走る意味を探していた少女が碧の女王と呼ばれるまでの物語 作:シャケサバ
春の心地よい暖かさと丁度良い肌寒さはすでに姿を消して、梅雨なんてあったっけと思わせるくらいに燦々とした太陽が容赦なくターフに照りつける。
もう日焼けとかじゃなくて、突然体が燃えそうなレベルで暑さを感じる…
喉が渇く前に水分補給しないとって言われてるし、とりあえず水でも飲むか………
あれっ?あ〜ヤバい、さっき飲み切ったの忘れてた……
「忌々しい太陽め…私から水まで奪うのか……」
「…はぁ、お前は一体何を言っているんだ?ほら水だ」
「あっ、グルーヴ…水ありがとう」
「この暑さなんだ、もう何本か持ってくるとか用心しておくべきだぞ」
呆れた様子で水を持ってきてくれたのは、今日の併走相手エアグルーヴだ。
「今日はありがとう、グルーヴ」
「別に構わん、こちらとしても良い練習が出来た」
「そういえば、初勝利おめでとう」
「ん?あぁ、ありがとう」
エアグルーヴは7月末のレースで初勝利を挙げた。デビュー戦は惜しくもクビ差で落としたけど、二戦目では5バ身差を付けての完勝だった。
「2レースとも良い内容のレースだったね」
「なんだ見ていたのか…デビュー戦で勝てたら良かったんだがな。ただすぐ次で勝てたのは良かったが、まだまだだな。私の思い描く理想には程遠い…」
実にエアグルーヴらしい感想だ。
数ヶ月一緒にいることが多かったから、なんとなく彼女の性格は把握できた。
彼女はとにかく真面目だ。
真面目な上に努力家である。
現状に満足せず、努力が出来るタイプ。
競う相手としては、この上なく厄介な存在なんだよなぁ…
楽しいの確かだけど…
「私の方を見て、どうしたんだ?」
「いや、なんでもないよ」
彼女はこれからもどんどん強くなる。グルーヴだけじゃない、エトワールやクリス、アスター、アストラルもこれから成長してくると思うと、私も現状に満足はしていられない。
(私も頑張らないと…)
そう思いながら、グルーヴのトレーナーと話している自身のトレーナーを見る。
何やらかなり話が盛り上がってるみたいだ。
確かグルーヴのトレーナーさんも初めて担当を持つみたいだし、しかもお互いの担当は同期。
そういった共通点があるトレーナー同士積もる話は多いだろうから仕方ない。
トレーナーといえば、みんなあの選抜レースで契約出来たみたいでとりあえず良かった。クリスやアスター、アストラルもそれぞれレースに勝ってたし、エトワールは勝てなかったけど、あの走りなら問題無いだろうと思ってたら、アルケスに入ったと聞いて驚いた。
ローレルさんのこともあるだろうから大変そうだと思っていたけど、トレーナーさん曰くアルケスにはもう一人トレーナーがいるから大丈夫だそうだ。さすが大所帯のチームだ。
そんな中、一筋縄では行かなかったのが横にいるグルーヴだ。選抜レースで勝ってあるトレーナーと担当契約したものの、上手く合わず契約解除。しかもこれが短い期間で二回もあった。
それもあってか他のトレーナーからの評価が少し難しいものになってしまった。
『エアグルーヴは才能があって、強いウマ娘なるだろうが、気性難だ』
こう思われてしまったら、中々トレーナーとの契約が決まりにくくなってしまう。更にそこから三回目契約解除が起こってしまい、今後の担当契約が混迷を極めるかと思われた。
そこに現れたのが今私のトレーナーさんと話している人だ。
エトワール達の話によると、グルーヴの無茶ぶりのような要求にもしっかりと応えているらしい。
「ねぇ、グルーヴ」
「なんだ?」
「グルーヴのトレーナー、良い人そうだね」
「なっ…、なんだいきなり!?」
「いや、練習中の指示も的確だったし、良いトレーナーだなぁと思ってさ」
「そ、そうか。だっ…だがアイツはまだまだ私の理想には足りていない」
「そうなんだ、中々良いと思うけどね」
グルーヴの理想が高すぎるんじゃと思うけど、余計な事は言わないでおこう。
「いや、アイツにはいち大人としての自覚が足りん。知っているか、奴のトレーナー室は掃除がまるで出来ていなかった…だから私がしてやった。冷蔵庫に食材が無かったので、普段の食事はどうしているのか聞けば、インスタント食品中心の生活だと言う。インスタント食品が悪いわけではないが、トレーナーであればバランスの良い食事がいかに大切であると分かっているはずなのに…だから私が弁当を用意してやってる。身だしなみに関しても……」
「もういい、もういい…」
