先生視点って余計に難しいね。
"疲れた……"
シャーレのオフィス。その広い窓から差し込む光は、もはやすっかりと西に傾いていた。私の手元には、ずっしりと積まれた書類の山が影を落とす。
先日のアビドスでの一件がようやく収束し、待ち受けていたのは書類の山だった。もう三回は朝日を拝んだ気がする。朝日が昇るたびに、ひとつずつ書類の山が減り、明日の朝にはやっと終わるだろう。……まあ、明日にはまた新しい書類が積まれているのだろうけれど。
そんな未来を考えてしまったからか。つい、口から言葉が漏れた。ああ、とうとう口にしてしまった。こうなってはもう止まらない。疲労がどっと押し寄せて、頭がおかしな方向へと回り出す。
生徒たちの声が恋しい。ここ数日はシャーレの当番も都合がつかず、たったひとりシャーレのオフィスにて、ただ活字のレールを走るペンの音だけが響いていた。ときたま、新しい山を持って来る郵便の配達人だけが出入りして、その足音がトラウマになってきている。
――コツ、コツ。
ほら、またこうやって。折角夜明けの見えた書類作業は、時計の針を戻されたように暗闇へと引き戻されるのだ。
今日は誰だろう。いつもの郵便の人とはすっかり顔見知りになってしまった。昨日会った時には酷く心配されたものだ。今日はもっと酷い顔をしているだろうが、むやみな心配をかけてしまう。
絶望の足音は、隣の部屋あたりで止まったり、その向かいの部屋の前に行ったり来たり。いちいち書類を持ってくるのなら、早く終わらせてほしい。わざわざ私の不安を煽るために、無駄に足音を鳴らすだなんて。見たくもない活字から目をそらし、現実から逃避している私とは無関係に、足音はこのオフィスの前で止まった。
――「ええと、ここがオフィス……ですね」
女性の、いや、女の子の声だった。
"……?"
どこかに飛んでいた思考がようやく戻ってくる。手を止めていたからこそ、静かなオフィスだったからこそ、その小さな声が聞こえた。今までに聞いたことのない声だ。おそらく初めて来る生徒だろう。出迎える準備をしなければ。
そう思い、だらりと動かない体をなんとか起こす。椅子を横に向け、足に力を込めて、何とか立ち上がる。三度、ドアから堅い音が鳴り、向こうに居るであろう少女が、こちらへと向けて声をあげた。
「郵便です!失礼します」
『郵便』。その一言で、先ほどまでの決意は霧散した。
"書類の提出はあと1日待ってください!"
「えっ?」
◆
「はじめまして、シャーレの先生……ですよね?」
"はじめまして。シャーレにようこそ"
生徒を室内へ招き入れ、来客用のソファに座らせる。赴任時には殺風景だったそこも、生徒たちが持ち寄った様々な物で、今ではすっかりにぎやかになっている。そろそろ整理しなければ。そう思っていたのも、アビドスに行く前のこと。目の前の生徒は私の前で、手元にあるモモフレンズのぬいぐるみをそっと撫で、柔らかに笑みを浮かべ、私の方へと視線を向けた。
金色の瞳に、私の姿が映る。大きな帽子を深くかぶり、そこから美しい黄金の髪が流れ落ちている。背中からは束ねた髪が伸び、その白い服に映えていた。ペロロ様に置いていた彼女が、膝に手を戻し、彼女にとっては少し余った袖をきゅっと握って、そうして私に挨拶してくれた。
「私はトリニティ総合学園の郵便部所属、2年生の綴コトミといいます」
"郵便部……。そんな部活があったんだね"
「はい。まあ、真面目に活動しているのは私くらいですけれど」
初めて聞く部活だ。赴任してまだ日が浅く、全ての部活を把握しているわけではない。キヴォトスにはいろんな部活があるんだなぁと改めて思いながら、郵便部とはどんな部活なのか尋ねる。
「活動内容はその名の通り、郵便の配達です。普段はトリニティで活動していますが、それなりに歴史のある部活だったりするんですよ?」
コトミは自分の部活が好きなのだろう。その声は非常に軽快で、おかげでその活動について詳しく知ることができた。
