雪山の猟師   作:庭鳥

1 / 5

 続きものを書くことにしました。雪山に住む猟師さんの物語です。若干の歴史とのズレとファンタジー要素があります。先はあんまり書けてないので、読んでくださったら続きは気長にお待ちください。



猟師の仕事

 

 

~ 1 ~

 

 

 鬱蒼とした森の中には夜中に振り積もったらしい新雪の絨毯が敷き詰められていた。昼頃になると雪はやんでいたがよく冷える日であった。毛皮にくるまれている猟犬の二太郎も寒そうに身を震わせていた。そんな中でも猟師としての感覚か、獲物を前にすると寒さよりもむしろ殺気のような奇妙な感覚を感じるのである。殺すのはむしろ、こちらの方だというのにおかしいものである。その時は二太郎よりも俺の方が早くに鹿に気づいた。

 

 鹿は百メートルほど先の崖に立っていた。たかだが百メートルと言えど視界の悪い森の中ではそれすらも見通しづらい。右目を銃身に近づけて狙いをつけてみると奴はじいっとこちらを見ているようであった。果たして、撃ち殺されるものは一体何を考えるのだろう。勿論、大概の獲物は銃の意味を理解しない。だが山の中でその感覚は必要だと俺は考えていた。狙いをつける以上、殺される覚悟が必要であった。

 

 むしろそれは覚悟というよりも、俺の中の怪物を抑えるのに必要な儀式であった。これはあくまで狩り、だが平等な殺し合いでなくてはならない。殺戮であってはならない。俺の心に愉しみがあってはならない。これは仕事でなくてはならない。必要なのは獲物の毛皮であり、肉であり、爪であり、角であり、胆である。決して獲物の命を奪うことに喜びを見出してはならない。そのように俺は自分に言い聞かせる。そのための儀式であった。

 

 

 タアァンという銃声の後に、衝撃を受けたように鹿が倒れた。しかしすぐに立ち上がり、二、三歩歩き始める。ところがそれは長く続かずに膝を折った。そして二度と起き上がることはないのだ。内臓を撃ち抜かれた鹿とはそんな風である。俺は特に驚くこともなく、周りを観察する。そして他の獣の気配がしないことを確認してから、俺は二太郎ともに仕留めた獲物に駆け寄った。雪には朱が混じりあい、その死体を色づかせていた。鹿の死体はもがくように足を前に出し、歩くようにしながら転がっていた。それは生命の尊さを感じさせる一枚の絵画でもあった。……俺は決してこの光景を美しいと思ってはならない。そうでなくてはならないのだ。

 

 

 

 

 

~ 2 ~

 

 猟師というのは卑しい職業だ。そのように父は繰り返し言っていた。俺の父は猟師の家系でありながら、そこから脱することを選んだ人であった。懸命に働き、都会に出て過去の家からのしがらみから逃れようとしている立派な人であったので──これは世間一般から見たという意味でなく、正しく父としても立派な人であったのだが──そんな人だったからこそ俺が猟師になると言い出した時は激怒した。俺はすぐに家を追い出され、十八にして家を出て、かつて父が勘当されたという祖父の家に身を寄せねばならなかった。

 

 しかし俺はそれを悲しんだわけでは無かった。そうなることは予感していたことであり、山に入ることは俺の望みであった。当時の俺はむしろ使命感という風に酔っていたが、むしろ俺自身が望んで歩んできたのであった。家を出てから四年がたち、二十を少し過ぎたころに祖父は死に、俺は再び孤独になった。しかし孤独はむしろ俺を勇気づけるものであった。

 

「やあ!猟師クン!今日もお勤めご苦労。」

 

「ああ、貴方ですか。」

 

 声をかけてきたのは、田舎の街には珍しい仕立ての良い西洋服に身を包んだ女であった。ニコニコとした人当たりのいい笑顔をした彼女は、余所者に排他的な田舎町の住人の心の中にもするりと潜り込んでいた。しかしその目の奥に、俺にはどうにも獣の瞳を見出さざるを得なかった。

 

 ──すなわち、目の前の生き物を獲物と見るだけの卑しい目……。俺にとっての獲物が獣であるように、彼女にとっての獲物は人間なのであろう。商売人らしい、曇りなきガラス球のような目であった。

 

