樫の栄冠   作:十者の鏡ニキ

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出会い

 それは夏の暑さに近づいてきている五月の四週目の日曜日の出来事だった。

 

 その走りは、自分には眩しすぎる光そのものだった。他のウマ娘も必死になって栄冠を掴み取ろうと走っている。だけど、それを嘲笑うように、まるで止まってしまっているかのように、その光は一瞬で突き抜けていった。

 

 光がゴール板を走り去ると同時に、地鳴りのような歓声が体全体を覆う。地面ごと揺れているのがわかるくらいだった。

 

「どうだい? 凄いだろ?」

 

 この光景、歓声の全てに飲まれ立ち尽くす自分を母は見るなり、楽しそうな表情でそう言った。俺は答えが出せなかった。なんと言えばいいのか。凄いの一言では言い表せない、そんなものを今体感しているのだから。

 

 それを見越しているのか、母は少し微笑みながら言った。

 

「これが競バの凄ささ。見る人の狂気と歓喜、ウマ娘の気迫や想い、走りが全て入り混じった世界さ。まあ、これを見てトレーナーを目指せとかは言わない。けど、こういう世界を一つの楽しみにするのもいいんじゃない?」

 

 楽しみに……、か。いいかもしれない。水泳を辞めてからずっと、楽しみというものが何もなかった。こんな凄い世界を楽しみにできるのなら、競バも悪くないかもしれない。

 

 いや、競バというよりあのウマ娘を追い続けることが。いや、追い続けるだけじゃなく、自分の手でこんな走りができるウマ娘を育てることができれば、今の自分のように感動する人を。そういう人になれれば自分の人生にも意味があったんじゃないか。

 

 目指してみよう。この世界を作る一員を! トレーナーという仕事を!

 

 ここから自分の第二の人生が始まっていった。

 

 

 

 

 あの日から14年の月日が流れようとしていた春。俺は澤田涼一郎(さわだりょういちろう)。身長は170あるかないか。

 

 顔のパーツはフツメンって感じで、裸眼ではなく丸メガネを掛けている。イクノディクタスほどデカいメガネではないが。

 

 体重は現在筋トレに成功して70キロ台付近でがっしりとしているらしい。

 

 ちなみに趣味は筋トレとギター。ギターの方はたまに学園祭などの出し物で披露しているレベルではある。

 

 そんな俺は、あの日夢見たトレーナーにはなれていた。

 

 日本最難関の大学に合格するよりもよりも難しいとされるトレーナー試験に、大卒で一発合格という奇跡を成し遂げた。

 

 周囲からもさぞ優秀なのだろうと大いなる期待もかけられていた。自分もこの実績に自信を持ってあのウマ娘のようなプレイヤーを育てるつもりでいた。

 

 しかし、現実はそうはいかなかった。デビュー初年度の子をG3まで送り出すことはできた。その後もちょくちょく重賞出走を果たすことができている。

 

 しかし、そこから先が進まない。目標のオークスはおろか、他のG1やJPN1にも出走できていない。

 

 色んなことを試してはいる。メンタルトレーニングを取り入れたり、他の一流トレーナーの教えを取り入れたり、最先端の指導法を学びそれを反映させるなど努力はしている。でも、最高でG2出走止まりなのだ。

 

 ここまでで勘のいい人なら気付いていると思う。そう。重賞出走はできていても勝ったことすらないのだ。

 

 これまでの最高成績はマーメイドステークスでの3着が1回。他は掲示板が3回あるだけで、残りの15回は全て掲示板外。

 

 これでは賞金の加算もできない。なので、上のG1に進めないのだ。

 

 周囲のトレーナー達は、表向きではこの歳にしてはようやっとると言ってくれる。しかし影では期待はずれ、一発合格はフロックだったと散々な言われようだ。

 

 やることはやっているのに全然成果が出ない。あの合格は周りの言うようにまぐれで、才能なんてものはなかったのだろう。目指した夢を叶えたはいいが、何も成し遂げられずにこのまま人生を終えるのだろう。自分の心は常に閉塞感に覆われていた。

 

 身の上話はここまでにして、今日はデビュー前のウマ娘達の模擬レースが行われる。

 

