有馬記念前日。
「どういう風に走るか……ですか?」
「そうだね。もし決まってないなら、僕の方からお願いしてもいいかな?」
富永と保茂は向かい合っている。彼らの話題は、明日に控えている有馬記念をどのように走るか?というものだ。
(保茂さんからのお願い、か)
生憎と、富永には皆目見当もつかなかった。保茂はたまに奇想天外なことを言ってくるので本当に読めない。ただ、どんなことでも要望に応えられるだろう、と思っていたが。
ひとまず保茂の言葉に返事をする富永。
「分かりました。レコードを出して勝て、っていうなら出しますし、大差で勝て、というなら大差で勝ちます」
「おっ、凄い自信だねぇ。負けるとは思わないのかい?」
保茂の言葉に、富永は自信満々に返す。その言葉に、一切の揺らぎはなかった。
「始まる前から負けることは考えませんし、なにより俺と姫なら誰にも負けません。どんな走りでも勝ってみせます」
「……そっか」
安堵したような笑みを浮かべる保茂。早速、富永にある要求をした。
「明日の有馬記念──君達らしく勝っておいで」
保茂の言葉に、驚いた表情を浮かべる富永。保茂が要求してきたのはただ1つ……
富永と、カミノライザンらしく勝つ。それはつまり。
「──分かりました。
少し目を閉じて、その意味を考えて。納得したのか、富永は深く頷いて答える。その答えに、保茂も満足げな表情を浮かべた。
◇
有馬記念。レースは最初のスタンド前を通過する。
《サンエイソロンがいきました、サンエイソロンがいきます有馬記念。逃げるサンエイソロンを見る形で2馬身から3馬身後方にカミノライザン。六冠馬カミノライザンはこの位置につけている。3番手コンチネンタルはカミノライザンの半馬身後ろ、外につけております。そこから差が開きまして4番手メジロアサマ、その外ジョセツ。2馬身後方6番手にメジロムサシとカミタカ。トウメイとヒカルイマイ、ダイシンボルガードは後方に控えます。やはりカミノライザンはこの位置が似合います!王道の競馬、これこそがカミノライザンの強さ!第1コーナーへと向かう各馬、先頭はサンエイソロン!》
先頭サンエイソロンを2番手で追走するカミノライザン。そのカミノライザンをマークする形でコンチネンタルがつけている。隊列は縦に長くややばらけた状態。トウメイとヒカルイマイは後方からの競馬を選んだ。ダイシンボルガードは後方からのスタート、かと思われたが外から猛然と上がってきていた。
「ええぞええぞ~!やっぱこのスタイルこそがカミノライザンや!」
「王道も王道の先行策!これを崩すんは楽やないで~!」
「ヒカルイマイの末脚なら届くはずだ!頑張れ~!」
「アサマ~!天皇賞馬の意地を見せてやれ~!」
観客の応援を受けながら第1コーナーへと向かう各馬。前を走る馬達に外からダイシンボルガードが襲い掛かる。2番手のカミノライザンは……
第2コーナーではサンエイソロンとダイシンボルガード2頭の競り合いになる。その競り合いを3馬身後ろの位置で見るカミノライザンとコンチネンタル、さらにはアカネテンリュウ。メジロアサマとメジロムサシ、そしてカミタカはカミノライザンの動きを見るように6番手追走。その後ろにトウメイが控える形。ジョセツはヒカルイマイと同じ最後方まで下がりつつあった。
騎手達は皆カミノライザンを意識下に置いている。誰よりも警戒すべき相手、このレースにおける最強なのだから当然だ。
特に、トウメイの騎手志水は気合が入っていた。
(トウメイが最強の女王と証明するために……このレース、勝つ!)
