イキったウマ娘がトレーナーに返り討ちにされるもトレーナーは最初から担当バにゾッコンなので最終的にドローに落ち着く話 作:ゆーりふり
信じられないかもしれないけど、これ個別ストーリーの七話読む前に九割九分書いてて、七話読んで慌てて整合性取ったんだよね。
なのでジェンティルドンナのストーリー既読推奨。
特にバレンタインと七話。
ジェンティルドンナとトレーナーは悩んでいた。
特段、深い事情がある訳でも喫緊の課題という訳でもないが、学園から伝えられた要望にどう応えるべきか悩んでいた。
感謝祭で対面形式のイベントを開催してほしい。
それがクラシック三冠ウマ娘であるオルフェーヴルを下し、現役最強の名を欲しいままにしているジェンティルドンナへの学園からの依頼だった。
ジェンティルドンナからすれば必ずしも応える必要はないが、オルフェーヴルも気難しいタイプのウマ娘であり、二年連続でクラシックとティアラの三冠ウマ娘が誕生したにも関わらず、畏れから近寄りがたい印象を抱かれているのは学園としてもURAとしても喜ばしいことではない。何らかファンと近い距離で関わり合いを持ってもらいたいという切実な事情が学園側にはあった。
「理事長とたづなさんには悪いけど、俺から断りを入れておくよ」
しかし、トレーナーは否と回答することをジェンティルドンナに伝えた。
昨年の感謝祭こそファンとチームを組んで障害物競走に参加したジェンティルドンナだったが、長時間拘束されることは良しとしないだろう。彼女にとっての最優先はレースの勝利であり、学園への貢献はレースの結果を以て行えばよいという判断からの提案だった。
「いえ、少しお待ちなさいな」
「もしかして参加するつもりなのか?」
その案に待ったをかけたジェンティルドンナをトレーナーは驚いたように見返す。昨年も参加必須という決まりがあるから最低限形だけはこなすだけのつもりだったはずの彼女にしては、随分と意欲的な反応だった。
「オルフェーヴルさんに勝利して得た"最強"の称号。その評が同じく"強いけれど気性難"で括られるのは気に喰わないの。それに頂点に君臨する者としての器量を示すのも強者の務めでしょう?」
そう言ってジェンティルドンナはトレーナー室に置かれたイスへと優雅に腰掛け、手に持った冊子のページをめくっていく。
そこに書かれているのは過去に開催されたファン感謝祭で実施されたイベントの事例だ。
「対面形式となると、そう選択肢は多くないぞ」
当人が乗り気なら無理に止める理由はない。トレーナーも彼女の強さをより高みへ導くための有意義な時間にすればいいと脳を回転させて思いつく限りの案を精査していく。
「ファンと近い距離で関わる対面形式ならレースやライブは除外だね。他に単独で可能な出し物だと飲食物やハンドメイドの売店とかかな」
「売り物をハンドメイドで準備するとなるとトレーニングへの影響は避けられませんわね。かと言って、市販品をそのまま出すなんて手抜きなら最初からやらない方がマシ」
「なら、やっぱりトークイベントとか握手会かな」
パソコンで今年予定されている出し物の一覧を眺めているトレーナーの目に『オグタマVSゴルマク。粉モノ頂上決戦』という面白企画が映るが、ジェンティルドンナが色物企画をやっても逆に不審がられるだろうと断念する。
そうして初めから頭にあった案をジェンティルドンナへと伝えた。
時間を区切って対面したファンと会話や握手をする。いっそ両方の合わせ技にしても構わないだろう。ティアラ三冠ウマ娘と実際に触れ合い、言葉を交わせるとなればファンからすれば垂涎の機会と言える。
「悪くはないけれど、ありきたりで芸がないわね」
