は欧州の違う芝にすぐさま適応した相手や。アメリカの芝にもすぐに適応するやろな」
淡々と述べていく谷瑞。その目にはどこか憧憬の感情が混じっているようにも見えた。
「ホンマに羨ましい限りやわ。今まであんなの相手にしとったことを考えたら、俺らはようやったんやないかって思えてくるわ」
「谷瑞さん……」
「──やからこそ」
瞬間、鋭い目になる。覚悟を決めた、男の表情だ。
「絶対に勝て。相手が強大やからなんや、俺らとてこっちで経験を積んどる。アメリカでの経験値なら俺らの方が上や。やからワシントンDC……絶対に勝て」
谷瑞の命令に、廉田は覚悟を決めた表情で答える。
「分かりました。ワシントンDC、死に物狂いで勝利を掴んでみせます」
アメリカの地でカミノライザン陣営にリベンジを誓うタニノムーティエ陣営。その覚悟は、凄まじいものだった。
「なんにせよ、アメリカのコースはほぼ平坦や。それに、序盤からバカスカ飛ばすからな。やからこそ、持久戦かつスピードが求められるレースになる」
「いうなれば、富永の策も嵌りにくいっちゅうことでもありますね。タニノムーティエにとって有利でもあります」
「ホンマの実力勝負や。カミノライザンとタニノムーティエの力は甘く見積もって五分……ま、こっちが微不利やろうな。やけど」
「えぇ、その不利を乗り越えて……なんとしてでもアイツらより先にゴールに辿り着いてみせます」
拳を合わせる2人。その後は、タニノムーティエの調教へと足を運んでいった。
◇
う~ん、暇。飛行機乗ってる間ってマジで暇だ。寝っ転がったりして過ごすしかねぇ。
(しっかし、俺が時代の先駆者になるとはなぁ)
クラシック五冠は……まぁこの先現れないだろうからいいとして。日本調教馬として初めて凱旋門賞を勝つなんてな~!俺が生きてた時代ではまさに悲願って感じだったし、マジで嬉しい!
(ぶっちゃけ相手が舐め腐ってたせいもあるんだけどな)
あれは凄かった。俺英語とかフランス語とか分かんねぇからなんて言ってるのかは聞き取れないんだけど、明らかに舐めた視線向けられてたからな。軽くイラっとしてたわ。それでまぁ、トミーと立てた作戦である幻惑逃げをしたわけだけど。これがま~大嵌りよ。あんだけ差をつけて逃げるってのは気持ちよかったね。流して走ってたらミルリーフがかっとんできて超ビビったけど。
レース後は……うん、向こうの騎手さんブチギレてたな。なんか他の騎手と揉めてたけど。何だったんだろうかアレ?大声上げてたからマジでビビった。とにかく触らぬ神に祟りなしなので我関せずだったけど。その後囲まれたんだけどな。
(相変わらずなんて言ってんのか毛ほども分からんかった。多分、最後のは褒められてたんだろうけど)
トミーバシバシ叩かれてたし、騎手さん達笑顔だったし。少なくとも悪い感情ではないだろう。
「アメリカではタニノムーティエとの対決ですね」
「やな。特に向こうさん、えらい気合が入っとるからな。油断はできひんで」
「それに、アメリカの競馬は向こうの方が経験があるからね。芝には適応できるだろうけど、今回のように上手くはいかないだろう」
「ですね。とりあえず向こうに着いたらまずは研究を……」
「姫~?体調は大丈夫か?」
クソ神達はアメリカでのレースを話し合ってる。刈谷は俺の方へと近づいてきて体調の心配をしているな。今んとこ大丈夫だから舐めて答えてやろう。
「わっぷ、大丈夫そうだな。辛くなったら早めに言うんだぞ?」
あいあ~い。
それにしてもアメリカか。果たして、歓迎されるのか否か……ちょっと楽しみだな。
覚悟決めてますねぇこれは。