俺と邪神のクラシック五冠道   作:カニ漁船

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なんとこさ完成。

この話の執筆にあたり、以下の素材を参考させていただきました。素材を提供してくださった製作者様に最大限の感謝を

素材提供元

https://syosetu.org/novel/273050/

2/1追記 すいません、誤字報告はありがたいのですが個人の意見ないしは修正の意図を載せないでください。意図の部分は修正して消さなければなりませんので。


カミノライザン(競走馬)

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カミノライザン(競走馬)      

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タイトル

 

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その他

 

 

 

女神

 

女神の前では誰もが首を垂れる。

 

神の考えることに、我々の理解が及ぶはずがない。

 

神の娘もまた、神だったのだ。

 

 

「ヒーロー列伝」No.11カミノライザン

 

 

カミノライザンとは、1967年生まれの競走馬、繁殖牝馬。

 

日本中央競馬における3頭目のクラシック三冠馬でもあり、世界初となるクラシック五冠の偉業を成し遂げた競走馬。

 

 

この記事では実在した競走馬について記述しています。

この馬を元にしたアプリゲームの方の記事はこちらをご参照ください。

カミノライザン(ウマ娘)

 

 

 

20戦17勝2着3回

主な勝ち鞍

1970年:牡馬クラシック三冠[皐月賞(八大競走)、東京優駿(八大競走)、菊花賞(八大競走)]、牝馬クラシック二冠[桜花賞(八大競走)、優駿牝馬(八大競走)]、きさらぎ賞

1971年:天皇賞・春(八大競走)、有馬記念(八大競走)、凱旋門賞(GⅠ)、ワシントンDC国際競走、宝塚記念、新潟記念

 

1970年啓衆社賞最優秀4歳牝馬、年度代表馬

1971年啓衆社賞最優秀5歳以上牝馬、年度代表馬

 

 

誕生


1967年3月21日。北海道にある五十嵐牧場で、父シンザン 母月海 母父セントライトの牝馬が誕生した。この時の出産は難産だったらしく、一歩間違えれば母子ともに命を落としていた可能性があったらしい。母である月海は一時厳戒態勢が敷かれるほどの状態だったが、数日経つと元気になり、仔馬と一緒に走るようになった。なお、この仔馬は10分も経たないうちに立ち上がったという話がある。

 

シンザンは今なお日本競馬界に燦然と輝く戦後初の三冠馬にして2代目三冠馬。母月海は一頭しか子を残せなかったが、月海の父であるセントライトは日本の初代三冠馬である。三冠馬2頭の血を受け継いだこの牝馬こそが後に日本競馬を大いに賑わせるカミノライザンである。牧場では「三姫(みつひめ)」と呼ばれ可愛がられていた。後に凄まじい血統であることが判明するのだがそれは血統の欄を参照。

 

幼少時の三姫は他馬と群れず、1頭で黙々と走っているような子だったという。他の馬を怖がっているというわけではなく、むしろ喧嘩を売られたら倍にして買うといわんばかりの気の強い性格だったらしい。この性格でありながら、牧場のスタッフの言うことを素直に聞く利口な馬だったとも。とにかく手のかからない、丈夫で怪我も病気もしない子だったらしい。

 

すくすくと育った三姫は「カムイ」と「ノヴァ」の冠名で有名である保茂元春が気に入って購入。当時の金額にして450万円。その後関西の猛田文男厩舎に預けられることになった。この際、三姫は保茂によって「カミノライザン」と名付けられた。馬名の由来は「神の礼賛」に「シンザン」のザンをあやかってカミノライザンである。カミノクレッセなどで有名なカミノ冠名とは別なので注意が必要。

 

父であるシンザンと同じ厩舎に所属することになったカミノライザン。輸送された直後は明らかにガレていて見栄えが悪かったらしい。猛田は一瞬「本当に期待する馬か?別の馬と間違えてないか?」と思ったがとりあえず予定していた馬房へとカミノライザンを入厩。数日も経つと体調も回復し、見栄えもかなり良くなった。牝馬でありながらかなり大柄であるカミノライザンは惚れ惚れするような馬だったという。美人な顔つきに珍しい青毛の馬体が映える。思わず見惚れるような馬だったと絶賛。調教でも非凡な才能を見せ、他馬が疲れている中ただ一頭平気な顔で走っている。このスタミナに猛田は期待を寄せるようになり、デビューする頃には厩舎で一番期待されるようになった。

 


 

 

 

期待のデビュー~ライバルとの出会い

 


 

調教も順調であり、担当厩務員である刈谷英二との仲も悪くない。鞍上も決まった。あの大天才、富永紘一を鞍上としてデビューすることになる。この頃の富永紘一はデビュー2年目の新人、この事をどうか覚えておいてほしい。

 

順風満帆のデビュー戦……かのように思われたが、なんとデビュー3日前にカミノライザンは体調を崩してしまう。陣営は大慌てになるが、様子見ということで新馬戦の出走取消は保留。レース当日には何とか体調を戻していた。

 

少し不安が残るが無事にデビューを迎えたカミノライザン。ダントツの1番人気で迎えたこのレースを余裕の3馬身差で快勝。あまりの安定感に観客は第4コーナーを回った時点で勝ちを確信していたらしい。凄まじい安定感である。また、この頃からレース後すぐに立ち止まるという父シンザンを思わせるような風格を漂わせていたのだとか。

 

この快勝で勢いに乗ったのか、次走のなでしこ賞を1馬身差で連勝。このレースは2着が同じシンザン産駒のシンザンホマレであり、外国の種牡馬が幅を利かせていたこの年代において内国産の種牡馬の産駒がワンツーフィニッシュを決めることとなった。次走に京都競馬場の3歳馬戦。このレースでも危なげなく勝利をおさめ3連勝。順調なスタートダッシュを決めていた。

 

この勝ちっぷりに、猛田は「クラシックの1つや2つどころじゃない。初の牝馬三冠も夢じゃない」と大絶賛。それほどまでにカミノライザンの素質は素晴らしいのだと喧伝していた。

 

陣営は次走に京都3歳ステークスを選択。ここでカミノライザンは宿敵・タニノムーティエと邂逅する。お互いに関西の代表格であり、来年のクラシックはこの2頭が席巻するだろうと関西では話題となっていた2頭だった。

 