 模擬レースではトレーナーが色んなウマ娘を見て、彼女達の中から光るものを感じた子をスカウトする。そこで本人が了承し契約が成立すれば、その子の専属トレーナーになるという仕組みになっている。

 

 模擬レースを通さずに、トレセン入学前などにトレーナー直々にスカウトをするという場合もあるにはある。ただそれは、超有力なトレーナーしかしないし、やったところで成功しないので、俺のような弱小トレーナーは模擬レースでスカウトするしかないのだ。

 

 なので、この模擬レースは非常に重要なものなのだ。ここでダイヤの原石が見つかれば、重賞タイトルなどを夢見れる。どのトレーナーも必死になって目を光らせるのだ。

 

 ただ、俺は今そのやる気があまりない。出ない。丁度今教え子が全員卒業していない状態なのにだ。

 

 それは俺がスカウトしても3着止まりじゃ可哀想だし、上手く育てられる自信が湧かない。

 

 それに、大半の逸材は模擬レース前から誰が付くかがほぼ決まっている。このレースで見つかるのなんて、砂丘で砂金を探すに等しいことだ。

 

 そんな言い訳をしてボーッとしながら模擬レースを3レースほど見ていた。

 

 3レース見た感想だが光るものが感じられない。前につけるも粘れない。後ろから追い込むもキレが足りない。それで時計もそんなに出ないし、上がり3ハロンのタイムも冴えない子ばかり。今日はいないのだろう。次が最後らしいからそこまでは見てみよう。

 

 4レース目は1800メートルの左回り。デビュー前の子達にしては少し長いかもしれないが、悪くはない距離だ。ちなみに最近10年ではダービーを取る子はこの距離以上の模擬レースを走ってスカウトされた子らしい。まあ、それはどうでもいいか。ダービーを目指すなんて今はとてもじゃないが言えた身分ではないし。

 

 そんなことを考えているとレースがスタートしていた。逃げの子のペースは早い。1000メートル通過は59秒。早い。このペースだと前の子は潰れるかもしれない。となると、後ろからどれだけの脚を見せて伸びて来れるかが注目点だな。そう思い、隊列の後ろの方に目をやろうとした時だった。

 

 前からおおよそ3番手にいる4番のゼッケンをつけた子が、スッと外へと持ち出す。次の瞬間。一気に先頭へと飛び出していったのだ。それに驚いた他の子達もペースを上げる。

 

 このハイペースに付き合ったのに、残り800でロンスパ? 無謀すぎる。こんなの絶対に保たない。どこかで潰れる。しかし、何故かこの子に目を奪われる。この子から光るものを感じてしまう。運命的な何かが見えてしまう。後ろの方にやろうとした目は4番を追いかけていた。

 

 4番の子は残り600メートルの時点で4馬身の差がある。ロングスパートをかけたのだから普通は縮まるか、良くてキープだろう。だが、この子は違った。

 

 逆にどんどんと突き放していくのだ。5馬身、6馬身、7馬身とあっという間に差が広がっていく。後ろがバテたからか? いや、違う。この子が早すぎるんだ。早すぎるだけなんだ。圧倒的なスピードで突き放しているだけだ。

 

 暴力。末脚の暴力。まさにそう呼ぶに相応しい脚だ。目の前を通り過ぎると旋風(つむじかぜ)が通り過ぎたような錯覚に陥る。それと同時に、あの時に見た光と同じように、彼女が光り輝いて見えた。何者よりも眩しく、暗闇を貫く強く鋭い光に。

 

 そして、最終的には10馬身以上の差を付け、大差でゴールした。上がり3ハロンは32秒5という凄まじいタイムだ。凄い、凄すぎる。なんというウマ娘なんだ。

 

 この姿はまさにあの時に見たあのウマ娘とそっくりだ。

 

 この子をスカウトできれば、G1は。いや、オークスだって夢じゃない。行くしかない。なんとしてでも、スカウトしてみせる。

 

 気がつくと俺は、ゴール後にゆっくりと走る彼女の元へ向かっていた。

 

「き、君!」

 

 声を掛けるとこちらを振り向いた。背は160はないくらい。少し大きな耳に憂いを帯びつつもキリッとした美人系の顔立ち。そこからはどことなく賢さも感じられる。

 

 体型の方はスラっとしたバランスの取れた感じで、どこか強調するような感じはない。ウマ娘というだけあって完璧に近い顔と体だ。

 

