ネオユニヴァースの娘。   作:宮川 宗介

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登場人物:レイ
※オリウマ娘注意です。

こんな感じの娘です。

【挿絵表示】

よろしければ皆様の読書の一助にしてくださいね。

誕生日:5月10日
体重:地球の七不思議の一つ。
身長:159センチ
スリーサイズ:82・56・83

レイのヒミツ2 実は、人の顔と名前を覚えるのが得意。



第四話

ものごころがついたときから、私の家は【普通】じゃないな、と薄々感じていた。

例えば、幼稚園の送り迎え。

 

登園時は父親が園まで送っているという子は結構いたけど、幼稚園が終わってお父さんが迎えに来てくれる、という子は本当に少なかった。

 

例えば、授業参観。

うちはお父さんは必ず参加してくれたけど、お母さんが来てくれたのは小学生の時に一回と、中学生のときに同じく一回だ。

父親も家事育児をするのが当たり前の時代になったとはいえ、やっぱり平日の授業参観は母親のほうが参加率が高く、お父さんだけが毎回来てくれるような家庭は、うちだけだった。

 

例えば、遠足のときのお弁当。

いつもはお父さんが作ってくれていたんだけど、中学1年のときになんの気まぐれか、一度だけお母さんが作ってくれたことがある。

 

いや、味はとっても美味しい弁当だったんだよ。

このあたりはさすがにお母さんで、初めて作るお弁当でもその持ち前の頭脳で味覚の最適解を導き出したのだろう。

料理は化学とも言うし、化学はお母さんの専門分野の一つである。

 

ただ……彩りというか盛りつけと言うか、お母さんにはそのセンスが絶望的になかった。

かといってぐちゃぐちゃに盛り付けてあるとか、色が茶色しかない、とかそんなことはなかったんだけど。

 

その、なんというか……アニメや漫画を見る人なら【ディストピア飯】という言葉をご存じではないだろうか。

お母さんのお弁当の詰め方は、まさにそれを彷彿とさせるものだった。

 

何種類かのふりかけがかかっているおにぎりはサイコロのごとく正四角形に握られていて、卵焼きとかウインナーなどのおかずも、とにかくお弁当にはいっているものの全部が、四角型に成形されていた。

それらが長方形のお弁当箱に、みっちりと詰め込まれていたのだ。

……プチトマトに四角形のものがあるだなんて、私はこのときまで知らなかった。

 

確かにお弁当のおかずはできるかぎり隙間ができないように詰める、というのは基本ではあるが、ここまで徹底されていると、なんだかそれはひとつの悪い冗談のようだった。

 

一緒に食べていた友達からは『お父さんとケンカでもしたの?』って変に勘ぐられるし(うちが【兼業主夫家庭】ということは、この時すでに校内で広く知られていた)、サブカルに詳しいクラスメートからは『あいつ、なぜかディストピア飯持ってきてる』って囃し立てられるしで、その遠足は中学時代の最悪の思い出になってしまった。

 

それからしばらく、私はディストピアと影であだ名をつけられていたことを、今も忘れていない。

 

当然私はお母さんに猛抗議したわけだけど、『作ってもらっておいてその言いぐさは何だ』というお父さんの正論に太刀打ちできず、それからは自分でお弁当や家の食事も作るようになった。

 

確かにしてもらっておいて文句を垂れる、というのは人間的にどうかと思ったしね。

 

それにしても、なぜうちはそんなややこしい家庭環境に置かれているのかというと、お父さんは私が生まれてからすぐ、忙しい正規のトレーナーを辞めて、お給料は安いけど時間の融通が利くトレーナー助手に転職したからだ。

 

お母さんから聞いた話だと、お母さんの仕事を支えて、育児の時間をしっかり取れるよう、お父さんはそういう選択をしたらしい。

 

お父さんはああいう性格だから、恩着せがましいことや未練がましいことは一切言わないけど、それは相当の覚悟と諦めが必要な決断だったはずだ。

 

それがどれだけのものだったか、子供の私には想像することもできない。

 

でも、私がそんな【子供】だったからこそ、私はお父さんに『私がトレセン学園に進学するなら、お父さんにトレーナーをやって欲しい』なんてわがままを言えたのだと思う。

 

私のトレーナーは本来、お父さんの同期に当たる人に担当してもらうはずだった。

 

その人はとても優秀なトレーナーで、お母さんと同世代に活躍したヒシミラクルさんの他にも、何人ものG1ウマ娘を育て上げている名伯楽だった。

 

それでも私は『お父さんが担当してくれないなら、合格が決まってる他の進学校の方へ進むよ』と、半分脅しのような交渉を持ちかけたんだ。

 

始めは『あまりわがままを言わないでくれ』『担当が実の娘だと、大事な場面で感情的な判断をしてしまいかねないから』と言って渋っていたお父さんも、今お父さんがしている家事の半分は受け持つから、とまで言った私の覚悟が伝わったのか、不肖不肖ながらも正規トレーナーに復帰して、私を担当してくれることになった。

 

 

将来トゥインクルを目指すようなウマ娘は、小さい頃からレーシングクラブやウマ娘レース科のある小中学校に通って、レースの英才教育を受けている娘が多い。

 

でも、私はどこのクラブにも所属していなかったし、小中学校は俗に進学校と言われる私立に通っていた。

これは両親の教育方針で、本人(私)がレースに興味を持てないようだったら、それ以外の進路も選べるようにしておきたかったということらしい。

 

ウマ娘に生まれたからと言って、必ずレース方面へ進路を取らなければいけない、という法律があるわけじゃないからね。

 

そういう状況にあったにも関わらず私が一応トレセン学園に合格できたのは、小さい頃から正規トレーナー経験のあるお父さんがトレーニングしてくれていたからだ。

 