レースではカミノライザンが1番人気。カミノライザンがいつもの好位追走でレースを展開。タニノムーティエは最後方からのスタートだった。お互いに得意な形でレースを展開。しかしここはタニノムーティエに軍配が上がった。

 

最後の直線で先頭に立つカミノライザン。さぁ後は逃げ切るだけ……というところで最後方からタニノムーティエが飛んできたのだ。必死に逃げるカミノライザンだが、残り100mまで来たところでついに捕まる。最後にはクビ差の2着で敗れてしまった。カミノライザン初めての敗北である。

 

敗因として富永は「仕掛けが遅れてしまった。カミノライザンの邪魔をしてしまった」と話している。本来であれば、タニノムーティエを想定してもう少し早く仕掛けるつもりが自分が邪魔をしてしまったとインタビューで語っていた。

 

この敗戦は猛田の雷が富永に落ちる。自分のミスで負けてしまったようなものだから仕方がない。今度同じ騎乗をしたら二度とカミノライザンには騎乗させない、とまで言われたらしい(そうなったら土下座をしてでもカミノライザンに乗せてもらえるよう頼むところだったとか)。

 

最初のライバル対決はタニノムーティエが勝利。この後カミノライザンは敗北の鬱憤を晴らすかの如く中山の牝馬3歳ステークスを快勝した。この年の最終成績は5戦4勝2着1回。

 

 


 

 

 

始まるクラシック戦線~世間からの非難

 


 

年が明けて、ついにクラシックの戦いが始まろうとしていた。猛田文男によると、この段階でクラシック五冠への挑戦を決定したらしい。話自体は前からあったが、本格的に決めたのは年が明けてから。特に関東での牝馬4歳ステークスを勝利してからと語っている。この牝馬4歳ステークスは後にスプリンターズステークスを制する快速美少女「タマミ」が出走しており、カミノライザンはタマミをクビ差で下したのだが……まぁタマミが可哀想になるくらいのレースだった。

 

タマミの逃げに悠々と付き合い、最後の100mでポンっ、と抜け出してあっさりと勝つ。逃げに自信を深めていたタマミ陣営の心を粉々に砕くかのような形でレースを制した。それにしても快速美少女であるタマミの逃げに悠々と付き合い、なおかつ勝利するのだから恐ろしい牝馬である。

 

話がそれたが、クラシック五冠ローテは猛田達は揃って反対していた。賛成していたのは富永ぐらいだったとのこと。理由としてはいくつかあるが

・馬への負担が尋常じゃない

・八大競走の連闘で勝った例が存在しない(クリフジはオークスが秋開催のため違う)

・連闘で勝てるほど八大競走は甘くない

・クラシック三冠牝馬すらいないのにあまりにも無謀である

主な理由としてこれだけ挙げられた。猛田達もカミノライザンの素質は認めるが、さすがにそんな愚かなローテは無謀だ、と保茂を諫めたのである。

 

しかし、保茂はこのローテに対して並々ならぬ情熱を持っていた。根気強く説得され、「カミノライザンならば大丈夫」と何回も説得されたことで猛田陣営が根負け。カミノライザンはクラシック五冠へと挑むこととなった。

 

当然だが、世間からの非難が集中した。「馬のことを考えてない」だの「欲に目がくらんだ」だの散々な言われようだった。さらには保茂や猛田の下には脅迫の内容が書かれた手紙が来るほどであり、馬主の保茂にはほぼ毎日のように届いていたという(このエピソードを笑って話せる保茂の胆力はどうなっているのか)。

 

だが、保茂の情熱が止まるはずもなく。カミノライザンはきさらぎ賞でライバルタニノムーティエにリベンジを果たし、1勝1敗にする。そしてクラシックへと挑むことになった。

 

 


 

 

 

ライバル達との激闘

 


 

始まる戦い。最初の一冠目は阪神競馬場の桜花賞。ここでライバル視されていたのはタマミだった。

 

一度惨敗に近い形でカミノライザンに敗北しているタマミ陣営。その雪辱を果たすために燃えていた。そして、それが仇となる

 

レース前に逃げ宣言をしていた貴端。スタートすると宣言通りの逃げに打って出た。それを追走する形でカミノライザンが行く……かと思われたが。なんとカミノライザンはそのまま後方へと下がっていった。これにはタマミの騎手である貴端も訝しんだらしいが最終的にはこれ幸いと思い気持ちよく逃げる。それを追走する形でタニノタマナーが突っ込む。楽に逃げさせないためにタマミもマークされていた。貴端はカミノライザンとの差を広げるためにタマミを逃げさせる。その結果、破滅的なペースが生まれた。そんな中、カミノライザンは中団で悠々とレースを展開する。

 

最後の直線を迎える頃にはタマミ以下先行集団はバテバテ。タマミも7馬身引き離していたが明らかにスタミナが切れていた。オーバーペースの逃げの揺り戻しが来たのである。それでもなんとか逃げ切る準備をする貴端。そこに、ヤツがきた。中団からカミノライザンが進軍を開始していたのである。当時の心境を貴端はこう語っている。

 

「このまま逃げ切ろう、って矢先にあの馬(カミノライザン)が視界の端に映った。正直、恐怖を感じた」

 

必死にタマミを押し出して逃げ切りを図るが、無情にもカミノライザンはグングン差を詰める。中団で控えていたことで、スタミナも十分。ゴール板を過ぎる直前、カミノライザンがタマミをクビ差で差し切って勝利を収める。しかもすぐに立ち止まっていた。つまりは、余裕があったということだ

 

まずは一冠目。カミノライザンは取った。

 

続く二冠目。中山競馬場での皐月賞である。急いで輸送の準備を進め、すぐに関東に着くように手配していた。カミノライザンの体調は問題なく、桜花賞の疲れもほとんど残っていない状態。連闘の割には万全な状態で皐月賞を迎えることができた。

 

この時のカミノライザンは2番人気。1番人気はタニノムーティエに譲る結果となった。ここでは三強対決の様相だったみたいで、タニノムーティエかアローエクスプレスかカミノライザンか、といった状況だった。その中でもタニノムーティエが一番評価が高く、カミノライザンは連闘ということもあって評価を落としていた。

 

