猟師さんのお話の第二話です。続きが書けたので投稿します。出来れば定期的に投稿したい所存です。
~ 3 ~
爺は無口な人だった。一日に口を開くのはほんの二、三度程度であった。そんな爺に一つだけ忠告されたことがある。
「総一郎や。お前、猟が上手くなってきたな。」
「そうかい?爺ちゃん。」
「ああ、鉄砲がじゃないぞ。山の歩き方とか、獲物に対する向き合い方とか……うん。成長したな。」
「……。」
山の中にいたので俺は無言で頭だけを向けてそれに答えた。だが心の内では爺に褒められることなど初めてであったので、とても喜んでいたのを覚えている。それと同時に静かにしなければならないという山の不文律を破る祖父を不思議に思っていた。
「だがな、忘れちゃならんことがあるぞ。」
「わかってるよ、狩りは手段だ。肉と皮と胆を得るための……。例えその行程を楽しんでも、それが目的にすり替わってはいけない。そういうことだろう。」
俺は振り向きもせずに答えた。その時、俺達は熊を追跡中であったのだ。
「違う。」
「え?」
その言葉に驚き振り向くと、爺は険しい顔をしたままだった。彼は叱るように、ではない。何かもっと恐ろしく強大なものを睨むようにこちらを見ていた。
「狩人と獲物の関わり方……。ちゃあんと考えなくちゃいかんぞ。俺が教えることではない。お前が、自分の頭で見つけなくちゃ駄目なんだ。」
「爺?」
「お前は少し気真面目過ぎるところがあるからなぁ。だが山に対して敬意を持て、しかし期待はするな。言えることはそれだけよ。」
「どうしたんだ?爺ちゃん。」
周囲を警戒しながら、俺はそう返した。そんな奇妙な様子の爺を前にしても、俺の意識はむしろ山の中の方に向けられていた。これは紛れもなく爺による訓練の成果であろう……。今思えば……もう少し爺の顔を見ておけばよかったとも思う。
爺は急に猟師の顔に戻ってから口を開いた。
「ああ、うん。……続きをやろうか。どうもいかんな、歳を取ると言いたいことを言えるうちに言わんといかんからな。」
「縁起の悪いことを言うなよ、山をこんなに元気に歩く爺がそんなにすぐにものを言えなくなるもんかい。」
俺は強がるように笑いながら、そんな言葉を吐いた。それから丁度十日後に、祖父は朝起きると死んでいた。
~ 4 ~
バチン、という音が山小屋に聞こえた。雪の降る切れ目に、俺は斧で薪を割っているところであった。それは山歩きに多少なれた俺でも、あまり聞きなれぬ音であった。斧を持ったまま、少しずつその音のする方へ歩んでいくと、がさがさと藪の鳴る音と、鉄の触れ合う音が聞こえた。俺はそこでようやく何が起こったのかを察した。
「グルゥゥ……。」
……そいつは警戒していた。へし折れたらしい足からは出血し、しかしいくら暴れてもへばりついたようにその鉄罠は離れない。そこにいたのは右前足をトラバサミに挟まれた狐であった。そいつがこちらに牙を向けながら気丈に睨んでいた。
「なんだ、狐か。罠にかかっちまったんだな。……しかし、トラバサミなんてこんな場所に置きやがって。」
まず俺はそこが気に食わなかった。ここは元々、爺の住んでいた山小屋であり、現在は俺の居住地である。そのすぐ近くにトラバサミを置く、というのは狩猟のマナー云々の前に危険極まりない。熊や猪用の大型のトラバサミにもなれば、容易に大の大人の足も砕けおちる。俺がこの罠をうっかり踏む、そんな事も本当にありえたのだ。
どこの誰が置いたのかも知らないが、本当にこちらを舐めた仕掛けであった。……もしかして喧嘩を売られているのだろうか?
「まあ、それは良い。今はな。それよりも……。」
「グルルゥ……。」
俺は狐に向き直った。斧を両手で保持しながら、そのまま周囲を観察する。どうやら
他人の罠にかかったやつだが……まあいい。勝手に人の家の近場に罠を仕掛けるような手合いだ。何か言って来たら、逆に文句を言ってやろう。それから獲物を返せばいい。俺はそのまま大きく斧を振り上げた。
「…………。」
その時、狐と目が合った。じっとこちらを睨むその目。全く平気ではないくせに、こちらを睨むその強がりな目は、幼い頃に見た光景に似ていた。
──彼女はいじめられていた、のだと思う。人間関係というのは酷く曖昧だ。撃てば死ぬ、そんな風にわかりやすく人間とのかかわりもなればいいのになぁと夢想したことは、実のところ何度かある。いじめ、その境界は本当に酷く曖昧なのだと思う。
彼女が僕を見る目……そんな目で僕を睨まないでほしかった。いじめっ子たちの方を憎んで恨んで睨んでほしかった。僕はただ恐ろしかったのだ。彼らに立ち向かうのが、ではない。そうして周囲から孤立することが、でもない。一人の女の子を助ける、それほどまでに深く人間と関わることがとてつもなく恐ろしかった。
君が助けてくれない僕に絶望した気持ちもわかる。「平気だよ。」と笑って言う君の目を見て……僕は本当に心の底から後悔をした。いや、その時初めて後悔した。それが猶更恥ずかしく、さらに後悔を呼び寄せた。しかし、さよならも言う暇もなく彼女は都会の女学校に行ってしまった。
──その時の目に、その狐はよく似ていたのだ。
「……コォン!」
「……なにしてんだ、俺。」
俺は気づけば、その狐を逃がしてやっていた。右前足を庇いながら、その狐がヨタヨタとだが獣らしい素早さで林の中に逃げていく。俺は手元の斧を見ながら、自嘲するように辺りに響く笑い声をあげた。あげざるを得なかった。
──獲物とのかかわり方、ちゃあんと考えないといかんぞ。
そんな爺ちゃんの言葉が、頭の中でリフレインしていた。