カミノライザンの引退発表から数日が経ち、今度は
【関東の競走馬を中心に感冒の症状が続出!病原菌の出処はどこなのか!?】
年末に向けてそれぞれの陣営がレースへの対策を進める中、12月を過ぎた頃から感冒の症状が出始める馬が増加してきたのだ。川崎競馬場で最初の症状が出てくると、同じような感冒の症状が出る馬が続出。地方競馬から始まったこのパンデミックは、やがて中央競馬にも波及した。
馬流行性感冒……つまりは馬インフルエンザが流行したのである。これにより、年末の大一番のレースに影響が出始めた。有馬記念に出走を予定している競走馬達にはまだ影響はないが、果たしてどうなるのか……心配は尽きない。願わくば罹らないことを祈るばかりである。
◇
新聞を見ながら難しい表情を浮かべる猛田。一面には今流行している馬流行性感冒についての記事が書かれていた。
「最後の最後にえらいニュースやなぁ……縁起が悪いわ」
「そうですよねぇ。ウチの姫も他人事じゃないですから」
猛田の言葉に刈谷も反応する。現在関東で流行しつつある流行性感冒、カミノライザンも罹る可能性は0ではないのだ。ただ、何も対策をしていないわけじゃない。
「保茂さんが働きかけとるのがデカいな。あの人めっちゃ頑張っとるわ」
「感染した馬とそうじゃない馬の隔離、早期発見のために力を尽くしてますもんね」
「お陰様で被害は最小限にとどまりつつある。油断はできひんけどな」
そう言って会話を締めくくる。猛田はお茶をすすっていた。
そんな中、刈谷は寂しそうな表情を浮かべる。彼が考えていることは……カミノライザンの引退。
「それにしても、姫ももう引退……ですか。なんというか、早いような気がします」
「……せやな。ホンマに早い気がするわ」
猛田は昔を懐かしむ。最初にカミノライザンと出会った日のことを。
最初はパッとしない見栄えの牝馬だった。明らかにガレていて、輸送による疲労の影響でかなり毛艶が悪かった。本当に保茂元春が期待している馬なのか?本当にこの馬がクラシックを取れるのか?と疑うぐらいには。
しかし、その評価はすぐさま覆る。輸送の影響がなくなり、完調してからは目を見張るような馬体になった。加えて、入厩した当初からとても賢い馬だった。無駄な運動を一切せず、言われた調教を的確にこなす。調教にも真面目な態度で挑んでいた。この辺はシンザンとはえらい違いだと苦笑いしたものである。
特に凄かったのはスタミナ。心肺機能が明らかに他の馬と比べて突出していた。スピードの持続力が優れ、他の馬がバテているような距離でもけろっとこなしていた。
「こらホンマにクラシックを取れるな。それも一冠どころやない……下手すりゃ三冠取れるで、これは」
そう思いつつあった。
デビュー戦は……色々とあった。まさかレースが近づくにつれて体調を崩すとは思いもしなかった。回避も考えたものの、体調はなんとか良化傾向にあったため出走を決意。結果としては2着に3馬身差つける形での完勝。心配は杞憂に終わった。
そこからライバルであるタニノムーティエとの出会い。そして……クラシック五冠という前代未聞の偉業へと挑むことになったあの日。保茂の理想に、乗っかると決めたあの日のこと。
「本当に、最初はなんの冗談かと思いましたよ俺は。今まで無茶はしなかったのにどうして急に、って思いましたもん」
「まぁな。俺も、最初はおったまげたわ。人が変わったようになったんやからな」
それでも結局は保茂の夢に尽力すると決めた。世間からなんと言われようと、クラシック五冠という目標に向かって突き進むことを決めた。文字通り、己の全てをかけて。
どのレースも一筋縄ではいかなかった。特に、日本ダービーにはとんでもない労力を要した。今まで見せることのなかった、カミノライザンが疲れている姿。馬の温泉なども利用して、何とかしてダービーに間に合わせるようにした。結果、出走を勝ち取り見事に勝利を収めた。
菊花賞のタニノムーティエとの叩き合い。思わず席から立ち上がり、こぶしを握って応援したものである。勝った時は、心の底から喜んだ。最初は否定し、保茂に説得される形で挑んだクラシック五冠。カミノライザンは……見事に成し遂げたのである。
「俺らはホンマにとんでもない馬を育てとったな。ホンマに、ホンマにえらい馬や」
「おまけに大飯ぐらいでしたね。他の牝馬の倍近い量食ってますし、何なら牡馬より食ってますし」
「ま~確かにな。めっちゃ食う馬やったな姫」
カミノライザンとの思い出を語る2人。今でも昨日のことのように思い出せる。
天覧競馬となった天皇賞・春。田んぼとも称された極悪馬場を軽やかに駆け抜け、見事に勝利を収めた。続く宝塚記念。タニノムーティエの猛追を鮮やかに退けて勝利した。安田記念は……嫌な事件だった。結局出走できずに新潟記念に出走したのだが。
「ホンマになんだったんやあん時の保茂さん」
「たまにトチ狂いますよね。主に姫絡みで」
「どんだけ姫に狂わされとんねん。俺らもやけど」
あまり人のことを言えない、そう思う猛田達だった。自分達もまた、カミノライザンという馬に夢を見たのだから。
新潟記念の後は海外遠征へ。世界の大舞台、凱旋門賞。あまりにも大きく、自分達が挑めるとは思っていなかった、というよりは目を向けてこなかった舞台。
「今にして思うと、富永を主戦騎手にしとってよかったと思うてる。アイツやなかったら、ここまでこれんかったわ」
「そうですね……富永さんだからこそ、カミノライザンの良さを最大限に引き出せる。富永さんとカミノライザンは、ベストパートナーです」