始まるレース。カミノライザンは逃げ馬を見る好位追走を選ぶ。そのカミノライザンをマークするようにアローエクスプレス。タニノムーティエは後方待機を選んだ。静かに展開されるレース、誰が最初に動き出すのか……にらみ合いが続くかと思われた状況で、残り1000mでカミノライザンが動いた

 

これには中山競馬場の全員が度肝を抜かれた。まさか連闘で参戦してきた馬がロングスパートを仕掛けるなど夢にも思わないだろう。どうせ潰れると思っていたのか、他の馬は追おうともしなかった。先頭に立ったカミノライザンはそのまま差を広げる。タニノムーティエは第3コーナーを過ぎた辺りから仕掛け始めていた。アローエクスプレスはまだ動かなかった。

 

逃げるカミノライザンを追うタニノムーティエ。最後の直線でようやくアローエクスプレスも動く。2頭が先頭のカミノライザンを追う展開。その差を詰めていくが……後少し、届かなかった。

 

《カミノライザン逃げ切った!変則二冠たっせぇぇぇぇぇい!》

 

カミノライザンがロングスパートを決めて見事に逃げ切り勝ち。そして、史上初となる桜花賞と皐月賞の同時制覇を成し遂げた。もっとも、カミノライザンのストーリーはここからが本番、まだまだ序章に過ぎなかったのである。

 

 


 

 

 

見え隠れする疲労、最大の山場

 


 

皐月賞後のカミノライザンは疲労が見えていた。今までレースが終わってもケロッとしていたカミノライザンも、さすがに八大競走クラスの連闘となると疲労があって当然ともいうべきであるそもそも連闘で疲労があるのは当たり前だろ?ごもっともです。飼葉食いも明らかに悪くなり、クラシック五冠ローテに暗雲が立ち込めた。また、この頃でもまだ反対派が多数を占めており、競馬の神様として知られる多川啓次郎も反対派の筆頭だった。

 

それでもローテを強行。オークスを迎える。猛田は「なんとしてでも良馬場開催で!」と天に祈ったらしいが前日からの雨による極悪の不良馬場開催と天に見放される結果となった

 

翌週のダービーのために少しでも良い状態を維持したい。カミノライザンはダントツの1番人気、なおかつ歴代2位である単勝支持率87.8%でオークスを迎えた。レースが始まると、カミノライザンはスタートよく先行集団につける。いつものようにレースを展開するつもりだったがそうは問屋が卸さなかった

 

今回のオークス、カミノライザンは集中的にマークされていたのである。カミノライザンを囲むためか、無理なペースアップをする他馬。それに巻き込まれないためにとペースアップするカミノライザン。不良馬場でありながら異常なハイペースでレースは展開された。

 

苦しんだものの、単勝1番人気に応えるようにオークスを勝利。変則三冠を達成。だが、代償としてかなりの消耗を強いられたのだ。その疲労は皐月賞と同じ、下手したらそれ以上のものだったらしい。陣営はなんとしてでも東京優駿に出走させるために手を尽くした。保茂の自著によると、この際五十嵐牧場とひと悶着あったそうだが無事に和解。良好な関係を築いた。

 

なんとかあの手この手を尽くして挑んだ東京優駿。カミノライザンはファンの眼から見ても大丈夫なほどに回復した。異常な回復力である。この回復力はカミノライザンの子達にも遺伝した。パドックでの立ち居振る舞いを見て、レース前は「さすがに無理だろ」と思っていたファンはカミノライザンを推し始める。最終的に単勝支持率約40%で1番人気に推された。

 

この時、カミノライザンは集中的なマークを受けることになる。アローエクスプレスに騎乗する甲賀を筆頭に、他の騎手も全員が「カミノライザンをマークする」と決めていたぐらいには。それが勝敗を左右したのかもしれない。

 

始まるレース。口火を切ったのは──カミノライザンである。カミノライザンがロケットスタートを決め、見事に先頭を奪った。これに慌てた他の騎手は急いでカミノライザンを追う。カミノライザンはというと……どうぞどうぞと言わんばかりに控えた。中団でレースを展開する。

 

この東京優駿はハイペースで展開された。カミノライザンをマークしようとして無理に追わせた結果、馬が掛かってしまいオーバーペースで走らざるを得なくなったのである。肝心のカミノライザンは中団で悠々と走る。残り半分を過ぎたところで隣にいたゴクウを煽り、風除けにして進軍。アローエクスプレスもそれに追従した。

 

内につけたカミノライザン。だが内はがっちりと閉じられており、走る場所がどこにもない……と思われていた。ここで光ったのが富永紘一の常人には理解できない位置取りである。

 

ペースを早めることで、他馬はいつも以上に外に振らされる。その結果、内は1頭分の隙間が空いたのだ。その隙間を狙ってカミノライザンは位置取りをする。気づいた時にはもう遅い、カミノライザンは内の進路をこじ開けて先頭に立つ勢いで上がっていった。この位置取りの恐ろしいところは

・少しでも判断をミスったらそのまま蓋をされる

・ペースを早めるかどうかも分からないギャンブル

・下手したら進路妨害を取られかねない行為

・だが成功すれば最短距離かつ後ろに控えるアローエクスプレスを外に振らすことができる

という点だ。ただ、どうやら富永にはあの進路が空くという確信があったそうであるコイツ本当に同じ人類か?。しかもこの作戦も位置取りもロケットスタートも全て富永が考案したそうである。曰く「全てが上手く嵌らないと失敗するけどカミノライザンならやれる」とインタビューで答えていた。東京優駿初挑戦でとんでもない度胸である。

 

結果、カミノライザンが最内の最短距離を進む中、アローエクスプレスは外に振らされる。また、タニノムーティエも膨らんだ外の進路を取らされたため痛い距離ロスが起きた。その結果、圧倒的有利な状況でレースを展開することを可能にしたのである。

 

最後の直線でタニノムーティエが猛追するが、カミノライザンには届かず。カミノライザンはなんと、前人未踏のクラシック四冠を成し遂げたのだ。五冠ローテでは海外にセプターがいるが、セプターはダービーステークスで敗れている。つまり、これでセプター超えを成し遂げたのだ。残るは菊花賞、クラシック五冠に王手をかけたのである。

 

ちなみに、この時の東京優駿の来場者数は20万人を超えていた。今も更新されていない最大来場者数である。

 

 


 

 

 

少しの休息~最後の冠をかけた激闘

 


 