「む…?そうか、まだまだあるんだがな…まぁ確かに一つ一つ上げていったらキリが無いな」
「ヘェーソウナンダー」
なんで私は暑い中、こんな惚気話を聞かないといけなかったんだろ…
掃除の為に部屋に行って、お弁当作って…
「……色んな意味であのトレーナーには、オカングルーヴには合ってると思うよ」
「たわけ!?誰がオカンだ!」
「…いや、オカンじゃんもう!」
「なぁっ…!?」
「逆になんでそんなに驚いてるのかが不思議だよ…」
グルーヴのとこも大概だなぁ…
「おや?何の話をしていたんだい?」
「なぁ、あんまりそういうこと聞かない方がいいんじゃないか?年頃の女の子の話に割って入るのはあまり良くないって聞くしさ」
「…お前ホントにやっていけるのか?」
話が終わったトレーナー達がやってきたけど、グルーヴのトレーナーは随分と腰が低いというか、なんというか…
「はぁ、たわけ…貴様は一体何の心配をしているんだ…」
「そんな大した話はしてないですよ。グルーヴのトレーナーさんは優秀だって話をしてただけです」
「おまっ…!」
間違ったことは言ってない。
私はグルーヴのトレーナーに対する印象を言っただけである。あんな惚気話は一旦心の片隅に……いや帰りにどっかほって帰ろう。
「いや、僕はまだまだだよ。全然彼女の理想には届いていない。それどころか及第点がどうかも怪しい…この前のレースもデビュー戦で勝たせてあげれなかった。次のレースを勝てたのもグルーヴの実力あってこそだった」
「そんなことは…」
「だから僕は彼女の横に並ぶにふさわしいトレーナーにならなきゃいけないんです。グルーヴを支える杖にならないと!」
はぁ……
良い事を言ってるところ申し訳ないけど、もうお腹一杯です。
グルーヴさん…顔はキリッとさせてても、尻尾で喜んでんのバレバレだからね…
トレーナーとしての決意は立派なもんだけど、さっきのグルーヴの話と相まって惚気話にしか聞こえない…
「どうしたの? ルミナス」
「いえ、何でもありません…」
「長々と待たせてしまってごめんね。じゃあ私達はこれで失礼するよ」
「お気になさらず〜」
「おう、今日は一緒に練習出来て良かったよ。ありがとう」
グルーヴのトレーナーと私のトレーナーさんは、同期では無いけど年齢が同じらしく仲が良いトレーナーの一人らしい。
「かなり謙虚な方でしたね」
「ハハハ、でもやる時はやるやつだよ。実際優秀なのは間違いない」
「そうですね、ただ…」
『優秀なのは間違いない』
トレーナーの言葉に私も同意する。
グルーヴのトレーナーが優秀だと思うからこそ、自分の中に何とも言えない小さな引っ掛かりを覚える。
「ふむ…」
「ルミナス?」
「グルーヴが勝てたのは、間違いなくあのトレーナーの力もあったでしょう。それでもあの人はグルーヴの実力によるものだと言いました」
トレーナーは私の言葉に対して、少し苦笑いを浮かべる。
「言いたい事も分かるし、気持ちも理解出来る。なんというかトレーナーってそういうもんなんだよ」
「ですがっ!」
「トレーナーってのは、担当が勝つためにいくらでも自分を犠牲にすることが出来る。僕もそういうトレーナーを何人も見てきたし、間近で見てきた。担当を強くするために、どんな事でもする覚悟が無いと出来ない仕事だよ。」
「…そうですか」
「トレーナーの名誉や栄光なんてものを僕は気にしないし、担当が…今ならルミナス、君が勝つために僕は頑張るだけだよ」
そう話すトレーナーを見て、私は何も言えなくなってしまった。
ただ言いたいことはある。だけどそれを言ってしまうとトレーナーの覚悟を不意にしてしまうかもしれないと思った。
トレーナーがそう思っているなら、きっと言わない方が良いのだろう…
私のエゴでトレーナーを困らせる訳にはいかない。
「では、勝つ為に頑張りましょう」
「そこでルミナス、デビュー戦についてなんだけど…」
「はい!」
デビュー戦と聞いて、少し気落ちしていたテンションが一気に上がる。
ついに日程が決まったのだろうか?以前デビュー戦について話した時は、時期を見て判断するということだったので、トレーナーに一任していた。
「どのレースか決まったんですか?」
「二つまで候補を絞った。後は2人で話して決めようと思ってる」
トレーナーから一枚のプリントを手渡される。
そこには候補となる二つのレースの場所、距離、コースの特徴が書かれていた。
えーっと、場所は東京か札幌
距離は東京が1600mで札幌が1500m。
どっちがいいんだろう?