私も一応ウマ娘だから走ることは嫌いじゃなかったし、お父さんとのトレーニングはやりがいもあって楽しかったんだ。

 

そんな背景があったから、お父さんにわがままは承知で正規トレーナーに復帰してもらった、ということもある。

 

わがままを聞いてくれたお父さんには、やっぱりG1というビッグタイトルをプレゼントすることが一番の恩返しになると思って、私は日々のトレーニングに励んでいる。

 

*

 

そろそろ桜前線の話題も日常会話の中に出てくるこの季節は、少し本気で走るともうジャージに汗が染み込んでくる。

 

そんな陽気の中、私はレースを想定して整備された学園のダートを走り込んでいた。

 

「いいぞ、レイ!その調子だ!そのままラストスパート!」

「はいっ!」

 

練習場に響くお父さんの声に威勢よく返事すると、私はもう一段ギアを上げて砂を蹴り上げた。

回転する脚が、トップスピードに乗ったのを感じる。

私はさらに身体を前に倒し、トレーナーがストップウォッチを持って待っているゴールへ飛び込んだ。

 

「ふぅっ……どう、タイムは?」

「うん、悪くない。このタイムなら、いい調子で弥生賞を迎えられそうだな」

 

父であるトレーナーの言葉に、私は笑顔でうなずいた。

今日のトレーニングは、今週の日曜日に出走する弥生賞の最終追い切りだ。

 

年が明けてから私は幸いにも大きく体調をくずすことも脚を故障させることもなく、順調にトレーニングを続けられていた。

 

クラシック級は、ウマ娘が一番実力を伸ばせる時期と言われている。

この時期に伸びきれなかったウマ娘は、たとえジュニア級で重賞を勝つような活躍をしていたとしても【単なる早熟のウマ娘だった】というレッテルを貼られ、いつしか人々から忘れられていく。

 

しかしクラシック級になってからのタイムを見るに、私には明らかにこれからも伸びていく資質があるようだった。

 

「そうだ。今朝配信された週刊ウマ娘の、弥生賞特集を見たかい?」

「ええ、もちろん」

 

クラシック競走の足音が聞こえるこの時期、レース関連のマスメディアは大いに盛り上がる。

特に私の出走する弥生賞は皐月賞のトライアルレースというだけでなく、弥生賞を制したウマ娘はその後のダービーや菊花賞でも好成績を残すケースがことから、出世レースとして注目を集めていた。

 

「実績から言って当然だけど、私が一番人気に推されているみたいね」

 

出走メンバーを見たところ、同じ距離のG1・ホープフルステークス2着の実績がある私が一番人気で、朝日杯フューチュリティステークスを制したリアフレアさんって娘が二番人気、他には前走きさらぎ賞を勝っている娘が三番人気に支持されているようだ。

 

ちなみにホープフルステークスを制した私の友人、マリアージュローズはスプリングステークスをクラシックの前哨戦に選んだ。

彼女との直接対決は大舞台の皐月賞まで持ち越しというわけだ。

 

「一番人気だからといって、当日は油断しないようにな。G1ウマ娘も出走してくるし、決して楽に勝てるレースじゃないぞ」

「分かってるって。じゃあ気合を入れるためにも、今度は坂路一本行ってきていい?」

 

私の提案に、お父さんはよし、行ってこいと言ってバシッと背中を押してくれたのだった。

 

*

 

弥生賞は完勝だった。

第四コーナーの手前から抜け出してそのまま後続を突き放すという、先行脚質の教科書通りの勝ち方ができた。

こういう勝ち方は、出走メンバーの中でかなり実力が抜けていないとできない。

一番人気に恥じないレースができたと思う。

 

現時点で私は間違いなく、世代のトップクラスの実力を有しているはずだ。

このまましっかりトレーニングを重ね、無事にレースに出走することができさえすれば、必ずお父さんにG1をプレゼントすることができる。

 

そしてその先にある――お母さんが達成できなかった――三冠という頂きを制することさえも、きっと夢ではないはずだ。

 

 

弥生賞の2週間後に行われたスプリングステークスでは、前評判通りにマリアが制した。

 

血統的にひょっとしたら距離が短いのではないか、とファンや専門家の間では言われていたが、彼女は持ち前のスピードでその評価を見事に覆してみせた。

 

私もよくお母さんと比較されがちだけど、みんな血統というものを絶対視し過ぎだ。

マリアのお母さんがあのライスシャワーさんだからといって、1800Mで力を出せないという理由にはならない。

同じレースを走った私が思うに、マリアが長い距離を得意にしていることは間違いないけど、広い距離をこなせるタイプのウマ娘だと思う。

 

だからこそ、三冠路線で彼女は私の強敵になりうるわけだ。

今年に入ってから他にも重賞を勝っている有力なウマ娘は出てきているが、今のところ私やマリアに対抗できるだけの実力を持った娘は現れていない。

 

今年のクラシックレースはホープフルステークス同様、きっと彼女とのマッチレースになることだろう。

 

*

 

大多数のウマ娘は、G1に出走する際に着る勝負服というものに、ずいぶんと思い入れがあるものらしい。

 

トレセン学園に入学するような娘は、将来G1に出られるか分からなくても親御さんなどが勝負服を用意するらしいし、トライアルレースに入線して急遽G1に出ることになったにもかかわらず、勝負服を用意していなかった娘も、仕立て屋さんにかなり無理を言って自前の勝負服を用意したりするそうだ。

 

かくいう私は勝負服というものにあまり興味がなかったので、入学前に両親が作ろうか?と言ってくれたときも『その時になったら考えるからいいよ』といって作ってもらわなかった。

 

