俺の名前は山田一郎。
年齢は31歳のどこにでもいる平凡なサラリーマン。
身長体重はその年齢の平均的なのだが……最近付き合わされている会社の飲み会のせいでちょっと体重が増えているからか腹回りがやばい。
大学時代から付き合っている恋人が居り、少し前に彼女の妊娠が分かったために結婚を決意して互いの両親のもとに挨拶に行った。
彼女の両親に挨拶に行った帰り道に『絶対に産まれてくる子と君を幸せにするから』と恥ずかしかったけどちゃんと彼女に言ったら、頬を染めながら『……うん』と嬉しそうに微笑んだのがすごく可愛らしかった。
趣味は大学の登山サークルでハマった色んな山の登山と登山を行った山での風景写真。
とはいっても基本的に登山は決まったルートを上っているため危険なことなどないし、泊まる場所だって事前に山荘を予約してひと晩泊まるタイプの登山だ。
大学の登山サークルでは数人がかりでテントを張って、焚火を囲んでの登山キャンプとかしていたけど……あれは大人数で行うものだと登山サークルでこれでもかというほど思い知った。
けど、その経験があったからこそ山荘で泊るようになったし、そのお陰で温かくて美味しい食事にもありつけるし、寒くないし痛くもない安全な寝床だってある。
そして夜には雲がかかっていない山の上から見上げた満天の空に輝く星々を撮影したり、朝には朝露を受けて瑞々しく潤った高山植物や山頂辺りで生息している野生の動物を遠くから撮影したりするのが楽しい。
そして今回もある山に登山をし、山頂近くの山荘でひと晩過ごしてから翌日に下山して家へと帰るという計画を立てていた……はずだった。
なのに、どういうわけか俺は山荘に辿り着けないまま、山の中を彷徨っていた。
●
「おかしい……やっぱり、ガスが出た時点で立ち止まるべきだったか?」
広げた登山地図を見ながら、俺は周囲を見渡すがガスに覆われていてどこを歩いているのかわからない。
足元は小石だらけであり、歩くたびにザリザリと踏みしめる音が響く。
俺が今日登山をしていた山は麓はなだらかな登山道で、様々な高山植物が登山道の両側に見られるトレッキングを行うのにも人気なスポットだと評判な場所だった。
だがそこから中腹に上っていけば高山植物が少なくなり、小石が多いザレ場と呼ばれているタイプの山へと姿を変え、さらに山頂へと上っていくにつれて勾配が激しくなっていく少し難所が多い山だった。
けれどそんな難所を超えた後の達成感がとても大きいのか、ネット上のレビューは多い。
例えば、
『頂上から見える星がキレイだった』
『日の出がきれいで美しかった』
という声が多く見られ、そんな登山者たちのレビューを見ていると……自分もこの山を登山してみたいと思っていた。
そして気が付くと導かれるようにして山頂の近くにある登山客に人気の山荘へと電話しており、運良く空室があったために予約してしまい……流れるようにスケジュールを立てていて、準備を整えて車で出発していた。
普通はお腹に赤ちゃんが居る彼女を放って登山に行くなんてダメだと思うべきだったのだが……まるで何かに導かれるようにして俺は登山に行ってしまった。
到着した山の駐車場に車を停めて登山届を出し登山を開始すると、麓は話の通りなだらかな登山道でトレッキングコースにも最適だったし登山道から外れた場所には高山植物が多く見られ、同じように登山を楽しんでいる登山者たちが歩いていた。
若いカップル、老夫婦、俺みたいな個人、家族連れ、様々な登山者が居るのが見えた。
子供が生まれて成長したら、彼女と3人で行きたいな。
それらを眺めながらそんな風に思いつつ山を登っていき、中腹の小石が多いザレ場を歩いて行くと個人の登山客しか見かけなくなり……勾配が激しくなる辺りに到着する頃にガスが発生し始めていた。
ガスが発生したからか、登山客のほとんどは立ち往生をしてその場で様子見をしていたが……腕時計を見ると予定していた時間を過ぎてしまっており、今から移動しないと山荘に到着する時間が遅れてしまうと考え、俺は進むことにした。
「きっと、もう少ししたら晴れるよな。そうすれば星空が見えるに違いない」
