雪山の猟師   作:庭鳥

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  三話目です。ハードボイルドな感じがして煙草の描写は好きなのですが、実はにわかな描写です。なぜなら吸ったことがないから。……それはまあ、ともかく少しずつ本筋に入っていきます。失踪しないように頑張りマス。



煙草と取引

 

~ 5 ~

 

 

「逃がした?」

 

「……ええ。」

 

 二階堂晴華は、西洋紳士のつけるような手袋で舶来品のエジプト煙草を掴みながら怪訝な顔で言った。彼女は積み上げられた丸太の一部に腰をかけて、こちらをじっと見ている。その様にはどこか貴族じみた所作と、田舎らしい好ましげな荒々しさが同居していた。彼女が奇妙に香る紫煙を吐きながら再び口を開いた。

 

「まあ良いじゃないか。一匹の狐くらい。パッチワークはお好みじゃないぜ。もっと大物が良いね。少なくとも十人分のコートになるんだから。」

 

「そう、ですか。」

 

「うん。別に私と君は依頼で結ばれたわけでもないからな。」

 

「ならいいんですが。」

 

 俺は彼女の正面に立ちながら、どこか宿題を忘れた子供のような気持でいた。何かむず痒い、奇妙な罪悪感に似た感触を味わっていた。俺はそれをかき消すように腰元から煙草を一本取り出そうと、煙草入れを探り……。ん?煙草入れを……探り……。

 

「……。」

 

「ン?どうしたんだい?」

 

 晴華は全てを分かった顔をしたまま、にやけ顔でそのように言った。俺は先ほどよりも声を落とし、苦々しく言わねばなかった。

 

「煙草……忘れた。」

 

「そう見えるねェ。」

 

「……あの、一本。」

 

「あげないよ……タダでは。商人だからね。私は。」

 

「……じゃあ買います。」

 

 俺がそう言って財布をゴソゴソとし始めたのを見て、彼女は笑いながら腰元の袋をそのまま押し付けてきた。そのまま彼女はニヤニヤと笑いながら指を五本立てた。……五円か。

 

 袋の中を探ると、その中には見たことのない異国の文字の書かれたエジプト煙草が、口の開いた箱の中に一ダースほど入っていた。……これで五円?高いな!

 

 しかし吸ったことのない、そしてまた手に入ることのないかもしれない煙草というのが魅力的なのもまた事実であった。押し売りの上手い女だと舌を巻きながら、俺は結局代金を払うことにした。

 

「ケッ!金持ちの癖に、ケチな人だ!」

 

「ケチだから商売で儲けられるンだ。」

 

 晴華は悪びれもせずにそう言い放った。俺がその煙草を一本、口にくわえると火をつける前に、彼女がすかさずマッチを擦った。俺は思わず怪訝な顔を向けたが、彼女は「これはただの友人への好意。」と言って煙草に火をつけてくれた。……感情の後始末が上手い。つくづく商売人らしい女であると思った。

 

 紫煙を吸い、吐く。……見知らぬ煙草の味は、見知らぬ感情に支配された今の心には清涼に感じ、美味かった。

 

 

 

 彼女が吸い口の短くなった煙草の火を、雪に押し付けてもみ消しながら、ぽつりと口を開いた。

 

「なんで逃がしたんだよ。」

 

「え?」

 

「これは商人としてじゃなく、友達としての単純な興味さ。なんで狐を逃がした?」

 

「なんでって……。」

 

 俺は言葉に詰まった。……昔からそうであるが、俺は頭というものがさほど良くない。勉学で褒められたこともなく、他人が理解することに倍の時間を必要とした。……だがそれは努力をするという才能を育てることにもつながったという自負もあるのだが……今回も心に思ったままを口にした。

 

「分かりません……。」

 

「おいおい、理由もなしに猟師が獲物を逃がすってのかい?」

 

 彼女の口調は、単純に疑問に思っているような調子であった。彼女の目には、きっと俺はすさまじい冷血漢に映っていることだろう。命ある獲物を殺し、解体し、その日の糧を得る人間であると。それは文明という発展の果てに、人類が忘れようとしている罪悪であると。しかし、俺は普段いくらでもしているそれが、その時ばかりは出来なかったのである。

 

「本当に、どうしてでしょう……。迷ってしまったんだ……。あの目を見たら、あの狐が……人間に見えてしまって。」

 

「ふうむ。」

 

 彼女は口元に手を当てると、何やら真面目ぶって考え始めた。そして指をぴんと立てると、その口を再び開いた。

 

「昔からこういう話がある。罠にかかった獣が、気まぐれな人間に助けられた。その獣は恩義を感じ、いざって時にその人間を助けてくれるんだ。」

 

「……『鶴の恩返し』でしょう?それくらい知ってますよ。馬鹿にしないでください。」

 

「ま、それじゃなくても類する話は多い……。その狐ももしかしたら君に幸運を運んできてくれるのかもしれないよ。」

 

「そうですかねェ。」

 

 俺は晴華の言葉でいくらか気も紛れたが、そのまま賛同は出来なかった。そもそも、狐ってのは昔から人を化かす生き物では無かったろうか?

 

 

 

 そんな事を考え、物思いにふけっていると、俺の顔を晴華がじっと見ているのに気づいた。彼女の視線は俺を刺し貫いて、体の中まで入り込むような鋭利さであった。

 

「でもなあ、総一郎君。その思想は猟師にとって致命的だぜ。だって、まるっきり反対なんだから。『猟師が獣を見逃す』なんて『商人が金を稼ぎたくない』なんて言い出すようなもんさ。」

 

「……わかってますよ。」

 

 俺はそれだけを言うことしか出来なかった。多分、彼女から見れば不貞腐れているように見えただろう。だが、俺はもっと大きな何かに苦しんでいたのだ。獲物との向き合い方、考えなくちゃいかんぞ……。祖父の言葉が、耳に虫の張り付いたように響き続け、頭の中で何度も繰り返されていた。

 

「別に強制なんかじゃないけどね。猟師なんて対して稼げんだろう。儲けられる時に稼いでた方が良いぜ。それじゃ、良い商売だったよ。」

 

「俺にとっては高い買い物でしたよ。……でも話は参考になりました。」

 

 俺が片腕をあげると、晴華は片手で答え、寒そうに身を縮めながら歩き去っていった。

 

 

 寒空の中、俺は一人、丸太に座り込んで、そこそこ高い買い物の味を楽しんだ。

 

「五円はやっぱり高いよなぁ……。」

 

 今さらながらそんなことを思う。そう思えばこそ、煙草の箱の入った袋も、いやに重く感じるというものであった。そうだ、俺は猟師だ。そんなに儲けられる仕事でもないというのも正しい。……しかし、俺はいったい……。俺は煙を吐きながら物思いにふけっていた。

 

 ……祖父を悪くは言いたくはない。だがこれではまるっきり呪いのようではないか。まるっきり悪霊の所業ではないか。

 

「爺ちゃん、アンタはあの時……何が言いたかったんだ。」

 

 無論それに答えるものはすでにおらず、空に消える煙のように、思考が纏まることもなかった。

 

 

 

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