ホープフルステークスに出ることになったときも、作りに行くのがめんどくさくなって、結局スターティングフューチャーをURAから借りることにしたんだよね。

 

デザインも良かったし(ちょっとセクシーすぎかな、とは思うが。なんだこの胸元とガーターベルトは)、着心地も悪くなかったので、今日の皐月賞でも続けて着ることにした。

 

「salti reali amari ce fati a la asta e stia salti reali vela li da fati a rea aria fati reali a~♪」

 

などと私は皐月賞直前の控室で、鼻歌を歌いながら勝負服の最終チェックをしていたりしていた。

G1初挑戦のホープフルステークスの時はさすがに多少は緊張したが、二回めともなると体も心も大舞台に慣れてくるものだ。

 

「ずいぶんとリラックスしてるみたいだね……。まぁ、それはいいことなんだが。しかしなんだか久しぶりに聞いた曲だな」

 

お父さんが首を傾げながら聞いてきたので、私はその曲名を教えてあげることにした。

お父さんの世代なら、知っていてもおかしくない曲だと思う。

 

「うん、昔ヒットした【魔法少女まどかマギカ】ってアニメに使われた曲だね。この前たまたまママゾンプライムのレコメンドに出てきて面白かったもんから、つい全話一気見しちゃったよ。えーと、確かマミさんのテーマっていったかな?いい曲だよね」

 

私がそう言うと、なぜかお父さんは眉間にしわを寄せ、腕を組んで神妙な表情を浮かべた。

 

「……レイ。君はその曲がどんなシーンに使われていたか、知ってるかい?」

「?もちろん。登場人物のマミさんの戦闘シーンだよね?」

 

ついこの間見たばかりだから、それで間違いないはずだ。

 

「そのとおりだ。ところで、君は【三話のあのシーン】を見たときに、どんな感想を持った?」

 

……どうしてG1の勝負前に、わざわざアニメの視聴感想を聞いてくるのだろう。

ひょっとしてお父さんは昔、アニメオタクだったりしたのだろうか。

 

「唐突に変なこと聞いてくるね……。まぁ、ストーリーに意外性を持たせるための演出なんだろうけど、正直、あれはあの子の油断しかないよね。勝負事ってのは勝った、と思った瞬間が一番危ないんだから」

「…………」

 

私の返答に、お父さんはため息をついて無言でこちらを注視している。

なんだろう。

ひょっとして私の返答は、お父さんの意図したものと違ったのだろうか。

自分の父親が解釈違いの回答に対してレスバトルを仕掛けてくるような、厄介アニメオタクとは思いたくないんだけど……。

 

「どうしたの?」

「いや、それが分かってるんならいいけどね。そろそろ時間だろ?パドックにいるファンたちに、絶好調の君をアピールしてきなさい」

 

お父さんの視線が少しばかり気になったが、パドックへ向かわなければいけない時間が迫っているのも確かだったので、それについては特に追求することもなく控室をあとにした。

 

*

 

昨日一日中降っていた雨は今朝の未明にやんだようだったが、残念なことに今日の天気は皐月晴れというわけにはいかず、空模様はどんよりとしたくもりだった。

 

気になる今日のバ場状態は、やや重と発表されていた。

今までのレースタイムを見ていると割とゆったりとした時計で決着しているので、バ場はそれなりに水を含んでいるのかもしれない。

 

私はあまり、バ場状態を気にせずに走れるタイプのウマ娘である。

このあたりは、お母さんに似たのかもしれない。

お母さんも、決して重たいバ場を苦にするタイプではなかったらしいから。

 

私がパドックに足を踏み入れると、ちょうどマリアが舞台に上がってファンたちに仕上がりを披露しているところだった。

 

今日の彼女は誰が見ても一目でわかるほど、完璧に仕上がっているようだ。

母親のライスシャワーさん譲りの、華奢に見える肉体はまるで抜き身の日本刀のような鋭さと美しさを感じさせる。

 

明らかにマリアは、以前戦ったホープフルステークスの時よりも成長しているようだった。

 

彼女のトレーナーがスプリングステークスを完勝した後のインタビューで『今日の仕上がりで八割程度ですよ。ここをひと叩きしたことで、100%のマリアージュローズを皐月賞で披露できると思います』と言ったのは、決してハッタリではなかったわけだ。

 

そのトレーナーの強気発言の効果もあったのか、今日はマリアが一番人気に推されていた。

といっても、彼女の支持率が30%で、私の支持率が29%だから、ファンたちも二人の実力は拮抗している、と見ているのだろう。

 

マリアが大歓声に応えるように小さく手を振りながら舞台を降りると、次に背の高い芦毛の娘がゆっくりと登壇していくのが見えた。

 

その娘はどうやら、ガチガチに緊張しているらしい。

引きつったような作り笑いを浮かべ、まるで油が切れかけた機械人形のようなぎこちなさで、ファンたちに一生懸命手を振り続けていた。

 

そんな彼女に観客たちも、温かい拍手を送っている。

 

遠目に彼女の顔を確認してみたが、失礼ながら私の記憶にない娘だった。

あの緊張ぶりを見るに、ひょっとしたら今日の皐月賞が重賞初挑戦という娘かもしれない。

 

G1、それも伝統ある皐月賞が初出走重賞となったら、きっと私も同じぐらい緊張しただろうな……。

 

っと、あまり人のことを気にしている場合じゃない。

彼女が何度も観客席に頭を下げながら降壇したのを見て、今度は私はゆっくりとパドックの舞台に上がった。

私が舞台の中央までやってくると、大観衆がマリアのときにも負けないほどの歓声と拍手、そして声援を送ってくれる。

 

「レイさん!がんばってください~!」

「マリアとの熱いライバル対決、楽しみにしてるぞ!」

「ネオユニヴァースとの母娘二代皐月賞制覇、期待しているよ~!」

 

