水鏡律季と爆乳魔女 ~ハングリー・フォー・バスト~   作:黄緑信号

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秋月螢のデートプラン

 

 

 

「しかし、まいったもんだなあ……」

 

 夜。

 おれは電気もつけずに部屋のベッドによこたわって、途方に暮れていた。

 うちは共働き家庭だから、家族がそろうのは週に日曜だけだ。他の時はだいたいおれ一人だけ。今日も今日とて家の中は静かで、自然と考え事にふけってしまう。

 

 暗闇の中光るスマホに映るのは、SNSの画面。

 興味がない炎夏(ホノー)や律季と違って、おれの場合は学校の人間のアカウントの大半をフォローしているため、校内の話題は把握できる。

 そんなうちのネットワークで今ホットな話題は、件の二人が付き合っているという噂だ。真序高校の男子はほぼ全員が炎夏ファンクラブも同然なため(そういう名前のグループがSNS上に実在していて、4ケタ近いアカウントが集まっている)、かなりの騒ぎになっている。

 

炎夏(ホノー)は噂をいちいち気にするようなやつじゃねえが……当人が噂を否定しないと、下手すりゃマジに炎夏(ホノー)と律季が恋人同士ってことになっちまうぞ。

 そうなりゃ律季は喜んで噂を肯定して外堀を埋めにかかるだろう。そして炎夏(ホノー)の方もなんだかんだでそれを許す……。光景が目に浮かぶようだ。

 ――それを防ぐにはおれがなんとかするしかない。レイン先生が律季の味方である以上、頼れるのは自分だけだ……しかし、何をすればいい?)

 

 『なぜ炎夏と律季が付き合っていたら嫌なのか?』その根本的な疑問に気づかないふりをして、おれは思考を進める。なぜもくそもあるものか、とにかく嫌なもんは嫌なのだ。野良ネコさえあまり見かけないこの真序市で暮らしていて、馬に蹴られて死ぬこともあるまい。

 考えるべきは具体的な方法だ。炎夏と律季が彼女でないと、噂好きの連中に一発で証明する方法。そしてあわよくば、最近なんだか律季に落ちかけている風な炎夏(あいつ)の目を覚まさせることもできる方法。律季にもレイン先生にも邪魔されず、おれが一人でできる方法。

 

 難題だ。しかし――なにかあるはずだ。なにかないか?――

 どれだけうんうん唸っていたかわからないが、そうするうちに一つだけ案が浮かんだ。

 

 

 

 

 

(――ああ、そうか。おれが律季の彼女になればいいんだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやごめん。ひとっつも意味がわからないんだけど?」

 

「いきなりこんな場所に連れてきたと思えば、開口一番何を言いだすんだ」

 

 昼休み。

 おれはユウマとレンを屋上に連れ出し、人気のない場所で相談をもちかけていた。

 

「……ともかく聞いてくれよ。こんなこと相談できるのお前ら以外にいないだろ。他の奴はおれが女になれるなんて知らんし」

 

「まあ……理屈自体はわかるがな。律季と炎夏が付き合っているって疑惑を晴らすためには、律季に別の『彼女役』を用意してやればいいっていうことだろ。噂を新しい噂で上塗りするわけだ」

 

「でもよりによって結論がそれ? 真面目な奴って怖いね。ボクは一瞬キミがガチホモになったのかと」

 

「誰がだこの野郎。あくまで役を演じるだけだよ。律季は顔と乳がよければ見境ねぇから、デートしようぜっつったら二つ返事で了承するだろう」

 

「まぁそうだが……そこまで考えてるなら、別にオレ達の意見を聞く必要もなくないか? 噂の発信源になってる奴のバイト先とかに律季と一緒に行けば、勝手に噂は立つだろう?」

 

「キミの女の子形態って、めっちゃくちゃかわいいもんね」

 

「あぁ……自分で言うのははばかられるが、どうもそうらしい。前にテレビに映った時も大騒ぎになってたしな」

 

「――それにおっぱいもね。けっ、5センチでいいからボクにも分けてくれやがれ。なんだってボクのまわりにはこうおっぱいオバケばかりが集まるんだ……ぶつぶつ……」

 

「分けられるもんならおれだってそうしたいよ」

 

 ユウマは拗ねながら、広げた昼食をやけ食いする。大食いのユウマは巨大な弁当箱を左右に二つ並べており、片方はたっぷり米が詰まっていて、片方は高菜、からあげ、明太子など、いろんなおかずが入っている。レンの方も負けず劣らず大量だ。フライパンいっぱいぐらいの焼きそばにどーんと目玉焼きがのっかっている、実に男らしい弁当だった。

 ちなみにおれのはシンプルおにぎり二つだ。190cm近い体格をその食事量でどうやって維持しているのかと、レンなどは不思議がっている。

 

「ん? じゃあ話はこれで終わりってことか?」

 

「いいや違う。ここまでは前置きで、本当の相談はここからだ」

 

「?? どういうこと?」

 

「『噂を消すための彼女役』ってのはな、炎夏(ホノー)や律季やレイン先生を納得させるための、ただの建前だよ。

 おれの本当の狙いは――律季を本気でおれに惚れさせ、篭絡することだ」

 

「…………………………………………はぁ?」

 

「お前らにはそのための知恵を貸してほしい」

 

「いや……マジで何言ってんのキミ」

 

 しばしの沈黙が流れ、ひゅ~~~~~……と乾いた風が吹く。

 ここのところ暑い日が続いているため、日陰の場所で風に吹かれるのは爽やかで気持ちがよかった。

 

「お前ら、レイン先生をどう思う?」

 

「なんなのささっきから! 話の流れが見えないよ!?」

 

