──その日アメリカに1つのニュースが飛び交った。
【凱旋門賞馬カミノライザン、明日アメリカに上陸!】
日本の競走馬であるカミノライザンがアメリカへと到着することを報せるニュース。その情報に。
「ついに、ついにカミノライザンが来るのか!」
「この日をどれだけ待ちわびたか!」
「今から楽しみで仕方ねぇよ!」
無論、その事情を知らない人からすれば不思議なことだろう。確かに凱旋門賞馬が来るというのは話題にもなるだろう。その年の世界最強に輝いた馬でもあるのだから。しかし、アメリカではない、日本の凱旋門賞馬が来るだけでこれほどまでに喜ぶべき理由など見当たらなかった。
事情を知らないファンが抱いていた疑問は、すぐに氷解することになる。
「おいおい、知らねぇのか?カミノライザンはな──マンノウォーの子孫なんだよ!」
その情報に、ファンは度肝を抜かれる。
「ま、マンノウォーって……
「そうだ!伝説のビッグレッド……カミノライザンはその子孫なんだよ!」
「うおおおぉぉぉ!ま、マジか!?」
アメリカ競馬における伝説、【ビッグレッド】マンノウォー。その名を知らない者はいないだろう。アメリカ競馬史上もっとも偉大な馬であり、その影響力は計り知れないものである。カミノライザンの血統を辿っていくと、月友という馬に辿り着く。なにを隠そう、その月友の父こそがマンノウォーなのだ。
最初こそカミノライザンの名はそこまで知られなかった。日本の競走馬の一頭に過ぎない、そう判断されていた。だが、いざ血統の情報が明るみに出ると……その評価は一変した。
まず、遠征するなら是非ウチに!という陣営が出てきた。マンノウォーの子孫であるカミノライザンを是非とも自身の厩舎で面倒を見たいという調教師が続出したのである。実際にカミノライザンがアメリカのレースにも出走すると決まった時、保茂の下にはオファーが殺到した。最終的に保茂は知り合いの調教師を頼ることになったが。
次に、アメリカ国民はカミノライザンが来る日を待ちわびていた。ワシントンDCインターナショナルの日が近づくにつれて、その気分は高まっていく。プレゼントを待ちわびる子供のような気持ちだった。
そして、カミノライザンが凱旋門賞を勝利したというニュースがアメリカに流れると──そのボルテージはさらに上昇した。
「マンノウォーの子孫が凱旋門賞を勝ったぞぉぉぉ!」
「カミノライザンすげぇぇぇ!」
その日はお祭り騒ぎだった場所もあるぐらいだ。マンノウォーがどれだけ偉大だったかが分かる。
凱旋門賞が終わって数日。ついにその日がやってきた。カミノライザンがアメリカの地に降り立つ日が。
是非とも会ってみたい!一目カミノライザンの姿を拝みたい!という衝動に駆られるアメリカの競馬ファン。そんなところに、ある情報が投じられる。
「数日後に公開調教を行う。後日整理券を配るので、1人10分程度の見学を許可する」
馬主である保茂元春の言葉だ。カミノライザンの公開調教を行うという声明。その言葉を信じ、アメリカのファンは大人しく待つことにした……中には我慢しきれず突撃したファンもいるらしいが。当たり前のように警察や警備員にしょっ引かれていた。
そして迎えた公開調教の日。ついにカミノライザンの姿を生で拝むことができた。
「おぉ……あれがカミノライザン!」
「真っ黒な馬体だ。でも、すっげぇデカい!」
「あぁ!本当に牝馬か疑いたくなる、牡馬顔負けの惚れ惚れするような馬体だ!」
「え?もう10分!?クソッ、もう一度並ぶしかない!」
カミノライザンの公開調教はその日一日続いた。その日一日乗っていた富永はプレッシャーでヤバかった。
「いや、もう……見渡す限り全方位から視線を感じてましたよ……注目されることはたくさんあったけど、あれだけ注目されるのはさすがに初めてです」
「これ、俺ら下手なレースしようもんなら消されるんちゃうか?」
「はは、さすがにないですよ猛田さん。……ないですよね?保茂さん」
「……」
「なんか言ってくださいよ!?」
実際何か起こることはないだろうが、下手なレースはできない。カミノライザン陣営は気を引き締めてワシントンDCへと挑む。
そして公開調教中。
(なんでこんな人がいるんだよ!?やめろやめろ!プレッシャーが、プレッシャーがぁ……っ!)