「トレーナーさん的には、どちらが良いとかありますか?」
「ん〜個人的には札幌かな?」
「…気温ですか?」
「うん、夏でもまだ涼しいからね。暑い中でのレースは出来るだけ避けたいんだけど、早めに実戦経験を積みたいことも目的の一つだから」
目的の一つということは、他にもこの夏にレースを行う理由があるということ、考えられるとすれば…
「あとは他のウマ娘の成長ですか…」
「そうだね、夏で一気に成長する子が出てくることもある。僕らも暑さのピークが過ぎてからレースに出ることも考えたけど、年末…GⅠに出るなら早めにレースを経験しておいて損は無い」
GⅠ…
随分さらっと言ってくれる…
「まだ一度も本番を走ってないのに、もうGⅠのことを考えてるんですか?」
「常に可能性のある未来を考えておかないといけないだろ?当然簡単に出られるなんて甘い考えを持ってるわけじゃない。でも僕は君なら出来ると思ってるし、君もそのつもりでしょ?」
トレーナーは私の方に笑いかける。
「そりゃもちろんですよ。その方が楽しそうですから」
なんか上手く乗せられたような気がしないでもないけど、まぁいいや。
でもトレーナーと同じ考えなのは、とてもやりやすい。
「まぁGⅠはまだ先の話だし、まずは目先のレースについて考えよう。ルミナスはどうしたい?」
距離的には100mの違いがあるマイルレース。
走る場所は近場だと東京、札幌だと飛行機移動になるかな?
移動時間によるストレスや疲れを考えると東京が良いけど、気温による走りやすさで言えば札幌。
甲乙つけがたい感じになるし、それなら…
「トレーナーさんにお任せします」
「えっ!?本当にそれで良いのかい?」
私の答えにトレーナーは大きな声を出して驚く。
そんな反応をされると思っていなかったので、こっちもビックリする。
なぜそんなに驚いたのか聞いてみると、「ルミナスが一任してくると思って無かった」と言われた。
「そんなに意外ですか?これでも私、トゥインクルシリーズ一年生なんですけどね」
「それは知ってるよ、だけどルミナスのことだから、自分である程度考えてることがあるだろうから、それを聞いて考えようかと思っててね」
「…それはトレーナーとしてどうなんですか?」
少し嫌味っぽく言ってはみたものの、トレーナーが私の考えを聞こうとしてくれたことに多少なり嬉しかった。ただそれと同時に少し胸にモヤモヤとした感情もあった。
トレーナーの方を見ると、顔をニヤつかせながらこちらを見ていたので、少し蹴りを入れてやろうかという気持ちをなんとか抑えていると「ルミナスって結構感情豊かだよね」と言ってくる。
「耳や尻尾がよく動いてるよ」
「……トレーナーさん」
「なんだい?」
「おでこを出してください」
「えっ…えっ…い、いや待つんだ、ルミナス。笑ったことなら謝るから落ち着こう。静かに動作確認をするのもやめるんだ。ウマ娘同士でやるならちょっとした罰ゲームで済むかもしれないが、ウマ娘とヒトでやった瞬間に戯れじゃなくて事件になるから!!ちょっ……やめっ!」
練習後の静寂を切り裂く程の音は、澄み切った夏空に余韻を残しながら消えていく。
ターフには、転がっている大人とその横で仁王立ちをするウマ娘が1人。
「まぁ、これくらいで許しておきます」
「…アザマス」
実際そんな怒ってはないが、少しからかわれたことに対してのおしおきである。決して恥ずかしかったとかそんなんでは無い!
「まぁ冗談はさておき…」
「本当に冗談なのかい……?」
「なんです?もう一回やります?」
「すいません…」
「これでも私は、トレーナーさんを信頼してるつもりです」
「信用じゃなくて?」
「信用するにもトレーナーさん、実績ないじゃないですか」
「ハッキリ言うね…」
「事実じゃないですか、でもそんなの関係無く私はトレーナーさんが良いと思ったんです。そんな私がトレーナーさんを信頼しない理由が無いです」
「……そこまで言ってくれたんだから、僕もちゃんと応えないとね。そうだな…うん札幌にしよう」
「理由を聞いても?」
「理由としては、やっぱり気温面が大きいかな。それと札幌は右回りだからかな」
右回り……そういえば札幌は右回りで東京は左回りなんだっけ?よく見てなかった…
でも右回りが理由の一つってのは、なんでだろう?