「なんですか?」

 

 少しだけ高く疑うような声で返事をする。

 

「ま、まだスカウトされてないよね。もしよかったら俺が――」

 

「お断りします」

 

 そう言い残すと、彼女はこちらを一切見ずに校舎の方へと帰っていった。まだ要件を完全に言えてないのに断られてしまった。

 

 まあ、自分に力がないから断られただけだろう。仕方ない。また見つければいいさ。そう思っていたが、不思議な光景を目の当たりにした。

 

 なんと、どのトレーナーも彼女に一切声をかけないのだ。あれほどの走りを見せたのに、何故誰も声をかけないのだろう。そう思っていた時だった。

 

「君、凄い勇気あるのねえ」

 

 見ず知らずの若手の女性トレーナーに話しかけられた。その表情からは、どこか馬鹿にされているような雰囲気を感じ取れた。

 

「どういうことですか?」

 

 俺がそう言うと、彼女は呆れたような笑いを浮かべていた。

 

「あの子、今まで誰のスカウトも断ってきたらしいのよ。だから、誰も声をかけてなかったのよ。あんたが1年ぶりくらいに声かけたんじゃない?」

 

 なんということだ。だから断られたのか。ということは、自分の実力不足ではなかったということだ。

 

 ということは、もし自分が彼女の心を掴めればトレーナーになれるというわけだ。明日から積極的にアプローチ掛けていこう。ただ、名前はなんというのだろうか。そのトレーナーに聞くとこう返ってきた。

 

 ヴィルベルヴィント。ドイツ語で旋風の意だそうだ。俺は決めた。ヴィルを絶対にスカウトしてみせる。そしてオークスを、樫の栄冠を掴んでせる。このチャンス、絶対に逃さない。逃してなるものか。毎日通い詰めてでも何してでもやってのける。決意を心一杯に詰め込んだ。

 

 

 

 

 それから毎日彼女の元を訪れた。朝の自主練習の時、昼食をとっている時、夕方の練習終わりなど、あらゆるタイミングで声を掛けに行った。

 

 もちろん誰かといる時とか何か重要なことをしてそうな時を除いてだ。まあ、ヴィルには友人がいないのか、基本1人だからそう言う場面はあまりなかったが……。

 

 結果として勧誘する度に断られた。冷たい表情と言葉で淡々と断られた。ある時には迷惑なので来ないでとも言われた。だが、諦めきれない自分はそれでも通い詰めた。そうやって縋るしかなかった。

 

 そうして10日が過ぎた夕方。彼女を探していると、図書館に辿り着いた。この時間は基本トレーニングをしているはずだが珍しい。自分はそう思いながらヴィルの座る席の前に座った。

 

 机に広げられたノートや教科書を見るに、どうやら勉強をしているようだ。トレセンの学生とは言え勉強は重要だから、そちらにも手を抜かないと言うことなんだろう。少し感心していた。その時だった。

 

「私の前に黙って座ってこっち見て。なんなんですか?」

 

 いつも通り冷たい声と表情をしていた。まあ、親しくもない、むしろ迷惑をかけている男が目の前に何も言わずに座っていたらそう言う反応をするだろう。こればかりは仕方ない。

 

「い、いやー。珍しく図書館に来ていたみたいだから、つい追いかけて来ちゃったよ」

 

 少し照れ隠すように笑って誤魔化す。そんな俺を見て、ヴィルははぁーと深い溜息をついていた。

 

「まあいいわ。別に今日は勧誘とかそう言うの言って来てないから別にいいわ。ただ、そう言うのした瞬間追い出すから」

 

 ギロリとこちらを軽く睨む。ここまで釘を刺されたら出来ないなあ。仮にやったとて追い出されるのがオチだろう。それにここでそう言う騒ぎになれば、ヴィルにも迷惑がかかる。今日は諦めてまた明日出直そう。

 

 そう決めて席を立とうとした時だった。ちらっとだが、ヴィルの開いたノートが見えた。

 

 なるほど。数学をやっているのか。久しく数学はやってないが、これでも学生時代は理系だったから今でも多少は解けるはずだ。

 

 どれどれ。ヴィルの解いた問題を見てみよう。そう思いノートを(のぞ)くと、驚きに光景が目に飛び込んできた。

 