楽観的な憶測。
それは登山者として絶対にしてはいけないことだったが、俺はしてしまった。
しかも運が悪いことに、俺が進むのに気づいていないのか周りは止める様子がない。
結果、俺は進む場所を間違えてしまったらしく……何処を歩いているか分からない状態に陥っていた。
何時間も歩き続けていたからか、足がパンパンになってそろそろ動けない。
少しだけ立ち止まって空を見上げれば、ガス越しにだが見えていた夕焼け空が徐々に暗くなりはじめているのが見えた。
……もう日が暮れるというのに、まったくガスが晴れる気配がない。
しかも、登山地図を見て歩いているというのに、どういうわけか同じ場所をグルグルと回っている。そんな気さえもする……。
「少し休むべきか……。歩き疲れて足も痛いし、栄養補給もしたほうが良いよな……」
うす暗くなっていく周囲に灯りがない恐怖と肌寒さ、それと軽い空腹を覚えたため、近くにあった座れそうな大きさの岩に腰かけるとザックに付けたアクセサリーバッグの中に入れていたチョコバーを取りだして食べる。
カロリーが多めの粘っこいチョコレートにキャラメルとピーナッツが練り込まれたチョコバー。
それを口に入れ噛みしめるとクソ甘いチョコレートの味とともに、もちゃりとしたキャラメルの食感、時折さくさくとしたピーナッツの食感が口の中に広がっていき疲れた体へと染み渡っていく。
服の内側に汗が溜まり、それが冷えてしまったために体が寒くなってきたし出来ることなら焚火をしたいけれど……近くには小石ばかりで枯れ木もない。それにここは登山道のはずだからそれはしないほうが良いだろうな。
そう考えながら、体を丸めるように縮ませながら両手で服越しに体を擦って温める。
「やっぱり山荘からの連絡が行く前に自分から警察に遭難したって電話するべき……だよな」
体を擦ることで少しだけ体が温かくなるのを感じながら、悩んでいたことを決断するべきかと考え始める。
電話した結果、妊娠している彼女を放って来た俺に対し両親は怒鳴るだろうけど、しかたないよな。それに彼女も心配するだろうし……。
そう決めてスマホが入ったポケットに手を突っ込んでスマホを取りだそうとする……のだが、何故かスマホは見当たらない。
「あ、あれ? スマホ……持ってたよな? どこに行ったんだ? 入れた場所間違えたか?」
山の上だから圏外になる可能性もあるけれど、高山植物の写真を彼女に送ったし返事としてスタンプをもらったからスマホは持っているはず。それなのにポケット以外を調べてもまったく見当たらない。
どういうわけだ? 何処かに落とした? いったいいつ?
「けど何処に落としたのか探そうにも周りは全然見えないし……、どうすれば良いんだよ……」
「あのぉ~、大丈夫ですかぁ~?」
「っ!? え、あ、だ、誰だ!?」
途方に暮れる俺だったが突然上からかけられた声にビクッとしながら、顔を上げる。
するといつの間にか目の前に女性が立っていた。
……たぶん、女性だと思う。
しかも、登山に向いていないような恰好をした女性がだ……。
全身をすっぽりと覆うような黒い色の外套……レインコートとかマントというよりも、ファンタジー映画の魔法使いが羽織っているローブと思うような衣装を着ているため、かけられた声で女性と判断した。
そして顔は、すっぽりと被っているローブのためによく見えない。だけど、ローブの隙間からチラリと覗く髪の色は……白? 銀? 顔はわからないけど、たぶん外国人だと思う。それに口元だけでも美人だと思った。
しかも、その女性が持っているのは……どういうわけかアンティークなカンテラが引っ掛けられた古めかしい杖。
……ようするに、奇妙な女性だった。
正直関わり合いになりたいと思えないくらいの女性だ。
「あぁ~、申し遅れましたぁ~。わたくしぃ、『導き手』アカリと申しますぅ~」
「みちびきて、あかり……さん?」
「はぃ~。あなたはぁ、山田一郎さんで間違いありませんかぁ~?」
「あ、ああ、そう……だけど、なんで、俺の名前を……?」
いや、本当にこの女、何者だ?