東京優駿を終えたカミノライザンは温泉での療養の後関西へと帰還。菊花賞に向けて体調を整えるだけとなった。ちなみにこの頃になってもレース前には体調を崩していたそうである。

 

東京優駿を終えた後の世間はすでにカミノライザンブーム一色。今までの批判はどこへ行ったのやら、クラシック五冠を達成するのはカミノライザンを措いて他にはいない!とまで断言する新聞まで出てくる始末である。掲示板民もビックリの掌返しだ。まぁ後にも先にもこんなローテをやるのはセプターとカミノライザンぐらいだろうと思っていた時期が私にもありました

 

相変わらず北海道への放牧はしないのかカミノライザンは京都で夏を過ごすことになる。幸いにも酷暑にはならず、比較的過ごしやすい気温だった。

 

秋の始動戦。まずは京都杯でレース勘を取り戻すために出走。ここには夏を超えてパワーアップしたタニノムーティエが出走してきた。古馬相手に楽勝を収めたタニノムーティエとの5度目の対決。京都杯を制したのは──タニノムーティエだった。ただ、今回の目的はあくまでレース勘を取り戻すためのもの、ついてはタニノムーティエの実力を測るための出走だったと猛田は割り切っていた。

 

「本番はあくまで菊花賞。菊花賞で勝てばいい」

 

とコメントを残している。

 

前哨戦は敗北に終わった本番の菊花賞。京都競馬場には20万を超える人数が押し寄せていた。さすがにそれだけの人数が入れるはずもなく、入場規制が設けられる。また、この時の菊花賞は天皇陛下の言葉を賜っており、関係者全員の度肝を抜いた。その理由はカミノライザンの血統背景にある。詳しくはこちら

 

カミノライザンは単勝支持率驚きの81.1%。ダントツの1番人気である。対抗として挙げられたのは唯一カミノライザンに勝ち星を上げているタニノムーティエ。アローエクスプレスは距離適性の不安から人気を落としていた。

 

レースはカミノライザンが王道のレースを展開。そのマークについたのは──なんとタニノムーティエである。後方策を止め、カミノライザンを徹底マークする構えを見せた。レースはシバデンコウが逃げる展開。淀みなく進んでいく。2週目の第3コーナーでアローエクスプレスが先頭に立ったが……見せ場はここまで。やはり距離が厳しかったか後は後退するだけだった。

 

第3コーナーの下りに入ったタイミングでカミノライザンも仕掛ける。それを見るようにタニノムーティエも動いた。最後の直線で先頭に立つ2頭。お互いの全力を出し切る真っ向勝負。クラシック最後の冠をかけたデッドヒートが始まった。

 

完全に並んだまま最後の直線を駆け抜ける2頭。後方からダテテンリュウが迫ってくるが、さすがにカミノライザンとタニノムーティエには追いつけない。2頭が繰り広げる熾烈な争い。残り100を切ってもまだ並んだままの2頭、しかし──最後はカミノライザンが抜け出した。タニノムーティエを競り落として、見事に勝利を飾ったのである。

 

この勝利でカミノライザンはクラシック五冠を達成。誰もが無謀だといった挑戦が、誰もが無理だと感じた理想が……現実として形になった瞬間である。インタビューで馬主である保茂元春は涙を流していた。また、この際保茂は他のクラシック四冠の優勝レイを持ってきており、菊花賞の優勝レイもカミノライザンにかけて写真を撮った。そしてこの勝利に天皇陛下が祝辞の言葉を贈ったことで関係者全員がひっくり返ったらしい。

 

その後は年内いっぱいは休養。クラシック五冠を成し遂げたのでゆっくり休んでほしいと故郷の五十嵐牧場に放牧に出された。そして来年度の目標として──天皇賞と有馬記念の制覇を掲げ、八大競走の事実上完全制覇を成し遂げることを目標にした。

 


 

 

 

年が明けて~天覧競馬

 


 

年が明けて五十嵐牧場から関西へと帰厩したカミノライザン。この頃にはカミノライザンの一年のローテが発表された。さすがにクラシック五冠以上のローテはしないだろ……と思われていたが。発表されたローテは天皇賞・春→宝塚記念→凱旋門賞→ワシントンDC国際競走→有馬記念という海外版秋古馬三冠ローテである。イカれてんだろ。

 

まずは放牧で増えた体重を絞るところから……と思われていたのだが、ここでカミノライザンの身に大事件が起こる。詳しくは→カミノライザン事件。ちなみにこの事件、未解決事件の1つでありかなり闇が深かったりする……。

 

こんなことがあったためか、満足に調教もできず。年明け始動戦の京都記念はタニノムーティエの末脚の前に敗北。陣営は仕方ないと割り切り天皇賞・春に向けて調整を進めることになった。

 

なんとか立て直して天皇賞・春を迎えることができた……のだが。なんとこの年、天皇陛下が観戦する天覧競馬になったのである。天覧競馬や台覧競馬はエイシンフラッシュの第146回天皇賞・秋や第132回天皇賞・秋のヘヴンリーロマンスなどの例があるが、京都競馬場の天覧競馬は2023年現在でもカミノライザンただ一頭のみ。警備上の問題で厳しいにも関わらず、足を運んでいただいたのである。

 

勿論各陣営緊張とともに気合が入っていた。天皇陛下の御前で下手なレースなどできようはずがないからである。ただ、今回の京都競馬場は田んぼとまで称された極悪の不良馬場。厳しいレースになると予想されていた。

 

単勝1番人気は当然カミノライザン。支持率72.2%である。始まったレースはカミノライザンがいつも通り好位につけてレースを展開。タニノムーティエは菊花賞と同様にカミノライザンの後ろにつける。レースはオオクラが引っ張る展開、2番手以下にカミノライザンやシュンサクオー、タニノムーティエがつける。この時内側の荒れた経済コースを走っていたのはオオクラとカミノライザン、そしてタニノムーティエぐらいである。

 

レースは2周目の第3コーナー。今度は上り坂でカミノライザンが仕掛けた。それにつられるようにタニノムーティエも上がる……が。荒れた馬場も相まって思うような加速ができない。外を回ろうにも、カミノライザンにつられて上がってきたメジロムサシらが立ちはだかる。タニノムーティエは完全に封じ込められた。

 

