水鏡律季と爆乳魔女 ~ハングリー・フォー・バスト~ 作:黄緑信号
おれ達が
あの日のことは「双天使事件」と呼ばれ、一時は世界的な騒動となった。
突如出現した怪物が暴れ回り、ものの二~三十分で一都市を半壊させる猛威をふるったあとで、炎の天使と黄金の光を放つ少女が怪物を討ち、すべての被害を元通りにした。その一部始終がテレビで生中継され、世界中の人間がそれを見たのだ。騒ぎにならない方がおかしい。
しかしながら――ユウマが迅速に避難誘導をしてくれたおかげで、奇跡的に死者はゼロ。おれの能力によって壊された建物や施設は、完全に元通りに修復された。おまけにフリーメイガスの記憶処理班とユウマが共同で後始末にあたったことで、被害者は事件当時の記憶を持っていないときたものだ。
つまり現実的に何一つ被害がなく、暴れた怪物や「天使」の存在を示す物的証拠もないわけで、事件の証人であるはずの真序市の住民も何も知らないし話せない。外野からでは騒ごうにも騒ぎようがないわけだ。ニュースのキャスターはただただ頭に?を浮かべ、ワイドショーのコメンテーターは「集団幻覚でも見たのではないか」などとトンチンカンな説を唱えている。
まあ一応SNS上には数名、「映像という証拠がある以上、怪物も天使も実在する。被害者はそのどちらかによって記憶を改ざんされたのだ」と、事実に限りなく近い憶測を立てる者もいた。しかし一般人の世界でその考え方は、飛躍した陰謀論の域を出ない。結局、事件についての話題は日に日に飽きられてきていた。
ちなみにネットでは、何一つ答えの出ない事件についてよりも、街を直した「美少女天使」の方が関心を持たれているようだ。
魔法少女になったおれの姿は、笑えないことに好事家たちの琴線を大いに刺激したらしい。「なんもわからんけどとりあえずおっぱいでっっっっか!!!」といろんな人が口々に言い、テレビ中継にちょっと映っただけのおれの姿をもとに、国内外の数多くの絵師がファンアートを上げている。おれという存在は既に界隈ではミーム化しており、昨日見た段階ですでに500件超のイラストが上がっていた。
まあこれはこれである意味、事件の本質、ひいては魔法使いの存在から目をそらさせることになっているから、火消しに一役買っていると言えるかもしれないし、外見が全く違うから、その「天使」の正体がおれであるとバレる心配もないだろうが――
――あずかり知らぬところで自分自身の虚像が拡大するというのは、おっかないものである。
「「――あ」」
あの夜から三日後。土日明けの高校は、何事もなかったかのようにいつも通りの通学風景を示していた。
並んで登校中だったおれと
「――ッ!」
寝返った魔法使い神瀬ユウマは、おれ達を見て、顔を気まずそうにそむけた。肉まんをほおばってリスのように膨らんだ顔を。
そのすぐ隣でこちらに視線を向けている相棒の朝霧レンともども、真序高校の制服を着ている。それは潜入任務が終わった今では、もはや必要なくなったはずの制服だった。
「レイン先生から話は聞いてたけど、本当にそのままうちに通う気なんだ」
「……だから、なにさ。ボクがいたら困るのか? ま、そりゃ、自分の学校に敵がいて誰もいい気持ちはしないだろうけどさ」
「そんなこと誰が言ったよ。もともと住んでた家に、荷物とか取りに行かなくていいのか? って話だ。漫画とかあるだろ?」
「……いや、その問題はないよ。漫画は先生方にお金がいくように、もともと全部電子書籍で買ってたし……画材とかバイクとか、めぼしいものは大体こっちに持ってきてるからね。
第一、もし取りに行きたいものがあっても、いまさらノコノコ家に帰ったら確実に殺されちゃうだろ」
「フリーメイガスの裏工作で、オレもユウマも元々この町に住んでたってことになってるそうだ。保護してやる代わりにお前らと同じ学校に通えって言われたし、否応なくここに根付くしかなかった」
レイン先生は、フリーメイガスで働く以上根無し草のままでいられては困ると工作班に依頼して、ユウマとレンに新しい戸籍を用意してやった。まず二人の日本での行方不明者登録を抹消し、入学時からこの学校に在籍していた偽の経歴をでっち上げたそうだ。
ユウマも真序高校に生徒として潜り込んだ際にある程度の偽装工作はしていたのだが、教師と生徒の認識をいじって出席簿に自分たちの籍をねじ込んだだけで、それを裏付ける公式書類などは用意していない。
どうせ律季を捕まえるという目的を達すればどうせすぐいなくなる身である以上、しっかり偽装する必要もなかったのだが――ここに根付くと決めた以上、書類も完璧にしておかなければならなかった。
つまり、改竄工作だらけのグレーなやり方ではあるが、今やこの二人は公式に真序高生として認められる身というわけだ。
学校に来る事は二人の権利なのだ。
「仮におれ達が嫌に思っても、反対できる筋じゃねぇ」
「何回も言ったけど、もうあんたたちのことは恨んでないってば。けーちゃんを助けてくれたし、街のみんなの避難も手伝ってくれたしね。――とっくに終わった事でくよくよするより、これからの心配をしたほうが有意義でしょ?」
「……これからって?」
「勉強のこと。実際二人とも、うちの授業にはついていけてたの?