俺の知り合いじゃないのは当たり前だし、警察の関係者でもなさそうだ。
ついでにいうと予約した山荘の従業員が視界不良の中で探しに来てくれたとか言うわけでもなさそうだし……。
名前を知っていたことに一気に不信感が湧いてしまう。けれど、みちびきてあかりと名乗った女性は俺だと確認できたからか嬉しそうにしていた。
「はぁ~、や~っと見つけることが出来ましたぁ~。同じところをグルグル回ってる人ってぇ、個別に隔離されてるから探すのは難しいんですよねぇ~。本当、
「あ、あんた……山岳警備隊の隊員とか、なのか……?」
どう考えても違う。そう思いつつも、俺を探していたというみちびきてさんに問いかける。
すると彼女はそれを否定した。
「違いますよぉ~。でもぉ、わたくしは彷徨っていた山田さんを迎えにきましたぁ~」
「む、迎えに来た……。だけど、山岳警備隊じゃない?」
「はぃ~、山田さんはここに居たらいけないんですぅ~。このままだとずぅ~っと彷徨い続けることになりますぅ~。だから、わたくしが迎えに来ましたぁ~」
間延びした口調でみちびきてさんは言って、こっちに手を伸ばしてきた。
どうやら手を繋いで移動するといってるらしい。
だが……伸ばされた手がとても怖く感じられ、その場から逃げるべきだという考えが頭の中に浮かぶ。
けれど、岩に腰かけている上に丸まった体勢を取っていたために、すぐに逃げることなんて出来ない。
こんな変なのに絡まれるとか、休むんじゃなかった……。
「あぁ~、逃げようって思ってますねぇ~? でもぉ、山田さんはわたくしが連れて行かないとずぅ~っと彷徨い続けますよぉ~?」
「なっ!? ど、どういうことだよ! この場所で待ってたら下山しないから遭難したと判断されて、山岳警備隊が救助に来てくれるんだろ?! それが無理だったらガスが晴れるまで我慢して、最悪朝まで待つって手もあるし……!」
「……生憎ですがぁ~、
……電波。そう心から思ったのだが、みちびきてさんが言ってることは適当だと思うはずなのに……心のどこかで本当だったならと思ってしまうところもあった。
いや、どういうわけか彼女が言ってることは本当だと思ってしまっている自分が居た。
「それにぃ~、帰れなかったらご両親が心配しますしぃ~。奥さんだって、心配しますよぉ~?」
「っ!」
頭の中を過るのは両親の顔と妻となった彼女の顔。
きっとあと少ししたら到着予定時間にも来ない俺の元に連絡が行って、それが出なかったら別の連絡先として登録している家のほうに連絡が行くはず。
それを聞いた両親たちは心配するはずだし、彼女だって心配する……。
でも、目の前のみちびきてと名乗った女性を信じても良いのか? 彼女について行って大丈夫なのか?
「わたくしとしてはぁ、付いてきてくれることを望みますわぁ~。……そうでないと、
「え?」
「さぁさぁ~、とにかくここから出ることだけを考えましょうよぉ~」
やっぱり彼女、みちびきてさんは何かを隠している。
それは分かったけれど……いったい何を隠しているのかはわからなかった。
だけど、どうにかして山を下りないといけない。
しばらく悩んだ結果、俺はみちびきてさんとともに山を下りることを選んだ。
「それが賢明ですよぉ~。さ、逝きましょうかぁ~」
みちびきてさんに介添えされるような形で俺は移動を開始する。
すると、如何いうわけか先ほどまでグルグルと同じ場所を彷徨っていた道を今度は簡単に抜けられ、山を下りることが出来た。
しかし時間が時間だからか、登山届を出す受付にはとっくに人は居ないみたいで閉まっていた。
「ようやく山から下山できた……。そうだ! はやく無事だったって両親や彼女に伝えないと!」
登山口に到着してようやく山を下りれたと実感でき、両親たちに連絡をしないとと考えるも……近くに公衆電話は置かれていない。
スマホ普及の影響を少しばかり呪った。
だけど駐車場に戻ればここに来るときに乗っていた自家用車がある。そう思いながら駐車場に戻ったけれど……どういうわけか車の数が少ない。
元々大きな駐車場じゃないけれど、登山シーズン中なら泊まりの登山客の車などがあって数はそれなりにあるはずなのに……駐車場には1台か2台ぐらいしか車は置かれていない。
それに……どういうわけか俺の車がなかった。
「え? 俺の車が……ない? なんでだ?!」
「どうしてですかねぇ~? 困りましたねぇ~」
「あ、あんた、何か知ってるのか!?」
「あらぁ~? どうしてそう思うのですかぁ~?」
今朝、俺はちゃんとこの場所に車を停めたはずなのに、停めたはずの場所に車は無かった。
それに戸惑う俺に対してみちびきてさんはのんびりと言う。その言葉にカッとなって怒鳴るように尋ねると……どこか含んだ笑いを浮かべるように彼女は尋ね返す。
彼女のお陰で俺は山を下りることが出来た。けど……、どう考えても不自然だ。
何でそんなコスプレみたいな恰好で山にいた?
