──ローレル競馬場に集ったファンは息をのむ。
「……っ」
彼らの視線はただ一点、逃げ馬を2番手で追走する日本の競走馬……カミノライザンとタニノムーティエに注がれている。2頭の位置は変わらない。逃げ馬を見る形でレースを展開している。
すでにスタンド前は過ぎた。現在第2コーナーを回って向こう正面へと入っている。レースも中盤に入ったところだ。そんな中でカミノライザンとタニノムーティエは、レースが始まってから
最初は白熱したライバル対決に声援を飛ばしていた。各々推している競走馬の名前や騎手の名前を上げ、応援していた。それが変わり始めたのはどれくらいだったか?おそらく、向こう正面に入ってもカミノライザン達が競り合っていることに気づいた時だろう。ふとした疑問が湧いてきたのだ。
「そう言えばよ、カミノライザンとタニノムーティエって……
「え?……そういや気づいたら競り合ってたな。スタンド前ぐらいからじゃね?」
「いや、その頃にはもう競り合ってたよ。1周目の第3コーナーと第4コーナーの間とかじゃないか?」
あぁでもない、こうでもないと声が上がる。そんな彼らが下した結論は──スタートしてからずっと競り合っていた、である。
事実、カミノライザンとタニノムーティエはスタートからずっと競り合っていた。それは、このレースの最初からカミノライザン達を観ていた保茂陣営と谷瑞陣営が一番よく分かっていることである。
「スタートしてからずっと競り合ってるね……マークする作戦かな?」
「それだけで済めばええんですけど……にしても競り合っとるな。トミにしては珍しい」
「……それでええ、廉田。絶対に勝ってこい!」
スタートしてからずっと競り合っている2頭。向こう正面でも変わらず競り合っていた。
富永は隣を走っている廉田とタニノムーティエをチラリと見る。スタートしてから変わらない、ずっと自分達と競り合っている。そのことを再認識していた。
(やりにくい、というわけではない。ただ、ずっと競り合っているな)
富永としても良いか悪いかで言われたら良くないと答える。このまま競り合い続けて両方とも力尽きる可能性を考慮したら、大人しく引き下がった方が良いと答えるだろう。
だが、
(ここで引き下がったら、そのまま差を詰めれずに終わる!直感だけど、そんな気がする!)
仮に引き下がった場合、タニノムーティエはペースを緩めずに走るはずだ。そうなった場合、追い抜くのが困難になる。
では、反対にペースを上げたら?そしたら今度は自滅しかねないハイペース展開を作らされるだろう。そうなる前に手を打つこともできなくはないが、最善手とは言えない。
故に、富永が出した結論は──この競り合いを維持すること。
(たとえ何があっても負けない!俺と、姫なら!)
それだけの自信があるからこそ、こうして競り合っている。後はどこで仕掛けるか、だ。
そして、廉田も同じ意見である。
(大人しゅう引き下がったら、それこそ今までの二の舞や!やからこそ、絶対に引き下がらん!)
後ろで展開されたら絶対に追いつかないペースを維持される。かといって無理にペースを上げると相手の思うつぼ。スタミナ切れで抜かされるだろう。だからこそ、ここで競り合っていることが最適解だと廉田は判断した。
この攻防はスタートからずっと続いている。
《向こう正面に入ってペースアップか?逃げる先頭7番!タニノムーティエとカミノライザンはまだ競り合っている、まだ競り合っている!先頭から1馬身の位置をキープしているぞ!ランザガントレットは少しペースアップか?5番手に浮上!ここからどういった展開を見せるのか、気になるところだ!》
お互いを警戒している動き。動き出しに合わせるようにしているのか、それとも警戒し合っているだけか。まだ動きはなかった。
レースが動いたのは向こう正面半分を過ぎた頃のことだった。
お互い、示し合わせたわけじゃない。お互いの動きを見て動いたわけじゃない。ただ偶然、本当に偶然の出来事だった。
「ッ!」
カミノライザンが動く。それとコンマ一秒、寸分違わぬタイミングで。
「ッ!」
タニノムーティエも動いた。
「「行くぞ(でぇ)、姫(ムーティエ)!」」
カミノライザンとタニノムーティエ。両者全く同じタイミングで抜け出した。競り合いはどこまでも続いていく。
◇
会場のファンは言葉を失っていた。スタートから続いていたカミノライザンとタニノムーティエの競り合い。そんな競り合いに、
「おい、マジかよ!?」
「ま、全く同じタイミングで……仕掛けた!?」
内にいるカミノライザンが動いたのと同じタイミング。タニノムーティエも動いた。2周目の第3コーナー手前を迎えて、先頭へと2頭が急襲する。中団以下が上がってきているが、ファンの目に映っているのはカミノライザンとタニノムーティエの競り合いだけだ。
《第3コーナーを目前に控えてタニノムーティエとカミノライザンが同時に動いたぁ!