……まぁ、ファンがどのような思いを持って私を応援しようが、それは自由というものだ。

この世界、母親がそれなりのウマ娘だとどうしたって色眼鏡で見られてしまう。

そのことはある程度覚悟してこの業界に足を踏み入れたつもりだったんだけど、実際レース前に母親の名前を出されると、思っていた以上にいろいろな感情が揺さぶられた。

 

なんでも経験してみないとわからない、という言葉はきっとこうしてこみ上げてくる感情もコミでのことなんだろう。

 

私は沸いて出てきた様々な感情はひとまず置いておくことにして、腰に手を当てて胸を張り、いつものように好調ぶりを大観衆にアピールした。

 

*

 

バ場に脚を踏み入れてみると、思ったより芝は水を含んでいるようだった。

発表はやや重だったが、これは重寄りのやや重、といった感じだ。

 

こういうバ場で行われるレースは、仕掛けどころが難しくなる。

早く仕掛けすぎると、バ場にスタミナを奪われる。

かといって仕掛けを遅らせすぎると、今度は末脚をバ場に取られてしまう。

 

パンパンの良バ場で行われるレースより、重いバ場で行われるレースのほうが本命がコケやすいのはこういった理由もあったりする。

 

頭の中で想定していたレース展開に、若干の修正を加えながら私はゲートに入った。

 

私はレースは頭脳戦だと思っているので、ゲートが開くまで徹底的に今日の展開を考え尽くす。

もちろんレースは生き物なので、想定したとおりに進むことのほうが少ない。

 

それでも頭の中にレースの展開図があれば、それを実際の流れに合わせて修正し、自分の走りを最適化することはそれほど難しいことではなくなる。

 

どうやら最後の一人が、ゲートに収まったらしい。

私は意識を切り替え、ゲートが開くタイミングに全集中力を傾ける。

 

皐月賞の、ゲートが開いた。

 

スタートはいつも通り順調だった。

 

デビュー戦から私のスタートの良さには定評がある。

私の脚質は先行だが、逃げる娘がいなければそのまま先頭に立ってしまうことも厭わないタイプの先行だ。

 

しかし今日は押して押して逃げていく娘が2人いるようで、そんな彼女たちを見送りつつ、私はできるだけバ場状態の良いところにポジショニングする。

 

スタートの良さはそのままポジショニング争いの有利さに直結するから、個人的にはどんな脚質でもスタートは良いに越したことがない、と私は思っている。

 

600Mを走ったくらいで後ろの娘たちのポジションを確認するために、ちらりと後ろを振り返ってみる。

隊列は思ったよりも縦長の展開になっていて、マリアは集団のちょうどまんなかあたりに位置していた。

 

それはいつものマリアの位置取りだった。

今日のようなバ場状態でも、彼女は自慢の末脚を発揮する自信があるのだろう。

 

そうして他の娘のポジションを確認しているうちに、先頭の娘が1000Mのハロン棒を通過する。

少しペースが遅いような気もしたが、芝の状態を考えるとだいたい平均ペースと考えて良さそうだ。

 

ここまで大きな順位変動もなく、淡々としたペースでレースが進む。

 

こういう平坦な流れの時は、いろんな思考が沸いて出てくるものだ。

今日はどういうわけか、ふと、お母さんのことが脳裏によぎった。

きっとポータブルテレビで、仕事中にこのレースを見てくれているであろうお母さん。

 

お母さんは、一番人気でこの皐月賞に挑み、そして見事に勝利した。

 

……私もあとに続けるだろうか、なんて自動思考が沸いてくるあたり、私もたいがいな血統論者なのかもしれない。

 

残り600M手前の時点から、後続の足音が少しずつ大きくなってきた。

その足音でマインドワンダリング状態から戻ってこられた私は、それに合わせてひとつ脚のギアをあげる。

 

逃げている娘との差がどんどん縮まって行き、それと同時にスタンドのボルテージが加速度的に熱を帯びていくのがわかった。

 

中山の、短い直線の少し前。

私は逃げていた二人のウマ娘を難なくかわし、何も恐れることもなく堂々と先頭に立った。

 

去年レース生活をスタートさせた同世代数千人のウマ娘たちによる果てしない淘汰の果てに、この皐月賞にたどり着いた17人を率いて、私は最後の直線を迎える。

 

中山の直線を先頭で立ち上がった私だったが、すぐ後ろからものすごい脚で私を飲み込もうとするウマ娘の気配を感じていた。

 

この、レース場全体の空気を震わせるような重圧を掛けてくるのは、マリアージュローズに間違いないだろう。

 

ホープフルステークスではその豪脚に屈する結果になってしまったが……今回はそうはいかない。

 

「……っ!」

 

私は脚のギアを最大まで上げ、脚の回転をトップスピードに乗せた。

 

さぁ、来い!

絶対に、抜かせはしない。

 

しかし、敵もさるもの。

根性を見せて私に並びかけてきた。

 

やはり最後は、マリアとの一騎打ちになった。

 

勝負は中山のゴール前にある心臓破りとまで言われる高低差2M以上の坂に差し掛かる。

 

「うおぉおぉおぉおおぉおぉっ!!」

 

マリアの細い体のどこからそんな声が出るのか、まるで獣の咆哮のような雄叫びをあげて半バ身、わたしの前に出た。

 

……ここまで、完璧に私の読み筋通り!