「いいから答えてくれ。ちゃんと関係あるから」

 

「どう思うって……まぁ、怪しいよな」

 

「怪しいよね」

 

「だよな。おれもそう思う」

 

 怪しすぎて逆に詮索する気がなくなるが、冷静に考えるとレイン先生はやっぱりおかしい点が多々ある。

 外見からして日本人離れしているのはひとまず置いて、行動だけまとめてみよう。――律季と初めて会った時には、『炎夏と付き合えたら自分とエロい事させてやる』とわけのわからない提案をした。その次は『自分も律季が好きだ』と、炎夏(ホノー)と律季の仲を邪魔するようなことを言い出した。

 ロイとマルスの襲撃の日には『逃げろ』と言ったらしいが、その言葉に背いて戦いに行った律季たちを一切責めず、逆にそのことをほめそやすような言動をとった。そしてそんな危険な状況なのにもかかわらず、自分は一切逃げるそぶりさえも見せなかった。それどころか一番被害を受けやすい中心街にいたのだ。

 

「決定的におかしいのは、律季に殴られて墜落したロイをあの人が捕えたってことだ。たまたま落下地点にいたとしても、ふつうは逃げようとする方が自然なはずだろ」

 

「あぁ……そうだな。おれもまったく同じことを考えていた。

 ヘロヘロになっても悪の爪(マーレブランケ)だ。そこいらの魔法使いを制圧して人質にするぐらいの力は持っていただろう。少なくともオレは、あの状態のナインスに必ず勝てる自信はない」

 

「だけどロイはレイン先生にあっさり捕まった。先生が『なぜか持っていた』拘束具でな」

 

「……そう、その点もだ。偶然にしちゃできすぎだと思う。わざと待ち構えていたとしか考えられん」

 

「自分は戦闘員じゃありません、みたいな顔をしてるけど――実は相当強いとボクは思うよ。ボクらの戸籍だってさも当然みたいに偽造しちゃったし、実は相当高い地位にいるんじゃないかな」

 

「おれもそう思う。そうなると気になるのは、そんな人がなぜ、ああも律季に甘いのか……ってことだ。

 あの人の正体なら少しだけ推測はつく。だが……目的がまったくわからない。行動に一貫性がないからだ」

 

 ユウマが言ったのと同じで、おれもレイン先生はフリーメイガスで、最低でも幹部格の人間だと思っている。豪勢な生活をする資金の出どころは、多分それだろう。

 しかしそうなると気になるのは――それだけ金も地位も持っている人が、なぜ公立学校で養護教諭なんかやっているのかだ。

 

 おれは最初、なぜ公務員があんな高層マンションに住めるのかと疑ったが、それは考え方が間違っていた。なぜレイン先生は学校に勤めているのかと疑うべきだったのだ。――それも、律季と炎夏(ホノー)という、今や重要人物となった二人の魔法使いがいるこの学校にだ。これは果たして偶然なのだろうか?

 少なくともレイン先生にとって、フリーメイガスが本業で公務員が副業であることはほぼ確定的。いやむしろ、魔法使いとしてなんらかの目的を達成するために、養護教諭という偽りの身分を

演じている……というのが正しいだろう。

 

「その目的とはなんだい? 螢視。キミはどう睨んでる?」

 

「律季以外に考えられないだろう」

 

 ユウマとレンは、驚きもせずうなずいた。

 実際、そうとしか思えないのである。彼女はおれ達が一年生の頃から学校にいたが、この二年間は単なる炎夏(ホノー)の世話役に徹していた。レイン先生が奇妙な行動を始めたのは律季が入学すると決まってからだ。

 

「おそらく先生は、教国の連中がしつこく律季を狙うのと同じ理由で律季に近づいているんだ。

 レイン先生は律季を初対面から異常に甘やかし、ついには自分の家まで明け渡した。そうまでするのは、律季の持つ『秘密』とやらに用があるからだろう。

 この学校にレイン先生がいるのは偶然じゃない。レイン先生はおれ達よりも、教国よりも先に、律季に秘密があるって知ってたんだ」

 

「……! だとすれば雹冬先生は、自分の知る情報を、味方であるお前達にも隠していることになるな……律季をこの学校に来るように仕向けたのは、あの人という可能性もある」

 

「あぁ。当然、律季本人にもな。レイン先生が『好きだ』と言ったはずの相手にもだ」

 

「……先生がそうまでして狙う律季の秘密って……一体なんなんだろうね?」

 

「まだ見当がつかない。だが――魔法使いが持つ秘密となれば、それは『力』以外には考えにくいと思う。そしてもしおれの説が正しければ、律季の持つ秘密というのは――悪の爪(マーレブランケ)とレイン先生、『教国幹部とフリーメイガス幹部の両方が欲しがるぐらいに、ものすごい力』ってことになる」

 

「……そんなとんでもないものが、あのスケベ野郎の中に……かい? 世も末だね」

 

「どうかな。あいつはどんなに力があったってエロい事しか頭にない。世界の半分と炎夏の乳のどっちかを選べって言われても、迷わず後者を選ぶはずだ。それが褒められることかどうかは別として、そういうタイプの方が力を持たしとくには安心できるだろう。大それた悪事に走ることがないからな」

 

「おれもそう思う。律季の力はあくまで律季が持つべきものであって、誰の手にも渡すべきじゃないんだ。当然、いまだに目的を明かさないレイン先生の手にもな。

 あの人が何を企んでいるのか、おれ達は知る必要がある。律季が先生とべったりになっているこの状況も、できればなんとかしたい」

 

「……お前の考えはわかったし、オレも異論はないが――しかし、それと元々の話がどうつながるんだ?」

 

「そうだよ。それがどうして、キミが律季を篭絡するって話になるの?