相手は世界を相手に勝利を勝ち取ったまごうことなき最強馬。胸を借りるつもりで走る。その思いで志水は後方から虎視眈々と機会を窺っていた。全てはカミノライザンに勝つために。
メジロアサマに騎乗する生上も同様である。宝塚記念で敗戦を喫した相手、今度こそは勝利するという思いは強い。同期のメジロムサシも、ずっと後塵を拝してきた。この有馬記念こそはと意気込んでいる。
レースを観戦する保茂達も静かにレースを見守っていた。
「……トミはいつも通りのレーススタイルみたいやな」
「まぁね。その方が安心できるでしょ?」
違いないですわ、と保茂の言葉に返す猛田。その目には一点の曇りもない、カミノライザンと富永の勝利を確信している瞳だった。
「兄弟子として誇らしいですね。弟弟子があそこまで成長するなんて、ね」
すでに騎手を引退済みの粟田。彼も富永の成長を喜んでいた。
レースは向こう正面に入る。果たして、どこでレースが動くのか……注目が集まっていた。
◇
姫──カミノライザンに騎乗しながら思いを馳せる。
(この子に騎乗して走れるのも……これが最後)
そう思うと悲しい気持ちになる。それほどまでに、俺にとってカミノライザンという馬は思い入れが強かった。
《向こう正面に入りました、先頭はサンエイソロン!サンエイソロン先頭でその1馬身後ろ外に、ダイシンボルガードが控えます!ダービー馬ダイシンボルガードはこの位置につけた!そしてダイシンボルガードを見るように3番手はカミノライザン!カミノライザンであります!カミノライザンをマークするコンチネンタルそしてメジロの2頭アサマとムサシ!アサマとムサシがカミノライザンをマークする!菊花賞馬アカネテンリュウもこの位置だ!2馬身後ろの位置にカミタカとトウメイ、そしてジョセツと続いて最後方ヒカルイマイ!向こう正面も半分を過ぎるか?先頭はサンエイソロンであります!》
カミノライザンに乗れることが分かった時、本当に嬉しかった。その時の気持ちは、今でも覚えている。
馬主である保茂さんたってのお願いで、俺がカミノライザンの主戦騎手を務めることになった。最初は評価は低かったけど、調教を進めていくうちに厩舎で一番期待が寄せられるようになったシンザンの娘。そんな馬に、新人の俺が乗れるなんて思ってなかった。しかも、その時は丁度やらかしてたし*1。
調教で乗ってみて、この馬は凄いと思った。その期待通りに、カミノライザンはデビュー戦を危なげなく勝利した。その後も連勝を重ねて、これだけの素質を持つ馬に乗れるなんて俺は幸運だ!と思っていた。
……だからこそ、京都3歳ステークスの敗北は今でも焼き付いている。
(俺が余計なことをしなければ勝てていたレース。猛田さんに怒られるのも当たり前だったな)
生涯のライバルとなるタニノムーティエとの初対決。あっちに軍配が上がって。俺は猛田さんに滅茶苦茶怒られて。そして……
「お前がそんな騎乗するんやったら、姫の屋根は別のヤツに任せるッ!お前なんぞに任せられるか!」
雷が落ちたようだった。俺の気持ちは、暗い絶望一色に染まった。
カミノライザンの屋根から下ろされる?彼女の屋根は、俺じゃない別の相手になる?
(嫌だった。ただただ、嫌だった)
だからこそ、最悪土下座してでも猛田さんに直談判する気だった。彼女の屋根は誰にも譲りたくない、カミノライザンには、俺がずっと乗っていたい。その一心で頭を下げた。京都3歳ステークスの敗北もあるが、それ以上に……彼女の屋根だけは誰の手にも渡したくなかった。
その後もコンビは継続。ホッと胸をなでおろして……もう二度と舐めた騎乗はしないと誓った。
(そして、君に学ばせてもらおうと思った。競馬を、レースというものを)
今まで以上に騎乗に力を入れて、カミノライザンから学べることを全て吸収するつもりで騎乗した。その結果、俺はきっと君に恥じない騎手になれたんだと思う。
カミノライザンは自分の期待に必ず応えてくれる馬だ。1の期待に、10でも20でも応えてくれる馬。本当に素晴らしい馬だ。
鞭を入れる……気はない。俺達の間に、そんなものは必要ない。
《向こう正面を半分過ぎましたがっ、ここで!カミノライザンが動いた!神馬の娘が動いた動いた!女神が動く有馬記念!カミノライザンが先頭サンエイソロンとダイシンボルガードに襲い掛かる!それを見るようにメジロの2頭はっ、まだ動かない!いや、ムサシは動いた動いた!メジロムサシは追走!メジロアサマはまだ控える!トウメイも徐々に上がってきた!さぁレースが動いた!カミノライザンが先頭に襲い掛かります!》
カミノライザンとの思い出は、数えきれないほどある。
(俺は君から数えきれないほどのものを貰った)
クラシック五冠の同一年制覇に加え、天覧競馬となった天皇賞の勝利。凄いプレッシャーがあったけど。
(君に騎乗したら、そんな不安は飛んでしまった。君の背中は、いつも俺に安心感を与えてくれた)
カミノライザンの雄大な馬体が自分に勇気をくれた。カミノライザンと一緒ならば大丈夫という安心感をくれた。俺はそう確信している。
第3コーナーに入る頃。俺達は先頭へと並びかける。後はこのまま……突き放すだけだ。
《第3コーナーに入ります!ここでカミノライザンがダイシンボルガードとサンエイソロンに並んだ並んだ!そしてっ、あっという間に躱したぁぁぁぁ!ここでカミノライザンが先頭に変わる!サンエイソロンも粘る粘る!しかし内からカミノライザンが抜け出して先頭に立つ!カミノライザン先頭だ!これはカミノライザン達の黄金式!勝利への道筋が整いつつある!この道筋を崩すことができるか!?メジロムサシも外から上がる!メジロアサマもその差を詰めてきました!さらにはトウメイ、トウメイです!天皇賞馬2頭が上がってくる!アカネテンリュウもじわりじわりと詰めてきた!ヒカルイマイはまだ末脚を温存している!電撃の差し脚はいつ爆発させるのか!?》
このレースにおいても不安はない。俺と姫ならば勝てるという確信がある。
(本当に……凄い馬だ)
こうして、カミノライザンに騎乗して何度もそう思わされた。海外で走った時もそうだ。
ぶっつけ本番、初めての逃げ。姫は……俺の期待に見事に応えてくれた。そして、凱旋門賞を逃げ切って勝ったのだ。シンボリのところの埜平さん達には凄く褒められた。
ワシントンDCインターナショナル。色んな意味で忘れられないレースだ。ライバルタニノムーティエとの最後の対決。同着となったあの結末。
(本当に、色んな思い出が蘇ってくる……)
カミノライザンと、姫と過ごした日々のことがどんどん溢れてくる。レース中だというのに、涙がこぼれ落ちそうになっていた。それでも、グッと堪えてレースを進める。
(これは、最後まで取っておくんだ……ッ!)