赤点ではないが、及第点でもないという反応をされたトレーナーはさらに頭を悩ませる。彼女は何時だって己の想定を超えることを求めている。そんな彼女を導く役目のトレーナーが及第点程度では意味がなく、赤点などクビ宣告に等しい。いっそ、さっきの粉モノ対決に自分とジェンティルで組んでお好み焼きチームとして参戦するかとも考えたが、生憎ヘラの扱いに心得はなかった。
「そうね、ではこうしましょう」
どうしたものかと腕を組んで唸っているトレーナーへ向けてちょいちょいと指を曲げてジェンティルドンナからお呼びが掛り、近寄っていくと机を挟んだ反対側に座るよう促される。出し物の実演をするのだろうとトレーナーが向き合うと、手を出すよう指示される。そのまま握手するかに思われた手の組み方はトレーナーの予想と異なり、両者の肘が机に置かれ腕が立てられる。
トレーナーはその構えに覚えがあった。『トレセン学園最強ペア決定戦』と銘打たれた腕相撲大会で彼とジェンティルドンナは無敗で優勝を果たしている。だが、それはあくまでトレーナー同士、ウマ娘同士の勝負だった。断じてヒトが目の前で好戦的な笑みを浮かべている"剛毅なる貴婦人"に挑んだりはしていない。
「アームレスリング。やはり"力"を尊ぶ私との交流として、これ以上はないでしょう」
その言葉と共に振り下ろされた腕の勢いのままに、トレーナーの視界が回転した。
「……ファンにも
振り下ろされた手の甲が机に付くことなく、空中で身体を一回転させてイスに降ろされたトレーナーが抗議の視線を送る。自分はジェンティルドンナの埒外のパワーに慣れっこだが、イベントの出し物としては些かならず危険だと感じた。
「まさか。けれど、ただ腕相撲をして終わりにするつもりもないわ」
「と言うと?」
嫌な予感が拭えないトレーナーではあったが、ジェンティルドンナは"力"を持つ者としての自覚と自制心がしっかりとある。守るべきラインは遵守するだろうと信じて先を促した。
「戯れとは言え勝負は勝負。ましてや"最強"たる私に純粋な腕力で勝ったとなれば、相応の対価が与えられて然るべきでしょう?」
そうしてジェンティルドンナの口から出た案をトレーナーは全力で制止したが、結局は押し切られることになった。
――――――
「ふふ、現金な方達ですこと」
ファン感謝祭当日を迎えたトレセン学園。
その一角には長蛇の列ができていた。列の先頭に立つ者の前にはマボガニー製の円卓が置かれ、対面にはジェンティルドンナが立つ。
「……ジェンティルがSNSであんな告知をするから」
審判役のためジェンティルドンナの隣に待機するトレーナーの言葉にはどこか棘があった。表情も不機嫌さが隠せていない。
「勝てばよいだけのこと。それとも私の"力"が信用できなくって?」
「勝つ手段は必ずしも"力"だけに限らないだろ」
「それら小細工も小賢しい策もまとめて薙ぎ払えるから私が
ジェンティルドンナと腕相撲で勝負ができる。それだけでも挑戦してみたいと思う者はそこそこいるだろう。トレセン学園の生徒は常々彼女の尋常ならざるパワーを目撃しているため敬遠するだろうが、ファンたちが普段見るのはレースの脚力だ。実際には腕力も桁外れなのだが、繊細に制御できる技巧があることをトレーナーは承知している。故にトレーナーの機嫌が悪いのは対戦相手を心配しているからではない。自分だけ腕相撲で空中回転させられたからでもない。
「勝てばジェンティルドンナ個人が可能な範疇で
「まったく心配性ね。私のトレーナーなのだから毅然となさい」
トレーナーは苦虫を噛み潰したような顔で列に並ぶ挑戦者を見ていく。
多くの者がジェンティルドンナのファンなのだろう楽し気な様子で、残りも大半が純粋にウマ娘でもトップクラスのパワーに興味があるといった反応を見せる中、異なる雰囲気を漂わせる連中。
一目見てわかる仕立ての良い衣服とアクセサリーを纏い、前後には複数既知の仲と思われる同道者を連れた