考え込む私を見て、トレーナーがその理由を答える。
「学内での選抜レースやその前にやってた模擬レースでも右回りで走ってたでしょ?だから最初は走り慣れてる右回りにしようと思ったんだ。納得は出来た?」
「そんなに確認しなくても大丈夫ですよ。トレーナーさんに任せてますから」
「いや、そういう訳にはいかない。僕たちは2人でトゥインクル・シリーズに挑むんだから、2人で考えて、2人で決めて、2人で挑む。どちらかが完全に納得出来ていなければ、もう一度話し合うべきだ」
トレーナーの言葉を聞き、私は今一度しっかりと考えて「問題無い」と答える。
私の答えを聞いたトレーナーは、出走登録する為にタブレットを操作し始めた。
こうして私たちのデビュー戦が決まった。
それにしても札幌かー
行ったことないから楽しみだなぁ…
あとお土産何買おっかな?というか何があるのかよく分かんないし、トレーナーに聞いてみよう。
「トレーナーさんは、札幌って行ったことありますか?」
「何回か行ったことあるよ。それこそサブの時、遠征に付き添って行ったよ」
「気軽に買える名産品やお土産ってなんですか?」
「……札幌と決まってから一番最初の質問がお土産だとは思わなかったよ」
やれやれと言った表情で、私のことを見るトレーナー。もしかしてレースについて聞いてくると思ったのだろうか?
レースについての詳細は、部屋でやればいいし、そんなに焦って行う必要も無い。それなら札幌名物を聞いてる方が有意義だろう。
「まぁ色々あると思うから、後で調べておくよ…」
「さすがトレーナーさん!」
「こんなことで褒められたくはないね…じゃあ今日の練習のことも含めての話は部屋に戻ってからにしよう。ルミナスは、先に部屋で待っていてくれ、僕はたづなさんの所に行ってくる。少し時間が掛かるかもしれないからシャワーを浴びに行っても構わない」
そういうとトレーナーは、足早に行ってしまった。
デビュー戦まで残り2週間。
出来ることは少ないかもしれないけど、やれることはやっておきたい。一度しかないデビュー戦を後悔しないためにも…
……絶対に勝とう。
レース対策やコースの特徴などを話し合い、それに対して練習を行う。それを繰り返し行っていると、あっという間に2週間が過ぎていった。
人生初めての飛行機に乗って、レース前日に札幌へ到着した。日は出ていたが、確かに東京よりも涼しく感じる。
到着後、すぐにトレーナーと札幌レース場へと向かい、コースの確認や芝の状態をチェックする。ここ数日雨も降っておらず、レース当日の天気も晴れみたいだから、良い状態でレースが出来そうだ。
確認を終えると、そのまま泊まるホテルに向かい、明日に向けたミーティングを行い、ご飯を食べてお風呂に入って就寝した。
レース前日だから緊張してあまり寝付けないかもしれないと不安もあったが、そんなことも無くグッスリ眠ることが出来た。
――札幌レース場、第3レース。天候は晴れ、良バ場。9人立てでレースが行われる。
レース直前、9と書かれたゼッケンが付いている体操服に身を包み、トレーナーと最終確認をする。
「大外の9番…正直に言うと、ここが一番の懸念点かな。札幌レース場は、基本平坦なコースで急な上り坂や下り坂は無い」
「うん」
「その代わり、直線が短くてカーブが大きい。だから外枠はかなりの不利が生じるから、出来るだけ内側でレースがしたい」
「うん」
「ただレースの状況によっては、無理に中に入らなくてもいい。その場合外側で走ることになるから、外に膨らみすぎにないコース取りとコーナリングが大事になってくる」
「うん」
「そして最終直線が短い分、勝負は最終コーナーになる。いいね?」
「了解」
トレーナーから言われたことを反芻していく。前日にも、これに近い内容を言われたけど、難易度が高いな……
頭の中でレースをイメージする。ただやり過ぎると、咄嗟の場面で対応出来なくなるので程々にしないといけない。
そう考えている中、ふと自分の手が少しだけ震えているのが分かる。緊張はしないものだと思っていたけど、私もご多分に漏れず、普通のウマ娘のようだ。
『そろそろお時間です。準備をお願いします』
スタッフから声が掛かる。もうパドックに行く時間になったようだ。ゆっくりを目を開けて立ち上がる。
「……そういえばトレーナーさん、パドックって何をすればいいんですか?今まで経験したことないんですよ」
「アナウンスされたら登壇して、ランウェイを歩いて先端まで行ったら、見に来てる観客にアピールして……」
「アピール?」
「んー、笑顔で手を振ったりとかだけど、まぁ無理にする必要は無いよ。そしてポーズを取って終わりかな」
「なるほど、そうですか………ポーズ?」
「そう、これも無理しなくてもいいよ。ちなみにローレルは確か…右足のつま先でチョンチョンっと地面蹴って『よしっ!』って感じのポーズを取ってたよ」
トレーナーから参考になりそうでならない事を聞いて、私は控え室から出てパドックへと向かう。すると後ろにいるトレーナーから名前を呼ばれる。
「一生に一度のメイクデビューだ。全力で楽しんでこい!」
「…はい!」
トレーナーの言葉に背中を押されて、私はパドックへと向かう。
楽しんでこいか……。
自分の名前がアナウンスされ、私はパドックへと歩き始めた。
(あれ?)
