シドがトイレに発ってから少しばかり経過した頃、アイリスの隣に30歳前後の男が座った。
その男はアイリスが良く知る人物であった。数日前、婚約者に刺され重傷を負ったとされる男として今王都では名が知れている人物だ。
「……ドエム・ケツハット殿」
「ごきげんようアイリス様。少しご一緒しても良いですかな?」
「…………そちらの席は指定席ですよ?」
「それはそれは、……では席の主が現れた暁には良い値でこの席を買い取るとしましょう」
シドが知れば爆速で帰ってくるところだった。
「刺されたと、……そう耳にしていましたが、意外とお元気そうですね」
「ええ、新聞は刃傷沙汰として大袈裟に取り上げていますが、私はこうして元気ですよ」
大怪我などしていませんともと、両手を広げてアピールするドエムに、アイリスは怪訝な表情を浮かべた。
「今日も御一人で?」
「ええ、国王は体調が優れないとのことです。……国王と言えば、アイリス様の御父君──クラウス陛下は今日は御出でにならないので?」
「クラウス陛下は明日から出席予定です」
「奇遇ですな。我が国王陛下も明日は必ず出席すると仰っておりましたよ」
「…………それは良かったです」
会場から歓声が上がる。
どうやら選手が入場してきたみたいだ。
「ほほう。彼女が噂のアンネローゼ・フシアナスですか」
「ええ」
「今最も勢いに乗っている剣士ですな。是非近衛騎士として我が国にお招きしたいところだ」
「そうですね。ミドガル王国としても、彼女程の剣士であれば、相応の地位を用意して迎え入れたいところです」
ドエムとアイリスの視線が交差する。
「はは、お戯れを、ミドガル王国には優れた魔剣士が沢山いるではありませんか」
「使える人材は多い事に越した事はありませんからね」
「私も同じ思いです」
水面下でアンネローゼ争奪戦が勃発しようする雰囲気に、取り巻き達は緊張した表情で2人の会話に耳を傾ける。
しかし、それはアンネローゼの対戦相手、オイボレーノ・クソジージが入場した事で終わった。
『『『『『うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!』』』』』
そして鳴り響く男性客の歓声。
『『『『『オイボレーノ!!オイボレーノ!!!オイボレーノ!!!』』』』』
そして試合が始まってないにも関わらず、轟くオイボレーノコール。
思わぬ熱狂にドエム・ケツハットとアイリスは目が点になった。
「…………えっと、アイリス様。不勉強で申し訳ありません。彼の御仁は有名な魔剣士なのですか?」
「い、いえ、私も最近までは知りませんでした。ランサーを倒したという事なので、腕は確かなのでしょうけど……」
「ほう、女神の試練で古代の戦士を呼び出したという、あのランサー殿をですか……それは強い」
しかしここまでの歓声が上がる程の魔剣士かと聞かれれば首を傾げる。
辺りを見渡せば、一部の観客はアイリス達同様困惑している様子だったが、そうでない客、取り分け男性客は鼻の下を伸ばして盛り上がり、女性客は冷たい視線を男性客に向けていた。
その様子にアイリスは更に困惑し、隣で冷たい目をしていた魔剣士学園の女子生徒に声を掛けた。
「これってどういう状況なのですか?」
「あ、えっと……その……」
女子生徒は少し躊躇った様子を見せたが、暫くすると少し言い淀みつつ、状況を説明する。
ドエム・ケツハットも気になり、聞き耳を立てる。
「オイボレーノ・クソジージが前回の試合で対戦相手の服をズタズタに斬り裂いて……裸にしたので、そのぉ……」
「「……………………」」
そこまで聞けば、2人も察した。
つまり、前回同様、オイボレーノ・クソジージがアンネローゼ・フシアナスの衣服を斬り裂く事を期待して男性客は興奮し、そんな男性客の歓声に女性客が冷たい視線を向ける。そういう事だった。
その事に気付いたドエム・ケツハットは気まずそうにしつつもちょっとした期待の眼差しを闘技場に向けた。
アイリスはこめかみを押さえた。
「アイリス様はこの試合どう見ますか?」
「……………………」
「じゅ、純粋な勝敗の予想についての質問ですぞ!決して他意はありませんぞ。ええ、これっぽっちも!!」
「…………そうですね」
アイリスはオイボレーノ・クソジージの立ち振る舞いを観察する。
前情報通り、見た目は90歳を超えている御仁、足腰は曲がり、杖を突き、今にも寿命を迎えそうなほどに弱々しい。