真剣に受けてたわけじゃなかっただろうけど、同じ教室にはいたから耳には入ってたわよね」
「――う゛……! そ、それは……」
「……ノーだ。英語以外の全科目は正直チンプンカンプンだった。
オレもユウマも学校教育は中学の時点でフェードアウトしたからな。進学校の三年レベルの授業なんぞ、宇宙人の言語で話されてるのと変わらん」
「今になって学生の身分に戻るなんて、考えもしなかったからねぇ……どうしたもんか。ボクらのことは目立たないように平均的な学生って思わせてるから、いきなり点数がガタ落ちしたら不自然だし……」
「――じゃあ……どうする気? 今までみたいに先生方を操ってテストの点を変えたりするつもりなの?」
「いいや、それはしないよ。自分の力で、できる限りくらいついてみるつもりだ」
意外な返答に、
そして気づく。今まではだらしなく開いていたユウマの襟元が、今日はきっちりと閉じられていたことに。
「レンもそうするって言ってる。というか、二人で相談してそう決めたんだけどね」
「……え? でもレイン先生に言われた条件は、学校に通うことだけだろ。フリーメイガスに移籍しても任務で忙しいのは同じだし、なにも勉強で苦労する必要ないんじゃないのか?」
「――苦労する必要はない……か。まぁそうだね。暗示魔法で人を操れるなら、万事苦労せずにすませることはできる。
それは学校のテストに限ったことじゃない。人の好感度も、就職先の評価も、なんだっていじり放題だ。なんなら犯罪を犯したって警察に捕まることすらない。どんな法律もシステムも、あくまで運用するのは人間だ。人間を操れるこの力があれば、一生食ってくのに困ることはないだろう。実際そうやってきたから、天涯孤独でもボクらは生きてこれたわけだし」
「……」
「――でも……世の中の奴らはそんな生き方はしていない。みんな真面目に生きている。それはみんなが力を持っていないからだと、ボクは思っていた。力がないから地味な生き方するしかないだけで、楽な生き方を選べるなら誰でも飛びつくはずだとね。水は低きに流れるものだ。
だけど――同じ魔法使いでも、ボクのことを友達だと言ってくれた奴や、そいつの連れは、ズルな生き方をしてなかった。勉強や部活で一生懸命努力していた。なのにボクだけが楽してばっかりなんて……良くないって思ったんだ」
ユウマはおれのことを『ボクのことを友達だと言ってくれた奴』と言った。
素直に『友達』と言わないのは、きっとおれをそう呼ぶだけの勇気がないのだろう。おれにはそれが彼女の本質に思えた。傲慢に見えてひどく臆病で卑屈。
「それで暗示魔法を封印すると決めた。その時、なぜか妙に心が軽くなったんだ。なぜだか自分でも不思議だったよ。苦労せず生きられることの何が嫌なんだ? ボクは今までそのことに、優越感を覚えていたはずだ。
……どうやらボクは、うらやましかったらしい。真面目に人生を生きている、キミらのような奴らが。自分で気づかないようにしてきただけで」
淡々と語るユウマの表情からは、いつも浮かべていた貼り付けたような笑みが消えている。まるで叱られる子供のように、拗ねて視線をそらした表情。
「ちゃんと勉強すれば、それだけでキミらに並べるなんて思わないけど……でも、これからは自分にできることをしようと思うよ。レンも付き合ってくれるしね」
「……立派だと思うがな、ユウマ。そう自分を卑下することもねぇよ」
「なにがさ」
「だってお前が楽して生きていきたい奴なら、そもそもロイに逆らうはずがねぇ。
なにより、漫画家になりたいって夢を持ってる。金持ちになりたいでも有名になりたいでもなく、漫画描いて世の中に認められたいって夢をな。それはお前が、自分の作品を――紙に込めた己の実力を、人に評価してもらいたいと思ってるって事だ。魔法の力に頼るんじゃなくてな」
「――!」
「……それともまさか編集者さんあたりを操って、無理やり作品を掲載させるつもりだったのか?」
「ちっ……違う! そんなこと、考えたことだって一度もなかったよ! だってそれじゃ意味ないだろ!?」
「……じゃあお前は最初っから、真剣勝負の人生を諦めてなかったってことだろ。自分を卑下する必要がどこにある?