タニノムーティエが無理矢理外を回るのをよそに、カミノライザンは内の経済コースをただ走る。最後の直線を単独で入ってきた。その後はもう楽勝。芝が残っている場所に位置取り、そのまま田んぼ馬場を軽やかに駆け抜けて見事に勝利を収めた。タニノムーティエはカミノライザンを徹底マークしたのを逆手に取られ4着に沈む。戦後初の天覧競馬でカミノライザンが見事に勝利を飾ったのである。

 

この時、空は曇天だったものの、カミノライザンがゴールする少し前から雲の隙間から陽光が差し込んでいた。まるでカミノライザンを祝福するかのように。この時の写真はヒーロー列伝にも使われている。

 


 

 

 

女神は海外へ~ライバルとの最後の決戦

 


 

天覧競馬となった天皇賞・春を制したカミノライザン。次走は夏のグランプリ宝塚記念である。

 

宝塚記念にはメジロから2頭、天皇賞馬メジロアサマに同期で春天2着のメジロムサシ、70年春天覇者リキエイカン。そしてタニノムーティエが出走してくるなどかなり豪華なメンバー。カミノライザンは単勝支持率81.1%の1番人気に支持された。コイツの単勝支持率だけインフレしてる。

 

レースはカミノライザンが逃げるケイタカシを追う形で先行集団につける。この先行集団にはメジロアサマもいた。タニノムーティエは最後方で控えるいつものスタイルに戻す。

 

この宝塚記念はというと──カミノライザンが王道のレースを展開し、第3コーナーから仕掛けた。それを追うメジロアサマ、タニノムーティエもすでに進軍を始めていた。最後の直線を向いた段階で、2番手のメジロアサマとメジロムサシに4馬身近い差をつけていた。そして大外からタニノムーティエが急襲。カミノライザンを追走する。

 

タニノムーティエがメジロの2頭を躱してカミノライザンを追う。追って追って……半馬身届かなかった。最早絶望するしかない半馬身差である。カミノライザンが宝塚記念を勝利した。

 

この後馬主の保茂が「なんか納得いかない」という理由で安田記念出走を表明。なんで?一説にはタニノムーティエ陣営に対する挑発とも言われているが……タニノムーティエ陣営がそれに乗るはずもなく。決着は着けるがそれはワシントンDC国際競走でつけると宣言。保茂の目論見は外れたようである。なお、この後保茂は猛田達にこっぴどく叱られたらしい。良い大人がなにしてだ。しかもカミノライザンが軽い怪我を負ったため安田記念出走は取消である。代わりに新潟記念に出走してこちらを勝利した。

 

新潟記念の後、凱旋門賞のために渡仏。現地での評判は……当たり前だが良くなかった。というのもこの頃の日本馬と言えば欧州よりも格が1つも2つも落ちる格下。スピードシンボリが遠征してはいたものの、凱旋門賞は着外に沈んでいる。結果を残せていないため、舐められていたのである。騎手の富永はそこに目をつけた。

 

カミノライザンはフランスの芝にもすぐに順応。凱旋門賞に向けて調子は万全。日本からも応援しに来るファンが来ていた。迎えた凱旋門賞。カミノライザンはというと──当たり前かのような19番人気。オッズ約120倍の最低人気である。

 

突然だが、欧州にはラビットと呼ばれる競走馬がいる。同じ厩舎、ないしは同じ馬主の馬を勝たせるために有力馬が有利な展開で走るためのペースメーカー役だ。日本では事実上禁止されているものの、欧州では割とポピュラーな作戦である。

 

富永はこのラビットと最低人気であることに目をつけた。凱旋門賞発走の瞬間。カミノライザンは──東京優駿の時のようなロケットスタートで先頭を奪った。自らがラビットとして動くことを決めたのである。他陣営のラビットは急いで追走、しかしペースは完全にカミノライザンに支配される。

 

ここで富永は罠を張り巡らせる。道中思いっきりペースを下げて、最後の直線……もといフォルスストレートに向けて脚を溜めさせた。そんなことは露知らず、ラビットの役の馬はこれ幸いと差を詰める。他の馬はカミノライザンのペースが下がったことを感じ自分達もペースを落とした。結果、痛い目を見ることになる

 

迎えた最後の直線。ラビット役の馬はスタミナ切れで失速。しっかりと脚を溜めていたカミノライザンはフォルスストレートで加速していき、最後の直線を向いた段階では20馬身近い差を広げて逃げていた。カミノライザンと富永の罠にいち早く気づいたミルリーフの騎手は急いで追う。しかし20馬身近い差を広げられて勝てるはずもなく。猛追空しく1馬身差でカミノライザンが勝利を収めた。しかも、最後の直線はほぼ流して走っていたにもかかわらずである。

 

この時2着のミルリーフはこの敗戦をきっかけにさらに覚醒。翌年にはエクリプスステークスでブリガディアジェラードに敗北したもののキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスでリベンジ。72年の凱旋門賞を見事に制した。この時メジロムサシも出走しており、埜平雄二を鞍上にミルリーフの4着に滑り込んでいる。

 

凱旋門賞を手土産に、カミノライザンはアメリカへと遠征。ワシントンDC国際競走に向けて調整が進められた。この時のカミノライザンだが、血統が血統なのでアメリカでは大歓迎。公開調教が行われるほどの盛況っぷりだった。そしてアメリカの芝にもすぐに順応した。

 

この時のワシントンDC国際競走はアメリカでは大人気のレースとなる。ダートが主流のアメリカで、かつアメリカの馬ではなく日本の馬が目立ったこのレースがアメリカでは大きな反響を呼んだのである。このレースは後に映画化も果たしている。詳しくは→【12ハロンのデッドヒート】

 

1番人気に支持されたのはカミノライザン。凱旋門賞を勝ち、アメリカの英雄の血が流れているカミノライザンが1番人気に支持された。タニノムーティエは特に目立った成績を残したわけではないので5番人気。最後のライバル対決、10度目の対戦は海外の大舞台となった。

 

レースは逃げ馬を見る形でカミノライザンがレースを展開。タニノムーティエは隣で競り合っていた。アメリカのランザガントレットが中団で控える中、日本から来た2頭の馬は2番手で競り合う。その競り合いは──最後の直線まで続いた

 