案の定カミノライザンもプレッシャーとの死闘を演じていた。それでも表には出さなかったのは意地のようなものだろう。
◇
公開調教を終えたカミノライザン陣営。疲労困憊だった。
「ま、まさかあれだけの人数が集まるなんて……」
「姫はこっちでどんだけ人気やねん……日本の比じゃないで」
「それだけ、ライザンちゃんの血統が凄いってことだよ。特に、マンノウォーの血が入ってるのがね」
保茂の言葉に猛田と富永は反応する。2人ともマンノウォーの名前は聞いたことがあるからだ。
「マンノウォー。アメリカの伝説ともいうべき名馬……でしたよね?」
「そ。ここアメリカではマンノウォーはまさに英雄なのさ。永遠に語り継がれるべき名馬、それがマンノウォー」
「その血が入っとる姫は、そら大人気っちゅうことか」
改めて説明されて合点がいく。そしてアメリカのマンノウォー人気を舐めていたことを後悔する2人だった。厩務員である刈谷は現在カミノライザンの餌やりをしているためこの場にはいない。
疲労困憊の猛田達のところに、アメリカでお世話になる厩舎の調教師──アイクが姿を現す。アイクは上機嫌だった。
「『よう元春!カミノライザンの遠征先にウチを選んでくれて嬉しいよ!』」
「『アイクとは付き合いがあるからね。優先させてもらったよ』」
ジョエルの時と同様、ハグをして喜び合う保茂とアイク。そんな2人の様子を見て猛田と富永は小声で話す。
「ホンマに保茂さんの人脈謎やな。フランスにも伝手があるし、アメリカにもあるし」
「俺、イギリスやオーストラリアとかに伝手があるって言われても信じますよ」
保茂の人脈はどこまで広がっているのだろうか?疑問を感じずにはいられない2人だった。
アイクを交えての会議の時間。アイクはここ数日の調教の様子を見て興奮していた。
「『それにしても、凄いねカミノライザンは!欧州の芝を走った後に、すぐにこっちの芝にも適応するなんて!』」
「『ライザンちゃんは賢いからね。お茶の子さいさいだよ』」
「ハハハ!『さすがは偉大なるビッグレッドの子孫だ!』」
カミノライザンはアメリカの芝でも問題なく走ることができた。これで芝の適応の問題は解決したといえるだろう。
後の問題は、アメリカのレーススタイルだ。アイクは鋭い目で保茂達を見る。
「『元春、凱旋門賞の時のようにはいかないと思った方が良い。向こうとは全然違うからな』」
「『分かっているさアイク。それに、凱旋門賞の勝ちがあるから余計に警戒されるだろうしね』」
アメリカのコースは起伏が少ない。平坦なコースが主だ。そのため、最初からトップスピードで飛ばす馬が多い。そのスピードをいかに持続させるか……それがワシントンDCを勝つのに重要になってくる点である。
アメリカにおいて芝のレースはあまり盛んではないにしても、これまで日本の馬達は一度も優勝できずにいる。勝ちたいという気持ちは強かった。
「『今回出走している馬の中で、気になるのがいてね。それがこの……タニノムーティエさ』」
タニノムーティエ。その名を聞いて猛田達は反応する。日本の馬でカミノライザンのライバル。常に警戒し続けてきた相手だ。
「『タニノムーティエ……確かに僕達には縁深い馬だけど。なにが気になるんだい?アイク』」
「『この馬、アメリカで少し走ったんだが直近のレースでようやく3着に入ってね。普段ならあまり気にならないんだが……カミノライザンがこっちに来ると知ってから気合の入りようが凄まじいと聞いている』」
心当たりがある保茂達。アイクの言葉を黙って聞いていた。
「『気を付けた方が良い。ワシントンDC、おそらくタニノムーティエは来るだろう。こちらの芝に適応し始めているからな』」
「やっぱ立ちはだかるよなぁ、ムーティエ」
「廉田さん……」