「違う……。全部違う……」

 

 思わず口に出て呟いてしまった。そう。どの問題も答えがまるで合ってないのだ。因数分解の問題のようだが、一応数式にはなっている。数式にはなっているのだが、計算がまるで合っていないのだ。

 

 一体何故。わざとやっているのか? 誰かにいじめられてそう言うことをやらされているのか? ヴィルのプライベートが心配になってきてしまった。

 

「なによ。そんなに私のノートじろじろ見て」

 

 不機嫌そうにヴィルが言ってくる。

 

「あっ、いや。見てたら答え全部間違えていたから何かあったのかなあって……」

 

「えっ⁈ 嘘っ⁈」

 

 俺の言葉にヴィルは驚いていた。この反応を見るに、彼女は全部自信を持って答えていたようだ。

 

 と言うことは、ヴィルは純粋に勉強ができない子なんだ。だから、いじめられてるとかそう言うのはないようだ。少し自分の中で安心した。

 

 いや、それはそれで良くない。勉強が疎かになればそれなりのペナルティーもあったはずだ。

 

 これは邪推だろうが、今勉強してるのも成績が悪くて追試とかを課されているからその対策にと言うことなのではなかろうか?

 

「言いにくいんだけど……、もしかして追試対策とかで勉強してた?」

 

「そうよっ。私こう見えても勉強が全然出来ないのっ。追試が無ければ、今頃外でトレーニングしてたわよっ」

 

 不機嫌だったのがさらに増してより一層不機嫌そうになっている。あまり良くないのだが、そう言う様子が少しかわいいと思ってしまった。

 

 それは一旦置いておいて、ヴィルはこのままだと追試は絶対に落ちるだろう。ならば自分が助け舟を出そう。

 

 多少はそう言うのからスカウトが上手く行くんじゃないかと言う下心はあるが、これだけの才能が勉強ができないで潰れるのはなんとしてでも阻止したい。

 

「じゃあさ。俺が勉強を教えるよ。こう見えても、それなりの大学出てるから勉強はできる方だったんだぜ」

 

 俺がそう言うと、ヴィルは素っ気ない態度をとった。

 

「別にいいわよ。私が努力しないといけないんだから」

 

「けど、このままじゃ間違いなく次の追試も落ちるし、下手したらここ辞めないといけないかもよ? それでいいの?」

 

 俺の言葉に痛いところを突かれたのか、少し舌打ちしていた。

 

「……わかったわよ。ただし、私が教えて欲しい時は常によっぽどの事情がない限り、5分以内に教えなさいよ」

 

「了解。じゃあ、連絡先教えて。それで答えるから」

 

 こうして俺はヴィルの連絡先を手に入れることができた。まあちょっと脅しに近い形になってはしまったが、勉強で才能が潰れることを阻止できたんだ。これで良かったはずだ。俺は自分にそう言い聞かせた。

 

 

 

 

 ヴィルの連絡先を思わぬ形でゲットしてから2週間が経った。俺が教えたお陰か追試はなんとか乗り越えられたらしい。

 

 追試を乗り越えたらもう連絡が来なくなるかなあなんて思ってたが、意外なことに今も続いている。

 

 基本は勉強のこと。教える内容は数学がメインだが化学や物理、英語、古典、日本史と多岐に渡る。文系は専門外だが、なんとか教えられている。今になって学生時代に勉強をやっていてよかったなあと心の底から思っている。

 

 それからごく稀に走りについても聞かれることがある。そう言うのはないと思っていただけにびっくりしている。

 

 専属トレーナーではないからみっちり教えるのはどうかと思ったが、聞かれた以上答えない訳にはいかないので、自分の理論をフル稼働させて答えている。これが為になっているかはわからないが、プラスになっているなら嬉しいこと限りない。

 

 それが今のヴィルと自分の関係性だ。

 

 それから、この2週間でヴィルについて情報を集めた。田舎出身という事もあり、同郷や事情を知っているウマ娘は中々いなかったが、3日前にようやく見つけた。

 

 その子も詳しく知っている訳ではなかったが、3つ情報をくれた。もちろん、それなりの報酬を渡す代わりに教えてもらっている。

 

 まず、ヴィルは地元では知らない人がいないくらい脚の速いウマ娘だったらしい。地元のクラブではブイブイ言わせてたらしい。

 