 あとなんかこのままだとボクが先生を探る流れになりそうだけど、絶対やだからね。バレたらどんな目に遭うかわかんないし、多分暗示魔法が通じないし……あと、ボクらはあの人には恩があるから」

 

 教国を裏切ったことで宙ぶらりんになったユウマとレンに身分を与えたのはレイン先生だ。彼女がいなければ二人は今頃、ここでのんきに飯を食えていないだろう。

 おれだってそのことは承知しているから、二人に負担をかけるつもりは初めからない。あくまでもおれ一人でやるつもりだ。

 

「――律季をレイン先生から引き離すため、おれは自分の体を武器に律季をたらしこむ。要はレイン先生が今までやってきたことを真似る。

 律季を誘惑することがレイン先生の計画なら、横から割り込んで二人の仲を邪魔すればいい。それで先生が焦って反応を見せれば、腹の底がわかる可能性もある。

 だが先生は律季と同棲までしているわけだから、生半可なやり方じゃ先生以上に律季と親密な仲にはなれないだろう。本気で律季を落とすつもりでやらなきゃダメだと思う。

 

 ――そう決めたはいいものの……具体的になにをすればいいのか見当もつかなくってな」

 

「「こっちもだ!」」

 

 『女体化して同性の知り合いを誘惑する』なんてシチュエーション、おそらく人類史でおれが最初で最後だ。

 まともに恋愛を経験したことさえないおれには正直なところ荷が重い。自分でやると決めた以上やるしかないのだが……。

 

「てゆーかキミ、長々と話したけど――結局、炎夏と律季の仲を邪魔したいだけじゃないの?」

 

「ぎくっ……そ、そんなことは」

 

「ある。そもそもここに炎夏を加えていない時点で語るに落ちてるだろうが。

 ……まぁ、レイン先生の話も方便にしちゃ凝りすぎだから本心だろうがな、炎夏と律季がくっつくのを阻止したいって意図も、確実にあるはずだ。仮にも元スパイを相手に、素人が隠し事できると思うなよ」

 

「うぅ~~~~~……――はい、そうです。認めます」

 

 正直に言うとレイン先生に関しては二の次で、それが一番の目的だ。

 炎夏(ホノー)はなぜか、律季がセクハラ野郎でもハーレム欲求丸出しでも、まったく嫌いにならない。それがなぜかと言うと、多分炎夏(ホノー)は、『結局律季が一番好きなのは自分だ』と心のどこかで信じているのだ。完全に悪い男にはまる心理である。

 

 だが――もし作戦が成功して律季がおれに本気で惚れれば、さすがに炎夏(ホノー)も幻滅するはずだ。「ふうん、私は『そんなの』と同列なんだ?」と。たとえ口に出して言わないにしてもプライドは傷つく。

 レイン先生の意図を探れて、炎夏(ホノー)の目も覚めさせられる。おれにとっては一石二鳥の作戦だ。

 

「それ……もしうまくいったとしてもお前も炎夏に引かれない? 螢視までおかしくなったと思われるぞ」

 

「うぐ……た、確かにそうかもしれないけど……そんなのもういいよ! 正直今はあとのことなんか考える余裕がない!

 そんなこと言い出したら、そもそもおれにはこんなことする筋合いだって本来無いんだ。あいつが律季と付き合おうがなにしようが、それは本人の勝手だからな……。――それがわかっているのに、なぜか黙っていることができない!

 後でどう思われるかなんて知らねぇ! 今じっとしてると本当に頭がおかしくなる! なんでもいいから行動したい気分なんだよ……」

 

(……ねぇ、やっぱ螢視って、普通に炎夏が好きなだけだよね……?)

 

(……それを言ったらますますこじれるから口に出さないでおこうぜ)

 

 珍しく大きい声を出して取り乱すおれを見たユウマとレンは、何かひそひそと言葉を交わす。少しやりとりしてから互いにうなずき、こちらを見た。

 

「――よし、乗った。ボクらも協力しよう」

 

「えっ?」

 

「キミが雹冬先生と炎夏から、律季を略奪愛するなんて面白そうだからね。それに、いいネタになる」

 

「……そ、そうか。さすが漫画家の卵。だが協力するって、何かアイデアがあるのか?」

 

「ううん、見当もつかない!」

 

「笑顔で言い切るな。まぁ、おれもそうだから責められんが――レンはどうだ?」

 

 何気なく視線を向けて、思わず息をのんだ。

 レンは完全に弁当を食う箸を止め、怖いほど真剣な顔で考え込んでいる。ただでさえ迫力のある赤い瞳が、にらみつけるがごとく斜め上の一点を見つめていた。

 

「……うーむ……やはりこれは……となると……んん……」

 

「……あ、あの……レンさん?」

 

「……螢視よ。中身男のお前が、律季を自分から積極的に誘惑するって発想にそもそも無理があることは、ひとまず置いておこう。

 ――だが『体で誘惑する』って方針は、決定的にダメだとオレは思う。まずはそこを変えろ」

 

「あぁ……それはボクもちょっと思った」

 

「そ、そうか? どうして?」

 

「雹冬先生に勝ちたいなら、マネをしてちゃダメだってことだよ。だってそれじゃ延々と、先生と同じ道筋を後追いすることになるでしょ。

 先生はおっぱいもすごいけど――手に職をつけた大人の色気っていう、キミにはない武器がある。知識も経験もたぶん向こうが上だ。対してキミは『さぁ色仕掛けをしてみよう、でも何をすればいいんだ?』とかボクらに相談してくるようなレベルだろ。これで先生に対抗して勝ち目があるかい?」

 

「……確かに」

 

 冷静に考える余裕もなかったが、二人の言う通りだ。おれがやろうとしてたのは、パーを出すと事前にわかってる相手に同じパーを出すような行為。よくてもあいこが続くだけで、おれより何歩も先に行っているレイン先生には一生勝てないだろう。

 

「向こうの得意のフィールドで戦っても無駄だし――そもそもいきなり慣れてないことしても空回りするだけだろう。

 それよりはまだ、自然体でいく方が無理がない分マシだ。あとお前の持ち味も生かせる」

 

「……おれの持ち味?」

 

「それは……お前が『TS属性』であるということだ」

 

 ……?

