窓の外の雨は暫く待っても未だに止む気配は無く、徐々に夜の闇へと変化していっていた。時計を見れば既に短針が「9」を指し示している。
俺と十市さんは2人で寝る準備をしていた。とはいっても大層なことはしていない。教室の床に段ボールを幾つか強いて布団代わりにする。段ボールは購買にあった物を幾つか持ってきただけだ。
「出来ればシーツとか掛布団とか無いですかね?」
「保健室とかに行けばあるかもしれないが、そういうのの探索は明日にしよう」
「そうですね。もう暗いですし、一応。でも良かったですね……購買がすっごい充実してて。種類は微妙ですけどは歯ブラシも歯磨き粉もありましたよ。あとこの教室電気通っててスマホ充電できます」
そう言うと彼女は嬉しそうに戦利品を見せて来る。実際購買は凄い充実っぷりだ。俺のいた高校に比べれば至れり尽くせりといった感じだ。
それにこの教室……というよりは学校も無人駅と同様に電気は通っている様で、教室の明かりはつくし、充電器さえあればスマホにも充電ができる。
おかげでスマホのギリギリだった電池はすっかり回復していた……無論電波は圏外なのだが。
「あとはここで出口が見つかってくれれば世話無いんだがな……」
「あはは、そうだったらいいですね」
俺の言葉に十市さんも同意する。ここである程度生活は出来ても脱出できなければ意味は無い。そもそもこの食料も日用品もいつまでもつか分からないうえ、そもそもまともな物なのかも妙に怪しい。出来るならとっとと脱出をしたい。
「……そういえば、本当にここで寝て良いのか?」
そして暫く2人で教室の机を移動させたりして寝床を整えている時。ふと思ったことを口にした。それを聞いた十市さんは首を傾げる。
「寝て良いのかって、どうしてですか?」
「いや、なんというか一緒の教室で良いのか……みたいな」
その言葉を聞くと一瞬ポカンとして少し考えるとまた首を傾げた。
「?」
「いや、だから別の教室とかの方が良いんじゃないか……みたいな」
「別にここ狭くなんて感じませんよ? それにこんな所で1人で眠る方が怖いですよ。なんか夜の学校って幽霊とか出てきそうじゃありません?」
そう言った後「あ、三枝さんは1人で寝たいとかですか? じゃあ、隣の教室で寝るとか……」と考え込みだす。どうやら彼女は俺と一緒に寝る事に関して心配していないようだ……まあ、彼女が変に気にしてないなら良いのだが。
「いや、いびきとか酷くて目を覚まさせちゃったらどうしようとか思ってな」
「ああ、そういうことですか。大丈夫ですよ。昨日は三枝さん。とっても静かに寝ていましたから」
無邪気に笑う十市さん。そんな姿を見ると少し邪な質問をしたことを恥じたくなるが、それを顔に出さないようにしながら床に敷いた段ボールへ座り込む。
硬い床で寝ないようにする苦肉の策だったが、こうしてみると意外と座り心地が良い。電車の席に比べれば硬いものの反発が少ないのが逆に良い気がする。
「……ふぅ」
段ボールに足をほっぽり出す。今日は朝から散々歩き回ったせいで足がすっかり疲れ切ってしまった。普段の一週間分くらい歩いていたといっても過言じゃない。
十市さんの方を見たが彼女はスリッパを脱いで素足になると、足の裏や太ももを指で所々押している。
「んんん……なんというか解放感がありますねぇ」
体をグッと伸ばす。青いジャージがかすかに持ち上がり彼女の細い腰が微かに覗く。彼女の白い肌はなんとなしに果物みたいと思った。生暖かい温室で大切に育てられた瑞々しい果実。高級品とは違うけれどもどこか品の良さが感じられる。
そこらへんの河川岸に生えている野草のような俺とはなんというか住んでる世界が違う。
劣等感という訳では無いが……なんというか一緒にいるだけで罪悪感が湧いて来る。
「よっと」
俺は彼女に気付かれないように視線を反らすと腕を背中に回して手を繋いでストレッチをし始め、さっきの自分勝手な劣等感をおくびにも出さないようにする。
「今日は本当に疲れた……」
「本当ですね。私ももうくたくたです」
俺の言葉に同意をしながら彼女はダンボールに横になる。そしてバッグを枕にし始める。
「じゃあもう寝るか」
「はい、もう寝ましょう。三枝さん、電気消してもらえますか」