お互いがベストなタイミングで動き出す。奇しくもそのタイミングは全く同じだった。最後の直線、スタートからずっと続く競り合い。2頭の馬体が同時にゴールラインを割る。

 

長い長い写真判定。この時代ではかなり早いが20分近く経過してようやく結果が出る。結果は──同着。10度目の対決は同着という結果に終わった。

 

カミノライザンに騎乗していた富永も、タニノムーティエに騎乗していた廉田もどこか納得した様子でお互いを称え合う。その間馬主達は醜い争いをしていた。ワシントンDC国際競走、カミノライザンとタニノムーティエの最後のライバル対決は同着という結果に終わったのである。

 

凱旋門賞とワシントンDC国際競走。2つを手土産に日本へと凱旋。いよいよ、最後の戦い有馬記念を迎える

 


 

 

 

ラストラン~君臨する女神

 


 

馬主の保茂元春は11月20日にカミノライザンは有馬記念を最後に引退することを発表。以後は五十嵐牧場で繁殖牝馬になることを明かした。引退の理由としては、父であるシンザンと同じく走るレースがなくなったから。ここまでで八大競走の内6つを制した六冠、凱旋門賞とワシントンDC国際競走を制しての八冠である。引退してもおかしくないだろう。

 

遠征していたものの、カミノライザンは全く問題にせず有馬記念に万全の態勢で臨んだ。この時関東では馬インフルエンザが流行していたが、決死の水際対策により有馬記念に出走する馬は全馬無事に出走できることになった。

 

カミノライザンを筆頭に、天皇賞馬メジロアサマとトウメイ、クラシック二冠馬ヒカルイマイにダービー馬ダイシンボルガード菊花賞馬アカネテンリュウが出走。出走馬11頭の内八大競走を制覇した経験のある競走馬が実に6頭を占めた。その中でもカミノライザンの単勝支持率は驚異の88.1%。自分で自分の最高単勝支持率の記録を塗り替えた。また中山競馬場には20万の大観衆が押し寄せる。しかも海外からのファンも来ていた。

 

発走の時。カミノライザンは王道の好位追走。逃げるサンエイソロンとダイシンボルガードを見る形でレースを展開。カミノライザンをマークするようにメジロの2頭とコンチネンタル。トウメイとヒカルイマイは後方待機を取った。レースは淀みなく進み第3コーナー。カミノライザンは動き出すと前を走るサンエイソロンとダイシンボルガードをあっという間に躱して先頭に立つ。カミノライザンが動いたことでトウメイ以下他の馬も動き出した。

 

最後の直線。大歓声に包まれながらカミノライザンが先頭で入ってくる。トウメイ達が追い、カミノライザンとの差を1馬身まで詰め寄る。1馬身まで詰め寄るが……それ以上縮めることができない。当時の心境を、トウメイの騎手を務めた志水はこう語っている。

 

「実際の差は1馬身だけど、6馬身も7馬身も、ずっと先にいってるかのように錯覚した。それぐらいの差があった」

 

それほどまでの差があったのだろう。カミノライザンは1馬身という差を永遠に縮ませず、有馬記念を駆け抜けた。八大競走を7つ制覇。当時の天皇賞は勝ち抜き制により、春を制したカミノライザンは秋の天皇賞に出走できなかったので事実上の完全制覇を成し遂げたのである。

 

この時、富永は保茂から「君達らしく勝っておいで」と言われたと後のインタビューで答えている。その期待に応えるかの如く、富永は有馬記念で勝利を収めた。

 

このレースを最後に、カミノライザンは引退。総合戦績20戦17勝2着3回。五冠馬シンザンを超える七冠馬、さらに完全19連対を超える完全20連対を成し遂げ、父であるシンザンを超えたことを証明したのである。神の娘もまた、神だったのだ。

 


 

 

 

特徴・評価

 


 

現役時の馬体重は常に500キロを超えており、体高もある馬だった。それでいてずんぐりとした印象は全く受けず、全てが綺麗にまとまっていたという印象を残している。

 

シンザンはデビュー前そこまで期待されていなかったのだが、カミノライザンはデビュー前から期待されていた。調教嫌いということもなく、真面目に調教をこなしていたと猛田は証言している。また、輸送にもとても強く、関東のみならず海外へ遠征した時も影響は微々たるものであった。この輸送の強さがあのローテをやり遂げることができた要因の1つだろう。

 

カミノライザンを語る上で外せないのは突出した心肺機能だ。猛田がカミノライザン最大の強みと称しているように、カミノライザンのスタミナは他の馬と比べて群を抜いていると証言している。他がバテて動けなくなるような走り込みでも、カミノライザンだけは涼しい顔でこなしていたという。死亡後の解剖記録によると、カミノライザンの心臓は他のサラブレッドに比べて2倍近い重さがあったらしい。心肺機能の丈夫さが並外れたスタミナを支えていたのだろう。

 

競馬関係者から度々「弱点がない」と言われることが多いカミノライザンだが、そんな本馬にも唯一といってもいい弱点が現役引退から数年後に明かされた。それが「本番前のプレッシャーに弱い」というものだ。にわかには信じがたいかもしれないが、猛田曰く「レース前に体調を崩すのは当たり前」、「レースで一番苦労するのは体調面」、「本番前に整えることは分かってるけど、それでも気が気でない」と言うほどである。現役時代はそんな雰囲気を微塵も感じさせなかったが、これは猛田達が必死に隠し通してきたからだ。また、カミノライザンも人に弱みを見せることを嫌うタイプなのか、「自分の体調が悪いことがファンにバレたら心配をかける」ということが分かっていたのか、一切弱いところを見せなかった。この事に関して猛田は「本当に強い女です」と言葉を残している。

 

本番の大レースにも強く、一度も負けたことがない(ワシントンDC国際競走は同着だが負けたわけではない)。これもあってかプレッシャーに弱いということは到底信じられる話ではなかったものの、関係者全員が口を揃えていたことからおそらく真実なのだろう。我々ファンの前でそんな姿を見せなかったのは、強い女性であると言わざるを得ない。

 

レースでのスタイルは父であるシンザンと同じで、逃げ馬を見る形でレースを展開し最後にポンと抜き去る先行型。着差を大きく広げて勝つことを好まず、ハナ差であっても勝ちは勝ちというスタイルを最後まで貫いた。また、これはあくまでスタイルの1つであり、凱旋門賞のように逃げることもできるし桜花賞のように中団から差し切る末脚も持っている。まさに万能型と言ってもいいスタイルだった。スタートもとても上手く、特に東京優駿や凱旋門賞の時は「他馬よりも一歩先にスタートしている」とまで称されるほどスタートが上手かった。