そこでふと手の震えが止まっていたことに気付いた。何故だろう?と考えてみるが、特に思いつかない。
(もしかして…)
いや…そんなことは…でも………それしか無い気がする…
「アクアルミナスさん?」
「ひゃい!?」
「もうお名前呼ばれてますよ?」
「あっはい、すぐ行きます…」
うぅ…恥ずかしくなってきた……これ以上考えるのは止めよう……
『さぁ8枠9番、アクアルミナス。8番人気です』
『表情や動きを見る感じ、少し緊張しているかもしれませんが、しっかりと実力を出して欲しいですね』
早足でパドックに行った私は、頑張れと応援してくれている人達に向かって軽く手を振って応える。メイクデビュー戦だから私のファンって訳じゃないと思うけど、応援の言葉は素直に嬉しいので受け取っておこう。
そして最後に全体向かって一礼をして、コースへと向かう。
コースに入ると少し走って、芝の感触や脚の状態を確かめる。
うん、悪くない…
返しを終えて顔を上げると、ゲート前に8人のウマ娘がいる。
誰も私を見ていない。そりゃそうだ、なんたって私は8番人気なんだから。
でも今はそれで良い。走り終わった時、ウマ娘達も観客も、ここにいる全員が私を見ることになる。
ここから私の……アクアルミナスのトゥインクル・シリーズが始まる。そう思うと気持ちも昂り、自然と笑みがこぼれる。
【札幌レース場 第4レース】
『すっきりとした青空の札幌レース場。天候は晴れ、良バ場と発表されています』
『メイクデビューに相応しい、そんな天気になりましたね』
『ここからどれほどのウマ娘が飛躍していくのか楽しみです』
出走するウマ娘が全員コースに入り、ファンファーレが鳴り響く。演奏が終わると、観客からより一層の大きな歓声が上がり、拍手が起こる。
ついにレースが始まる。
ゲート入りは、奇数番号からゲートに入るようにスタッフから指示が入り、1番の子からゲートへと入っていく。私は9番なので5番目かと思ったが、大外枠なので一番最後になるらしい。
目を閉じて、両手を合わせ、その手を額に当てる。一見お祈りしているようにも見えるが、これは子供のころから大きなレースの前によくやっていることで、いわばルーティンのようなものになっている。
横にいるウマ娘ですら聞こえないくらい、小さな声で今日のレースプランやトレーナーからの指示を繰り返していく。
そしてスタッフから自分の順番であることを告げられると、ゆっくりと目を開けてゲートへ入る。
『特に乱れも無く、各ウマ娘ゲートイン完了。出走の準備が整いました。いよいよスタートの時を迎えます』
先程までの歓声と打って変わって、静寂に包まれる。全神経を集中させてゲートが開くの待つ。
『今、スタートしました!各ウマ娘素晴らしいスタートを切りました!…い、いや大外の9番…アクアルミナスは、大きく出遅れた形になりました』
『上手くタイミングが合わなかったのでしょうか。この遅れを取り戻せると良いのですが……』
出遅れたことに驚く実況や騒然とする観客もいる中、一番後ろ走ることになった私は、内側へと走るコースを取っていく。
『2番クレバーシャドウを先頭に各ウマ娘、最初のコーナーから向こう正面に入ります』
『2番が逃げていますが、その他の子達は集団となっていますね』
『各ウマ娘がどの辺りで動いてくるのかか注目です!』
前は特に広がってはいない団子状態って感じで、コーナーで1人逃げの子がいるのは見えた。だけどそんなに後ろと離れてる感じでもなかったけど、離されすぎないように、注意しておかないと……
『向こう正面から第3コーナー手前、依然先頭は2番クレバーシャドウ、その後ろは団子状態から少し縦に列が出来始めました』
『2番と後ろの距離がそこまで離れてませんのでどのような作戦だったのか気になりますね』
札幌レース場のコーナーは、カーブが大きいから外側を走ると不利になる。だから内側を走ろうと内ラチ付近の位置取り争いが激化して団子状態のバ群が形成される。
いざそこに巻き込まれてしまえば、抜け出すどころか左右に動くことすら難しい。無理に動けば横にいる子に接触する危険性があり、接触無く抜けれたとしても斜行を取られる可能性が高い。こうならないようにするには、逃げ目の先行策を取るか、一番後ろを陣取るかのどっちか。
『第3コーナー中間まで来ています。おっと!ここで最後尾にいた9番アクアルミナスが大外から上がってきました!一気に先頭との差を縮めています!』
『コーナーのカーブを利用して、少し膨らみながらではありますが、誰もいないコースを走ってきましたね!』
『それを見て、各ウマ娘達もスパートを掛けていきますが、間に合うのか!?』
先頭の子まであと少し……
札幌は最後の直線が短い、ここで捕まえないと逃げられる!