「当たり前だけど、これは学園のイベントだ。叶えるお願いだって分別を弁えたものに限るんだからな?」
「あら、分別のない願いとはいったいどのようなものかしら?」
挑発的に笑うジェンティルドンナに揶揄われていると悟ったトレーナーは、これ以上いまの表情は見られたくないとでも言いたげに顔を明後日の方向へ逸らした。
――――――
腕相撲勝負は恙なく進行している。
ヒトもウマ娘も、男も女も、子供も大人も関係なくジェンティルに敗北していく。
先に叶えてもらいたい願いを言って、ジェンティルに勝利すれば実行される。
挑戦できるのは一人一回。挑戦できる人数を増やすため、勝負は一分以内に終えること。
シンプルな内容であるが、懸念していた『願い』も大抵は直筆サインが欲しいとか一緒に写真を撮ってほしいという当たり障りのないもので、その程度であれば優しく負かした後、勝敗に関係なく叶えてあげていく。
……稀にいた私物を譲ってほしいや同室のブエナビスタを紹介してほしいと願った男の腕は折れる三歩手前くらいの力で机に叩き付けられていたが。
すでに百人近い挑戦者が敗れ去ったが列が途切れる様子はなく、ジェンティルの腕力に翳りも見えない。そんな中、俺の機嫌が下降していた理由の一人がジェンティルと対面した。
「僕が勝ったら後日、個人的にお時間をいただけませんか」
「あら、遠慮なさっているのかしら。その時間を使って得たい"結果"を望まれても結構でしてよ」
「過程にも拘りたい性分なものでね」
上流階級なのだろう男の要求をジェンティルは平然と受け流す。
名乗った男の家名は聞き覚えがあるもので、かなりの資産家であったはずだ。
……要するに、この出し物にはジェンティルドンナとの婚約を望む男たちが挙って挑戦してきているのだ。
昨年のバレンタイン。
ジェンティルとお近づきになるための方法として俺を経由して贈り物をするという手段を取ってきた者たち。レースに集中したいジェンティルにとっては雑音でしかない行為であり、SNSを使って牽制したことで最近これといった動きはなかった。
だが、今回は別だ。
"力"を以て"結果"を出すことを重要視するジェンティルドンナから勝負の場を設け、勝ったなら言う事を聞くと宣言した。自ら口に出した以上、彼女は経緯がどうであろうと約束を守るだろう。
その願いがデートでも、見合いでも、婚約でも。
無論、普通に考えれば婚約を望む男たちに勝機はない。
ウマ娘であってもジェンティルドンナの腕力を上回るなど困難極まるのだ。ヒトでは何十人、もしかすれば何百人が力を合わせても及ばないかもしれない。
しかし、勝つ方法がこの世に存在しないかと言えば、そうでもない。
例えば、腕力自慢のウマ娘を何百人何千人と雇い消耗戦に持ち込めば、ジェンティルと言えど何時かは力尽きる時が来るだろう。その時に勝ったウマ娘に自分の望みを代弁させればいい。
流石に何千人も勝負するような時間はないし、悪辣な手段なんぞ認めなければいいだけではあるのだが、彼女は"力"と同じく"結果"を重要視する。感謝祭の時間内に限界が訪れて敗北したならば、全ては策略を跳ね除けることのできなかった自分の責任であるとして受け入れるだろう。
そんな可能性――敗北したことでジェンティルが誰かのモノになる情景なんて、想像するだけで怒りでどうにかなりそうになる。知らない男の隣に侍る彼女を想像するだけで皮膚に爪が食い込みそうなほど強く手を握るのが抑えられない。
「よく鍛えてらっしゃるわね。また機会があればどうぞ挑んできてくださいな」
「はは、正に赤子の手を捻るが如くだね」
気が付けば、男とジェンティルの勝負は決していた。
当然のことであるがジェンティルの完勝である。
「実を言うと、今日来たのは貴女に勝つのが目的ではないんですよ」
「へぇ」