何で俺を迎えに来た?
それは俺に関しての何かを知ってるからだ。
自意識過剰かも知れないけど、そう思ってしまう。
だけど何を? 分からないから、質問するしかない。
それを言うとみちびきてさんは納得したように頷いた。
「ふむふむ、山田さんも馬鹿じゃありませんかぁ~。それじゃあぁ~、知りたかったことを知りに行きましょうかぁ~」
「だ、誰が馬鹿だ! って、何を――――え」
みちびきてさんが不意に俺の肩に手を置いた瞬間、今までの風景が変わり……登山口の駐車場に居たはずの俺は住宅街のど真ん中に立っていた。
いったい、何が起きた?
そんな混乱する思考の中、周囲を見渡すと……ここは見慣れた実家近所の道だった。
「いったい何が……。いや、どうやって……」
「気にしないでくださぁ~い。それよりぃ、お父様とお母様に行かなくても良いのですかぁ~?」
「そ、そうだ! 父さん、母さん!」
みちびきてさんの言葉にハッとして、急いで家へと向かう。
きっと今頃、連絡が来ててだいぶ焦っていると思う。だけど、顔を見せて安心させないと。
両親には怒られるだろうが安心してくれるに違いない。そしたら今度は彼女にも電話しないと。妊娠中だっていうのにすごく心配させてしまったから、心を込めて謝らないと……。
これから行うことを考えながら、実家の前に到着した……けど家に灯りは点いていない。
寝ているのかと思いつつ、家の扉を開けようとするけれど鍵がかかっている。
鍵を取ろうとしたが……スマホもなかったが、鍵もなかった。しかも財布だってない。
何でだ? 登山だとしても、持ってる物が足りないっておかしくないか?
自身の違和感を感じながらも平静を装いながら、両親が居ないことを呟く。
「……父さんたち、居ないのか?」
「そりゃあ居ませんよぉ~。忙しいのですからぁ~」
「じゃ、じゃあ、何処に居るんだよ……」
「山田さんはその紙、見えますかぁ~?」
「……見えない」
みちびきてさんの言葉に、玄関に何か紙が貼られていることにようやく気づいた。
しかし、貼られた紙は塗り潰されたように何が書かれているのか見えない。
何か大事なことが書かれている。そんな気がするけれど、見えない。
俺に、何があった? ガスの中を登山してただけのはず……だよな?