スピードを落とさず、身体を内側に傾けて、左脚を強く踏み込んで一気に中へ行く!!
『第4コーナーから最後の直線手前で9番アクアルミナスが2番クレバーシャドウを捉えた!後続も懸命に前を追っています!』
『終始先頭を走っていたクレバーシャドウと最後尾から一気にスパートを掛けてきたアクアルミナス。最終直線でどれだけ脚が残っているかの勝負です!』
『アクアルミナスが並ん…っ…いや!並ばない!一気に抜き去っていきます!』
『ここまでの加速力、スパートの爆発力があるのは驚きです』
『クレバーシャドウも必死に追いかけていますが、ちょっと厳しいか!?』
前を抜いたのは分かってる。後は油断せずに走りきるだけ…全力で、走り抜くだけ…
『アクアルミナス、後続を突き放して今ゴールッ!!』
『最終コーナーから素晴らしい走りでした!今後に期待が持てる好走です!』
歓声が巻き起こる中、ゴールを駆け抜けていく。徐々に減速していきながら立ち止まり、呼吸を整える。
「勝った……っ、勝った…?」
電光掲示板の方に振り向いて、自分の番号を探す。掲示板の一番上に9があることを確認する。
「〜〜〜っ、よし…よし、よし!よしっ!!勝った!!」
そこで自分の勝ちが分かり、小さくガッツポーズを作って喜ぶ。ゴールした後、一瞬何も分からないくらい頭が真っ白になっていたようで、電光掲示板の着順を見て、ようやく喜ぶことが出来た。
電光掲示板には着順が点灯していき、勝ちタイムが表示される。そしてしばらくして”確定”の二文字が表れて、レースの結果が決まる。
2バ身半の差をつけての勝利である。
「ルミナス!!」
勝った余韻に少し浸っていると、客席から大きな声で私の名前を呼ぶ声が聞こえる。この声は…トレーナー?
客席の最前列にいるトレーナーを見つけて、駆け寄る。
「トレーナーさん!勝ちましたよ!」
「ルミナス、大丈夫か!?…っ、どこか痛めたのか!?」
「えっ、えっ!?い、いや大丈夫ですよ?疲れはありますが、痛みとかは別に無いです」
「っ!はぁぁ……良かった。ゴールした後、立ち止まって首を傾げてたから、どこか痛めたのか、何かあったんじゃないかと思ったんだ…」
「ゴール直後に首を傾げて……あっ!あれは…ちょっと…頭が真っ白になっちゃいまして、自分が勝ったのか分からなくなってました。あはは……デビュー戦で思ったよりも緊張してたみたいですね〜」
「頭が真っ白に……」
「トレーナーさん?」
「まぁ今は良い、それよりもメイクデビュー勝利おめでとう!」
少し難しい顔をしたように見えたが、すぐに笑顔で片手を出してくる。
「はい、ありがとうございます!2人の勝利です!」
そう言って私も手を突き出してトレーナーとハイタッチをする。
「あはは……まぁそうだね」
「ん?」
なにか歯切れの悪い反応を見せるトレーナーに少し疑問を覚える。トレーナーに尋ねようとしたら、横から「おめでとう!」とレースを観ていた観客から祝福を受ける。
「ルミナス、話は後だ。まずは観てくれた観客の声援にしっかりと応えてこい」
トレーナーから背中を押され、私はウィナーズサークルへと向かう。するとスタンドから「おめでとう!」や「良いレースだった!」とか「ファンになりました!」とか「スタート練習しとけよー」等と色んな言葉を掛けられる。
……最後のは余計な一言では?と思ったが、まぁ勝ったしいいや…
自分への声援に対して深く頭を下げて応える。そして再び顔を上げるとまた歓声と拍手が巻き起こる。
GIや重賞には程遠いが、それでもかなりの観客がいることに驚くと同時に、現在のトゥインクル・シリーズの人気の高さが伺える。
この後、控え室に戻って一息つけると思っていたが、すぐにウイニングライブの準備をする必要があるらしく、控え室に戻るや否やサッとシャワーを浴びて、すぐにライブ用衣装に着替える。着方は間違ってないと思うけど…と少し不安になり鏡の前でクルクル回っていると、扉をノックする音が聞こえる。
「ルミナス、もういいかい?」
「はい、大丈夫です」
着替えの為に一時的に部屋を出ていたトレーナーが入ってくる。
「トレーナーさん、おかしな所は無いですか?」
そう聞くと、トレーナーの前で右に左にと一回転する。
「うん、大丈夫。良く似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「それと初勝利おめでとう、ルミナス」
「ありがとうございま…っ、はぇっ!?」
トレーナーは祝福の言葉とともに私の頭を撫でる。それに対して驚いた私の声を聞いたトレーナーが「ごめん、つい…」と言って私の頭から手を離す。
「いえ、別に大丈夫です。突然だったので驚いただけです………それにしてもトレーナーさん、なんか手慣れてますね」
割と自然に女の子の頭を撫でるとは…以前キャラ先輩が『トレーナーとはいえ、気をつけた方が良い』って言ってたけど、こういうことなのか……な?