勝負を終えた男の言葉にジェンティルは面白そうに反応を返す。その男の目は、ジェンティルではなく俺に向けられていた。
「一番手強そうなライバルの顔を直接見ておきたいと思いまして」
「慧眼ですこと」
向けられる強い視線に敵意は感じられなかった。それでも相応の圧はあって、負けじと睨むように見返す。
「まだ完全に手遅れではなさそうで安心したよ。それでは、また」
颯爽と立ち去る男の背が十分に離れたのを確認して息を吐くと、ジェンティルは表情を真面目なものに変えて何事かを考えているようだった。
「……先ほどの殿方が最も見込みがあるわね」
「まあ、それは同意かな」
男は協力者を雇うようなこともせず単身で挑戦に来ていたようだった。
列のできるだけ後方に並ぼうとするでもなく、整列と同時に並んで婚約希望と思しき男たちの中で最初に挑んで来た。
この後、恐らくは感謝祭の終盤に来る連中よりは余程に好感が持てる相手だった。
「知略は"力"と認めないなどと狭量なことは言わないけれど、一人を相手に寄ってたかってするようでは、ねぇ?」
あからさまにウマ娘を引き連れている者を見て呟くジェンティルの声は心底つまらなさそうだ。
つまらないのなら今すぐに願い事云々は取り下げてほしいのだが、彼女は聞き入れないだろう。ジェンティルが負けるだなんて思ってはいないが、未然に防ぐ手段があるのであればそっちの方がいいに決まっている。
……なにか良い方法はないだろうか。
「そうね、コソコソと機会を窺う臆病者をずっと視界に入れるのも面白くないわ。ひとつだけ条件を加えましょうか」
そう言ってジェンティルはスマホを取り出してSNSになにかを打ち込んだ。
慌ててその内容を確認すると、そこにはこう書かれていた。
『
それは、まあ改めて言われると当然のことではあった。
体力を消耗する勝負をひとりで受けている以上、一敗した時点で相応に消耗しているということであり、後はもう只管に願いを叶えてもらい放題ということにもなりかねない。すでにファン感謝祭の趣旨に沿ったお願いであれば勝敗に関わらず叶えてもらえると分かっている以上、ファンから文句が出たりもしないだろう。それでも、どうしても叶えてもらいたい願いがあるのなら、誰よりも先んじて彼女に挑み最初に勝てば良いだけのことだ。
「駆け引きが加速するのか、勇者が現れるのか。ふふ、どちらかしらね」
そのジェンティルの言葉を聞いて、閃いた。
挑戦権は一人につき、一回。
最初の勝者一人だけがなんでも願いを叶えてもらえる。
その一回が下衆な願いに使われてしまわないようにする方法。
俺が最初にジェンティルドンナに勝てばいいのだ。
スペースの一画に置いてある自分の手荷物の元へ向かう。
その中にはジェンティルからもらった『超ヘビー級』の鉄球が入っている。"力"でも彼女に相応しい存在に並ぶと誓った自分の成長の証であり、今ではお守りのようになっている鉄の玉。
それを手に取り、覚悟と共に力を込める。
ジムに通いジェンティルの指導を受けたことでヒトの男性としては十二分に優れた膂力を手に入れた自覚がある。だが、ウマ娘の中でも規格外の彼女と比較すれば足元にも及ばないのだろう。
そうだとしてもジェンティルドンナ相手に我を通したいのなら、その権利を勝ち取るしかない。
だから――。
「今日、勝つんだ。"力"でジェンティルドンナに」
――――――
正午を迎え、一旦昼食をとるために休憩を挟むことになった。
百を超える相手を捩じ伏せても腕に疲れはなく、誰が相手であろうとも負ける気はしない。
(だと言うのに、そんなにも信用がないのかしら)
案を出したとき、それはもうトレーナーから反対された。
その時点で起きる事態を予期した頭の回転は私のトレーナーとして評価に値する。だが、負けることが前提であるかのように話をされるのは少々業腹でもあった。