 

「ふっ!!」

 

マリアが最後の脚を使ったのを見届けてから私は身体を深く沈み込ませ、この瞬間まで取っておいた末脚を起動させる。

 

「えっ!まだそんな脚が……」

 

驚愕の声をあげるマリアを抜き去って、私は少しずつ最後の敵を突き放しはじめた。

 

ホープフルステークスでは、先にこちらが仕掛けたことでマリアに余裕を与えてしまった。

だから今回は、最後の最後まで、脚を余して負けることも覚悟した上で仕掛けを我慢した。

 

私は、我慢比べに勝ったのだ。

 

まだ勝負を諦めきれないのか、マリアは必死に私に食らいついてくる。

しかし私の計算では、脚を使い果たしたマリアはどうやっても3/4バ身差が埋められず、ゴールを迎えるはずだ。

 

その証拠に差が半バ身、それ以上に……。

 

「……!?」

 

なんだ?

右後ろから、背筋を震わせるような悪寒が急に襲いかかってきた。

マリアがいるのは、左後ろ。

私の右側には、内ラチしかないはずだ。

 

勝利を目前にして、ちょっと気持ちが高ぶっているだけ。

そう思い込もうとした瞬間、私の右目の視界に、真っ白い何かが映り込んだ。

まさか幽霊かとバカらしいことが脳裏によぎったが、それが芦毛の髪だと気づくのに、刹那の瞬間も必要なかった。

 

「誰!?」

 

私のそんな悲鳴がスタンドに届いたわけでもなかっただろうが、その答えはすぐに観客席から返ってきた。

 

「ゴルシの娘だ!俺、推してんだ!!いけーっ!!差せーっ!!」

 

ゴルシの娘……?

そんな血統背景を持った娘、このレースに出走して……。

 

思い出した!

 

確か若葉ステークス(重賞ではない、オープンレースの皐月賞トライアルだ)で2着に入って出走権をなんとか確保し、1勝ウマ娘ながらこの皐月賞に出てきた娘のはずだ。

 

ってかこの娘、パドックでガチガチになりながら舞台で挨拶してた娘じゃない?

 

……いや、ちょっと待って。

 

ここまで完璧にレース展開を読み切って、最強のライバルを競り潰して、もうあとは栄光のゴールに飛び込むだけのときに、こんなことってあるのだろうか。

 

ひょっとして、私はこのレースを負けるのか。

 

ああ。

なるほど。

レースってのは、こうやって負けることもあるんだなぁ。

 

よく知らない娘に並ばれ、敗戦のことが脳裏にちらつき、ぽっきりと心折れた瞬間に大歓声が私の耳に入ってきた。

 

その大歓声のおかげで、私はゴール板を駆け抜けていたことに気がついた。

 

どうせ負けているだろうな、と思って着順掲示板に視線を移す。

 

あの娘に並ばれた時点でもう私は脚をほとんど使い果たしていたし、人気薄故に誰にもマークされず、最初から最後まで自分のペースで走れていたであろう彼女とは、ゴール前の脚色が違った。

 

それになにより……あんな【計算外のできごと】が起こってしまった時点で、私のレースはもう負け戦になってしまったようなものだった。

 

掲示板は1着2着が写真判定になっていて、3着は2バ身遅れてマリアが確保したようだ。

 

負けてしまったものは仕方ない。

 

さっさと控室に戻って、ライブの準備をしよう。

また準センターの立ち位置で勝った娘をフォローするライブをするのかと思うと憂鬱極まりなかったが、かといって正当な理由もないのにライブを辞退することもできない。

 

いや、できないこともないんだろうけど、そんなことをすればいざ自分がセンターに立つことになったときに誰も『あの娘のためによいライブにしよう!』なんて思ってステージに立ってくれるわけがない。

 

……ダービーでは、必ず私がセンターでwinning_the_soulを歌ってみせる。

 

そんな決意と敗戦の失意を胸に、私は控室に通じるバ場連絡口に向かった。

 

*

 

控室に戻ると、お父さんが明るい笑顔で私を出迎えてくれた。

 

「おめでとう!色々と課題の残るレースだったが、よくやってくれた。お母さんもきっと、喜んでくれていると思うよ」

 

おめでとうって……。

レースに負けて、おめでたいもないもあるまいに。

 

ひょっとしてイヤミを言われているのだろうか、とも思ったけど、お父さんは絶対にそんなことをいうタイプではないから、きっとダービーの出走権(皐月賞で5着までに入った娘は優先的にダービーに出られる)を獲得できたことを喜んでくれているのだろう。

 

「ありがとう。ま、なんとかね。ダービーではこんなことのないよう、がんばるよ」

「うん、志を高く持つことは大切なことだ。さ、ウィナーズサークルでファンの人達が待っている。身支度を済ませて、早く行こう」

「は?なんで私がウィナーズサークルなんかに行かなくちゃいけないの?」

 

ウィナーズサークルは、文字通り勝者たちがつどい、喜びを分かち合うサークルだ。

負けた私が一体そこに何しに行くというのか。

 

「……レイは意外とプライドが高いんだな。ハナ差まで追い詰められてしまって色々と思うところがあるのはわかるが、君が皐月賞ウマ娘になったことには変わりない。トレーナーとして、親として、堂々とウィナーズサークルでファンたちの祝福を受けてほしいと思う」

「えっ……?はぁっ!?」

 

一瞬、私はお父さんが何を言っているのか、理解できなかった。

 

私が、ハナ差、残していた……?