とてもブシン祭に出場できるとは思えないし、道に迷ってブシン祭の会場に上がってしまったと言われた程が納得が行く。
「彼は少し不気味ですね」
「ほう、不気味……ですか」
「はい。強そうには見えない。しかしその足取りに迷いはなく、彼の御仁の目には勝ちを確信している様な。そんな風に見えます」
「……ふむ。なるほど」
勝ちを確信している目については分からないが、不気味と評したアイリスの意見に対しては、ドエムも同意見だった。
『アンネローゼ・フシアナス対オイボレーノ・クソジージ──』
両者の名が呼ばれ。
『試合開始!!』
戦いが始まった。
試合が始まって直ぐ、アンネローゼはオイボレーノに向かい突進した。
大半の者にはその動きは目に追えず、目に追えるアイリスとドエムは容赦無い本気の一撃に僅かに戦慄した。
アンネローゼの本気の一撃はオイボレーノを捉えた様に見えた──しかし、その剣は空を切り、オイボレーノの姿が消えた。
「「なっ!?」」
だが、直ぐにオイボレーノの姿は見つかる。
驚く事に、オイボレーノはアンネローゼの剣の上に立ち、呑気に欠伸をしていた。
「アイリス様、見えましたか?」
「い、いえ」
偶然振り切った剣の上に立つ──なんて事は有り得ない。
つまり、それを可能とするだけの実力がオイボレーノにはあるという証明に他ならない。
アンネローゼが再び剣を振るうと、オイボレーノは老体とは思えない軽やかな動きで地面に降り立ち、アンネローゼの剣戟を軽く躱している。
その様は大人と子供、いや、孫と戯れるお祖父ちゃんという構図にしか見えなかった。
ーーーーーーーーーー
(分かっていた……分かっていた事だ)
アンネローゼ・フシアナスはこれまで培った経験と知識、その全てを乗せて剣を振るう。
一太刀一太刀が並の魔剣士であれば、必中必殺と成り得る程の速さと威力を兼ね備えた一撃である。
(だがここまで……!!)
しかし、目の前の老人には当たらない。
「ほら、頑張れ頑張れ。そんな調子じゃ、儂の寿命が尽きてしまうぞ?」
「──このッ!!」
今にも死にそうな程に老いた老人はしかし、まるでサーカスで舞うピエロの様に緩やかに、それでいて見惚れる程無駄の無い芸術的な動きでアンネローゼの剣を躱す。
(格が違う──いえ、格どころの話じゃない。次元が違う……!!)
アンネローゼは一度剣を止め、込められるだけの魔力を剣に込める。
「……ほう?」
それは明らかな隙。
本来であれば、この隙を突いて攻撃する所だろうが、オイボレーノは攻撃に出る様子はない。
それが傲慢や慢心ではなく、圧倒的な実力差によって生じる余裕である事はアンネローゼ自身が嫌という程分かっていた。
「奥義──蒼穹天翔!!」
可視化できる程に膨大な魔力を込めて、すれ違い様に一撃、そして振り返って空かさず追撃の二連撃。
それは並の相手どころか、強者であろうと致命傷になる連撃。魔力が爆ぜて闘技場は赤い魔力で包まれた。
「いくら貴方であろうと、無傷では済むまい」
「──当たればのぉ」
「──ッ!」
咄嗟に背後を振り向き剣を構えるアンネローゼ。
そこには平然とした態度で佇むオイボレーノの姿があった。
「……何故、私を斬らない?」
「斬られたいのかのぉ?」
「私は魔剣士だ。様々な武闘大会で優勝した経験もある。ブシン祭……それも本戦となれば試合の最中命を落とす事も、再起不能な怪我を負う覚悟もできている!!私に剣を抜かず、血も流さぬまま敗れろというのであれば、それは私に対する侮辱だ!!」
アンネローゼの叫びに、オイボレーノは片目を開き、睨む。
「──ッ!」
老人とは思えない鋭い眼光にアンネローゼは問われる。
「……死ぬかも知れんぞ?」
返答の言葉はない──既に覚悟は決まっている。
アンネローゼは剣を構え直す事で答えた。
「……良かろう」
オイボレーノは左手で杖の真ん中を握り、右手で杖の端を握り、抜刀の構えを取る。
杖が少し動き、隠されていた刀身を目にした瞬間、アンネローゼは首を跳ねられ死んだ──
「カヒュ……」
そう錯覚し、アンネローゼはその場に崩れ落ちた。
ある。繋がってる。生きてる。
首元を触り、何度も自分の首が繋がっている事を確認すると顔を上げた。
先程まで自分の首があった高さに、オイボレーノが抜いた刀身があった。
(見えなかった……剣を抜いたのも、ここまで接近するまでの姿も、剣を振った太刀筋さえ……なにも、見えなかった……!!)