郵便部はトリニティの郵便業務の大半を担当しているらしい。所属生徒は数十名ほど。今ほど電子機器が発達する前は、生徒たちのあこがれの的だった。しかし現代では書類の多くが電子化され、仕事の大半が消滅。重要な書類は今でも紙で取り扱われているようだが、力を失った郵便部ではなく、各団体の所属生徒が直接取り扱っている現状とのこと。
「まあ、元々機密性の高い書類は各派閥の生徒が届けていたので、仕事自体に大きな変化はありません。ただ、少し量が減っただけ、です」
"コトミは、郵便部の活動が好きなんだね"
「ええ、もちろん。誰かの想いを伝えるなんて、幸せな仕事、ですから」
コトミは笑顔でそう言ってくれる。おそらく、本心だろう。後半の部分には少し含みを感じた。
改めて彼女のすがたを見る。トリニティらしい真っ白な制服は、彼女にとっては少し大きいらしい。ただ、小柄な彼女と、それぞれのパーツが大きなその制服は、その不釣り合いこそが彼女らしい独特の魅力になっていた。
そんな彼女は、彼女の腰回りと同じほど大きな茶色の鞄を脇に置いている。パンパンに角ばって膨らんだその鞄には、たくさんの郵便物が詰まっているのだろう。というか、詰め込みすぎではないだろうか。体積で言えば私が今日処理した書類がそのまま入っている程度の量になりそうだ。これを運ぶのは、私だったら1時間程度で潰れてしまうかもしれない。私も鍛えるべきだろうか?コーチも一緒に鍛えませんかと、頭の中でスポーツウェアの生徒が駆けて行った。
"それで、郵便って言ってたけれど。"
「あ、そうでした。私ばかり話してしまって。お時間が限られているというのに、すみません……」
彼女は鞄の口を開け、両手を突っ込んでがさごそと。横目で見る限りでは、中身はよく整理されているらしい。いくつかのグループに仕分けられているのが見える。それでも、道中で倒れて崩れたのか、一部が混ざってしまっているようだ。彼女は数個の塊を机へ並べ、追加でいくつかの手紙を上に載せる。積み重なる紙は、なんだか私の背にある恐怖の山脈を思い起こさせる。でも、並べられた手紙を見てみれば、その考えもすぐに消えた。それぞれの手紙は丁寧に便箋におさめられ、目に見える範囲の送り主には身に覚えがあった。どれも、見知った生徒であったり、生徒に関する騒動でお世話になった方々だ。当時のことを思い出し、胸がほっこりと温まる。そうして、彼女は鞄を閉じた。
「それぞれトリニティと、ミレニアムの生徒、そして各自治区の住民の方から、先生にお手紙です。五十通ほどありますが、お受け取りください」
"ありがとう。しっかり受け取ったよ。""じゃあ、早速読ませてもらおうかな!"
分かりやすく整理された手紙のうち、なんとなくトリニティの束を手に取る。重量で言えば、この数倍以上の書類を処理した後。だけれども、その数倍は重いように感じた。
一番上には、『阿慈谷ヒフミ』の名前が、ペロロ様の描かれた便箋に書かれている。モモトークで無事は確認したし、経緯も伝えている。彼女はそのうえで、何を手紙で伝えたいのだろう。もう活字を眺めたくないと思っていたのに、文字のひとつも読みたくはないと思っていたのに、疲れが消えて、体は勝手にペーパーカッターを探しだした。
「ええと、先生……」
そんな私を、心配そうに咎める声が背中からかかる。やっぱり私も疲れていたらしい。コトミをほうって手紙を読もうとしてしまった。ごめんねと謝ったが、どうやら彼女が伝えたいことは別だったらしい。
彼女は私の方をじっと見ている。……私の背後、初めから比べれば随分と減った書類の山を。
「あちらの書類は放置して良いのでしょうか。1時間後が締め切りの書類が2通ほど混ざっていますが……」
"……!?"
「……こんなことを言っていいのか分かりませんが、お手伝いしましょうか?」
"……助かります"
続かない。