「では次に向かいましょうかぁ~」
「次? 次って、何処にうわっ!? ――ここって、病院?」
「ついて来てくださぃ~」
みちびきてさんがさっきと同じように肩に手を置いた瞬間、自宅前だった場所が一瞬で変わり……今度は病院の中だとわかる場所についた。
独特のにおいを感じる病院の入り口、けれど時間外だからか誰も居らず、薄ぼんやりとした非常灯だけが点いているために何処か恐く感じてしまう。
けど何で病院なんだ? そんな疑問を抱きながら、みちびきてさんが歩き出したほうへとついて歩いていく。……どういうわけか、このまま彼女から逃げることはしてはいけないような気がしていた。
カツカツカツとみちびきてさんの履いているブーツと俺の登山靴が床に響く音が周囲に響き、耳に届く。
「……いったいどこに行くんだ?」
「ついてから説明しますぅ~。だからついてきてくださぁ~い」
そうみちびきてさんは言うけれど、進んでいく先は病室がある上の階じゃなくて……1階の奥。
こういう場所には普通は外来客が来ることはない。だというのに、彼女は迷うことなくそこに向かって歩いていく。……何か、嫌な予感がした。
そしてその予感は当たった。
「到着しましたぁ~」
「ここって……れ、霊安室……。な、なんで……」
「さて、中に入りましょうかぁ~」
「あ、おい!」
俺が連れてこられた場所は、この病院の霊安室だった。
いったい何故と思いつつも、問いかける間もなくみちびきてさんは霊安室の中へと入っていく。それを追いかけるように俺も中に入ったが、室内は死体を安置させるためか冷たく設定されていて……それに、だれも居ない。
けど少し前に使用されていたのか、それともこびりついているからか、室内には線香の香りがうっすらと感じられた……。
いったい誰が居たんだ? 入院患者? それとも救急で運ばれてきた人だろうか?
「どうしましたかぁ~? なんだか顔色が悪そうですけどぉ~?」
「あ、いや、何だか少し前まで死体があった気がして、気が休まらなくて……」
「なるほどぉ~、確かに死体はありましたよぉ~。少し前に山の事故で意識不明だったみたいですが、治療の甲斐なく亡くなられてしまったかただそうですよぉ~」
「山の、事故……」
「はぃ~、その方のご両親と奥様も目を覚ましてほしいと祈ってたそうですぅ~」
一瞬、頭の中に映像がパラパラと再生される。
ガスがかかった道、登山地図を持つ手、不意にガクッとした視界。ガスの隙間から見える青から茜に代わっていく空と、パラパラと散らばる小石。
「なんだ、いまの……」
「何か見えましたかぁ~? 例えば……どこかから
「っ! き、気のせいだ! いや、みちびきてさん……、あんたやっぱり何か……知ってるのか?」
「えぇ、知ってますよぉ~。でも、ある程度は山田さん自身に
「思い、だす……? な、にを……」
俺は何かを忘れているのか? ……思い出せない。
だけど思い出さないといけないと思う。……なのに、思い出したくない。
頭の中が思い出すのを拒絶している。
「……じゃあ~、今度はぁ、知りたがっていた山田さんの答えを教えますねぇ~」
「え――」
またフッと場所が変わる。今度移動した場所、そこは……どこかの斎場だった。
しかも、夜だったはずなのに空を見ると昼になっているのか、夜空でなく青空になっている。
「どういう……ことなんだ?」
「山田さんが知りたがっていたこと、調べて見つけてくださいねぇ~」
「っ! わ、わかった……」
みちびきてさんの言葉にハッとして周囲を見る。
今日は誰かの葬式が開かれているようで、弔問客が入っていくのが見えた。
いったい誰の葬式なんだ? 入り口に向かうと何処の家の葬式が行われているのか知るために向かう。
「……は? え、なん、え?」
戸惑った。当たり前だ。
何故なら、表示されていた葬式が行われる家……それは山田家だったからだ。
え、父さんか母さん、それとも……違う山田家なのか? 祖父ちゃんとか……いや、父方の祖父母はもう死んでるからそれはない。
嫌な予感を覚えながら恐る恐る斎場へと向かって歩きだすと、弔問客の中に見知った顔も見かけるようになっていた。
あいつは……中学の頃からの友達。高校での友達もいる。腐れ縁の幼馴染も。それに登山サークルの仲間もチラホラいた。
だけど通り過ぎていくというのに誰も……
嫌な予感が少しずつ確信に変わっていく中、弔問客へと挨拶を行う喪服姿の、喪服姿の……。
「そんな……。どういう、ことだ……?」
静かに頭を下げる人たち、それは……暗い表情をした俺の両親と彼女の姿だった。
それを見た瞬間、俺は急いで斎場の中に入って故人が収められた棺桶が置かれた祭壇を見る。
大量の花が置かれた祭壇に飾られた遺影、そこに写っていたのは……。
「………………え」
「なん、え、なん、どういう……ことだ?」
「……山田一郎さん、改めて説明させていただきます。あなたは、亡くなりましたぁ」
「っ!!」
目の前の光景に戸惑う俺に対し、背後からみちびきてさんが言う。
その言葉にビクッと体を跳ねさせながら、その勢いのままに彼女へと振り返る……。
俺が……亡くなった?