「……何事も命あっての物種じゃ、まだ続けるかのぉ……?」
続けるなら殺すと、そう語り掛ける視線にアンネローゼは剣を手放した。
「い、いえ……降参します」
『しょ、勝者オイボレーノ・クソジージ!!』
拡声機能のあるアーティファクトによって勝利宣言が会場に響き渡る。
しかし、本来湧き上がる歓声はなく、何が起こったのか理解できず困惑する者、アンネローゼの勝利を確信して全財産をベットした下級貴族の絶望の叫び、何が起こったのか理解した極一部の強者達のどよめきで埋め尽くされた。
ーーーーーーーーーー
「……オイボレーノ・クソジージ。まさかこれ程までとは」
「アイリス様は見えましたか?」
「ええ、辛うじて……」
「流石ですね。素人の私には何とも……」
そう惚けてみるも、アイリスの怪訝な視線が鍛え抜かれた手足に向けられる。
スーツで分かりにくいが、アイリスの目にはドエムが素人とはとても思えなかった。
「戯れが過ぎましたね。本当はそれなりに使えます」
「あの戦いを追えた程の人物が、それなり……ですか」
VIPルームで観戦した者達の大半は、何が起こったのか理解出来ずに困惑してばかりだった。
しかし、あの戦いを目で追え、理解出来た一部の強者は驚愕、戦慄といった表情を浮かべている。
ドエムもその1人である。
「ええ、それなりです。オリアナ王国では剣は芸術とは懸け離れた野蛮な代物と蔑まれる物ですので、ご容赦下さい」
いやはやと、ドエムは残念そうに肩を竦めた。
「彼の御仁がこれまで無名だったとは信じられませんな」
「ええ、是非とも剣術指南役として招き入れたい所です」
「こればかりは、ミドガル王国に叶いそうもありませんな」
これまで無名であった事を考えるに、オイボレーノ・クソジージは表舞台の地位や権力に興味はない。
にも関わらず、今回表舞台に出て来た理由を考えるならば、恐らく目的は死期を悟り最期に一花咲かせようと大会に参加したか、──あるいは自分の剣術を継ぐに相応しい弟子を探しに訪れたか、そのどちらかであろう。
世界1といっても過言ではない魔剣士学園が存在し、世界各地から剣を学ぶ意欲高い若者が集うミドガル王国。
芸術の国とされるものの、剣が蔑まれるオリアナ王国。
どちらがオイボレーノ・クソジージが求める待遇を用意できるか、比べるまでもない。
(まさか、これ程の強者が現れるとは、オイボレーノ・クソジージ……裏の世界でも聞かぬ名だ。恐らく人の世から遠く離れた場所で生涯を剣に捧げ、鍛錬を重ねた武者と言った所か……これなら教団の障害と成り得る可能性は低いか……?)
突然予想していない場所から現れた強者の存在に、ドエム・ケツハットは警戒心を高めた。
「……このまま順当に行けばアイリス様は2回戦で彼の御仁と当たる事になりますが……勝てますかな?」
まあ、無理だろうと、ドエムの中には結論が出ていた問いだったが──
「勝ちます」
アイリスは即答した。
「ほう、あの戦いを見て尚、勝つ自信がおありで?」
「速さ、技術、そして美しさ……これらの点では私は遠く及ばないでしょう」
ですがと、アイリスは自信を持った表情で続ける。
「魔力、その点では私が勝っています」
「なるほど」
確かに、魔力という一点なら現状アイリスが優れている。ドエムも同意見だ。
結局のところ、剣の技術を磨くよりも、魔力を込めて身体能力を高めた方が強くなれる。
どれだけ優れた剣の技量を持っていたとしても、魔力の強化が施されていない生身では猛獣に勝てない様に、人間には限界がある。
技量で上回れるのであれば、それを物ともしない魔力によって強化された身体能力でゴリ押しすれば良い。
しかし、この試合までオイボレーノはまともに剣を抜かず、その実力をこれまでひた隠しにしてきた。
それと同じ様に、内に秘める魔力量を隠しているとしたら?
「恐らく、彼の御仁はまだ本気を見せていません」
「それが分かっていて、尚、勝つと?」
「ええ、私、負けず嫌いなんです」
アイリスは屈託のない笑顔でそう答えると席を立つ。
「では、試合がありますので失礼します」
「ええ、アイリス様の雄姿、しっかりとこの目に焼き付けさせて頂きます」
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