 おれは首を傾げた。

 

 TS属性――つまりは『性転換体質』。たしかに、おれに該当する言葉だろう。

 だがそのことがどうして強みになるというのか? 心は男で体だけ女なんて、ふつうは気持ち悪いと思われるのでは……? 律季はおっぱいがついていればそれでいいから、おれみたいなのでも構わず興奮できるだけで。

 

「違うぞ螢視。お前はよくわかっていないようだが――『性転換キャラ』という属性は、ただそれだけでかなりの威力を持つんだ。相手が律季だからじゃねぇ。TSは紛れもなく全人類に共通する一般性癖だ。世界中の神話や説話がそのことを証明している。

 たとえヒロインとして凡庸なキャラでも、『女に変化した元男』という情報を乗っけるだけでまったく話が違ってくる。調理次第ではメインヒロインを張れるほどに化ける! つまりお前も、そうなれる可能性を秘めているということだ!」

 

 ……な……なんか熱く語りだした!?

 つーかそれって恋愛相談というよりも、ただの漫画描きとしての持論なのでは……? ユウマもうんうん言いながら、おれの肩を握ってくるし。

 

「キミにはまだ意味がわかんないかもしれないが、こいつは笑いごとじゃないよ。螢視は普段律季に対して、普通に先輩としての距離感や言葉遣いでいるよね?」

 

「あ、あぁ……前からそうだからな」

 

「だけどもし、ここでキミがいきなり態度を急変させて律季に女として迫ったりしたらどうなる? 炎夏の前にまず律季に異変を察知されるよ。律季にしちゃ興奮するどころか、むしろ心配になりかねない。下手すりゃまた洗脳されたのかと思われるよ。

 あんなあからさまに怪しいレイン先生のことを、律季がどうして違和感持たないか、ずっと不思議だったんだけど……一貫してずーっとあの調子なせいで、慣れたんじゃないかな。

 行動がところどころおかしくても、律季はあんまり気にしない奴だけど――態度をいきなり変えたら、さすがにおかしいと思われるよ」

 

「――! なるほど……」

 

「要するにお前がやることは、『女の姿で律季と男友達になればいい』んだ。いきなり色仕掛けするよりその方がずっと自然だろ。今の感じよりもほんの少しだけ積極的になって、あいつを遊びに誘ったりするだけでいい。

 律季の方もお前と仲良くなりたがってるはずだし、まず間違いなく乗るだろう。二人っきりになりさえすれば、お前が何かせずとも律季の方から勝手に寄ってくるはずだ。

 ……今のあいつは、先生と同棲して炎夏にアタックをかけて、いわば既に女っ気が飽和してる状態だ。だからこそ『男友達』という関係性が刺さる……。もしかしたら炎夏や先生以上に距離を詰められる可能性だってあるとオレは踏んでいる。

 ――どうだ螢視? 今から先生に勝つ方法はこれしかないとオレは思うが……」

 

「……や、やってみるよ」

 

 レンとユウマの言葉に説得されたのと、何よりもその熱量に負けておれはうなずいた。

 男友達として仲良くなるだけ。遊びに誘うだけ。たしかに誘惑するよりはずっと簡単だ。だが――

 

「後輩を遊びに誘うのって、どうすりゃいいんだ?」

 

「……は? えっ? いや……どうするもなにも、直接言やいいんじゃないのか?」

 

「そのザマで篭絡とかよくも言ったね、キミ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 AM10:50――

 待ち合わせ時刻の10分前。

 

「なぁ――誰だアレ?」

 

「わかんねぇ。あんな美人この辺にいたかな?」

 

「いたら即町中に知れ渡ってるだろ。ありゃ天道さんクラスだぜ……」

 

「すごい綺麗。王子様みたい……」

 

((((うっわ、おっぱいでっっっっか!?))))

 

 テレビカメラに映った時以来、おれが女体化した姿を人前にさらすのはこれが初めてだが――感触は上々。

 ただつっ立っているだけでもこれだけ周囲がざわつく。わかっていた事だが、中身が男だなんて誰も予想だにしていない色めき立ち方だ。

 

「あのー、すみません……」

 

「む」

 

 礼儀正しいことに、待ち合わせ相手である律季はしっかりと時間より早くやってきた。なぜか怪訝そうな顔をしながら。

 

「螢さんでいいですよね?」

 

「もちろんそうだが……どうした律季? この格好に違和感があるか?」

 

 おれの服装は普段と同じ、白いTシャツにジーンズ、スニーカーというスタイルだ。

 おれが身にまとっている衣類は女体化すると自動で女性用にサイズが変わる。おっぱいで服が破けたりすることはないわけだ。その特性を生かして、いつも着ている服をそのまま持ってきた。

 

「そういうことじゃないですけど、なんで『螢さん』になってるんです? たまには男同士で遊びにいこうぜって誘ってきたのはそっちじゃないですか」

 

「――!」

 

 いかん、早くも違和感を持たれた!