「ああ」
俺は重い腰を持ち上げて教室の扉の近くにあるスイッチへと近づく。スイッチをオフにした途端、教室は一気に暗闇に包まれる。
「おやすみなさーい」
「ああ、おやすみ」
十市さんの挨拶を聞きながら俺も段ボールに座り眠りにつく。真っ暗な闇の中、外の強い雨音だけが教室に響く。
「……」
「……」
教室で2人が黙る。十市さんもまだ起きているのだろうけど声もしないし、姿はぼんやりとした輪郭しか見えない。
俺はなんとなしに天井を見続ける。学校特有の穴の様な物が沢山ある白い天井を見つめる。
この世界は何なのだろうか。この世界で生きられるのか。
その疑問が少し行動を起こさないとどうしても考えてしまう。
そんな疑問の波が一度に降りかかりそれが思考を鈍化させていく。そして最後には思考を放棄してなにもかも手放したくなる。
ある意味今だってそうだ。もうここで思考を放棄してしまいたい。
けれども……。
「三枝さん? 起きてますか?」
「ん、ああまだ起きてるよ」
「ふふ……」
「な、なんだ?」
暗闇の中で十市さんが突然笑い始める。その姿は見えないが声は明るい。
「なんだか、楽しくて……まるで課外活動みたいだなって」
「そう……なのか?」
「はい、いつもと違う感じがするけど夜の学校で寝泊まりってなるとなんだかわくわくしませんか? 修学旅行とかの夜みたいで」
「ん、うーん?」
十市さんの言葉に俺は首を傾げたくなる。確かに夜の学校にいるっていうのは独特な気持ちにならないこともない。文化祭の準備で夜まで残ったときとか楽しかった憶えがある。
とはいえ……。
「中々の胆力というかなんというか……」
「ん、三枝さん馬鹿にしてますか?」
「してないしてない」
「んー?」
俺の言葉に不満げな声を上げる十市さん。その姿は見えないがなんだか唇を尖らせて拗ねる彼女の姿が思い浮かぶ。
「三枝さん、本当にわくわくしません?」
「んー、まあ確かに不思議な感覚だけどな。そもそも学校なんて久々に過ぎてワクワク感の前に落ち着かない」
「あー、なるほど」
実際何というか学校というのは居心地が悪い。子供の遊び場に大人が1人でうろついているような……そんな感覚。
それに学校を見ているとなんというか心が少し締め付けられる。ノスタルジックとでもいうのだろうか。
「……まあ、学校に来る用事なんて大人になったらあまり無いですよね」
「ないなぁ」
「三枝さん」
「ん?」
「三枝さんって、学校の友達とかに未だも会いますか?」
「友達?」
「はい」
十市さんからの言葉に俺は少し考える。
友達か……。
「高校の友達とは時々会うかな」
「時々、ですか」
「あっちも仕事が忙しいし、中々タイミングが合わなくてな」
「そうですか……そうですよね」
三枝さんの小さな声が響いた後暫く沈黙が満ちる。……こんな状況で何を聞いているのだろうか? なんて少し思ってしまう。でも彼女の声音は至ってふざけていない。
……彼女なりの現実逃避? それともホームシックのような感覚なのだろうか。学校に辿り着いて家を思い出してしまって友達を思い出している……俺も同じ立場ならそうなるかもしれない。
ふと高校の文芸部の部室を思い出す。普段は数人しか来ない、代々の部員が置いていった大したことのない小物が置かれているだけの簡素な部屋。そこで雑談を交わしながら本を読む俺によく部室に来ていた同級生の女の子。何事もない毎日だった……けれどもそれが凄く楽しかった。
「でも大人になっても会って馬鹿みたいに思い出話をするよ」
「思い出話?」
「そう、あの頃はアホみたいな理由で喧嘩したよなーとか、あの時皆で変なことに熱中してたよなーとか、ビールとか飲みながらな」
「そうなんですね。三枝さんもビールとか飲むんですか?」
「そりゃあな、いい歳した大人だし」
「学校のジャージ着てるのに?」
「それ、まだいうか」
俺の言葉に十市さんがまた声を上げて笑い始める。……本当に俺の姿がすごく面白いようだ。けれども変に落ち込んでいるよりはずっといい。
「だから、まあ大人になった時の事なんて気にしない方が良いぞ」
「そうですね、はい」
笑いながら俺の言葉に答える十市さん。
暫く暗闇の教室の中に彼女の声が雨音を掻き消すくらい響いていた。