示し合わせていない、打ち合わせがあったわけでもない。ただ、2頭が仕掛けたタイミングは──全く一緒だった。
(まさか、廉田さんも同じタイミングで仕掛けてくるなんて!でも……考えてみれば当然だ!)
カミノライザンの手綱を握りながら富永は考える。何故タニノムーティエと仕掛けのタイミングが全く一緒だったのか。
(そらそうだよなぁ富永!勝つためって考えたら、あそこしかあらへん!)
廉田も同じ結論に至る。このレースを勝つためには向こう正面半分を過ぎてから、あそこで仕掛ける必要があったのだと。そのタイミングが、両者全く同じだったのだ。
(譲らない、絶対にッ!)
(譲らへん、絶対ッ!)
お互い、無我夢中で手綱を握る。カミノライザンとタニノムーティエも必死に脚を動かす。2頭の競り合いはどこまでも続いていた。
ランザガントレットが必死に追う。後続が追い上げてくるが……その差が縮まる気配が見えない。完全に2頭のマッチレースの様相を呈していた。
《これは凄いレースだ!?これは凄いレースだ!第4コーナーに入ってもまだマッチレースだ、まだマッチレースだ!しかもそれが!日本からやってきた挑戦者の2頭!カミノライザンとタニノムーティエの一歩も譲らない戦いだ!ランザガントレットが必死に追う!ランザガントレットが差を詰めようとしている!しかし先頭を走る2頭にランザガントレットのすがたは映らない!お互いの目に映るのは、隣を走っているライバルだけだ!》
実況の声にも熱が入る。第4コーナーに入っても続くこの競り合い、一体どこまで行くのだろうか?
常識的に考えれば、内を走るカミノライザンの有利だろう。しかし、ここにきて有利や不利などといった要素は無くなっていた。
第4コーナーを曲がる。2頭は大きく、大きく外に膨らんでいった。
(この最後の直線でッ!)
富永がカミノライザンに鞭を入れる。
(ここでッ!)
((隣を走るコイツを競り落とすッ!))
さらにギアが上がる2頭。完全にカミノライザンとタニノムーティエのマッチレースになっていた。
最後の直線に入った時。ローレル競馬場に集まったファンはようやく我に返った。目の前の光景を見て、ギョッとする。
「あの2頭、まだ競り合っているぞ!?」
「まさか、日本から来た2頭の馬が!このアメリカで競り合っているのか!?」
「ら、ランザガントレットは……えぇい、
ローレル競馬場の最後の直線は約332m。日本の中山競馬場並の短さだ。この短い最後の直線に、2頭は全てを注ぎ込む。全てを注ぎ込まなければ、隣を走る奴に出し抜かれる。その一心で走っていた。
(しつこい!落ちろ!勝つのは俺達だ!)
富永は手綱を動かしながらそんなことを考える。
(ホンマにえらいわお前ら!やけどそろそろ譲れやアホンダラ!)
廉田もまた、そう考えていた。
2頭のデッドヒートは続いていく。お互いに一歩も譲らない。
《最後の直線で先頭はなんと日本の2頭だ!凱旋門賞馬カミノライザンとそのライバルタニノムーティエの激しい競り合い!まさにデッドヒートだ、デッドヒートだ!全く並んだまま!全く並んだまま両者一歩も譲らぬ大激闘!カミノライザンとタニノムーティエ一歩も譲らない!後ろではランザガントレットが3番手に浮上!しかし前を走る2頭から5馬身は離されている!ここから先頭争いに加わるのは難しいぞ!》
競馬場のボルテージも上がりっぱなしだ。とどまることを知らない。
タニノムーティエ陣営の前には、常にカミノライザンの姿があった。あまりにも眩しく、輝いていたカミノライザン達の姿に……憧憬すら抱いていた。
向こうは世界最高峰のレースである凱旋門賞を制してこのワシントンDCに乗り込んできた。対して自分達はアメリカの芝に適応するのが精一杯だった。特段大きい成果を上げたわけではない。
今までの日本馬に比べれば早い順応だろう。誇るべきことだ。しかし、こんな時でもタニノムーティエ達の前には……カミノライザンの姿があったのだ。
かつて谷瑞はカミノライザンのことをこう言った。
「モノがちゃうわ。あれこそホンマもんのバケモンや」
確かにその通りだ。タニノムーティエが10年に一度の競走馬だとすれば、カミノライザンは100年に一度の競走馬。そのレベルの相手である。タニノムーティエも化物かもしれないが、カミノライザンはさらにその上を行く怪物……神と呼んでも許される競走馬だろう。
加えて、カミノライザンに騎乗する富永紘一もまた凄い。誰もが認める大天才、その騎乗技術は廉田ですら羨望の眼差しを送るぐらいのもの。嫉妬すら抱いた。
片や、日本のクラシック5つを制し、世界最高峰の舞台である凱旋門賞を制した青毛の女神カミノライザン。片や、その女神に大舞台で負け続け、苦汁を舐めさせられ続けてきたタニノムーティエ。諦めてもおかしくなかった。
……けど、諦めなかったからこそ今この舞台での対決がある。
(確かにお前はとんでもない怪物や、神と呼んでもええかもしれん。やけどなぁ!)