 

「いや、相手あの脚色で私をかわしてない、なんてことはないでしょ。からかうのもいい加減にして。お父さんはそんな事する人じゃないって思ってたのに」

 

眉を吊り上げて怒りをあらわにする私に、お父さんは無表情でノートPCを取り出し、さっきのレースのゴール前判定ビデオを再生する。

 

「……あ……」

 

縦の赤線で細かく刻まれた画像を見て、私は思わず、あきれた吐息のような声を漏らしてしまった。

それを見る限り、確かに私がハナ差だけゴールに先着しているようだった。

 

「レイ。君が頭がいいのはよく知っているし、冷静沈着にレースを進めて、計算通り、思い通りに綺麗に勝ちたい、という理想は理解できる。でも、そんな考え方じゃこれから先、勝利はおろか、厳しいトップレベルの戦いで生き残っていくことすらできないよ」

 

今まで聞いたことないような、断固とした厳しい口調でお父さんはいい切った。

 

私のやり方じゃ、勝利はおぼつかない、だって?

そんなわけがない。

 

だって……。

 

「なによ!お母さんにできたことが、私にはできないって、いいたいわけ!?お父さん、昔のインタビューで言ってたよね。『ネオユニヴァースは、私が今まで出会ったウマ娘の中で最高のウマ娘です。あれだけレース前に展開を考え抜いて、頭の切れるレースをするウマ娘は今まで見たことがない』って!お父さんの理想のウマ娘って、頭が良くて、レース展開が全部読み切れるウマ娘なんでしょ!?」

「いや、レイ。君はそのインタビューを……」

 

なにか言いかけたお父さんを遮って、私は今まで胸のうちに秘めていた思いを全部ぶちまけた。

 

「確かに、私はギフテッドのお母さんほど、賢くないかもしれない。【宇宙人】なんて言われたお母さんほど、器用に立ち回れないかもしれない。私は、お母さんと違って普通の女の子だから。でも、もっとレースを勉強して、必死に頭の使い方を覚えれば、絶対にお母さんにも負けない知的なレースをする自信がある!」

 

件のインタビューを聞いたのは、確か小学校四年生の時だったと思う。

 

その時、私は怒りにも似た感情を抱いたのを覚えている。

 

あの、お父さんがいなかったらなんにもできないお母さんが、お父さんの知っている最高のウマ娘……?

 

そんなの、絶対に変だ。

 

それなら、お父さんの知っている最高のウマ娘は、私でもいいはずだ。

 

そう思った時から、私の敵は同じレースに出走しているウマ娘ではなく、お父さんの胸の中にいる【ネオユニヴァース】というウマ娘になった。

 

生活のことでも、レースのことでも、いつも私の面倒を見てくれているお父さんが理想とするウマ娘を超えたい。

 

それが私の走り続ける上での、大目標になった。

 

レースが終わるたびに、私はレースを詳細に振り返る。

 

展開は、レース前に想定した数百のパターンのどれかに近似していただろうか。

レース中は感情に流されず、冷静に走れていただろうか。

 

……お父さんの中のお母さんに負けないぐらい、賢い立ち回りだっただろうか。

 

レースでの勝ち負けは、はっきり言えばどうでも良かった。

だから私は、レースの勝敗で心動かされたことがほとんどない。

 

私にとってレースとは、すべて【ネオユニヴァース】というウマ娘を超えるためのマイルストーンでしかないのだ。

勝敗も、出走するレースの格も、そのための定規に過ぎないと思っている。

 

そしていつかはお父さんに『自分の知っている最高のウマ娘はレイだ』と認めてもらう。

 

それが私の最大にして唯一の目標だった。

 

「……レイ。君はたしか、お母さんのレースを動画で見たこともなかったよね?」

「うん、そうだね。お母さんの時代ぐらいの、古いレースを見ても学ぶことはなにもないだろうから」

 

お母さんが現役を退いてから、もう四半世紀以上の歳月が流れている。

ウマ娘の世界のレースやトレーニングの進化は、日進月歩だ。

 

そんな古い時代のレースビデオを見るより、近年のG1レースを見たほうが勉強になるのは当たり前のことではないか。

 

「それなら一度、お母さんが出走したすべてのレースを見てみなさい。それからまた、これからのことを話し合おう」

「……イヤって言ったら?」

 

私の一言で、控室の空気が急速に張り詰めたときだった。

 

コンコンコン、と部屋のノックが鳴った。

 

「レイさん、トレーナーさん、すみません。ファンとマスコミの方々が首を長くしてお待ちですので、早急にウィナーズサークルに来ていただけますか?ひょっとして、なにかトラブルでも?」

 

そんな声が部屋の外から聞こえてくる。

 

「……すみません、少し担当が身だしなみを整えるのに手間取っていただけです。すぐに伺います」

 

お父さんがそう返事すると、できる限り早くお願いしますねといって係の人は去っていったようだ。

 

「とりあえず今はウィナーズサークルに急ごう。話し合いはあとだ」

 

そういうお父さんに私はしかめっ面のままうなずいて、早足で控室をあとにするお父さんに続いた。

 

*

 

ウィナーズサークルに行く手前で、2着でゴールした娘が、なぜか私のお母さんと同じ歳ぐらいのウマ娘に抱きつかれ、もみくちゃにされていた。

 

「うぉおぉおぉっ!プラチー、このキツいメンバーの皐月賞で2着とはよくやった!母ちゃんは鼻が高いぞ!」

 

本来どんな人でもスタンドから柵を超えてこちら側へ来ることは許されていないのだが、誰もそんな彼女を注意しようとはしてないようだった。

 

なんというか、ファンも係の人も『まぁ、あのウマ娘だし……』みたいな、生暖かい目でその奇行を見守っている。

 

2着の娘を抱きしめながら自分のことを母ちゃんと呼んだところをみるに、あの芦毛のウマ娘さんは【伝説のウマ娘】ゴールドシップさんなんだろう。

 

母娘仲が良さそうでいいなあ、などと思いながらその様子をうかがっていると、2着の娘が苦笑を浮かべながら、ゴールドシップさんに手信号のようなジェスチャーを向けていた。

 

「あっ……」

 