 

シンザンと同じように無駄っ走りをしないタチであり、レース後はすぐに立ち止まっていた。これを崩したのはワシントンDC国際競走のタニノムーティエとの対決だけである。ラストランとなった有馬記念も最後はすぐに立ち止まっていた。余分な力を使わないこのスタイルだからこそ、クラシック五冠を走り切ることができた要因の1つなのかもしれない。

 

デビュー戦から引退まで主戦騎手を務めた富永紘一は「自分が騎乗してきた中で史上最高の名馬。こちらの1の要求に10でも20でも応えてくれるような、そんな馬」と語っており、抜群の操縦性だったと述べている。利口で素直な馬だったようだ。シンザンと同じように、「レコードなんて出そうと思えばいつでも出せる」と陣営は断言していた。

 

そのあまりの強さからルドルフ大好きおじさん岡戸が「万全のルドルフでも五分の勝負ができるかどうか」とコメントするほど。牝馬でありながら日本の最強馬論争の常連である。また、カミノライザンのレースは今でも綺麗な映像で残っている。

 


 

 

 

主戦騎手富永紘一

 


 

カミノライザンを語る上で外せないのは主戦騎手を務めた富永紘一との関係であろう。富永は大僧正こと岡戸行雄のシンボリルドルフのようにカミノライザンに脳を焼かれており、カミノライザンに対する愛が凄い。具体的にどれくらい凄いかというと400Pはある富永紘一の自著の200P近くがカミノライザンについて触れられているほどだ。同期で集まってお手馬の話をするときも大体カミノライザンの話をしているらしい。その後大体岡戸と口論になり、芝田が仲裁に入る。

 

富永紘一は日本競馬界における大天才。なんと20代で、しかも騎手生活5年目で八大競走の完全制覇を成し遂げた。初代制覇者の保多が32年目、レジェンドジョッキー岳寛が最後のダービーを勝つまでに11年要し、ロメールが日本に移籍して14年目に獲得した称号を、富永はなんとたったの5年で獲得したのだ。う~んこれは大天才。

 

猛田は「カミノライザンは誰が乗っても勝てる馬」としたうえで、「他の騎手なら60%引き出せればいい方。だが富永ならカミノライザンの良さを100%でも120%でも引き出せる」と述べており、この2人はベストパートナーであることを強調していた。これこそ運命の相手なのかもしれない。

 

実際、クラシック五冠を成し遂げることができたのは富永の騎乗技術があってのものだと兄弟子である粟田はコメントを残している。カミノライザンの操縦性の良さに、富永という天才が乗ることで誰も勝てない最強のコンビになるのだ。

 

富永の騎乗は度々理解できない時がある。カミノライザンの東京優駿なんかが最もたる例だろう。圧倒的なスタートダッシュを決めて他馬を掛からせ、自分達に有利になるようにレースを支配する。頭では分かるが、実際にその作戦を実行するか?と言われたら否だ。岳も「時折理解が追いつかないことがある」とコメントした。

 

この事に関して同期の岡戸は「最強の馬に乗った天才が常に最善手でレースをしてくる。一緒に走る側からしたら恐怖でしかない。詰将棋をされている気分だ」と評している。つまるところ、こちらの動きを完璧に把握したうえで常に臨機応変に対応し、一つずつ勝ちの目を潰してくるようなものだ。なんだこのえげつなさは。これを可能にするのはカミノライザンと富永紘一のコンビしか無理だろう。最強の馬に最強の騎手が騎乗すればそら強いよ。

 


 

 

 

血統背景

 


 

父シンザン 母父セントライトであることはあまりにも有名だったカミノライザン。だが、その血統を詳しくみていくとさらにヤバいことが発覚する。

 

月海の母父はオートキツ。そのオートキツの父は月友である。月友の父はアメリカの英雄マンノウォーであり、アメリカで歓迎されたのはこれが理由。マンノウォーの子孫であり、凱旋門賞を制したカミノライザンはアメリカでかなりの人気を博した。

 

シンザンの父はヒンドスタン。セントライトの父はダイオライト……といったように、カミノライザンの血にはかつて千葉の成田に存在した御料牧場で種牡馬をしていた競走馬の血がかなり流れているのだ。さらにはセフトにプリメロ、トウルヌソルの血も入っている。内国産馬の結晶といっても過言ではない血統だった。

 

この血統故に、当時の天皇陛下もカミノライザンにはかなり気にかけていたようである。菊花賞に言及し、春の天皇賞にはなんとか警備問題を解消して現地で観戦。さらには関東で開催された引退式にサプライズで登場しファンを飛び上がらせた。この際、カミノライザンは天皇陛下を背中に乗せている。後にも先にもカミノライザンだけかもしれない。後にカミノライザンは来日したエリザベス女王陛下にも謁見するなどとんでもないことをやってのけている。

 


 

 

 

繁殖牝馬として

 


 

引退後は五十嵐牧場で繁殖牝馬になったカミノライザン。種付け自体を滅茶苦茶嫌がっていたらしいが最終的には大人しく交配。初年度はアローエクスプレスとの交配が試された。無事に受胎し出産。ただ、この産駒はあまり走らなかった。未勝利戦を勝つこともできずに地方へと流れることになる。

 

2年目はニジンスキーと交配。だが、この時の産駒は海外で走ることが決まっており、日本で走ることはついぞなかった。Wild Hunt(ワイルドハント)と名付けられたその馬はそれなりの成績を残していた。

 

その後も数年日本の馬と交配が試されるが……いかんせん産駒は走らなかった。名牝は名繁殖牝馬になりえない。カミノライザンもその例に漏れずなのか。そう思われつつあった。

 

その評価が一変したのが、1980年産のノヴァスターダストである。父テンポイントである本馬は早々にデビュー戦を勝ちあがったものの、クラシック以降は凡走を繰り返す。GⅠにも多く出走したが、同世代のニホンピロウイナーやカツラギエースにミスターシービー、1つ下のシンボリルドルフらに負け続けていた。そんな本馬が見せた魂の激走、1985年の有馬記念でシンボリルドルフを5馬身差で退けてGⅠ初制覇。その後は海外遠征が計画されたものの骨折のため頓挫。1987年から繁殖牝馬として五十嵐牧場で過ごすことになった。