 おれは平静を取り繕って、だが実は頭を数秒間フル回転させた。

 

「あー、その、なんていうか……どうせ遊びにいくなら、ついでに、お前と炎夏(ホノー)が付き合ってるっていう噂の火消しもしたほうが得かと思ってな」

 

「? どういうことです?」

 

「おれがお前の彼女役をしてやるっていうことだよ。この姿のおれとお前が一緒にその辺を歩いてれば、勝手に噂は立つ。炎夏(ホノー)のことが騒ぎになる前に別の噂を流して鎮静化する」

 

「あー、なるほど。じゃあ今日は単なる遊びっていうより、偽装デートをしてるところをみんなに見せるのが目的ってことですね?」

 

「そういうことだ。話が早くて助かる。

 ぶっちゃけお前も、おれと遊びにいくなら女モードの方がいいだろ?」

 

「はい、もちろん! ――あっ」

 

「言ってから後悔せんでよろしい」

 

「いえ、そういうことじゃなくてですね――あっちを見てください」

 

「?」

 

 律季の視線の先を見て――思わず、一瞬目をつぶった。

 瞳を焼くほどのまぶしい光だ。太陽か? いや、方向が違う。

 それは圧倒的なオーラを放つ人影だ。道行く人はモーゼのごとく左右に開き、その人影の進む方向を空ける。

 

 

 

「おーい! 律季くん! けーちゃーん!」

 

 

 

 ――ほ、炎夏(ホノー)!? なぜ!?

 満面の笑みを浮かべてこちらにぶんぶんと手を振るのは、あまりにも見慣れた幼馴染。リネン素材のゆったりしたブラウスにチノパンという、カジュアルなコーディネートをバッチリ決め、目がくらむほどキラキラした存在感を放っている。

 なおそんな清楚で大人っぽいファッションとは裏腹に――相変わらずその暴力的なバストは、服の中で「たゆんっ♡ たゆんっ♡」と揺れ動いてやまない。別に胸を強調する服でもないから、これでも最小限揺れを抑えているのだろう。

 

「ぐあぁっ! 炎夏さんの私服(至福)姿……ッ!」

 

「じゃねぇーだろ! なんで連れてきた!?」

 

「買い物に行こうとしてたところで偶然会ったの。けーちゃんと一緒にお出かけみたいだから、どうせなら一緒に行こうかなって。……も、もしかして邪魔だった?」

 

「――うっ……」

 

 本音を言えば、今日だけは炎夏(ホノー)がいると不都合だ。

 表向きの目的はおれと律季を彼女に見せかけることで、本当のおれの目的は律季を(たとえ最初は友達からでも、最終的には)篭絡することだ。律季と二人きりになれた方が断然いい。

 

 だが……だが、しかし。

 「一緒に行きたい」と言う炎夏(ホノー)に対して、「来るな」とは口が裂けても言うわけにはいかない。そんな舌をおれは持ち合わせていない。

 これは事前に趣旨を律季に説明していなかったおれの責任でもある。おれの都合で炎夏(ホノー)を寂しがらせるわけにはいかん。

 

「……いいよ。じゃあ三人で行こう」

 

「ほんとに? 大丈夫? また私に遠慮しちゃってない……?」

 

 そりゃ、遠慮していないと言えば嘘になる。

 だからって事情を全部話すわけにもいかないし、ここで断れば比ではないぐらいの後悔がおれを襲うことは確実なのだ。選択肢は一つだった。

 

「いいってば。律季もお前がいた方がうれしいだろうしな」

 

 こうして今日のデートには、炎夏(ホノー)も同行することになった。

 

 

 

 

 ◆

 

 

 

「うわっ、天道さん!?」

 

「!? 隣の美少女はいったい……!?」

 

「おい弟よ、ちょっとあの子の連絡先を聞いて来い」

 

「自分でやれよ。そして俺にそれを教えてくれ」

 

 

 

 炎夏とおれという二人の美少女が並んで歩いている光景に、周りの視線はやはり釘付け。

 しかし今のおれはほとんどそれを意識していない。レンの言葉を反芻するので頭がいっぱいだった。 

 

 ――「お前から仕掛けられそうなタイミングがあったら躊躇なく仕掛けろ。さりげなく顔を近づけるとか、自分から手をつなぐとかな。もちろん『男友達として』という前提には違反することになるが、相手が律季だ。多少不自然な行動に出てもかまわない。

 ……なにしろあいつは、敵だったオレ達が突然協力を申し出ても怪しまずに二つ返事で承諾するほど、おめでたい頭をしてるからな。相当のことは『まぁいいか』で済ませてくれるはずだ」――

 

 

 そして今、おれの隣を、頭一個分ほどの身長差で律季が歩いている。

 本来ならこれは絶好の機会のはずだが――あいにく今は二人きりじゃない。

 

「それにしても、今日の炎夏さんはずいぶんご機嫌ですね? 服装もすごく気合いが入ってるし……俺としてはもちろんうれしいんですけど」

 

「そうかな? 私のよそ行きってだいたいこんな感じだけど……でも、はしゃいじゃってるのは確かかもね」

 

「そうなんですか?」

 

「だって、けーちゃんと遊びに行くなんて一年ぶりぐらいなんだもん。ほんとは私から誘いたかったんだけど、いっつも近くにいるせいかタイミングがなくてさ」

 

「あんまり用事が重なることもないからな……」

 

「そうそう。けーちゃんって用事以外じゃ外出もろくにしないのよ」

 

「合理主義者なんですね」

 

「ただめんどくさがりなだけよ。日差し浴びなきゃ体に悪いって、いつも言ってるんだけど聞いてくれないし……」

 

「大丈夫、これからは定期的に外に出るから」

 

「もー。いっつもそう言って、続いたためしないじゃないの」

 

「螢さん、なんか子供みたいですね……」

 

(たしかに今まではそうだったが……今度ばかりは違う。なにせこれからは律季とデートを続けていかなければならないんだから、自然と外出することに……)

 

 そこまで考えて、はっと気づいた。――手をつなぐことなんかで尻込みしていてどうする?