(……強行したのは大人げなかったかもしれないわね)
出し物の内容にも願いを叶えるという賞品を付けたことにも大した理由などなく、単純に感謝祭を盛り上げよう程度の意味合いだった。それがあんまりにも必死にやめろと言われたものだから、意固地になってしまったかもしれない。
(彼も勝てば文句はないでしょう)
自分で開催しておいて言うのもなんだが、こんな手段で私を手に入れようとする輩を相手にするつもりはない。ウマ娘の協力者を用意している者たちにしても、あの程度の戦力で私と勝負になるなどと考える分析力と判断力には呆れて物も言えない。
勝つべくして、私が勝つ。
だからトレーナーが心配するような事態など起きよう筈もないのだ。
まあ、もし仮にヒトの男性でありながら正面から私の腕力を上回る人物が居たなら流石に興味は持つだろうが。
(さっさと彼の心配の種を取り除いてさしあげましょうか)
昼食を食べ終えテーブルへと向かう。
まだ予定していた昼休憩時間は残っているが再開の報せを出してもいいだろう。
すると、テーブルの前には午前までとは違う位置に立つトレーナーがいた。
その目に決意の炎を灯して、鋭い視線が私を貫いてくる。
「一応、お尋ねしましょうか。どういうおつもり?」
「俺と勝負だ。ジェンティル」
先日、空中で一回転させられたのを忘れてしまったのだろうか、などとは思わない。
本気であることは一目で見て取れる。
なぜ、このような行動に及んだのかも理解できる。
だが、それでも。
例え相手がトレーナーであったとしても。
この私に
「勇気と蛮勇を履き違えていらっしゃるのかしら。それとも、まさか自分だけは手心を加えてもらえるとでも?」
「君を一番近くで見てきた俺にそれを問うのか。全力で来い。そうでなければ意味がない」
自然と口角が上がっていくのが分かった。スティルさんではないが、この目の前の愛らしい獲物を蹂躙したい欲求が湧き上がって仕方がない。
「いいでしょう。しばらく利き腕は使い物にならないと覚悟なさい」
本当に全力を出すと腕を引き千切ってしまうので出さないが、覚悟に敬意を表して折る。
覚悟も、プライドも、私への心配も。
圧し折り、叩き折り、手折る。
「貴方と私の勝負であれば審判を用意する必要もないでしょう。先手は譲って差し上げるわ」
開始の合図は不要。
トレーナーが手に力を込めたのに合わせて私も動く。
ハンデとも言えないハンデだ。
これ位は構わないだろう。
「後悔するなよ」
「させてご覧なさいな」
互いの肘をテーブルに付き、手を握り合う。
正面にトレーナーのギラ付いた瞳が映る。
「か弱い婦女子ならともかく、貴婦人たるこの
「確かにそうかもしれない。それでも俺は――」
言葉を区切り、鋭い呼気と共にトレーナーの手に力がこもるのを感じる。
それに呼応して私も力を込めようとして――。
「俺の愛バが他の男のモノになるのは我慢ならないんだぁーっ!」
その言葉に呆気にとられ、欠片も力が入らず手の甲がテーブルに叩き付けられた。
――――――
「……あれ?」
眼前の光景が信じられず、呆けた声を出してしまった。
乾いた衝突音は俺の腕の骨が折れた訳でも手の甲の骨が砕けた訳でもなく、俺が相手の手を叩き付けたが故に鳴った。
その事実を認識した瞬間、胸の内に湧き上がったのは勝利の喜びでも手を抜かれたことへの怒りでもなく、トレーナーとしての焦りだった。
「す、すぐに手当を!」
理由は分からないがジェンティルの手には一切力が込められておらず、対する俺は全力だった。
ウマ娘の膂力はヒトを大きく上回るが耐久力は大差ない。勢いよく木製のテーブルに叩き付けられて無傷では済まない。
緊急時のために用意していた救急セットから冷却スプレーと湿布に包帯を取り出してジェンティルの手を取ると、手の甲は赤く腫れあがっていた。