 しかしなぜか彼女は、村人たちからも敬遠されがちな俺によく話しかけてくるのであった。その意図を探ろうとするときもあったが、俺には一向わからなかった。人の心など知らず、女の心などさらに知るわけもなかった。

 

「今日も調子がいいみたいだねぇ。繫盛はしてるのかい?」

 

「ぼちぼちです、おかげさまで。」

 

「世辞が下手だねぇ。私は君に何もしてあげられてないよ。」

 

 俺の背後に引いてきたソリを見ながら彼女は笑った。そこには山小屋で解体した鹿が収められていた。そもそも俺は、この街にそれを売りに来たのである。彼女はまるで玩具でも見るかのような無邪気さをもってその生き物だった成れ果てを見ていた。

 

 しばしの沈黙──それは獲物を狙う前の一瞬によく似ていると思った。俺の方から口を開いた。

 

「何の用ですか?」

 

「フン……!」

 

 彼女は鼻を鳴らした後に首を傾けた。こちらの顔をのぞき込むような動きが嫌だった。

 

「世間話くらいしてくれたって良いだろう。せっかちな男は嫌われるよ?」

 

「世間話をしにきたんですか?」

 

「いいやあ、違うとも。」

 

 彼女は笑いながら、しかし先ほどの笑みとは種類の違うものを浮かべていた。それは俺が心の奥底で恐れた、商売人の顔……世間一般に生きる人間たちの顔であった。彼女の要件が金であることは、言葉の前に察せられた。

 

「私の知り合いが新しく銃器の製造を始めてね、狩りのためのものじゃない連発銃さ。で、まあそんな事は知ったこっちゃアないんだが、コンペティションの前に軍部の連中の覚えを良くしたいっていうんだ。」

 

「軍部。」

 

「そう……彼らは何を喜ぶか?まさか将校連中が宝石なんてもらって喜ぶわけもない。まあ細君にでもあげろといえばいいかもだが、未婚者には侮辱となるだろう。ともかく彼は外套が良いと思ったんだ!」

 

「外套。」

 

「そう、外套……コートだ。指令室で羽織るための、無骨だがどこか高級感のある……フッ!ま、つまりは権力を誇示するための服さ。……生粋の国粋主義者の彼らに舶来品の質のいい毛皮では駄目らしい。あくまで日本のもの、国産の、日ノ本の魂とやらが宿ったものが良いらしい。フッ!」

 

 言葉の端々に嘲笑を浮かべながら彼女は言葉をつづけていた。俺はそれを聞きながらゆっくりと口を開いた。

 

「つまり、何をすれば?」

 

「良い毛皮が欲しい、その鹿なんかじゃなくね。上等で綺麗な仕上がりの皮革……それを獲ってきてもらいたい。」

 

「……。」

 

 その女は軽そうに、しかしこちらの目をじっと見つめながらそう言った。それが簡単な内容などではないと知っているからであろう。別段……いや驕るのはよくないと思うが……質のいい革を用意する。それは適切な部位を撃ち抜き、皮の損傷を避け、そして注意を凝らしながら処理をすればそう難しいものでもない。だが量が問題であった。

 

 軍部の将校連中の分?それはきっと一人分では決してないだろう。一体いくつの獲物が必要になるのか、俺の頭では検討もつかなかった。

 

「……毛皮。」

 

「……なんだよぅ、オウムか君は?同じ事ばかり返しやがって!……そんな難しい顔をするなよ。つまりはね、良い毛皮があったら買いたいって話さ。値段は弾むよ。街の問屋よりもずっと金を出そう。どうだい、ン?」

 

「ええ、まあ……出来るくらいなら。」

 

「無論、出来ないことをやれとは言わないさ。君に全部を用意して欲しいとも言わない……。私も儲ける、君も儲かる。良い話ってわけさぁ。」

 

 彼女はそんな事を言った。……お互いに儲かる?それにはどれだけ貴様の取り分の方が多いことだろうか。俺は無言でそれを思いながらもうなずいた。それでも、この女──二階堂 晴華(にかいどう せいか)は憎み切れないものがあった。恐らく、それが商人としての才なのだろう。

 

「それじゃ、よろしくね。総一郎君。」

 

 そう言って女は去っていった。村はずれには俺と寒い風だけが残された。俺はそりを引きずりながら、依頼された仕事について考えはじめた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。