「いきなり頭を触っちゃダメだよね、チヨノオーやバクシンオーがレースに勝ったらよく頭を撫でて欲しいって言ってたから、ついね…」
「そんなこと言ってんすか、あの2人……」
どちらかと言えばあの2人はそういう性格をしてるし、バクさんは自分で自分の頭撫でてたりしてたから、まぁ無い話ではないな…
「ところでルミナス、今日のレースなんだけど……」
トレーナーが今日のレースについて聞こうとしたところで、扉をノックする音が聞こえて、部屋の外から運営スタッフと思われる女性の声がする。
ウイニングライブの準備が出来たようで招集をかけているようだ。
それを聞いたトレーナーは「レースについては後で話そう」と言ったので、私はライブ為にステージへと移動する。
私にとってライブは、とても好きという訳ではないが別に嫌いでも無い。そんな立ち位置である。だからといって蔑ろにすることはない。
私の中で一番がレースであることは揺るがない。だけどレースを行う中で、ウイニングライブは欠かせないものになっていると思う。それくらいトゥインクル・シリーズ、いやウマ娘のレースにおいてウイニングライブは重要な要素になっている。
お世辞にも大きいとは言えない簡易ステージに上位3着に入ったウマ娘のみが立つ。重賞だと走った全員がステージに立つ事が出来るが、メイクデビューだと仕方ない。
ステージの真ん中に立って前を見ると、レースを観てくれた人たちが今か今かと、ライブが始まるのを待っている。
今日初めて走る新人ばかりなので、このライブを見に来る人は少ないだろうなと予想していたけど、その予想は外れて決して少ないくない人達が見に来てくれいる。
だったら私もこの人達に報いなければ失礼である。
「今日は私達のレースを観て頂きありがとうごさいました。皆様から受けた声援は、走っているウマ娘にもしっかりと伝わっていました。本当にありがとうごさいます」
突然スタッフさんから少し喋ってくださいと言われ、完全にアドリブで話している。、変なこと言わないようにだけは気をつけないと……
「これからも頑張っていきますので、今後とも応援よろしくお願いします!それでは聞いてください。『Make debut!』」
ウイニングライブも無事成功し、私たちは荷物をまとめてホテルへと帰路に就くことにする。
「響け ファンファーレ〜〜届けゴールまで〜〜」
「ご機嫌だね、ルミナス」
「そりゃそうですよ!勝った時はちゃんと喜ばないとダメですから。でも浮かれるのも今日だけ、明日からまた気を引き締めてトレーニングです」
「うん、良い心掛けだね」
「はい、私たちのトゥインクル・シリーズは一歩進んだだけですから」
「私達か……ところでルミナス…」
トレーナーが私へ何かを言いかけた時、後ろの方から私を呼ぶ声が聞こえる。何かと思いトレーナーと振り返ってみると、1人の女性がこちらを呼びながら走ってきた。
「ハァ…ハァ…呼び止めてしまって申し訳ありません。私は月刊トゥインクルの者ですが!」
女性はそうを名乗ると、肩にかけていたバッグから素早く名刺を取り出して、私とトレーナーに渡す。
「あ、ありがとうございます」
「あれ…確かこの人……あっ、思い出した!以前サクラローレルを特集を書いてくれた方でしたよね?」
「はい!そうです!」
「あの時、私はチームアルケスに居ましたので、大変お世話になりました」
「いえ、こちらこそありがとうございました。サクラローレルさんへの期待が高まっていただけに、あの怪我はとても残念でした。ですが、彼女なら必ずまた這い上がって来ると私は信じています!」
「ちょいちょい、トレーナーさん。この方は?」
「あぁ名刺に書いてあるとおり、月刊トゥインクルの記者だよ。以前ローレルが重賞を連勝した時に天皇賞に向けての記事を書いてくれたんだ。表現は多少大袈裟かもしれないけど、間違ったことや嘘は書かない良い記者だよ」
「あなたがいるということは、アクアルミナスさんも……あれ?アルケスは確か……」