「本当にごめん」
くだらない嫉妬心から担当ウマ娘に怪我を負わせてしまうだなんてトレーナー失格だ。重たい後悔を感じながらも処置を進めるが、当のジェンティルからはなんの反応も返ってはこない。
「大丈夫か、ジェンティル?」
もしや手以外にも痛みや不調を生じているのだろうかと心配になったが、ジェンティルは治療を受けている手をじっと見つめるばかりだ。
「私としたことが、勝負の最中に気を取られるなんて」
「ジェンティル?」
やっと口を開いたジェンティルは呟くように言う。
「……それで、よろしいのね」
「えっ」
急いで手当しなければという焦りもあって、言葉の意味が測り切れず聞き返すだけになってしまう。
「私の叶える願いごと」
「手加減されたんだから、そんな資格ないに決まってるだろ」
なんのことか分からないが、俺には願いを叶えてもらう資格はない。
ジェンティルが勝負事で手を抜く訳がない。だが、事実としてジェンティルは無抵抗で敗北した。トレーナーである俺の男を立ててくれたとも思えないが、全力の勝負でなかった以上は当然無効試合だ。
「いいえ。過程がどうであれ"結果"は私の敗北。それとも、トレーナーは私を敗北しただけでなく約束も守れない女にするおつもり?」
「あーもうっ! 今それどころじゃないのに!」
ジェンティルが"結果"に拘ることは承知しているが、こっちだって担当に怪我をさせた上に頼み事までするなんて恥知らずな真似はできない。
そう思って、会話の違和感に気付いた。
「……あの、俺まだ願いごとなんて言ってないけど」
ジェンティルは『それでよろしいのね』と言った。
それはつまり、俺はすでに願いごとを言っていることになる。
「ルール、覚えていらっしゃらないのかしら」
もちろん覚えている。
挑戦権は一人一回。
勝負は一分以内につける。
なんでも叶えてもらえるのは最初の勝者だけ。
「
「あっ、……あ?」
そう言えば、それもあったな。
だが勝負の前に願いごとは言ってないはずで、やはり無効となるのではないだろうか。
「婚約者に立候補する訳ではないと言っていたけれど、随分と情熱的で荒々しい口説きですこと」
「……はえ?」
口説く?
俺が、ジェンティルを?
婚約者に立候補?
俺が、ジェンティルの?
一通りの治療を終えた俺は勝負が始まる前後のことを思い起こした。
そんな意味不明なことを言ったりしてないはずだ。
俺はただジェンティルが婚約希望者の男たちに不本意なことを強いられることがないようにしたかっただけで、敢えて願いごとを挙げるとすれば『自分を大切にしてほしい』とか『今後はこういうの禁止』とかのはずだ。
「俺の愛バが他の男のモノになるのは我慢ならない、だったかしら」
ジェンティルが蠱惑的な笑みを浮かべ、クスクスと艶やかな笑い声をこぼす。
……ああ、確かにそんなことを言ったような気がしてきた。
「そ、それは言葉の綾みたいなものでして。決して他の男に先んじて君を手に入れようなどと画策した訳ではなくてですね」
「ふふ、では取り下げるのかしら。二つ目の願いまで聞く筋合いはなくってよ」
それはつまり、発言を撤回すれば今後も似たような事態が起こり俺は今日のようなムカムカした気分を味わわさせられるかもしれないということだ。
「それでトレーナー。私は貴方の何で、どうして欲しいのかしら?」
最後のチャンスだとでも言うかのようにジェンティルが問うてくる。
表情はそれはもう愉しそうに歪んでいる。
その顔を見て、俺は腹を括って口を開いた。
「……はい、ジェンティルは俺の愛バです。他の男のモノになんてなってほしくないです」
「ええ。その願い、確かに聞き届けましたわ」
トレーナーが腕相撲で完全勝利してしまったのでタイトル詐欺かもしれない。