 そして、当時の彼女は今よりも明るく笑顔が絶えないウマ娘だったとのことだ。俺は今の無愛想な様子しか見ていないから、意外すぎて驚いたが、見せてもらった昔の写真を見るとそれが本当だったことがわかった。

 

 最後に、実は関ヶ原(せきがはら)という非常に有名で、ダービーウマ娘も排出したことのある名トレーナーと入学前から契約する予定だったということだ。

 

 しかし、それが何故かなくなってしまい現在までトレーナーなしの状態らしい。その頃から笑顔がなくなったとも言っていた。

 

 契約がなくなってしまった理由はわからない。ただ、自分を含めた他のトレーナー達を寄せ付けなかった理由はここにありそうな気がする。

 

 しかしだ。それがわかったとてどうすることができるのか。そもそも自分に解決できることなのだろうか。関ヶ原さんに会わせて話をつけさせる?

 

 いやいや。そんなことしたらその時のトラウマとかが蘇るだろう。

 

 やはり自分が専属トレーナーになるのは無理なのではなかろうか。今のような形で携わってあげるのがベストなのではなかろうか。

 

 幸いにも今のトレセンは専属トレーナーなしでも、デビューできないことはない。そう言う道もあるし、おそらくトレーナーで苦い思いをしたヴィルはその道を望んでいるのだろう。

 

 だとしたら、自分は影から応援するのがベストだろう。それでいいじゃないか。それでも間接的に夢を叶えられるんだから。俺はそう心に暗示をかけていた。

 

 そう思いながら1日はゆっくりとすぎていき、夕方になっていた。だがヴィルはトレーニングに現れない。何かあったのだろうか。

 

 追試とかは全部済んでいるはずだし、委員長のような役職はなかった。そう言えば朝見た時少し元気がなかったような……。何か嫌な予感がする。寮に帰れているならいいがそうでないなら大変なことになっているかもしれない。

 

 俺はヴィルの連絡先にメッセージを送る。2分後、メッセージが返ってきた。

 

“助けて……”

 

 このメッセージを見た瞬間、場所もわからないくせにグラウンドを飛び出し、校舎に向かった。

 

 食堂、図書館、保健室、教室に行ったがどこにもいない。学園のあちこちを探したが見当たらない。最後の望みをかけて校舎裏に向かった。

 

 そこには、壁を背もたれにして座り込むヴィルがいた。

 

「ヴィル! 大丈夫かっ⁈」

 

 俺は必死に呼びかけるも、ヴィルは返事をしない。呼吸も荒い。おでこを触ると酷い高熱だ。

 

 これは一刻を争うのではないか。俺はヴィルをおぶって、病院へとダッシュで向かった。

 

 

 

 

 トレーナーは、もっと言うと他人は信用ならない。

 

 私との約束を反故(ほご)にしてまでも、別のウマ娘との契約を優先するのだから。後任を探すと言っても、結局探してくれなかった。

 

 私の家が貧乏で伝手も何もないから? 権力がないから? だから捨てられたのか。きっとそうだ。間違いなくそうだ。

 

 だって、あのトレーナーと契約したのはお金持ちで名家のウマ娘だもん。私なんか、はなから捨てるつもりだったんだ。

 

 あれから私は誰も信用しなくなった。信用できなくなった。上手く笑うことが出来なくなった。そしたら誰も私の周りから居なくなった。

 

 寂しさはもちろんあった。けど仕方がない。笑えないし、信用できないんだから。寄りつく方が可笑しいんだ。

 

 そんな中で、あいつ……確か涼一郎と言ったはず。あの男が現れた。無愛想に追い払う私にしつこいくらいついてきた。それに加えて苦手な勉強まで教えてくれた。

 

 下心はあったかもしれない。けど、嫌な顔せず私の無理難題に答えてくれた。契約もしていないのに走りについても意見をくれた。

 

 久しぶりに見た。あんなに優しい人。あの人、涼一郎なら信じてもいいのかもしれない。あの人、涼一郎なら――――

 

 

 

 

「……ここは?」

 

 2時間後。ヴィルが目を覚ました。よかった。もしかするとこのまま目を覚さないんじゃないかと思ってたから、目を開けてくれてよかった。

 