一個見せてもらっただけだが――なかなか面白かったぜ、お前らの漫画は。おれが個人的に作者を知ってるからかもしれんが、お前ら二人にしか描けないって思った。ほかのも見たいって思ったよ」
「うん。実際見たわけじゃないけど、私もけーちゃんから少しだけ話は聞いてる。実は私も興味があるんだ。よかったら、今度見せてほしいな」
「……!」
ユウマは何も言わずに、肉まんの包み紙に深くくらいついた。とっくにからっぽの包装紙で顔が隠れる。
レンはさりげなくスッと前に出て、皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「とはいえ、早い奴なら大学受験対策を始めるような時期に、オレらは中学の段階から学校教育を追いかけるわけだからな。今から追いつけるかどうかは、はなはだ怪しいもんだよ」
「……ボクかレンが勉強で詰まったらキミらが教えてくれよ? ボクらが『真剣勝負の人生』とやらを歩む羽目になったのは、言っとくがキミらのせいなんだからな」
「いや、私たちが頼んだわけじゃないからね。……まぁもちろんクラスメイトとして手伝ってあげるけど、私素人だし、あんまり責任持てないわよ?」
「螢視は家庭教師のバイトだろ。言ってみれば教育のセミプロだし、期待してもいいんじゃないのか?」
「勘弁してくれよ。仕事でやってるのは高校受験までだ。まあ教える事自体が苦手とは言わんが――」
そこまで言ったところで、隣の車道に見覚えのある黒塗りの高級車が現れた。
助手席の窓が開いて、オレンジ色の頭と青いロングヘアの頭が現れる。律季とレイン先生だ。みなさんおはようございますいやあ偶然ですねー、と律季がニコニコしながら、
「――うわ。あいつ、ほんとに
「一応話を聞いてはいたけど、マジで同棲してんのかよ」
◆
「レイン先生と同棲ですか? もちろんしますよ。で、なんでですか?」
「いやなんで結論ありきだ」
「先に理由を聞きなさいよ。てゆうか、律季くんほんと、その即答癖やめたほうがいいって」
三日前、レイン先生のマンションに集まった時、律季は先生からある提案を持ち掛けられた。
いわく『今日から』わしの家に住まないか、というのだ。なんでもこのマンションは先生ひとりには広すぎて(当然だ)使っていない部屋が二つほどあるので、律季一人増えてもまったく問題ない。とりあえず早速今晩から律季にはここに泊まってもらい、翌日から順次引っ越し作業を進めていく、とのことだ。
明らかに律季の意思を無視して、レイン先生が勝手に決めているばかりか、すでに細かいところまで予定が詰まっている――のだが、当の律季は訝しむ様子が一切なく、むしろノリノリだった。
「理由は――律季の安全のためじゃ」
「安全?」
「此度の一件で、律季は完全に教国の重要ターゲットに指定されたはず。
ヴィトの戦士になれば現実世界で襲われる可能性は減るといったが――それは炎夏と螢視に限っての話。一番の重要人物である律季なら、寝首を掻かれる危険は大いにある。早急に安全なところへ引っ越してもらわねばならんのじゃ。
炎夏は強いし、螢視はその隣に住んでおるから、万が一が起こってもなんとか身を守れよう。しかし律季が今住んでいる町の端っこのアパートは、助けに行こうにも最速で二十分かかってしまう距離じゃ。だいたい、普通に暮らしていても不便であろう」
「だからここに住めってことですか? でもここ、市内ですよ。距離があってすぐ助けに行けないのは同じじゃないですか」
「……いや、ここならおぬしらが助けに来る必要はない。なぜならこのマンションは、普通の物件ではないからじゃ。
ここはフリーメイガスが建物ごと買い取り、最新鋭のレーダーや電波妨害装置を取り付けた改造物件。10キロ圏内の魔法使いをすべて探知できるようになっているし、内部にもびっしり隔壁やバリアが仕掛けられていて、並の魔法使いなら手も足も出せない防御力を持っておる」
「「……えっ!?」」
「今度のように相手が
外見はマンションじゃが中身は要塞――ここ以上に安全な場所などそうはなかろう。ちょっと前にわしらが買い取って改造したばかりじゃから、魔法使いの住人はまだわし一人しかおらん。ゆえに教国の連中も、ここの正体には気づいておらんはずじゃ。
わしのような一般所得者がこんな優雅な暮らしができるのも、実はそのモニター役を引き受けた見返りでな。フリーメイガスさまさまじゃ」