違う。

あれは、手信号なんかじゃない。

私もそんなに詳しいわけではないけど……きっと、あのジェスチャーは手話だ。

 

手話で意思疎通をしているということは、彼女は聴覚にハンデキャップがあるのだろう。

 

レースを走るウマ娘の中には、こういうハンデキャップを持っている娘もまったくいないわけじゃない。

 

ずいぶん昔の話だけど、片目にハンデキャップがあってほとんど見えてなくても重賞を勝利したようなウマ娘もいて、彼女は【独眼竜】という二つ名で愛されていた。

 

トレセン学園には、本当に色々な娘がいる。

 

私のようにお母さんがG1ウマ娘、という娘もいれば、おばあさんもお母さんも未勝利、という家系の娘もいる。

 

実家がメジロ家やサトノ家といった感じでめちゃくちゃ太い娘もいれば、実家の経済状況がかんばしくなくて、アルバイトをしながらトゥインクルに挑んでいる娘もいる。

 

そして、何らかのハンデキャップを持っている娘も。

 

でも、誰もその娘のバックグラウンドなんて気にしないし、それを揶揄したり、からかったりする娘もいない。

 

この学園にいる以上、すべてのウマ娘は等しく同じレースを走るライバルであり、同じ道を志している仲間、というだけだからだ。

 

だから、型通りの勝利インタビューを終えたあとのウイニングライブでも、彼女――プラチナシップさんというお名前だった――にはしっかりと準センターとして、センターである私のサポートを務めてもらった。

 

そしてプラチナシップさんのダンスは、歌えない歌を補ってあまりある素晴らしいパフォーマンスだった。

 

*

 

公園の桜はそろそろ花が散りきり、完全な葉桜になろうとしているようだった。

そういえば皐月賞の時期で桜が美しく咲き誇っている、というシーンはあまり見たことがないような気がする。

 

そんなどうでもいいようなことを考えながら、私はなにをするでもなく、もうすっかり陽も暮れた公園のベンチに座っていた。

 

ウイニングライブのあと、お父さんとは特に言葉をかわすようなこともなく、いつものように『レース後の手続きが残っているから、先に帰っていなさい』と言われて中山レース場で別れた。

 

G1という最高の舞台で勝利を収めたあとだというのに私はなぜか自宅に直帰する気になれず、もう真っ暗な公園でこうして一人、佇んでいるというわけだ。

 

「……」

 

手持ち無沙汰のとき、ついスマホに手が伸びてしまうのは現代病の一つだろう。

スマホを手に持ち、ロック画面を表示させると、今まで見たことのない量の通知が来ていた。

 

LANE・メール・私の持っているSNSのDM……。

 

それらの通知は、すべて【おめでとう】で埋め尽くされていた。

 

やっぱり、G1を勝つってことはすごいことなんだなあ……。

 

どこか他人事のように感じつつ、スマホのロックを解いてそれら祝福の言葉を確認する。

 

祝辞の送り主は普段から親しくしてくれている人のものもあれば、もう何年も顔を合わせていない人からのものもあった。

 

とりあえず、私はそれらの祝辞に『ありがとうございます。次のダービーもがんばります』といった感じの定型文を、機械的に返信し始めた。

 

……おかしいな。

一生に一度しかないクラシックの皐月賞を私は勝ったのだ。

もっと、私は喜びを感じていてもいいはずだ。

 

それなのにスマホを触っている私の感情は、ほとんど凪と言っていいような状態だった。

 

理由は、分かってる。

 

結局私は、父親としてもトレーナーとしても尊敬しているお父さんに『君はお母さん以上の素晴らしいウマ娘だよ』と褒めてもらえなかったことを、スネているのだ。

 

……お母さんのレースを見ろ、なんて言われて、まるでお母さんを引き合いに出されて自分が貶められたように感じられて、私は怒っているのだ。

 

お母さんのレース、ねぇ……。

 

しかし、お父さんにとってネオユニヴァースというウマ娘は、それほどまでに特別なのだろうか。

 

どうせスッキリしないなら、今までなんとなくイヤで見ていなかったネオユニヴァースのレースを見てみるというのも悪くないのかもしれない。

 

私は祝辞の返信を中断し、URAの公式サイトにアクセスして【ネオユニヴァース レース】と入力してお母さんのレースを検索してみた。

 

さすがに25年ぐらい前のレースとなると、お母さんの走ったすべてのレースが保存されていたわけではなかったが、それでもお母さんの走った重賞とG1はすべて表示された。

 

私はまず、初挑戦・初重賞制覇となったG3・きさらぎ賞を再生した。

このレースは私のイメージするお母さんらしい、冷静なレース運びをしての勝利だった。

 

皐月賞の前哨戦、G2・スプリングステークスでは圧倒的一番人気のサクラプレジデントさんとの競り合いを制して二連勝を飾る。

 

……お母さんのレースと言えば教科書通りの、抜け目ない差し脚で確実に勝利していたというイメージがあったが、競り合って強いウマ娘だったというのは、この時初めて知った。

 

一番人気で迎えた皐月賞は、娘の私が言うのもなんであるけど、名勝負だった。

内でじっと脚をため、最後の直線はサクラプレジデントさんとの壮絶な一騎打ちを制して、わずかクビ差しのいでの優勝。

 

歯を食いしばってサクラプレジデントさんをにらみつけながらゴール板に飛び込んだお母さんを見るに、この勝利は決してすべて計算通り、というわけではなかったのだろう。

 

この皐月賞制覇は、お母さんの勝負根性が呼び込んだ勝利だったと思う。

 

ダービーは青葉賞を制してここへやってきたゼンノロブロイさんを最後の最後まで寄せ付けず、皐月賞ウマ娘のプライドを見せつけて、前走の皐月賞と同じく一番人気に応えて勝利した。