「あなたはぁ、無謀にも霧が発生している中で登山を行った結果、途中で足を滑らせて滑落しましたぁ~。そして、病院に運ばれましたがぁ、治療の甲斐なくお亡くなりになりましたぁ~」
「そ、んなわけ……! だったら、だったらここに居る俺は何なんだよ! 今だって喋れてるし、周りのことが見えてるんだぞ!?」
「ですがぁ、あなたの声は周りには届きません~。何故ならぁ、あなたは魂だけの存在ですからぁ~」
「う、嘘だ嘘だ嘘だ! なあ、おい、俺だよ! 俺のこと見えるだろ! 返事してくれよ!!」
みちびきてさんの言葉が信じられず、俺は近くの席に座っていた登山サークルに所属していた友人に声をかける。
だけど、友人は俺の声なんて聞こえていないようで暗い表情で「ガス中に歩くなって言われてただろ、バカ野郎が……!」と言っていた。
他の友人にも声をかける。……だけど声は届かない。
そして、触れたら気づいてくれると思い、肩に手を置こうとしたが……すり抜けた。
「そん、俺が……死ん…………! ひっ!」
信じるつもりなんて無かった。
なのに、手を見た瞬間……俺の手からグローブが消え、擦り傷だらけで血まみれの手になっていた。
な、なんでだ!? さっきまで、さっきまでグローブを嵌めてたはずなのに……! それに、この手……!
「少しづつ山田さんの記憶が戻ってきているからぁ、体が滑落したときの姿に戻り始めてるんですよぉ~」
「そんな……! 嘘だ、嘘だぁ!」
違うと信じたかった。なのに、ポタポタと頭から赤黒い……血が床に零れ始める。
滑落中に何度も頭を打った。それで血が垂れていた。
血まみれの姿。それを誰かが見たら悲鳴を上げると思うのに誰も気づかない。誰も俺を見ない。
そうだ。俺は足を滑らせた……! そして気づいたときには頭を打って、そのまま転がるように斜面を落ちていった!
全身を打ちつける痛み、頭を打ったからかポタポタと地面に垂れていく血、助けてと叫ぼうとするも喉を打ったからか出ない声。
徐々に冷えていく体、薄れゆく意識。誰か、助けて……。
「あ、あ……、ぁあ……! うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!! 嘘だ、嘘だぁぁぁ!!」
「思い出したみたいですねぇ~?」
みちびきてさんの言葉に返事が出来ない。頭の中がグチャグチャする。
いや、実際に記憶を戻した結果……体が落ちたときの姿になっているから体もボロボロのグチャグチャになってるだろう。
それでも生かそうとしていたのか、病院に搬送された。けれど、魂は山に残っていた。
残された魂が、俺だ。
そんな心の中を締めるのは……後悔。未練。
「死にたくなかった! 何で、何で俺が死ななくちゃいけないんだ! 何でだよ!!
彼女と結婚をして、産まれてくる子と三人で温かい家庭をつくって! 父さんと母さんに孫を見せるとかしたかった!