廉田は吠える。
「そんなんで諦めきれるかぁぁぁぁぁ!!」
廉田達を動かすのは勝ちたいという思い。相手がどれだけ強大だろうと知ったことか、相手がどんなに怪物でも退くわけにはいかないという思いだ。ただひたすらに、カミノライザン達に対峙する。
タニノムーティエ達の思いは相当なものだ。加えて、実力も十二分にある。誰であってもねじ伏せることができるだろう──隣を走る
「俺達だって負けられないんだぁぁぁぁぁ!!」
富永も吠える。負けられない、カミノライザンとともに勝つ。その思いを胸にローレル競馬場を駆け抜ける。
初めはただ乗っているだけだった。ただ乗っているだけで、自分の騎乗ミスで負けさせてしまった。その日のことをずっと後悔していた。タニノムーティエに負けてしまった日のことを。
だからこそ、誰よりも警戒していた。タニノムーティエに勝つためにどうしたらいいのか?どう動けばいいのか?をずっと考えていた。廉田達が思っているよりもずっと、富永の頭にはタニノムーティエの姿があったのだ。それが今の結果に繋がっている。
「一度だってそう思ったことはありません。どんなレースでも必ず、タニノムーティエは最優先で警戒してきました。じゃないと……負けてしまいますから」
あれは富永の嘘偽らざる本心だ。他の誰よりもタニノムーティエ陣営を警戒していたからこそ、ここまで結果を残し続けてきた。ここまで成長できたと考えている。
タニノムーティエに初めて敗北した日のことはずっと覚えている。あの時の悔しさも何もかも鮮明に思い出せる。
もうあんな思いはしたくない。自分のせいで負けてしまうなんて、二度とあってはならない。その決意を胸に富永は手綱を握る。
両者一歩も譲らない勝負。全く並んだまま最後の直線を駆け抜ける。意地と意地がぶつかり合う。
《残り100を切った!まだ並んだまま!まだ並んだままだ!まさしくデッドヒート!カミノライザンとタニノムーティエ!後はどちらが抜け出すのか!?どちらが先に抜け出すか!この膠着状態はいつまで続くのか!?ランザガントレットはもう追いつけない!そしてランザガントレットの後ろはさらに開いている!4番手以下は3番手ランザガントレットに8馬身近くつけられている!さぁカミノライザンとタニノムーティエどちらが勝利するのか!?》
「頑張れぇぇぇぇ!ムーティエぇぇぇぇ!」
「ライザァァァァァン!勝てやぁぁぁぁ!」
「どっちもすげぇぇぇぇ!クソ、勝てぇぇぇぇ!」
上がり続ける歓声。まだ並んだままの2頭。残り50m。
「「負けるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」
差は広がらない。並んだままだ。並んだまま──ほぼ同時にゴールラインを割った。
《今ッ!カミノライザンとタニノムーティエが並んでゴールイン!なんとなんと!日本馬が初めてワシントンDCインターナショナルを勝ったが……えぇいそんなことはどうでもいい!今はどっちが勝ったのかが気になるところだ!会場のみんなもそう思っていることでしょう!結果は……し、写真!写真判定です!3着はランザガントレット、1位入線は写真判定です!》
2頭は少しオーバーランをした後立ち止まる。富永と廉田は掲示板を見て……睨みつけた。
「写真判定、か」
「……後は運否天賦、っちゅうことか」
ローレル競馬場は静寂に包まれた。
◇
あれからどれだけの時間が経ったのだろうか?永遠のように感じられる時間が流れていた。
「くっそ~……まだかよ?」
「早く結果を出せよ!何十分待ってると思ってんだ!」
「どっちが勝ったんだよ!?気になりすぎて眠れねぇだろうが!」
観客には焦りと苛立ちが見える。それも仕方ないのかもしれない。
間違いなく歴史的レースとなった今年のワシントンDCインターナショナル。その結果は、日本馬2頭によるデッドヒート。写真判定にまでもつれ込んだ。この判定にはかなりの時間を要しており、すでに10分以上待たされている。
カミノライザン陣営もタニノムーティエ陣営も気が気でないのか終始落ち着かない様子だった。
富永と廉田は、ただ審判の時を待つ。
(やれるだけのことはやった。後は……どうなるか、だ)
(これで負けてもしゃあないわ。それぐらい、俺らは全力を出し尽くした)
ただ結果が表示される時を静かに待っていた。
長い長い時間が流れ。そろそろ20分経とうか?という時。ついに結果が確定した。
「「「おお!お、おぉ?」」」
会場のざわめきを聞いて、富永と廉田は同時に顔を上げる。掲示板へと視線を移して……
「へっ?」
「はぁ?」
揃って素っ頓狂な声をあげた。掲示板に表示されていたのは──
同着を示す文字だった