 俺の計画は、レイン先生から、そして炎夏(ホノー)から、律季の心を奪い取ることだ。これからは律季と継続的にデートもすれば、機を見てボディタッチも狙っていくことになる。

 だが律季がハーレムをもくろんでいる以上、炎夏(ホノー)に完全に隠れて浮気関係になることなど不可能だ。コソコソ律季に誘惑を仕掛けても、いずれ炎夏に見つかって「何してんのけーちゃん!」という事になる瞬間が必ず来る。

 遅かれ早かれ必ずそうなるのだ。なら――いっそ今ここで意思表示をするべきかもしれない。問題を先送りにすれば余計にこじれることは目に見えている。

 略奪愛をしようっていうのに、炎夏(ホノー)に嫌われずに済ませようなんて虫がよすぎる話。

 

 これからおれは、炎夏(ホノー)よりも魅力的に、レイン先生よりも積極的にならなければいけないのだ。

 余計なことは考えるな螢――ただガムシャラに行くだけだ!

 

 

 

(ええい、ままよ!!)

 

 ぎゅっ!

 

「!?」

 

 

 

 焦ったせいで変な握り方になってしまったが、確かにおれは律季の手を取った。

 本来ならおれのよりも小さいはずの律季の手だが――女の体で感じ方が変わっているせいか、逆に大きく包み込まれるような感触がした。乾いていてマメの痕があって、エネルギーをひしひしと感じる掌。

 

(ま、まさか――螢さんから来てくれるなんて!? もしかしてほんとに脈ありか!?)

 

(……なに目をキラキラさせてんだ……)

 

 律季は一瞬驚いたふうだったが、すぐに気を取り直して嬉しそうにこちらを見返し、自分から手を握り返してきた。

 ……さんざん悩んでこういう反応をされると、脱力感が半端じゃない。しかし律季がこういう奴なのは最初からわかっていたこと。今問題なのは――

 

「? あれ、なにしてるのけーちゃん?」

 

(き、きた――さて、どう出るか……)

 

「さびしいの?」

 

 思わずずっこけかけた。……どんな解釈だよ。中身男の幼馴染が後輩の男子といきなり手をつないでる異常事態で、ふつうその発想はしないだろう。

 そういえば忘れていた。こいつはこいつで、律季に負けず劣らず天然だったことを。

 

「……そ、そうだ。なんか今日はむしょうに寂しくて……」(ほんとは全然違うけど)

 

「――へ? そうなんですか? だったら、俺じゃなくて炎夏さんと手をつなげばいいじゃないですか」

 

「そうよね。むしろなんで最初に律季くんに頼ったの?」

 

「――え゛っ……」

 

 ――しまった、墓穴を掘った……!

 後先考えずに変な嘘をつくんじゃなかった。炎夏(ホノー)に嫌われるのも覚悟の上だと自分では思っていたが、向こうから助け舟を出されるとどうも……。

 ど、どうしよう? 今からでもすまん嘘だって言うか? でも言ってどうする――

 

「はい、ぎゅーっ」

 

「……っ!?」

 

 後悔で思考を停止させている間に、炎夏(ホノー)はスッとおれの手を取った。

 柔らかい力加減と暖かい感触に、一瞬だけ頭が真っ白になる。

 

「い、いいよこんなの! 高校生にもなってこんな……離せって」

 

「くす……そう言ってるわりに全然振り払おうともしないじゃない?」

 

(……そ、そりゃ、炎夏(ホノー)にそんな乱暴なことできるわけ……)

 

「遠慮しないでいいから。私はぜんぜん気にしないわよ?」

 

「いや、本当にそういうことじゃなくて……お、おい律季っ!」

 

「はい!?」

 

「お前にはさっき言っただろう!? 今日はおれとお前を恋人同士に見せかけるために来てるんだぞ。おれと炎夏(ホノー)が手をつないだって意味ねぇじゃねぇか!」(ひそひそ)

 

「……あっ、なるほど……すみません」(ひそひそ)

 

 そう言ってから気づいた。――あれ? 最初から炎夏(ホノー)にもそう伝えておけば、怪しまれずに律季と手をつなげたのでは? なにもあんな悲壮な決意をしなくても……。

 

「――だったら、これなら完璧ですね」

 

「邪魔になっちゃうかもしれないけど、道が狭くなるまではこうしてましょうか」

 

「………………」(真っ赤)

 

 結局おれは、律季と炎夏に挟まれて両手をつながれた、両親に手を引かれる子供のようなポジションで歩くことになった。

 もうなにがなんだかわからない絵面に、外回り中の営業さんなどは奇異の視線を向けてくるし、犬の散歩中の老婦人はほほえましそうに笑っている。

 こんな注目を浴びてもうれしくない。顔から火が出んばかりだ。

 

 

(うぅぅぅぅ……こ、こんなはずじゃなかったのに……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目的地のショッピングモールに着いた。

 休日だというのになぜか妙に人通りが少なくて、結局ずーっと手をつなぎっぱなしのままここまで来たため、道のりがものすごく長く感じた。

 今すぐにでも帰って寝てしまいたいぐらいには生き恥をさらしたが、一日が始まるのは今からだ。むしろこれからがんばらなければならない。

 

