走る意味を探していた少女が碧の女王と呼ばれるまでの物語 作:シャケサバ
「ねぇルミナス、私の為に走ってみるのはどうかな?」
「……」
「どう?」
「…お断りします」
「えっ?」
「お断りします、と答えました」
「……そっか」
「はい」
「一応理由を聞いてもいい?」
「ローレルさん自身が本気でそう思ってないと思ったからです」
「…えっ?」
「だから、断りました」
「……わ、わたしは……」
「もし本気でしたら、そんな言い方で私には聞かないと思います」
「……」
「ローレルさんはこういったことを自分で決断してきたじゃないですか。だから『どうかな?』なんて他人に選択させることはしないでしょう」
「それは……」
「……というのは、私のわがままです」
「…えっ?」
私はベッド横の丸イスに座る。
改めてローレルさんに向き直す。
「これは私のわがままです。私はまたローレルさんに走って欲しいんです。医者からも治ったら走れると言われたのであれば…そんなこと言わないで走って…っ…欲しいんです…」
「ルミナス…」
「…でもそれを決めるのは私じゃありません。もし、本当に…ローレルさんがもう走らないと決めたのであれば、私は…受け入れるつもりです……」
「ルミナス、ありがとう…」
ふと静寂が訪れる。改めてローレルさんを見ると、かなり弱っているように見えた。
今回の怪我で精神的にもかなり参っている様子だった。
サクラローレルというウマ娘のこれまでは決して順風満帆な道のりではない。常に怪我と向き合ってきた。
私と初めて会った時もそういえば怪我をしていた。
「本当に…もう走らないんですか?」
「……正直に言うと、まだ悩んでるとこ」
「そう…なんですか」
「骨折は時間が経てば治る…でもね……」
「気持ちの部分ですか?」
「……うん」
ローレルさんは、元々脚に不安があったらしく、怪我やコンディション不良が絶えなかった。
それはトレセン学園に入ってからも続いていた。
怪我の影響で中々デビューも出来ず、その影響もあって皐月賞に出れなかった。
その後日本ダービーの優先出走権を獲得するも怪我の為に断念。
治った後も調子が上がらず、菊花賞も出走することが出来なかった。
「怪我のことですか?それとも…」
「両方かな。ルミナスは私がジュニア、クラシックでG1を走れてないことは知ってる?」
「…はい」
「まぁG1どころかまともに走れたレースの方が少ないんだけどね…」
ふふっと少し笑ったが、その笑い声はとても弱々しいものだった。
「菊花賞出れなかったけど、そこから少しずつ勝ったり、良いレースが出来てたの。そして今年初めて重賞を勝つことが出来た。私自身もかなり調子が良くて、トレーナーさんとも『春の天皇賞に向けて頑張ろう!』って話してたの…それにブライアンちゃんとも走れると思ってた…」
ナリタブライアン。
ローレルさんが走れなかったクラシックで三冠を制した、世代最強のウマ娘。
でも確かナリタブライアンさんは…
「ローレルさん、ナリタブライアンさんは…」
「知ってるよ、怪我で春の天皇賞を回避したことは…最初は私達の世代最強と戦えるんだって思って練習してた。後に怪我で出走を回避するって聞いてからは勝手にブライアンちゃんの分も私がって……」
「ローレルさん…」
「それでね、より一層のトレーニングを頑張ろうって思ったの。トレーナーさんにも強度の高いトレーニングをお願いしたり、練習後に自主練もしたりして……そしたら脚に限界が来ちゃった…」
「……っ」
「元々脚に不安があったけど、分かってた、それでも…どうしても……っ…勝ちたかった…」
両手を固く握り、言葉を詰まらせながら話すローレルさんを見て、涙がこぼれる。
「そこで…これが私の運命なのかなって思ったの。これがサクラローレルというウマ娘の…終わりなのかなって……」
ローレルさんの言葉に私は何も言えなかった。慰めようにもどんな言葉を掛けたらいいか私には分からなかった。
どんな前向きな言葉を掛けても、今ローレルさんの感じている悔しさや苦しさを和らげることは出来ない……
私は自分にその力の無いことがなによりも悔しかった。
「ちょっと…飲み物…っ……買ってきますね……」
そう言って、私は病室から出た。
私には逃げることしか出来なかった。
後ろめたさを感じながら、急いで部屋を出ていった。なのでその後から誰かが病室に入っていく姿に私は気付くことが出来なかった。
「ルミナスにあんなこと言うつもり無かったのになぁ…あれじゃ先輩失格だね…」
誰に言うでもない独り言が静かになった病室に響く。