「病院だよ。倒れてたのを運んできた。別に重い病気じゃなくて、風邪と過労だって。寮の方には事情を説明してあるから、今日はここで1日過ごしてもらうよ」

 

「そう……。ありがとう」

 

 ヴィルはベッドで横になったまま小声で答えてくれた。

 

「食事とかも、食べたいものがあったら教えて。そうすれば買ってくるから」

 

 そう言うとヴィルは首を横に振った。

 

「別にいいわ。お腹空いてないから」

 

 ヴィルがそう言ったので、自分の分だけを買いに下のコンビニまで夕食を買いに行った。買い終わって病室に戻ると、ヴィルは身体を起こして、窓の外を眺めていた。

 

「おかえり。早かったわね」

 

「空いてたからな。それに買うものは決まっているし」

 

 そう言うとヴィルは、そうなのねと言って少し微笑んでいた。自分と話している時に初めてみせる表情だ。あの子はよく笑う子で笑顔が素敵だとと言っていたが、確かにその通りだと思った。

 

「りょ、涼一郎はなんでトレーナーを目指そうと思ったの?」

 

 突然、ヴィルに聞かれた。何故こんなことを聞くのだろうか? 不思議に思ったが、聞かれた以上は答えないといけない。俺は真剣に語ることにした。

 

「俺は子供の頃は競バにもウマ娘にも興味がなかった。だからトレーナーは子供の頃からの夢じゃない。その時は水泳をやってたから、水泳選手の方が夢だった。実際俺はバタフライでかなり有名な選手にはなれていた」

 

「じゃあ、なんで水泳からトレーナーに?」

 

「高校2年生の3月に辞めたんだ。先輩とかにいじめられてな。才能がある後輩が妬ましかったんだろうな。物は隠すし、ロッカーに閉じ込められるし、トイレしてたら上から水を掛けられるし……。本当に酷い事ばかりで嫌になって辞めたんだ」

 

 思い出すだけでも辛いものがある。本当に色んなことをされた。助けてくれる人もいたが、それでも限界が来てしまった。だから、辞めてしまった。

 

「そんなことがあったのね……」

 

 ヴィルは少し悲しそうな声色をしていた。

 

「それで夢がなくなって、毎日ヤケになって生きてた頃に母親から競バに連れてかれた。それがグレートサイトのオークスだった」

 

「あの、グレートサイトのレース?」

 

「そう。強かったよ。それよりも自分にはグレートサイトが光に見えた。闇の中を[[rb:彷徨 > さまよ]]う自分には眩しすぎる光だったよ。そして、その時の歓声と狂気。これに魅せられた。その時に思ったんだ。こんな光景を自分が育てたウマ娘で作れたらって。だからトレーナーになろうって思ったんだ。オークスをグレートサイトのようなウマ娘で獲ろうって。けどまあ大卒でストレートでなれたのはいいけど、成績はからっきしでオークスとか夢を叶えられる気がしないんだけどね……」

 

 俺は少し苦笑いをした。ヴィルは黙って話を聞いてくれている。

 

「ヴィルをスカウトしようと思ったのは、あの時のグレートサイトのような光を感じたんだ。あの子なら絶対自分の夢を叶えられるって心が叫んでたんだ。だから君に声をかけた」

 

「…………」

 

「まあけど、ヴィルと色々やり取りしたり調べていくうちにわかったよ。ヴィルはトレーナーが信用できないんだろうなあって。だから拒んでいるだろうなあって。今みたいに、影から支える感じでいいと思ってたんだよ。それでヴィルがオークスを獲れば間接的に夢も叶うはずだからさ。だから明日からは誘うのをやめるよ」

 

 それからしばらく、沈黙が俺とヴィルを包んでいた。お互い何も言わずただ黙っているだけだった。

 

「あ、あのね、涼一郎」

 

 沈黙を破ったのはヴィルの方だった。

 

「どうした?」

 

「涼一郎も昔のことを話してくれたんだから、私も話すね。昔何があったのかを」

 

 そう言うとヴィルは静かに語り出した。

 

 ヴィルはあの話の通り、関ヶ原トレーナーと入学前に契約を交わしていたらしい。無事に入学して契約を交わす数日前に、事故に遭った。飛び出した子供を守る為に車に轢かれてしまったそうだ。