……正直理解が追い付いていない。スケールが違いすぎる話だ。
しかし、説明を聞いてもやはり怪しさはぬぐえなかった。あまりにも不可解な説明だからだ。
こんな大きなマンションを買い取ってさらに兵器を取り付けるなんて、一体いくらかかるというのだ? 少なくとも何十億……へたすりゃ何百億という金を、真序市内に十人いるかどうかという魔法使いのためだけに使ったというのか……?
いままではフリーメイガスが怪しいと思っていた。しかしレイン先生個人もまた怪しさが爆発している。この部屋に住めるのは「モニターの報酬」とやらで説明がつくとしても、例えばあの高級車はどうやって手に入れた? なぜレイン先生のまわりだけ、こうも大金が動いている?
そしてなによりもこの提案は――律季にとって、明らかに都合がよすぎるではないか。
((――ぜーったい、裏があるっ!!))
やはりこの人は何かを隠している。先生と律季を一緒に暮らさせては、何かまずい気がする――おれと
「ダ、ダメよ律季くんっ。こんな話に乗ったら!」
「同感だ。不審な点が多すぎる」
「――くぉぉっ!?」
おれは
(言い忘れたが、話が長くなったのでもう風呂は上がっている)
「お、お二人ともなにを!?」
「なにって、乳こすりつけてんだよ。――んっ♡ よっ♡」
「律季くんにはこれが唯一の説得方法でしょ。どうせ口で言ったって聞かないんだからっ。――えいっ♡ えいっ♡」
「おぬしら、なんかわしと考え方が似てきたの……」
「た、たしかに効果的ですがっ。――くぉぉっ♥ お風呂上りだから、いつもに増してぬくぬく……♥ でっでも、なんでダメなんですか?」
「なんでもなにも、こんなところ住んだらいくら取られるかわかんないわよ? 詳しくは知らないけど月何百万とか? ……仮に引っ越すにしても、私の近所にしといた方がいいって」
「金など誰が取るものか。律季はこちらにとっても重要な庇護対象なのじゃぞ? こやつを守るための費用ならいくらかかっても別に構わぬ。
むしろ金をケチった結果、律季に身の危険がふりかかったら我々の方が困る。第一、わしと相部屋なら家賃もなにもなかろうが」
……相部屋って……普通、賃貸で居候なんか住ませたら絶対ダメなはずだが。バレたら間違いなく追い出される。即刻ブラックリストに載る。
でもそのあたりにつっこんでもたぶん無駄だろうな、と思った。多分このマンションの中で、一般社会のルールは機能しない。対魔法使いの改造を施している時点で、少なくとも建基法には違反しているわけだし。
「それとも律季は、わしと一緒に住むのはいやか?」
「いっ、いやなわけありませんけど。でもさすがに――」
「ここに住めばあのでっかいお風呂も、共用施設のジムもサウナも使い放題なんじゃぞ~♡ 食事だって、頼めばわしが作ってやることもできるし……♡ あっ、ついでに毎日の登下校もわしが乗せていってやれるな。行先は同じじゃから」
「ううっ、お得ってレベルじゃない特典の数々が……!」
「ゆ、揺らいじゃだめっ! お弁当だったら私が作ってあげるから!」
「――へっ!? ほ、炎夏さんの手作り弁当っ!? ――そんなの、いいんですか……!?」
「……なぜそこでおれを見る? なにに気を遣ってんだお前。
つーか金に糸目付ける気がないなら、相部屋にする必要もないでしょ。いっそ律季に一部屋まるごと用意してやればいいんじゃないですか?」
「えっ……! い、いくらなんでもそれは気が引けるんですけど……余分な費用がかかるって事じゃないですか」
「だから、金の問題は気にせんでいいってば。実際わしとしてはそれでも一向にかまわんぞ。思春期男子にとってプライバシーは重要なことじゃし――炎夏が嫉妬する気持ちもわかるしの。
自分の彼氏になるはずの律季がほかの女と同棲するのは、心穏やかでいられんのじゃろう。だからそんな必死になって反対を」
「誰がですか!!」
「……う、うーん……まぁ、お二人がそこまで言うなら――」
あの律季が思いのほか聞き分けがいいことに内心驚いた。『女教師と年の差同棲』というシチュエーションに、こいつが心躍らないはずがないのだが。
やっぱり、突然こんな超豪華な住まいをタダで譲られることに対する困惑と遠慮が、興奮に勝ってしまっているのだろうか……?