先程、部屋から出ていった彼女の後ろ姿に胸が痛くなった。
彼女が出ていって、すぐに扉が開く音がした。
「あれ?ルミナスどうし……っ!」
「邪魔するぞ」
「ブ、ブライアンちゃん!」
扉の前に立っていたのはアクアルミナスではなく、ナリタブライアンだった。
「えっと…どうしたの?」
「…怪我の治療で病院に来たら、たまたま声が聞こえてな」
「そ、そうなんだ」
「…さっきの泣いて部屋を出ていった奴は誰だ?」
「…ブライアンちゃんも知ってるはずだよ。この前あの子と上級生が揉めてるのを止めてくれたでしょ、覚えてない?」
「………あぁ、あいつか」
「……」
「……」
そこからお互いに話すこともせず、静かな時が流れる。
サクラローレルからすると、突然病室に入ってきたナリタブライアンの目的が分からないため、向こうから話すのを待っているのだが、ナリタブライアンは基本的にあまり喋らないのでどうしたものかと迷っている。
「ね、ねぇ…」
「もう走らないのか?」
「……っ!」
「もうお前は走るつもりはないのか?」
「……」
「アイツが、春の天皇賞でライバルになるのはライスシャワーとサクラローレル…アンタだと言っててな…私としても滾るレースが出来ると期待していた」
「ウソ……」
サクラローレルは小さな声で呟いた。
サクラローレルはナリタブライアンの言葉にとても驚いた。
なぜなら彼女が…あのナリタブライアンが自分をライバルとして見ていたからだ。
自分は勝手に同期の三冠ウマ娘をライバル視していた。しかし彼女にとっては有象無象の挑戦者の1人としか見られていないだろうと思っていたからだ。
「まぁその前に怪我をしてしまったがな、万全の状態でレースが出来ない以上、出走しても意味がない。それ以上に怪我をした自分に対する怒りがあったな。なにせあの『黒い刺客』と本気でやり合えると思っていたからな」
「ライスシャワーさんと…」
「あぁ、あの人は恐らくドリームトロフィーリーグに行く、だからトゥインクルシリーズで戦える最後の機会だった…」
ナリタブライアンは、悔しそうに唇を噛み締める。
しかしすぐにサクラローレルの方を向く。
「だがお前は違うだろ?」
「えっ?」
「これでもお前とのレースを楽しみしてたんだ、そしてこれからもな。私としては、お前の喉元を掻っ切ってやるって、狂気に満ちた目が気に入ってたんだが……今は見る影もないな…私の思い違いだったようだ」
ナリタブライアンは呆れ、失望した目でサクラローレルを見る。
「……たに……が……」
「ん?」
「あ…たに…にが………の…」
「聞こえんな」
「あなたに何が分かるの!ナリタブライアン!!」
「……」
「デビュー前から注目されて、朝日杯も勝って、クラシック三冠取って、有馬も勝った。そんな順風満帆のあなたに私の何が分かる!!」
怒りの中に悲しみが入った声が部屋に響く。
「私はあなたと違って昔から脚も悪かったし、注目もされてなかった、怪我でクラシックはまともに走れなかった。やっと万全で走れると思ったらまた怪我をして、そんな気持ちがあなたにわかるの!私がどんなに悔しくて…悔しくて…っ…惨めな気持ちになったか、あなたには分かんないでしょ!!」
内に溜め込んでいたものが堰を切ったように溢れ出す。
涙を流しながら、サクラローレルはナリタブライアンを睨みつけた。
「だからなんだ?」
「……えっ」
「だから労わって欲しいのか。慰めて欲しいのか。しんどかったなと優しくして欲しいのか。」
「…っ」
「逃げることは簡単だ、すぐ楽になれる。苦しい思いも、痛い思いもしなくて済むだろう。これがお前が望んだ答えか?」
「ち…ちがう…っ…」
「何が違う?」
「わたしは…私は…」
「全部分かって、理解した上で走ることを選んだはずだ、お前自身戦うことを望んだはずだ!」
「…っ!」
「脚が弱い?だから怪我しやすい?だからなんだ!!傷を負う覚悟無い奴は戦いの場に必要無い!リスクなんて承知の上で…覚悟を決めて走る!それが戦うということだ!!」
彼女の言葉にローレルは圧倒され、何も返すことが出来なかった。
「その覚悟が持てないのであれば、ターフに戻る必要は無い。邪魔したな…」
ナリタブライアンはサクラローレルを再び見ることなく、病室を後にした。
「チッ……はぁ……ん?お前は…」
「お、お久しぶりです…」
「………あいつを頼んだ…」
「っ!は、はい!」
そう告げるとナリタブライアンは去っていった。
なんでローレルさんの病室からナリタブライアンさんが出てきたんだ?