 

最後の直線で見せた、他のウマ娘を斬って捨てた爆発的な末脚。

 

あれこそがネオユニヴァースの真髄なのだろう。

 

……正直、今の私じゃお母さんの影も踏ませてもらえない。

 

そう思わせるほど、ダービーでのお母さんは強かった。

 

挑戦的な参戦となった宝塚記念はシニア級のウマ娘たちを相手にしてさすがに入着が精一杯で(あれはヒシミラクルさんが強すぎた)、その疲れもあったのか、秋緒戦の神戸新聞杯は二冠ウマ娘にもかかわらず、二番人気で三着に敗れている。

 

そして次のレースは……。

 

「菊花賞か」

 

私は、このレースの結末を知っている。

お母さんは一番人気でナリタブライアンさん以来の三冠へ挑み、そして三着に敗れた。

 

想像を絶するプレッシャーがのしかかるレースを、お母さんはどのように戦い、そして敗れていったのだろうか。

 

そのことを私は両親から聞いたことはなかったし、こちらから聞くようなこともしなかった。

 

私はまるで封印されていたアルバムのページをめくるような気持ちになって、再生ボタンをタップした。

 

全員滞りなくゲートに収まり、秋の淀にゲートの開く音が響き渡る。

強いウマ娘が勝つと言われる菊花賞、出遅れる娘なんて一人もいなかった。

 

レースはお母さんらしい、冷静な位置取りで淡々と進んでいく。

展開は少し縦長になって、ペースは平均と言ったところだろうか。

 

最後の直線の手前、お母さんは絶好の位置にいて、脚も十分残っているように見えた。

 

先頭を進むザッツザプレンティさんとの差は、わずか一バ身。

 

「行け……行けっ……!」

 

結果がわかっているにも関わらず、私は思わずそう呟いた。

それだけの熱を感じるレースだったのだ。

 

でも最後の直線、200Mを切ったあたりで、私は気づいてしまった。

 

ダメだ。

お母さんの脚じゃ届かない。

 

お母さんの脚色も決して悪いわけではなかったが、ザッツザプレンティさんの脚が力強すぎる。

 

それでも、ネオユニヴァースは決してあきらめていなかった。

一バ身先にいる宿敵を睨みつけ、限界に来ているであろう脚に最後の力を注ぎ込んでいる。

 

いや、その後の戦歴を見るに、お母さんの脚はこの時すでに限界を超えていたのかもしれない。

 

差は、あいかわらず縮まらない。

外からはものすごい脚でリンカーンさんがやってきている。

 

限界を迎えているお母さんとは、脚色が違った。

 

もうネオユニヴァースは、三冠ウマ娘になれない。

 

あの日あの瞬間、京都レース場にいた誰もがあきらめていたと思う。

ひょっとしたら、最後の最後まで担当の勝利を応援すべきトレーナーのお父さんでさえ、そう思っていたかもしれない。

 

それでも、お母さんは何一つあきらめていなかった。

 

三冠を。

 

勝利を。

 

前にいるウマ娘を、追い抜かすという本能を。

 

「もう、勝てないんだよ……お母さん……」

 

私はスマホを力いっぱい握りしめ、震える声でそうつぶやく。

 

人のレースを見て、ここまで心揺さぶられたことなんて、一度もなかった。

 

三着でゴールした画面のなかのお母さんは、フラフラになりながらなんとか誰もいない大外の芝までたどり着き、そのまま倒れ込みそうになっていた。

 

そんなお母さんを、お父さん(若い!)が慌てて抱きかかえにいったようだ。

 

一人のウマ娘が三冠という偉業に挑み、そして敗れ去っていった菊花賞の動画は、そこで終わった。

 

……そうか。

ギフテッドのお母さんも、すべて計算通りにレースに勝って、そして負けていたわけじゃない。

 

もちろんその知力はレースにおいて、大きな武器であったことだろう。

 

でもお母さんの本当の武器は、並んだら絶対に抜かせまいとする勝負根性と、菊花賞で最後まで見せたあきらめないハートの強さだったのだ。

 

お母さんのレースを初めて見て、私はようやくお父さんが『これから先、勝利はおろか、厳しいトップレベルの戦いで生き残っていくことすらできないよ』といっていた意味が理解できた。

 

私は知力と計算に頼りすぎていて、自分の持っている力をすべて振り絞りって最後まで戦い抜くという覚悟が、まったく足りていなかったのだ。

 

私は勝負根性とか、覚悟とか、その手の精神論が大嫌いだったし、正直その結論は今も受け入れがたい。

 

そんな精神論は時代遅れだ、自分の思想とは相容れないと思いつつも、私には勝負に対する執念が足りていないということは、自覚していた。

 

それを認めなくなかったのは、根性とか覚悟とか、そういう抽象的なものさえもすべてを使い切ってなお勝利に届かなかったら……という現実と向き合うことが怖かったからだ。

 

全部を出して負けてしまったら、私は一体、なんのためにレースを走っているというのか。

 

レースに負けたウマ娘に、一体何が残るというのだろう。

 

でも、今お母さんが教えてくれた。

全力を尽くして負けてしまうということは、恥ずかしいことでもなんともないのだということを。

 

そして敗戦は、何かを失うばかりではない。

時として敗戦はレースを見ている者たちに、何かを与えることすらあるのだということを。

 

……帰ろう。

 

家に帰って、あの変わり者でド根性の塊だったお母さんと、レースについて語り合おう。

 

確かにレースの戦術や、トレーニングの技術は年々日々進歩する。

だが、レースという戦いの中には、変わらないものもきっとあるはずだ。

 

私はその変わらないものを、お母さんから聞いてみたいと思った。

 

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