 

続く1981年産。アメリカの2代目ビッグ・レッド「セクレタリアト」との交配が実現。この産駒はアメリカで走ることが決まっており、日本で走ることはなかったのだがこの馬がま~凄かった。圧倒的な実力でアメリカクラシック三冠を勝ち取り、その後も第1回BCクラシックを歴代2位の着差である16馬身差で圧勝するなど凄まじい活躍を見せる。その馬の名は「Enterprise」。アメリカが誇る3代目ビッグ・レッドである。

 

……まぁ活躍したのはWild Huntにノヴァスターダスト、Enterpriseの3頭ぐらいで他は鳴かず飛ばずだった(Enterpriseがとんでもない活躍をしているが)。だが、活躍したこの3頭が大きな影響を及ぼす。それは後述。確かに言えることは、カミノライザンの血は現在も繋がっているということである。

 

繁殖牝馬自体は1988年に引退。その後の余生は五十嵐牧場で過ごしている。

 


 

 

 

関連エピソード

 


 

・カミノライザンはかなり賢く、紙を使えば意思疎通が図れるぐらいには賢かった。現役時代、面白半分で猛田達が「はい」と「いいえ」の紙を使って試してみたそうだが、なんとカミノライザンとの意思疎通に成功。頭の良さに度肝を抜かれる。

 

・現役時代と繁殖牝馬時代は常に張りつめていたような空気を醸し出していたが、繁殖牝馬引退後は穏やかに過ごすようになった。後に写真集も出される。

 

・産駒は総じて長寿であり、カミノライザン自身もかなり長生き。2003年没の35歳4ヶ月21日の大往生だった。

 

・「シンザンを超えろ」というスローガンはあまりにも有名だが、その娘がすぐに超えることになるとは思わなかった(あくまで成績面だけを見るならだが)。その後もこのスローガンは標榜されたが……シンザンを超えるには初年度でカミノライザン級の牝馬を輩出する必要があるため「それなんて無理ゲー?」と言われた。シンボリルドルフ登場後はこのスローガンは掲げられなくなった。

 

・競馬をギャンブルのイメージから脱却した最初の馬とも言われており、老若男女問わず大人気だった。牧場では見学者が溢れかえるほどであり、中には狼藉を働く者が現れることもあった。もっとも、保茂元春が私財を投じまくってそのような輩は徹底的に排除したらしい。

 

・タニノムーティエはカミノライザンをジッと見つめることがあったらしいが真相は不明。ただ、意識する間柄ではあったようだ。カミノライザンもタニノムーティエをライバルと思っていたそう。事実この2頭は10回対戦しており、カミノライザンの6勝3敗1分け(同着)。カミノライザンが本気を出したのもタニノムーティエのみである。ただ、カミノライザンに苦い思い出しかない谷瑞氏の意向によりこの2頭の交配は実現しなかった。

 

・馬主の保茂元春は度々カミノライザンの馬房へと足を運んでいた。彼曰く「ライザンちゃんは友達」らしい。

 

・富永紘一にとって一番の馬はカミノライザンであり、「未来永劫変わることはない」と断言し切っている。さすがは自著の半分以上をカミノライザンに関することで埋めた男だ。

 

・牝馬ながらもかなりの大飯食らい。牝馬の倍以上は食べるしなんなら牡馬以上に食べる。ただ、その分運動するタイプであり現役時は京都記念を除いて極端な増減はなかった。

 

・1970年と1971年の年度代表馬。内1971年は満票での選出である。

 

・長距離輸送に強い体質は産駒にも遺伝。産駒も総じて長距離輸送に強かった。

 

・父シンザンと同じく、顕彰馬に選出されている。

 


 

 

 

カミノライザンの血統・その後

 


 

最終的に14頭の子を残したカミノライザンだが、その血統は続くかどうか微妙なところだった。14頭のほとんどが未勝利戦を勝ちあがることができず、種牡馬や繁殖入りすらできない状態。だがカミノライザンの血は2023年現在でも繋がっている。その要因はやはり、成績を残した3頭によるものが大きい。

 

特に大きな影響を及ぼしたのが名牝ノヴァスターダストである。ノヴァスターダストは初年度で英オークスを勝利するノヴァトップスター(父ミスターシービー)を輩出すると、2年目にはサンデーサイレンス全盛期の日本競馬界で大健闘した大種牡馬カムイホープ(父シンボリルドルフ)を輩出。この2頭がラインを繋いだ。ノヴァスターダストは15頭の子を残し、そのほとんどが重賞を勝利、さらにはGⅠ馬を4頭+α輩出するなど名牝っぷりを発揮した。

 

アメリカではEnterpriseが猛威を振るう。現存するセクレタリアトのサイアーラインのほとんどはこのEnterpriseを介しており、今なおアメリカでもセクレタリアト系は現存している。

 

Wild Huntは細々とではあるものの、欧州の血統でチラホラと名前を見かける。というか上の2頭がおかしいだけでWild Huntも良くやっている部類である。

 


 

 

 

代表産駒

 


 

Wild Hunt(父ニジンスキー):1977年英2000ギニー(GⅠ)

 

ノヴァスターダスト(父テンポイント):1985年有馬記念(GⅠ)

 

Enterprise(父セクレタリアト):1984年アメリカクラシック三冠[ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークス]、トラヴァーズステークス、BCクラシック、1985年ガネー賞、キングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークス

 


 

 

 

血統表

 


 

シンザン

ヒンドスタン
Bois RousselVatout

Plucky Liege

SonibaiSolario

Udaipur

ハヤノボリハヤタケセフト

飛竜

第五バッカナムビューチー

トウルヌソル

バッカナムビューチー

月海

セントライト
ダイオライトDiophon

Needle Rock

フリッパンシーFlamboyant

Slip

月波オートキツ月友

トキツカゼ

ミスマルサ

タークスリライアンス

朝島

 


(4代血統表:なし)

 


 

 

 

その他

 


 

 

随時更新予定です。




なんか思ったより反響があるっぽいのでウマ娘編も書こうかな~と考えてる次第。勿論ウマ娘タグで書きますが。
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