「事情はわかったけど……恋人っぽく振る舞うって、結局なにする気なの? ……まさか、お外でエッチなことするのを見せつけるわけじゃないわよね?」

 

「さすがにそれはねぇよ!? なんでちょっと本気で心配そうな顔してんだ」

 

「炎夏さん、なんか価値観歪んじゃってません? たしかにそうするのが手っ取り早いかもしれませんけど、それだけが恋人のすることじゃないでしょ……」

 

「な、なにをー!? 誰のせいでこうなったと!?」

 

「普通に仲良くしてればそれで勝手に噂は立つと思うが……その『普通』がイマイチぴんとこないもんでな。がんばって考えてはいたが、正直ちゃんと定まってないんだよ」

 

「……あー……確かに、映画館とか水族館なら簡単に時間をつぶせるけど、この辺ってそういうプレイスポットあんまりないですもんね。俺もここでデートってなるとビジョンがあんまり浮かばないです」

 

「……けーちゃんって買い物する時もものすごくドライっていうか、必要なものを事前に決めちゃって、それ買ったら終わりって感じだもんね。ショッピングを楽しむって感覚がそもそもないタイプだ」

 

「よくご存じで……」

 

 まさに律季と炎夏(ホノー)の言う通りだ。おれの買い物は8割がスーパーとドラッグストアと100均で完結する。あとはコンビニと、時々通販でゲームや漫画を買うぐらいだ。

 男同士の外出すらあまり経験のないおれに、買い物しかやることのないような場所で何時間も間をもたせろなんてハードルが高すぎる。

 だからおれの作戦としては早々にカラオケ店に入って、密室で律季が発情するのを待つつもりだった。レンが言ったように、おれから無理やり誘惑せずとも、二人きりになれば律季の方から手を出してくるはずだからだ。あとは3時間でも4時間でもされるがままになればいい。

 ――しかしこうなってしまった今では、完全にノープランの状態だ。11時半という現在時刻は昼食にはちょっと早いし、なにから手を付けていいかも見当がつかなくなってしまった。

 

「うーん……じゃあ、服とかプレゼントしてもらえば?」

 

「……えっ!? り、律季がおれにか……!?」

 

「だって私、デートってそういうイメージよ。まぁおごるかどうかは別問題だけど、アパレルは外せないと思うわ」

 

(いや、まぁそうだが……)

 

 デートコースにおいて服屋は鉄板。これから先も律季と一緒に外出することになることを考えれば、女物の服が手に入るのは助かる。それはおれも重々承知だ。

 

(――だが、「律季に服を選ばせる」って点が問題だろう……)

 

 嫌な予感しかしない。

 やたら露出度の高いのを勧めてきたり、着替え中に更衣室に乱入してきたり、なんなら店選びの段階でランジェリーショップに直行されたり、いろんな想像が浮かんでくる。

 まぁ誘惑するという目的がある以上拒否する気はないが――しょっぱなからそれは早すぎる! こっちもまだ心の準備ができてないのだ!

 心臓がドキドキと早鐘を打ちはじめる。そんなおれに気づかず、律季はスイスイと歩を進め――

 

「ねぇ炎夏さん、どの服屋がいいかってわかりますか? 俺ここ自体あんまり来たことなくって」

 

(……ありゃ?)

 

 そんなおれの心配とは裏腹に、律季は案内マップの前で立ち止まって、炎夏(ホノー)に意見を求めだした。

 すぐ横にはブラジャーを着たマネキンの立つランジェリーショップがある。しかしそっちにはチラリとも視線を向けない律季。

 

「うーん、私も全部知ってるわけじゃないけど……友達とよく行ってるこの27番のお店が、一番案内しやすいかな。あと、私たちの先輩がここでバイトしてるから、けーちゃんと律季くんが付き合ってるって噂も流してもらえると思うわよ」

 

「おおっ、理想的じゃないですか!」

 

「今日その先輩がいるかどうかはわからないけどね」

 

 もしかしてこいつ、炎夏(ホノー)がいるからいい子ぶっているのか……? 

 ――いや、んなわけないな。律季がそのつもりなら、おれも炎夏(ホノー)もとっくに行きたいところに引っ張られている。今頃はランジェリーショップどころかトイレに連れ込まれて、好き放題されていてもおかしくはない。

 その律季がなぜ今回に限って妙に紳士的なんだ……? そんなことを考えている間に店に着いた。

 

「いらっしゃいませーっ! ――あ、炎夏ちゃんじゃん!」

 

「こんにちは。ごぶさたしてます」

 

 迎えてくれたのは、ピアスにネイルをしたギャルっぽい店員さん。

 どうやらこの人が炎夏(ホノー)の言う「先輩」のようだった。おれは見覚えがない。忘れているだけで面識があるのかもしれないが、あったとしてもこの姿では向こうも気づくはずがなかった。

 

「えっ、この子たち誰!? どっちもめちゃかわいいんだけど……」

 

(ち、近っ……!?)