「ホンマ、保茂さんの慧眼は半端ないわ」
その凱旋門賞をカミノライザンは見事に制した。今まで一度も取ったことのない逃げという戦法を使って、見事に逃げ切った。しかも余裕で。これも富永の手腕によるものが大きいだろう。
まだ新人である富永に、期待が寄せられていたカミノライザンを乗せるのはどうか?とも思っていた。しかし、今は断言できる。富永紘一とカミノライザンはベストパートナーなのだと。
そしてワシントンDCインターナショナル。ライバルであるタニノムーティエとの10度目の対決。12ハロンという距離で繰り広げられたデッドヒートに、猛田達は手に汗握った。最後の結果は──同着。驚きつつも、どこか納得するような、そんな結果だった。
カミノライザンの思い出を語る猛田と刈谷。つらつらと語っていた。
溜息をついて、猛田は一言。
「……泣いても笑っても、有馬が最後や。やから、万全の態勢で挑む。それが俺らのできることや」
「そうですね……ヤバい、今から泣きそうです俺」
「その涙は最後までとっとけや」
夜も遅い時間。思い出話に花を咲かせていた。
◇
カミノライザンの馬房へと近づく影。正体は──富永と保茂だった。
富永達の姿に気づくと、カミノライザンは嬉しそうに馬房から顔を出す。保茂は富永の方へと向いた。
「それじゃあ富永君、ゆっくりしてね」
「はい、ありがとうございます保茂さん」
保茂はそのまま去っていく。カミノライザンと富永だけがいた。
「姫、いよいよもうすぐだね……君のラストラン、有馬記念の日が」
まもなく有馬記念。富永は、カミノライザンと話をしに来ていた。
「時間が経つのは早いね。君と出会ったのが、つい昨日のように思えるよ」
感慨にふける富永。富永もまた、カミノライザンと出会った日のことを思い出していた。
「最初君の手綱を握らせてもらえるって知った時、凄い嬉しかったんだ。厩舎で一番期待されている馬だったから。それに、
神の馬シンザン。その娘でかつ期待が寄せられているカミノライザンに、新人である富永が騎乗できるなど本来は考えられないことだった。粟田や他の先輩方が乗ってもおかしくない馬、その馬に富永が主戦騎手を務めることができたのは……やはり保茂の存在が大きい。
「君の目標、クラシック五冠……他の人達はできない、無謀だって言ってたけど。俺は──君ならできるってずっと思ってた。君はそれだけ凄い馬だから」
馬房から顔をのぞかせているカミノライザンを撫でる富永。カミノライザンは気持ちよさそうに目を細めた。
「そして、クラシックのレースはどれも一筋縄ではいかなかった。5つのレース全部が気を抜けなかったし、何より君を負けさせるのが嫌だった。京都3歳ステークスのことが頭に残っていたから、なおさら負けるわけにはいかなかった。知ってる?本当はさ、前哨戦でも負けるのは嫌だったんだ」
苦笑いを浮かべる富永。その後即座に仕方ないけど、と続ける。
「不安要素をなくすために、万全を期する必要があった。まぁ……負けるの凄い嫌だったけど」
余程嫌だったのだろう。悔しさがにじみ出ている。
「クラシック五冠を達成して、今度は海外に目を向けることになった。その前にまずは天皇賞。まさか天皇陛下が御観覧なさるなんてね。本当に君は凄いよ」
天覧競馬となった天皇賞は、富永も内心は心臓が破れそうなぐらい痛かった。天皇陛下の御前で下手なレースはできない、それでも抜群の騎乗ができたのは……やはりカミノライザンという相棒の存在だろう。
「宝塚も勝って、新潟記念を勝って……凱旋門賞に挑んだ。海の向こう、雲の上の栄光だった。相手は本場、こっちはレベルが明らかに劣る環境。なのにさ、不思議と君となら負ける気がしなかった」
凱旋門賞での逃げ切り勝ち。虚を突いた勝ちかも知れないが、それでも勝ちは勝ちだ。それに、ミルリーフに騎乗していたロイス騎手も賞賛していた。カミノライザンと富永は素晴らしいと。その言葉を貰っていた。
そしてワシントンDCインターナショナル。タニノムーティエとの最後の決戦。
「同着……あれは意外だったなぁ。それだけムーティエと廉田さんが凄いってことだけど。でもまさか、お目にかかれるとは思わなかったよ」
12ハロン。ずっと隣同士で走り続けたデッドヒート。あれは生涯忘れることはないだろうと富永は思っていた。
カミノライザンとの思い出はたくさんある。次の有馬記念で、カミノライザンは引退だ。だからこそ、富永は決意する。
「有馬記念……
確信を持った表情の富永。その言葉にカミノライザンは。
「ヒヒーン!」
一鳴きして応えた。
◇
はい、どうも。感極まって泣きそうになっている俺ことカミノライザンです。
(だってよ?あの大天才によ、認められたんだぜ?君のおかげだってよ)
嬉しくならないはずがねぇよなぁ!?こりゃあバリバリ気合が入るってもんよ!次のレースも絶対に勝つ!
「有馬記念、絶対に勝とう姫。大丈夫さ、俺と君なら──誰にも負けない」
う、嬉しいこと言ってくれるじゃねぇかトミー!あぁそうだ、俺とトミーなら誰にも負けねぇ!
「ヒヒーン!(任せろー!)」
気合が入るぜ有馬記念!絶対に勝ってやるからな!そして……俺は七冠馬になってやる!
……だが、この時の俺は知る由もなかった。
(でも、な~んか
俺に、あんな未来が待ち受けていることを。有馬記念のことばかりですっかり忘れていた俺には、頭の中から抜け落ちていた。
まもなく有馬記念。