やりたいことがまだまだいっぱいあった! なのに、なのになんで死ななくちゃいけないんだよ!!」
「死は誰にでも平等にあるものですからしかたないですよぉ~。そして、山田さんは魂が山の中を彷徨っていましたがぁ、あと少し遅かったら永遠に彷徨うことになっていましたぁ~」
「あんた、いったいなんなんだよ!」
「だから言ってるじゃないですかぁ~、導き手だってぇ~」
「わけわかんねぇよ! 分かりやすくいってくれよ!!」
この女性に当たり散らすのは間違ってるというのは頭の片隅で理解していた。
だけど止まらない。感情は止まらない。
誰かに当たらないと心が持たない。
「そうですねぇ~、山田さんに分かりやすく言うとすればぁ~……。“死神”ですねぇ~」
「は……? しに、がみ……?」
「はぃ~。あ、でもわたくしは命を狩るとかの役割じゃなくて、不慮の事故で死んでしまい、あの世へと行けずに彷徨っている魂が本来還るべき場所へと導くための役割を持つ『導き手』ですぅ~」
みちびきて、名字と勝手に思っていた。けれど違った。
みちびきて、導く、手……。そして、死神。
本人は関係ないと言っている。だけど……。
「俺は、俺は何で死ななくちゃならない! 何でだよ! 俺じゃなくても良かっただろ!? 何で、なんで俺なんだよ!!」
「それは神様が決めることですからぁ、わたくしたち死神は死して現世を彷徨う魂を導き、怨みに呑まれ他者を襲う穢れた魂を狩り、天寿で死にゆく魂の最後を静かに看取るだけですからぁ~」
「なんで、なんでだよ……。何で俺なんだよ……」
「わたくしからは何も言えませんぅ~……。けどぉ、山田さんのために来てくれた人たちの言葉を聞いてあげてくださぃ~……」
死神、導き手、……導き手さんはそう言うと、持っていた杖のカンテラの灯りを照らす。
するとどこからともなく、弔問客の想いが響いてきた。
妊娠している彼女がいたのにバカをした俺に対して憤る想い、親よりもはやくに死んでと悲しむ想い、どれもこれも悲しみ、悔やみ、憐れむ想い。
……時折、嘲るような想いが感じられたけどそれでも葬式に来てくれた。
その想いが感じられる中で葬式は始まり、両親の挨拶が行われる。
涙を流し続けながら来てくれた弔問客へと感謝の意を述べている両親、俯いたままの彼女。
そんな彼女のもとへとフラフラと近づき、気づけば膝をついていた。
「ごめん。ごめんな……! 愛するって誓ったのに! 幸せにするって誓ったのに! 結婚式の話だってしてたのに! 式場だって見てたのに! ドレスだって選んでた! なのに、ごめん!! ごめんなぁ!!」
自然と口から洩れるのは謝罪の声。
山なんかに行くんじゃなかった! 彼女と一緒に過ごしていればよかった。
そうすれば死ななくて済んだかも知れない。
けれどそれはもう届くことはない、心からの後悔の叫び。
だけどその言葉は届かない。
少しして住職が入場し読経が始まると弔問客が祈り始める。
一部、親戚や友人の子供は幼いからか葬式の意味を分かっていないようで席に座ったまま足をぶらぶらさせて周囲を見回し、何処かを見た瞬間に怯えたように親にしがみついていた。
そして、司会の言葉とともに焼香が始まり……膝をつき項垂れる俺を通り抜けて弔問客の焼香が行われる。
焼香が終わり周りが帰っていき、親族たちは残ると俺が入った棺桶を乗せた霊柩車とともに火葬場へと行った。
火葬場へと運ばれると俺の体は火葬炉へと入れられ、火葬が始まり燃やされた。
骨となった俺の体を見ている俺の前で親族たちの手で骨壺に入れられた。
小さくなった俺とともに家族は斎場へと戻り、親族たちに礼を言って自宅へと遺影と一緒に俺は帰って来た。
……この辺りになるともう自分のこととは思えず、どこか遠い国の物語のように感じながら俯き泣く両親たちを見ていた。
そして、気づくと俺は……墓の隣に立っていた。
「ここは……」
「山田さん。あなたが見ていたのはすべて
四十九日を過ぎても魂が地上に残っていた場合、あなたは永遠にその地に囚われることとなっていましたので……見つけることが出来たのは本当にギリギリでした」
快晴の空の下、導き手さんは真面目な様子で語る。
そこでようやく導き手さんが山で俺を見つけたことに安堵していた理由に気づいた。
そして死んだことを理解させるための記憶の旅をしていたということに。
