四話目です。毎回、前書きって何を書けばいいのかしらんと悩みます。
~ 6 ~
問屋の倅であるという書生がやってきたのは、まだ朝早くの事であった。学校が冬期休暇であるとかで実家である田舎町に帰ってきているらしい。彼は休暇中であるというのに学生帽にこんもりと雪を載せながら現れ、それを払いのけながら言った。
「総一郎さん、おはようございます。貴方にお電話が入ってます。」
「……電話?僕にですか?」
彼に連れられ、俺は山小屋から田舎町の方へ歩んで行った。問屋の前まで来ると、そこにはこの街には一つしかない自動電話機*1が設置してある。問屋の親父が実益と街への献身とそのアピールのために設置した、この街には似合わないような機器であった。
書生君が電話機のダイヤルを動かし、二、三言程向こうに告げると、その受話器を渡してくれた。耳を当ててみると、その向こうからは聞きなれた声が届いた。
「やあ、まずはどうも。総一郎君。朝早くにすまない。」
「なんだ、二階堂さんですか。で、なんです。電話なんて使って。」
「いやあ……ちょっと……。」
二階堂晴華は珍しく、歯切れの悪そうに言いづらそうに電話口の向こうでモニョモニョとしていた。ようやく絞り出すように聞こえてきたのは蚊の鳴くような声であった。
「あのー、昨日さぁ、エジプト煙草を君に売ったじゃないか。……アレさあ、返してくんない?」
「はあ?返すって、もう幾つか吸っちまいましたよ。だいたい、アレァ俺が買ったものじゃないですか。……五円で。」
五円で、といった瞬間、横にいた問屋の倅が軽く目を見開いたのが見えた。俺はそれを無視しながら、電話の向こうに意識を傾けた。
「いや……煙草は良いんだよ。も、問題はさぁ……袋の中に忘れ物してしまって……。き、君と私の仲じゃないか!」
電話の向こうでは、そんな風に晴華が焦ったように言葉をつづけるのが聞こえた。ふむ、そう言えば袋がいやに重かった気がするが、あれは気分の問題ではなく本当に重かったのか。底の方を探れば、その忘れ物とやらがあるかもしれない。まあ、ともかく……。
「どんな仲ですか……。まあ、そういう話なら良いですよ。」
「あ、ありがとう!助かるよ!後日受け取りに上がるから……。」
「ただし。」
俺はここで言葉を区切った。俺は事前に断っておくが、人間全てを嫌って恐れているような俺だが、二階堂晴華という商人を嫌っているというわけでは無い。金にがめつい女であるとも思っているし、時々ふっかけられたりもするが……友人として関わるのはなかなかであった。
俺はただイラついていたのだ。朝早くに街中に引きずり出されたことに対して、五円払わされた袋を返さなければいけないことに対して、祖父の呪いのような言葉に対して……。
「返しはしません。袋は買い取ってもらいます。五円で。」
「な、なにを~!?」
「わざわざ朝早くに電話をかけてくるってのは、そこそこ重要なものなんでしょう?だいたい、あれはもう買ってしまったんだから俺のものです。」
俺はゆっくりと、だが自分の考えをはっきりと提示した。電話口の向こうでは、晴華の唸るような声が聞こえた。
「ムムム……総一郎君。……なかなかいい交渉術じゃないか。」
「どうも。」
「……買います。五円で。これは君が正しそうだ。」
「よしっ!」
俺は思わずガッツポーズをした。五円が返ってくる。それ以上に、普段やりこめられている商人という生き物に一矢報いることが出来たのがうれしかった。俺はそう思いながらも、どこか悪いことをしたような気分がしていた。……つくづく俺は商人に向いていないのだろう。
「じゃ……また後で。その時に返してくれ。くれぐれも気を付けてくれよ。」
「気をつける?」
何にと聞く前に、項垂れた様子の晴華からの電話は途切れた。俺はそこに何か、手ごたえのないようなものを感じていた。商人という奴はこんな気持ちを毎回感じながら、金を巻き上げているのだろうか。だとすれば、それはすさまじい心根の必要な事だろう。……晴華に会ったら三円にまけてやろうか。俺はそんなことを思っていた。
だがこの寒い中、横に控えていたらしい書生君──彼とはあまり話していなかったが名を確か
「いやあ、総一郎さん。晴華さんから一本取るたぁやるじゃないですか!それなら商売やっても通用しますよ。」
「……いやあ、そんなんじゃないですよ。どうも、ね。俺に商売ってのは駄目そうです。」