何か話をしてたってことかな…?
「ローレルさん、失礼します」
扉を叩いて呼んでみたが返事がなかった。
私は恐る恐る扉を開ける。
「ローレルさん、失礼しますね。今部屋の前でナリタブライアンさんと……っ!どうしたんですか!?ローレルさん!」
そこにはベッドにもたれながら、涙を流すローレルさんの姿があった。
「あ、足が痛むんですか?それとも…ナリタブライアンさんにな、なにか言われたんですか!?」
涙を流すローレルさんにどうすることも出来ずにあたふたしていると…
「ルミナス」
「ぁ、ぇ…はい!」
「私、決めた」
「……え?」
「走る…」
「……っ!」
「私もう1回走ってみる」
先程までのひどく落ち込んで、気力を失った姿はそこには無かった。
恐らくブライアンさんとの話の中で何かがあったのだろうが、今の私には知りようのない話である。そんなことよりももう一度走るとその言葉が聞けたことが嬉しかった。
「…っ…はい…良かった……っ…ぅぅ……よかったです……ほんとに…っ…」
「ちょっ…ルミナス……ありがとね」
私は安心したからか足に力が入らず、ベッドもたれ掛かるようにへたれこんだ。
そんな私の姿を見たローレルさんは少し笑いながらも私の頭を撫でていた。
それから少しして用事で遅れてきたチヨノオーさんがその現場を見て驚くのであった。
「いや、ビックリしましたよ!用事を終わらせて急いで来て、ノックしても返事は無かったから、恐る恐る入ったらルーちゃんが泣いてますし!」
「……ぅぅ…お恥ずかしいところをお見せしました…」
「でもいいモノ見れたでしょ?」
「いや…それは…まぁ」
「チヨさん?」
「ともかくローレルさんも元気になって一安心ですね」
「ブライアンさんのおかげですかね。私は何も出来ませんでした…」
「そんなに落ち込まないでください。ルーちゃんが悪いわけではありませんから」
「そうだね、ただルミちゃんには困らせることを言っちゃったね」
「一体何を言ったんですか?」
「私の為に走ってみる?って言った」
「そ、それは…」
「でもキッパリと断られちゃった」
「…はい、本気で言ってると思っていなかったので、それに今の私は両親の為に走ってるので、これ以上は背負えませんから」
「……そうだね…そうだったね」
「ところでチヨさん」
「なんですか?」
「ルーちゃん呼びとは懐かしいですね」
「えっ!?いや…ここは学園でもないですし、この場にはローレルさんとルーちゃんしかいなかったのでいいかな〜と思って…い、嫌だったら辞めますよ」
「いえ、大丈夫ですよ。ただふと懐かしくなったので…でもどうして学園では呼ばないんですか?」
「それは…わ、私にも先輩としての…ですね…色々と…色々とあるんです!」
「恥ずかしいんだよね?」
「ち、違いますよ!えっと…そう!ルミナスさんのためです!学園でそう呼ばれるとは、恥ずかしいかなと思いまして…」
「私は別に」
「はぅ…」
「そう?私がルミちゃん呼びした時は恥ずかしがってなかった?」
「…同期の前ではやめて欲しいです。なのでチヨさんも同期のいない所ででしたら呼んでもらっても大丈夫ですよ」
「で、でしたらタイミングがあれば…」
3人で談笑していると、病室の扉をノックする音が聞こえた。
ローレルさんがどうぞと入室を許可する。
「失礼します!サクラバクシンオーです!」
「バクさんお久しぶりです」
「ルミナスさん!お久しぶりです!元気にしてましたか?はい、私は元気です!」
「ははは…」
バクシンオーさんの登場で場の空気が一気に明るくなる。この人はこういう力があるのですごい。
