「何考えてるの〜」
トランプやら散々遊んで風呂に入った後、俺が泊まっている部屋に香奈さんがやってきた。風呂上がりのため浴衣を着、長めの髪は少し水気を孕んで灯りを反射して輝いていた。彼女は半ば悪いことをした子供を見るように少し口角を上げニヤニヤと笑っている。
「何って……特には」
「そう言うけど、バッグの中に色々入れて出ていく準備してるよね……明日出てくの?」
香奈さんがスッと指を上げる。指の先には俺の唯一の持ち物であるビジネスバッグ、学校や旅館で見つけたビニール袋などが置かれ、中には食料などが詰まっている。数日分は持つであろう量だ。
「ああ、とりあえず昨日見た神社の先……橋があるんだって? その先に行ってみようと思う」
「ふーん」
香奈さんは興味なさそうで、でもどこか拗ねたように声を出す。
というか明らかに頬を膨らませていた。
「……何だ?」
「三枝さんって、何というか真面目?」
「旅館を出るのと真面目は関係なくないか?」
「じゃあ何で行くの? ここに来るまでも危険はあったんでしょ?」
「良いことなくない?」香奈さんははっきりと告げた。……まあ、ごもっとな言葉だった。
俺と十市さんが夏の無人駅で目覚めてから飛び石を渡り、豪雨に振られ学校で寝泊まりする。怪物に襲われるなんてことはなかったが、一般人の遭遇する命の危機としては充分なものだ。
それに比べればここの旅館は贅沢極まりない。居心地のよい涼しい気候で食事もあれば風呂、布団もある。
正直ここで目を覚ましていたら俺も十市さんもここから動かなかっただろう。
「でも、香奈さんも出たいと思っただろ?だから俺が少し遠くに調べに行くだけだ」
そう告げると香奈さんは「んー」となぜか不満げに声を漏らした。
「そりゃあ私達も出たいと思ったけどね、だから神社とか調べたし、道から離れて森の中を調べたりもした。でも命の危険と比べるものじゃないって。安全なんだしここにいなよ」
そう言う香奈さんの顔には呆れよりも心配が勝っていた。精々2日程度の仲なのにどうやら本当に俺を心配しているらしい。もうおじさんに片足突っ込みかけている身としては女の子に心配をかけるのはやや気後れしてしまう。
そんな彼女を慰めるように俺は不器用に笑う。
「別に大したことない。先に進めなくなったらすぐに戻ってくるよ」
「……その話、由奈にも言いなよ」
「もちろん」
「かえでさんにも」
「……」
その言葉に俺は思わず動きが止まる。
そんな動きを見て香奈さんはあからさまに肩を上げて呆れた仕草をした。
「言ったら一緒に来るとか言い出すから言わないで行こうとか考えてた?」
「……少しは」
「もー」
突然スキップするように彼女は距離を詰める。そして俺の目をジッと見つめてくる。
「大人だから? 1人で抱えすぎ、そんなんじゃどこかで倒れてかえでさんを心配させるだけだよ」
「とは言ってもな、十市さんとはこっちで会って数日の仲だ。俺の無茶に付き合わせるわけには」
「やっぱり無茶じゃん」
俺の言葉をピシャリと止められてしまう。
「数日の仲だって言うなら迅さんも十市さんに会って1週間でしょ。それなのに率先して危険な所に1人で行くの?」
しばらく俺も香奈さんも黙る。人気のない旅館の中は狭野姉妹2人の喧騒がなくなると静寂がすぐに覆い尽くしてしまう。
……そう、ここも最初に目を覚ました水の駅と変わらない。誰もおらず、静かで、穏やかながら孤独をどうしても感じる世界。
俺としてはこの世界が居心地がいいと思っている。仕事に急かされず、悩みからは解放されている……乱雑な人間関係も世情という遠いくせに生活に影響のある情報に一喜一憂する暇もない。ある意味目の前の悩み以外ない世界は随分と気楽ではあった。
……けど
「別に率先して危険な所に行こうとはしてない」
「そう?」
「ただ大人しく出来ないだけだ……多分大人の義務とか、かな」
「なにそれ」