このレースは絶対に勝つ。君の勝利は……絶対だ!
第3コーナーを抜ける。第4コーナーも半分を過ぎる。俺達は先頭、後ろは……確認するまでもない。完璧なセーフティリード。
《第4コーナーで先頭はカミノライザンだ!カミノライザン先頭!六冠馬がレースを引っ張る有馬記念、外からはトウメイとメジロムサシだ!トウメイとメジロムサシ、そしてメジロアサマも突っ込んでくる!内にはアカネテンリュウ!菊花賞馬アカネテンリュウが差を詰めてくる!サンエイソロンは厳しいか!?粘れるかどうか!ダービー馬ダイシンボルガードも必死に粘る!そしてっ、最後方からヒカルイマイだ!ヒカルイマイがその末脚を爆発させる!ヒカルイマイが前へと急襲!先頭カミノライザンと2番手の差はおよそ3馬身!》
後ろとの差はおよそ
第4コーナーを抜けて最後の直線へと入る。そして……現実を突きつけられる。
(この最後の直線を走り切ったら……)
もう、終わりだ。レースは終わって、姫は引退。二度と騎乗することはないだろう。
本当は嫌だ、もっと姫と一緒にレースに出たい。俺達ならばどんな斤量差でも負けない。絶対に勝つという自信がある。例え、海外の馬が相手であっても。ずっとこの背中に跨っていたい。そんな思いがどんどん溢れてくる。
……だけど、それはダメだ。ダメなんだ。
(俺のワガママで、みんなを困らせるわけにはいかない)
どんなに走っても、いつかは終わりが来る。今が……その時なんだ。だからこそ、今この瞬間を噛みしめる。カミノライザンという、きっとこの先二度と出会えないであろう奇跡の名馬に騎乗しながら。
《最後の直線!カミノライザン先頭だ!カミノライザン先頭!2番手にメジロムサシとトウメイが上がってきた!その差は3馬身!差を縮める2頭そこにメジロアサマも加わる加わる!アカネテンリュウはどうか!?アカネテンリュウも伸びてくる!そしてぇっ!大外一気だヒカルイマイ!ヒカルイマイが電撃の差し脚を炸裂させる!さぁヒカルイマイも並ぼうとしている!この中山の直線で、女神を捕らえんと各馬襲い掛かる!残り200を切る!しかし……っ!》
ねぇ、姫。君に言葉が伝わるかは分からない。
(だけど……これだけは言わせてほしいんだ)
俺と出会ってくれてありがとう。俺をここまで成長させてくれてありがとう。俺に色んなものをくれてありがとう。
「本当に……本当に……っ、ありがとう……!姫っ」
俺と姫は中山の直線を駆け抜ける。それは──
《カミノライザンとの差は縮まらない!1馬身から先が縮まらない!電撃の差し脚も!葦毛の天皇賞馬も!ド根性のシンデレラも!まとめて一蹴!追いつけない追いつけない!鮮やかに駆け抜ける!誰も彼女に触れることは叶わない!近づくことすら許さない!その姿はまさしく女神!この中山競馬場に!女神は確かに舞い降りたぁぁぁぁぁ!カミノライザン先頭1着ゥゥゥゥゥゥ!1馬身差圧勝ぅぅぅぅぅ!》
俺と彼女の、旅の終わり。ゴール後すぐに静止して、ただ佇む。
(これで……終わり)
「おつかれ、さま……姫っ!」
涙を流しながら、涙声で労い、姫の首を撫でる。
「「「うおおおぉぉぉわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」」」
中山は、競馬場が揺れていると錯覚するほどの歓声で包まれた。