「じゃあバクちゃんも来たし、改めて…」
ローレルさんの言葉に3人は話をやめて、彼女の方に顔を向ける。
「私はもう一度走ります。色々考えたりしちゃったけど、やっぱり夢は諦めたくない。だから必ずターフに戻ってG1を勝つ、そして夢は大きく凱旋門!そして…打倒ナリタブライアン!!。というわけで、まずはリハビリを頑張ります!」
ローレルさんの力強い復帰宣言にチヨさんと私は拍手で応える中、小さく唸り声を上げながら首を捻るのが1名…
「ん?ローレルさんはそんなことを考えていたのですか?」
「えーっと…」
「バクシンオーさん?」
「ローレルさんならどんなことがあってもすぐに立ち上がり、前に進むと分かっていました。それに皆さんだって、ローレルさんはどんなことも投げ出さず、絶対に諦めない方だと知っているではありませんか!」
「バクシンオーさん…」
この人はこういうことをサラッと言ってくる。
この人は本気にずるい…
「リハビリとかで色々迷惑掛けちゃうかもしれないけど……」
「そんなこと気にしないでいいですよ!」
「その通りです!私達にお任せ下さい!」
「私も…私も手伝います。…といってもチームの皆さんがいらっしゃるので必要ないかもしれないですが……」
「ううん、全然そんなとこないよ!ありがとう、ルミちゃん!」
「今こそヴィクトリー倶楽部の絆を見せる時です!ハーッハッハッハッハ」
すごく良いところだけど、バクさんもうちょっと音量抑えてください…ここ病院です、看護師が飛んできちゃいますから!
ブブッと突然振動音が聞こえる。
携帯のバイブ音だろうか?えーっと私ではないみたいだ。
すると横にいたチヨさんがおもむろに携帯を取り出して画面を見る。
どうやら何か連絡が来たようだ。
「ん?えっ?…え!バ、バババクシンオーさん!トレーナーさんから招集がかかりました!」
「ちょわ!なんですと!私はまだ来たばかりなのですが!」
「り、理由は分かりませんが、学園に戻りましょう!」
「分かりました!ではローレルさん、ルミナスさん失礼します!私は学園へと戻ります!バクシン!バクシーン!」
「わあぁぁ…バクシンオーさーん!病院は走っちゃダメですよー!じゃ、じゃあ私も失礼しますね…って待ってください!バクシンオーさーん!」
2人が足早に病室を出ていき、また静かな空間へと戻っていった。
「行っちゃいましたね…」
「フフ、バタバタだったね」
「でも良かったです。ローレルさんがもう一度走ると言ってくれて…私はとても嬉しかったです」
「うん、ありがとう。それにしてもルミちゃんは変わったね」
「そうですか?もし変わったのでしたら、ローレルさんのおかげですね」
「そう?」
「はい、沢山のことを教わりました」
「なら良かった…」
「If winter comes,can spring be far behind?」
「あ、それ…」
「ローレルさんが怪我をした私に掛けてくれた言葉です」
「冬来りなば春遠からじ…覚えてたんだね」
「忘れるわけがありません。大袈裟に聞こえるかもしれませんが、私はローレルさんに、ヴィクトリー倶楽部の皆さんに救ったもらいました。あの時のことが無かったら私はもう走ってなかったと思いますから」
「…どんな辛く、困難な時が来ても耐えていれば、幸せな時期は必ず来る」
「はい、単純かもしれないですが、その言葉に本当に助けられました。ですので今回は私がローレルさんを支える…とまでは出来ないかもしれませんが、微力ですが手伝います!」
「期待してるよ、ルミナス」
「はい!」