 

 命に別状こそなかったが、再起できるか怪しいレベルの怪我を負ってしまった。契約ではそういう怪我を負っても面倒を見てもらえるようたったが、それを反故にされ契約を破棄されてしまう。

 

 後任を探すと言われたが、怪我をしたウマ娘を見てくれる人はおらず今の今までトレーナーが付かなかった。

 

 学園を辞めてしまおうとも考えたが、貧しい家庭から送り出してくれた母親のことを思いそれができず、学園に残った。

 

 その結果リハビリを頑張り、ほぼ元通りまで走れるようになってはきたらしい。ただその一件以降、他人が信用できなくなった。そこで、トレーナーを付けずにデビューしようとしていた所、俺にスカウトされたらしい。これがここまでの[[rb:顛末 > てんまつ]]顛末だ。

 

 やはり、トレーナーが信頼できないようだ。だとすると、誘うのではなく遠くから見守る方が良さそうだ。心に深い傷を負っている子にそういう無理をさせるのは良くない。そうしよう。

 

「やっぱり、誘わない方がいいみたいだね。そういう悲しい過去があるんなら、なおさら――――」

 

「違う。そうじゃない」

 

 俺の話を遮りヴィルは声をあげた。

 

「確かに涼一郎に声を掛けられた時は信用できなかった。毎日声を掛けられても信用できなかった。でも、勉強を教えてくれて、走りにも意見をくれてそうじゃないってわかった。5分以内に答えろって言ったのに、毎度それをちゃんと守るし、私が素っ気ない態度でいても笑顔で接してくれる。それでこの人なら裏切らないし、きっといい方向に導いてくれるって、初めて思えた。だから、私は涼一郎を専属トレーナーにしたい。涼一郎の元で走りたい!」

 

 普段のヴィルからは想像できないくらい、力強い言葉で言った。

 

「本当に、俺でいいのか」

 

「あなたじゃなきゃダメなの。あなた以外で走る気はない」

 

「……。絶対に後悔させない。ヴィルにオークスを、樫の栄冠を掴ませる。絶対に、絶対にだ」

 

「期待してるわよ。私も頑張るから」

 

 俺とヴィルは手を取り合い、固く結んだ。

 

 

 

 

 2日後。朝のトレーニングにヴィルはいた。最近まで誰の様子を見ることもなかった俺が、今はヴィルのトレーニングを組み立てている。

 

「そのペースでいい! それ以上あげたら保たないからそのペースで走れ!」

 

「わかったわ」

 

 言われた通りにヴィルはペースをキープする。そこから残り3ハロンになった。

 

「よし、今だ! あげろ!」

 

 その掛け声に合わせてスピードを一気に上げる。そのスピードを維持したまま、ゴール板を駆け抜ける。うん、いいタイムだ。

 

「ナイスラン! 朝はこれくらいでいいだろう。軽くジョグしてから、ストレッチするぞ」

 

 ヴィルは駆け抜けた後、ゆっくりのペースで走っていた。

 

「凄いねえ君」

 

 模擬レースで声を掛けてきた女性トレーナーから、再び声を掛けられた。ただ今は羨ましそうな様子をしている。

 

「まさかあの子のスカウトに成功するなんて……。羨ましいよ」

 

「諦めないことですね。そうすればどうにかなりますよ」

 

「数週間かかったんでしょ? 普通は無理だよー。けど、それが出来ちゃうからスカウトできたわけだしね。私も真似してみますか。それじゃ」

 

 彼女は去っていった。

 

「話は終わったようね。ストレッチ、付き合ってもらうわよ」

 

「おう!」

 

 ヴィルは座り込む。俺は背中をゆっくり軽く押す。前屈の動きだ。中々柔らかい筋肉の持ち主のようだ。すごく曲がる。

 

「柔らかいなあ。これだからあのスピードが生まれるんだろうな」

 

「そう。ありがとう」

 

 ヴィルは嬉しそうにしていた。

 

 これから毎日こういうことが続いていくのだろう。ヴィルが引退するその日まで。長い道のりだが、俺たちなら何かしら、いや樫の栄冠を掴める気がする。俺たちならきっとやれる。できる。できる!

 

 俺は心でそう唱えながら、ヴィルのストレッチの補助をするのだった。

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