しかし律季の理性が働いたのはここまで。
――レイン先生の次の発言が、勝負を一瞬で決したのだった。
「――しかし、残念じゃのう。
わしは律季が一緒に住んでくれるなら、朝から晩まで
――「俺はここに骨を埋めます!」
律季はレイン先生の胸の谷間に甘えながらそう言い、そのあとは二度とおれたちに応じなかった。ああ、どうせこうなると思ったよ!
◆
そして、現在に至るというわけだ。すでに律季は金土日と三晩レイン先生の家で寝泊まりし、その間不動産屋や引っ越し業者との打ち合わせを着々と進めていたらしい。
真序高校の職員用駐車場に停まった黒塗りの車から、律季とレイン先生が下りてくる。二人の目元にはうっすらとクマが浮かんでおり、やけに疲れた表情をしていた。
「……えっ、なんで二人とも寝不足?」
「ま……まさか二人とも、夜通しエロいことを……?」
「肉まんの紙でオレの耳を隠すな。しめってる」
「――律季くん……?」
「えっ? いや、違いますよ。ゆうべは二人でアニメを見てたんです。秋月先輩から借りたやつを」
「借りた?」
「あぁ……そういえばレイン先生が急に、なんか面白いアニメ知らないかって聞いてきてさ。とりあえず家にあったブルーレイを渡したんだ」
「……作品は?」
「86」
「「「あ~~~~~~~~~…………」」」
無表情で律季に詰め寄りかけた
おれの顔を見たレイン先生は、はっとしてこちらに早歩きで寄ってくる。おれよりわずかに低い背の彼女が、必死の形相でおれの両肩を掴んだ。すがるような手つきだった。
「けっ――螢視! 頼む教えてくれ! 最後のアレはいったい何じゃ!? 主人公はどうなった!? まさか顔すら合わせぬまま終わったのではなかろうな!?