「私はもうアルケスに所属していません。チームを抜けて、今は彼女のトレーナーです」
「なるほど!そうだったのですね。……っと、それで呼び止めた理由なのですが、アクアルミナスさんに取材をさせて貰えないでしょうか?」
「取材ですか?」
「先程のデビュー戦で素晴らしい走りをしていましたので、せびお話を伺いたいのです!」
インタビュー……
重賞など大きいレースであれば、勝利者インタビューや会見などがあるが、今日みたいなレースの場合はそういったものが無い場合もある。
「レース場の外でインタビューってよくある事なんですか?」
「いや、そんなにある訳では無いよ。むしろ少ないかな。メイクデビューやオープンくらいまでだとインタビューが無いこともざらにあるから、後日学園で取材って形が多いかな」
話を聞いて、なるほどと思い聞いていると、さらに続けてトレーナーはそっと耳打ちをする。
「レース後ってのもあるし、疲れがあるなら断ることも出来るよ。後日学園でもいいし、どうする?」
「大丈夫です、受けましょう。お気遣いありがとうございます、トレーナーさん」
人混みのある場所から少し離れて、取材が始まる。
「まずはデビュー戦での勝利おめでとうございます!率直な感想をお願いします」
「ありがとうございます、素直に嬉しいです。レースで勝つために頑張ってきたので、勝つことが出来て良かったです」
「デビュー戦でしたが、緊張などはありましたか?」
「えーっと……そうですね、緊張していました。それでスタートを少し出遅れてしまったんですが、その後は落ち着いて、トレーナーさんの指示を思い出しながら走れました」
「このスタートについて、トレーナーさんは見ていてどう思われましたか?」
「………」
「あの〜」
「トレーナーさん?」
「えっ?あ、すいません……えっと…なんでしたか?」
「アクアルミナスさんの今回スタートについてどう思われましたか?」
「えとっ…彼女は、スタートに関して問題があるような子では無かったので、デビュー戦ということもあって、緊張しているのかなと思いました。ただその後は上手く立て直して走っていたので、安心しました」
その後、トレーナーも詰まることなく、スラスラと答えている。一方の私も少し言葉を選びながらではあるが、順調に答えていく。
15分程でレースに関しての取材を終え、その後レース以外の話を少しして、計20分程で全ての取材が終了した。
無事取材を終えた記者は、私達に頭を下げて、満足気に去っていく。
「来月の月刊トゥインクルに載るんですかね?」
「掲載されたら嬉しいけど、どうだろうね」
「でも記者さん『何がなんでもねじこみますから!』って言ってましたよ」
「ははっ、まぁ楽しみに待っとこう」
「さぁ、トレーナーさん。ホテルへと戻りましょう」
「ねぇ、ルミナス」
歩き始めた私をトレーナーが止める。
その顔は先程までの笑顔ではなく、険しい顔つきをしている。
「なんですか?」
「あのスタートについてなんだけど……」
「あれは…ちょっと失敗しちゃいました」
「……本当に失敗?」
「どういう意味ですか?」
「スタート以外のレース展開が、完璧すぎるんだ…」
トレーナーは一体何を言ってるんだろう?
確かにスタートを失敗したけど、その後上手く立て直すことが出来た。でもそれは……
「だから…その…っ、もしかしたらだけど…」
それは…トレーナーのおかけで…
「狙ってやったのかなって思ってね」
「……」
「ほらルミナスは頭が良いからさ、自分で最適解を見つけられる子だと思う。だからわざとスタートを遅らせてスムーズにポジションを取りに行ったのかなって思ったんだ」
トレーナーの言葉があったから……
だから失敗しても、取り返せた……
なのに……
「それは…ちがっ……」
「ただそれなら、レース前に一言言って欲しかったかな…っと思ってね。その方が何かあった時に対処出来るからね」
なんで――
「ルミナス?」
「……っ、すいません、早くホテルに戻りましょう…」
「えっ?ルミナス!?」
そんなに私は―――
信頼されないんだろう―――