香奈さんは呆れながら肩をすくめる。アホみたいな話だとは自分でも思う。けれどもそれが一番しっくり来た。
十市さんと一緒に異世界に迷い込んでしまった。狭野姉妹もいる。なら一番年上の俺が異世界から出る道を見つけなくてはいけない……そんな、無為な義務感が俺をずっと動かしている。
「……迅さん、それで大丈夫?」
「頑張れるだけ頑張ってから諦めようってだけだ。往生際が悪いだけ」
「ふーん」
そう言うとくるっと綺麗に回り香奈さんは部屋から出ていく。
「まぁ、しょうがないか。私も出たいって思ってるのを止められないもん。一緒に居てほしいとはちょっと思ってるけど」
「……」
その一言の後、ぱたんと扉は閉められる。
暫くぼうっと扉を見る。
「一緒に居てほしい……か」
いつも飄々としていてのんびりとしているイメージの香奈さんからそんな言葉が出るとは思わなかった。……俺がこの世界で十市さん以外の人を見て安心感を覚えたように彼女も俺たちに出会えて嬉しかったのかもしれない。
妹の由奈さんがいるとはいえ、ここは自分たち居ない孤独の世界。そう思っていたところに同じように迷い込んだとはいえ仲間がいた。その嬉しさは彼女にとっても等価だったのだろう。
それを裏切るように出ようとしている自分。少し罪悪感が湧いてしまうもいったん気持ちを切り替える。
「ま、ひとまず十市さんにも聞くか」
部屋を出て十市さんの泊っている隣室に向かう。コンコンとノックをすると中から「はい」と明るい声が返ってきた。
扉が開くと浴衣姿にまだ髪をまとめずに下ろした十市さんが出てきた。彼女は俺を見ると「あ」と軽く声を漏らした。
「三枝さん、どうしたんですか」
「今、時間あるか?」
「あ、はい、どうしたんですか?」
「その……」
俺が口どもると十市さんは不思議そうに首を傾げつつもめをしっかりと俺に合わせてくる。髪はやや湿っていて、これから乾かそうとしていたであろう時だが、俺の言葉を生真面目に待つ。
……俺を教師か何かのように声を待つ姿を見せられ、思わず気後れしそうになるのを我慢しつつ声を出す。
「俺は明日この旅館を発とうと思う。山の上にあるっていう橋に行って、その先に出口がないか見たい」
「あぁ、はい、じゃあ今から準備しますね」
十市さんは俺の言葉を聞くとすぐにそう返してきた。
「え」
「食料とかちょっと譲ってもらえないですかね。香奈ちゃん達に聞かないと……」
「あ、いや……」
「なんですか?」
俺の言葉を聞いた途端色々考え始めた十市さんに思わず俺が戸惑う。彼女に躊躇いが無かった。
「いや、俺は行こうと思うんだが、十市さんも来ること決定なのか?」
「え、1人で行こうと思っていたんですか?」
予想外というような声が漏れ、彼女の湿った髪が揺れる。まだ熱が残っていて湯気がゆらゆらと上った。
「まあ、ここに残るかもしれないし」
「そうですね。ここ安全だし、食事もおいしいし残りたいです。でも、ここに残ってても何も進展はない気がしますしね。三枝さんに賛成です」
「ここから先も危ないかもしれないぞ」
「それは重々承知ですし、それなら三枝さんも危ないじゃないですか」
……ごもっともである。
「確かに、それに返せるお言葉は無いな」
「それに進めなくなったらここに戻れると思えば気が楽じゃないですか、だから一緒に行きましょう」
微笑む十市さん。今人気のない異界にいるとは思わせないような可愛らしい笑顔。無理はしていないだろうが、彼女の強さを感じさせる表情。それを見て思わず俺も笑ってしまった。
……本当に、俺はずっと助けられている。
「ああ、明日、一緒に来てくれるか?」
「はい! あ、それは香奈ちゃん達に言いました?」
「香奈さんには言った。由奈さんにはまだだな」
「じゃあ、行きましょうか。あと色々食料とか譲ってもらいましょう!」
そう言うと十市さんは部屋から出る。若々しさと溢れる彼女の背中を見ながら付いていく。
その背中はなんだか頼もしかった。