そんな結末わしは耐えられんぞ! あの二人は幸せにならないとダメじゃ!!」
「ゆっ、揺らさないで! おれが書いたわけじゃないんですよ!」
「えぇ……横で見てた俺も、もうずっと泣きっぱなしで……あんまり寝れませんでした」
「わかるわよ律季くん。私もそうなったから」
「――というか、えっ? まさか螢視キミ、一期範囲だけ渡したの?」
「うん」
「悪魔かお前は!?」
だってこっちの方が深く引きずり込めると思って。反省はしてるが後悔はしてない。
ちなみに何年か前に
「うぅ……ぐすっ……」
「でもレイン先生のほうが深刻ですよ。夜が明けてもずっとこの調子で……」
「うぅむ……ただでさえわしはああいうのに弱いのに、ヒロインが長いこと会ってないわしの妹にちょっと似とってな……」
「へぇ? 先生、妹さんがいるんですか? 初耳ですよ」
「言うとらんかったからな……。顔はともかく、真面目で責任感が強いところが同じでの。そのせいで余計に感情移入してしもうた。
あの子にハッピーエンドが訪れると信じて最後まで観たのに……はぁ。もう律季とイチャイチャして悲しみを紛らわすしかなかったわ」
「……気づいたら朝でしたね」
「結局徹夜でヤってたんじゃないか!?」
レイン先生の意外な一面が見れたな。まさか寝れなくなるほどアニメに没入するタイプだとは。感想を聞くのがちょっと楽しみだ。
あと、やっぱり律季もハマったな。複雑だが、律季とおれの好みはよく似ているようだ。……お互い
「律季はお前のせいで徹夜しちまったようなもんだろ、螢視。かわいそうだから回復してやれ」
「まあそりゃそのつもりだが、今すぐは無理だぞ」
「なんでさ?」
「……おれが回復魔法を使うには、女性体にならなきゃいけないんだよ。なんでか知らないけどさ」
レイン先生が言うには、それがおれの能力の『縛り』らしい。体力の回復、傷の治療、果ては壊れた街の修復までできるおれの回復魔法は、世界的に見ても極めて珍しい万能性を備えているらしく、むしろこの程度の代償で済んでいるのがおかしいぐらいだとか。
「え、ならそこの物陰でちゃちゃっとできるんじゃないの?」
「おれが女に変身して律季を回復した場合、元気になったこいつに襲われる流れになる可能性が高いだろ。そんなとこ誰かに見られたら大変じゃねえか」
「……なるほど。すごい納得」
「なあに、騒ぎになったらユウマに頼んで、皆の記憶を消してもらえばよかろう?」
「いや……人使い荒すぎでしょ。律季を車で連れてきたりして噂になったらどうするのかと思ってたけど、まさかそれもボクに処理させるつもりですか?」
「……あ、それはそうじゃな、すまん。考えとらんかった。次からは天道神社の境内あたりで下ろすとしよう」
「そこは天然なのかよ」
――たわいもない話をしながら歩き続けるおれ達は、気づかない。
すぐ真上を通る電線に、季節外れのツバメが、たった一羽で停まっていたことに。
高精度レンズの埋め込まれた機械の目で、おれ達を静かに睨んでいたことに。
「そう簡単に尻尾はつかませんよ――
「? なんですか先生?」
「なんでもない。さっ、早速保健室に行くとしようか」
「朝っぱらからですか!?」
その後立ち寄った保健室のデスクの上には、羽毛のようなものと一緒に見たことのない機械が分解された状態で置かれていた。
それが一体なんだったのか、レイン先生は結局教えてくれなかった。
◆
そこは、漆黒の大広間だった。
黒塗りの壁に黒塗りの床、逆U字をした黒塗りのテーブル。床に埋め込まれたライトは、核物質の燐光にも似たライトブルーの明かりを放ってそれらを照らし、禍々しい印象を与えていた。
イルミナ教国は教皇を頂点とする君主制宗教国家であり、領土を統治するのは首都ソーサリアンの教皇庁である。
――しかし、それはあくまでも『地表の領域』での話にすぎない。夢界全土を支配する魔法軍事大国、それがイルミナ教国の真の姿だ。地図上では小さな半島を治めているにすぎないが、地図に載らない世界の陰では、広大な夢界の地のほとんどを手中に収め、現実世界の支配領域の数百倍にもなる領土を持っている。
それらすべてを司る中枢こそが、夢界最深部に位置するこの『黒い会議室』だ。
教皇とその手足たる最高幹部
「――同胞たちよ、傾注せよ」
イルミナ教国『聖女』シーラ・グレゴリオは、合言葉によって会議のはじまりを告げた。
その対面に座るのは、
すなわちここにいる五人は、皆例外なく人類にとっての巨悪である。
「――むにゃ……ごめんテリィ、ねむい。あとでみるからメモとっといて。……あ、ノート、ひざまくらおねがい」
「……大学生みたいなことすんなよ、フィー。なあダン、眠気覚ましのガムないか?」
「……あることはありますが……大丈夫ですかライトイヤー様? 吾輩が持っているのは一番強いやつですが」
「ちょっとオフィリアさん、本気で寝ようとしないでください。もう始まりますからっ!」
「もう始まるからじゃなくて、もう始まってるんだよっ! とっくに! メモとるまでもなく、この会話も議事録に残るんだ!
――えぇい起きんか貴様ー! そのままコールドスリープにかけられたいか!?」
そして
――世界最強の魔法使いたちの会議は、なんとも締まらない雰囲気で始まった。