アメリカの調教師も警戒するタニノムーティエ。このアメリカでどれだけの強さになったのか。それが猛田達は気になった。
だとしても、負ける気はない。カミノライザンで勝利する。ライバルには負けられないのだから。
「『他の有力馬の情報も貰えますか?アイクさん』」
「『勿論構わないよ!まずは……』」
陣営の対策会議は夜遅くまで続いた。
◇
ワシントンDCが近づいている今日。それは偶然だった。
「あれ?富永やないか」
「れ、廉田さん?」
アメリカのホテルにて、富永と廉田は邂逅を果たす。その後流れで飲みに行くことになった。
酒場にて話し合う2人。内容はいたってシンプルで、お互いの近況報告だった。
「それにしても凄いやないか富永~!あの凱旋門賞を勝つなんてな!」
富永の肩をバシバシと叩く廉田。そこに険悪な雰囲気はなく、兄弟子と弟弟子の仲睦まじい交流があった。
「い、痛い痛い。痛いですって廉田さん!」
「おぉスマン!にしても……ホンマにえらいジョッキーになったな、お前」
「ま~頑張ってますから。姫のおかげでもありますけど」
「いや、お前の技術もあると思うで。あんま調子に乗ると猛田さんにどつかれるかもしれへんけど」
富永の技術を褒める廉田。富永としても悪い気分ではなかった。
そんな廉田だが、酒が入ったせいか少しばかり落ち込みだす。
「ホンマに凄いわお前は。八大競走の完全制覇も夢やないんやないか?それに比べて俺は……」
「ちょ、ちょっとどうしたんですか?廉田さん」
「いや~、弟弟子の成長も嬉しいけど、自分の現状を見るとちょっと……な」
どうしても落ち込んでまうわ~、と話す廉田。結構酔いが回っていた。
「ムーティエの素質はぴか一やけど、どうも俺はそれを活かし切れてへん気がしてな」
「そんなことありませんよ。廉田さんはムーティエの力を出し切れてます」
「お前に言われても嫌味にしか聞こえへんわ」
「それは、まぁ……すいません」
思わず謝る富永。廉田の愚痴は止まらない。
「あ~あ、カミノライザンのライバルやって息巻いといったのにこのザマやもんなぁ。ホンマに自分が情けないわ」
思わず零れ出たその言葉。その言葉を富永は──即座に否定する。
「何言ってるんですか廉田さん。タニノムーティエはカミノライザンのライバルですよ」
タニノムーティエはカミノライザンのライバルだと。富永はそう主張する。ただ、廉田は真面目に受け取っていないのか笑い飛ばしていた。
「兄弟子の顔立てんでもええで?大レース全部負けっぱなしやもんなぁ……ま、やからこそ次のワシントンDCは絶対に勝たせてもらうけど」
「ワシントンDCを譲る気はないですけど、少なくとも俺はタニノムーティエをライバルだと思っています」
一歩も譲らない富永の主張。さすがに廉田も怪訝な表情を浮かべた。
富永は語る。これまでのレースを。
「出走メンバーを確認する時、まず最初に見るのはタニノムーティエがいるか否かです。タニノムーティエがいたら、最優先で警戒しないといけないので」
「……その他大勢ちゃうんか?ムーティエは」
「一度だってそう思ったことはありません。どんなレースでも必ず、タニノムーティエは最優先で警戒してきました。じゃないと……負けてしまいますから」
富永は横にいる廉田を真っ直ぐに見て答える。
「何度だって言いましょう。タニノムーティエはカミノライザンのライバルです。誰になんと言われようと、俺はそう思っています」
はっきりと断言した富永に、廉田は──思わず笑みがこぼれる。
「……ハン、ええわ富永。今度のワシントンDC覚悟しとき」
指を突きつけて、宣言する。お互いに、笑っていた。
「お前らの懐にある勝利を奪ったるわ、富永」
「望むところです、廉田さん」
2人はその後も、楽しく歓談していた。
すげぇ人気ですよこれは。