「見てください。向こうからご両親と奥様が来られました」
「あ……」
白い布で包まれた骨壺を持った父さんと一緒に歩く母さん、それと彼女の姿が見える。
あのときに見た彼女のお腹よりも、少し膨らんでいる……。あのお腹の中に、俺の子供がいると実感させられる。
そう思っていると、数人がかりで墓石が動かされ骨壺が墓の中に収められると住職による読経が行われる。
ひと通りの手順が済むと、親族を代表してか……彼女が墓の前でもう一度手を合わせた。
「……一郎さん。私もあなたと一緒に過ごしたかった。
産まれてくる子と私を護るって言ってくれたときは嬉しかった。
きっと、数年経ったら……違う人を好きになってしまうかも知れません。けど、それまでは一郎さんの妻で居させてください。
……最後に、私に子供を授けてくれて、ありがとうございました」
ポロポロと涙を流す彼女の姿を親族は何も言えずに見ており、俺も立ち尽くすのみ。
「……導き手さん。俺の声を彼女に届けることって、出来ないのか…………?」
「申しわけありません。わたくしは死者の魂を導くことだけです。ですが、彼女が山田さんのことを忘れず、人生の最後を迎える際にはあなたも看取り手によって呼ばれると思います」
導き手さんの言葉に、何も出来ないことを知ると……静かに目を閉じる。
頭の中に浮かぶのは……登山をしなかった可能性の世界。
結婚式をして、子供が産まれて、すくすく育っていく子供を2人で笑いながら育てる。
そんな、もう起きることがない未来の可能性。
「ごめん……」
「山田さん。悲しまないでください。死は誰にでもありますし、何時だって起きるものです。
それが貴方の場合は早かった。それだけです……」
気休めなのか、導き手さんは言う。
そうか……、もっと、生きたかったな。
そう思いはじめていると……体が薄まり始めているのに気づいた。
「そろそろ向こうへと旅立つ時間です。大丈夫、向こうは苦しいことも悲しいこともありません。
だから……、往きましょう」
「わかった……。ありがとう、導き手さん」
導き手さんの言葉に頷き、俺は彼女の導きに従う。
その言葉に導き手さんは小さく頷き、カンテラを照らす。
すると俺の体はゆっくりと空へと昇っていき、この世から旅立っていくのを感じた。
「……ありがとう、さよなら」
妻であった彼女に、両親に、これまでの感謝と別れを告げる。
そんな俺を見てか、それとも光の階段とも呼べるような斜光が墓に当たったからか、彼女が俺の名前を呼んだのが聞こえた気がした。
●
「はぁ……、やっぱり死者をあの世に送るのは心苦しいですねぇ~……」
あの世に向かっていった山田さんを見送り、わたくしは彼の墓の前で呆然と立つ。
――導き手。
死神として与えられたわたくしの役職。
不慮の事故や病気で亡くなった彷徨える死者の魂をあの世へと導くための仕事。
それがわたくしの仕事。
けれど死者たちは自身の死を認められず、暴言を吐き、時には暴力を振るってくる。
そんな彼、彼女らの言葉を、拳を、わたくしたちは黙って受け入れる。
それでも最終的には納得してもらい、あの世へと導く。
痛くて辛い、それが日常的。それが『導き手』の役割。
「まあ、狩り手よりはましでしょうかぁ~……」
彼女たちは戦いの世界に身を置いていますし、大変ですよね。
わたくしには無理だって思いますよ。
「――っと、今度はどこに行けば良いんですかねぇ~?」
次の導く相手が誰かを知るために指示書を見ると、今度は海のほうらしい。
えっとぉ、海の……海難事故ですかぁ~。
漁船の転覆での行方不明。
「これは……探すのが難しそうですねぇ~。けど、頑張りますかぁ~」
発生してから三日ですから、一応はまだ時間はありますし……大丈夫だと思いますが、山の次は海って難しすぎますよぉ~?
そう思いながら宙へと浮き上がり、目的地へと移動を始める。
「次の人は死を自覚してますかねぇ~?」
魂を探すのも大変。だけど、それ以上に大変なのは自身の死を自覚しているか、していないか。それで難易度は大きく変わります。
けどまぁ、なんとかなりますよね。
心のなかでそう思いながら、わたくしはその場を後にしました。
死神くんとか、そんな感じのものを書いてみたいって思ってみたんですけど難しいですね。