俺はそう答えたが、小平君はからからと人の良さそうに笑うばかりであった。もしや俺の言葉を謙遜とでも受け取ったのだろうか。彼はケチな問屋の親父に溺愛されて育ったとは思えない程、賢く、そして好青年なのであった。
俺は一層、晴華の弱みに付け込むような真似をしたことを縮こまるような思いがした。きっとそれは寒さだけのせいではないはずだ。
自身の得体の知れない行為にどこか震えを覚えていたその時、聞きなれた声が聞こえた。俺は一層、嫌な気持ちになった。
「その通り、貴様に商売なんか出来るわけもない。小平、さっさと部屋に戻りなさい。
その声と共に、問屋の中からぬっと姿を現したのは、横にも縦にもでかい大男であった。だがその目元は細く、底意地の悪そうに歪められている。問屋の主、
「父さん。」
小平がそのように言った。その声の中には親しみと共に、どこかゴム毬ののような反発が含まれていた。
「どこにいるかは、僕が決めます。もうそんな年じゃあないんですから。」
「ふんっ。」
大悟が息子の言葉に鼻を鳴らした。彼はそのまま、俺の顔をじろっと見た。……湿った視線であった。商人が品物を見る時の、値踏みするどこか気味の悪い瞳。……俺は商人になれない。俺が狩人になったのは、そうなりたかったというよりも世間が極めて恐ろしかったからだ。山の中で獣と殺し合う方が、ずっと良かったという逃げの選択であったのだ。……俺は、商人になれない。なぜなら商人が恐ろしいのだ。俺は再びそう思いながらも、問屋に挨拶をしないわけにもいかなかった。
「大悟さん。どうもお早うございます。」
「ふんっ。ワシの電話の使い心地はどうだね?」
「……電話を貸していただき感謝します。」
「ああ、感謝されてやろうとも。」
大悟はそんな事を言った。俺は心中で「別に貴様が買い置いただけで、この街の電話ってことになってるだろう……。恩着せがましい嫌な野郎だ。」と毒づいた。無論、それを表情に出すことは……いや多分に漏れ出ているだろうが……ともかく表面上は取り繕っていた。このケチな男とも──なにせ人間関係の狭い場所なので──うまくやっていく必要があった。無論、ある程度ではあるが。
「おい、小平。どこにいるかは自分で決めると言ったな。ならどっか行ってることに自分で決めろ。ワシはコイツと話がある。」
「ふうむ、わかりました……。それでは、総一郎さん。」
小平が挨拶と共に立ち去っていく。俺はそれに会釈をしながら、問屋の方に向き直った。彼は大きな体に似合わぬ小さな目で、神経質そうにこちらを睨んでいた。
「……貴様、二階堂と何か契約を結んだらしいな?」
「契約ってほどでもありませんが、毛皮について少し。」
本当は少し、なんて量ではないが嘘を吐いた。まあまるっきり正直に話してやる必要もあるまい。だが俺の言葉を聞くと、大悟はさらに顔を歪ませた。それはまるで吊るされた柿が乾いて、干し柿に変貌していく様子に少し似ていた。
「恩知らずが……。」
「は?」
「ワシへの大恩を忘れ、外様の商人に物を売る恩知らずめが……。」
「……。」
成程、さっきから問屋がやたらと睨んでくる意味をようやく知った。こいつは普段買い叩いているくせに、俺が二階堂と取引をしているのが気に食わないのだ。だが、まあ……コイツの言葉にたいして正当性などない。言い返す言葉などいくらでもあった。
「俺が誰と物を売り買いしようとも、別に問題などないでしょう。それに欲しがったのは向こうの方からですよ。」
「……だから恩知らずだと言ったのだ。ふんっ、別に問題などないとも。文句は幾らでも出るが、な。」
大悟が吐き捨てるように言った。彼はそれから吹雪いてきた外の寒気に顔をしかめ、ぶるりとその身を震わせた。そして熱気の漏れ出る戸を開けて、部屋の中に立ち去る間際、こうつぶやいた。
「
その言葉と共にピシャリと扉が閉められた。俺は思わず小声でつぶやいた。
「……電話の内容を盗み聞きしてやがったのか、相変わらず嫌な野郎だ。」
俺は怒り混じりにそんな言葉を吐いた。……だが、ウウン。こんな街中で盗み聞きもくそもあるか。問屋の前にあるんだから、普通の声で話せば大悟にその内容は筒抜けだ。……成程、あのケチな男が自動電話を実費で置いたのは、こういう情報収集が目的でもあったわけか。
……もし山のような大金が舞い込んだら、あの山小屋に電話を引こう。俺は胸に怒りを抱えたまま、そんな恐らく叶わない夢を想った。