 

「あ、えーっと……俺は天道先輩の後輩の水鏡律季で、この人は俺の彼女の螢さんです。今日は先輩といっしょに、螢さんの服選びに来ました」

 

「……!?」

 

 圧の強さにひるんでしまうおれを気遣ってか、律季は自分から一歩前に出て、物怖じすることなくすらすらと返答した。

 しかも違和感を持たれないように炎夏(ホノー)の呼び名を変えるなど、さりげなく気を利かせている。

 

「……ほほう、なるほどねぇ。でも彼女さんけっこう背丈があるから、うちの店だとちょっと品が限られるかもしれないんだけど、いい?」

 

「いいですよ。とりあえず何があるのか見せてください。あとできれば夏服の方がいいです」

 

「おっけー。じゃあこっちまで来て。今日はデートで来たってことだよね? じゃああたしも気合入れて選ばないと!」

 

 ……おれと同じで女物の服屋など初めてなはずなのに、対応がよどみなさすぎる。

 ちょっと疎外感を感じるほどだ。これが根本的なコミュ能力の違いという奴だろうか。

 

「……あれ? けーちゃん一緒に行かないの?」

 

「あぁ。待ってることにする。デートだからな、着てみてのお楽しみってことにするよ」

 

「……大丈夫かなぁ……律季くんだよ?」

 

 ――おれも心からそう思う。だがそれこそがおれの目論見だ。気まぐれなのか今日はやけに紳士的だが、しょせんは律季のこと、一人にしておけばやたら露出度の高い衣装を勝手に選んでくることだろう。

 そういうのを持ってこられたら「なんだよこれはー!」と怒っておいて――ひそかにそれを買っておき、後々二人きりになった時にサプライズで見せる。完璧な計画だ。

 だから今は一緒に選んではいけない。律季を泳がせておけば、自然と変なのを持ってくる――

 

 

 

 

 

 

「うおおおっ!? な、なんと……!?」

 

「わぁ……! す、すごいわけーちゃん! もとから綺麗だとは思ってたけど……」

 

「……う、うむ……」

 

 更衣室のカーテンを開けた瞬間、歓声が上がった。

 おれが身にまとっているのは、ブラウンの肩出しサマーニットに、ボタン付きの黒のスキニーミニスカという組み合わせ。おれのクリーム色の髪色に似あうように、濃い目のカラーにしてあった。

 

「こ……これ、本当にお前が選んだのかよ? 律季」

 

「ええ、そうですよ? もしかしてお気に召しませんでしたか?」

 

「い、いいや……逆だ。ちゃんとしすぎてて驚いてる」

 

 中身男のおれが着るにはちょっとガーリーすぎるので、その意味では恥ずかしくはあるが――思っていたよりずっとまともだ。鏡に映ったこの可愛い女の子が自分だなんて、とても信じられない。女性陣からの評判もすばらしかった。

 いやまぁよく考えれば、店員さんのアドバイスがあるんだから変なの持ってくるはずはないのだが、それにしたって意外なセンスだった。

 

「でもさすがに胸がパッツパツになっちゃうなー……。いまにもはじけ飛んじゃいそうで怖いんだけど、これ以上のサイズはウチにはないみたいなんだよね」

 

「あぁ、いいですよ。そういうのは『後でどうとでもできる』んで。とりあえずこれは買いです」

 

「そうなの? ありがとう!」

 

「あと何セットか選んであるんで一個ずつ持ってきますね。脱いで待っててもらえますか?」

 

「えっ? う、うん……わかった」

 

「あ、ちょっと待って。私もさっき、けーちゃんに似合いそうなの見つけたんだけど」

 

「お、いいですね。どこですか?」

 

「こっち」

 

(……)

 

 両手にハンガーにかかった服を持ってはしゃぐ炎夏(ホノー)と、それについて真剣に感想を述べる律季の姿を、おれは更衣室のカーテンから顔を出して見ていた。

 ――二人の熱量にまったくついていけない。自分のファッションなど、今までの人生で一切気にしたことがなかった。服の買いだしは多くても年に夏と冬の二回。それもサイズさえあっていれば手あたり次第にかごに放り込んで終わりという感じで、どれだけ長くても10分もあれば終わる。別にそれで困ったことはなかったが――今は、自分の無趣味さがうらめしい。楽しいデートを演出するのがこれほどの難事だとは……。

 炎夏(ホノー)と律季にひっぱられてるというか、ほぼ二人のデートにおれが同伴している状態である。こんなんではダメなのだ。

 

(それにしても律季め、どうして普通に炎夏(ホノー)とファッション談義に花を咲かせたりしてんだよ。ランジェリーを持ってきたり更衣室に乱入してきたりすりゃ、こっちもやりようがあるのに……。

 ――ああ、くそっ……これじゃまるで、おれの方がエロいことを期待してるみたいじゃないか!?)

 

「――おまちどおさまです」

 

 どさっ!

 

「わっ!?」

 

 悶々としていたおれの前に、服がぎっしり入った――というよりも、山と積み上げられたカゴが現れた。それも二つ。

 

「……えっ、おい、まさかこれ全部試着しろってのか……?」

 

「うん!」「はい!」(キラキラワクワク)

 

「……わ、わかったよ……」

 

 律季と炎夏(ホノー)の期待に満ちた視線と、実に楽しそうな笑顔。

 このチョモランマ丼のごとくそびえたつ衣類を一枚一枚はがして消化するには、いったい何十分かかるだるか――若干気が遠くなった。

 

 結局すべてを試着し終わったのはこれから50分も後。

 どれを残すかと炎夏(ホノー)の先輩の店員さんに聞かれたが、結局おれは全部買う事にした。

 

「また一から見るのがめんどくさいからな」

 

 口で言ったのはそれだけだが、せっかくおれのために炎夏(ホノー)と律季が選んでくれたのだから、一着たりとも切り捨てたくなかった。律季は含みありげにニヤニヤしていたので、たぶん本音を見透かされていたと思う。

 だが当然カバンに入れて持ち帰るには多すぎたので、今後数日着る分だけこの場でもらって残りは店舗配送という形にした。レジに出てきた数字を見て、店員さんは露骨にホクホクだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――!?」

 

「うおっ……誰だあれ!?」

 

「……なんだあのものすごい美人? しかも天道さんが一緒にいる……!?」

 

 

「――な、なんか、さっきよりも注目度が上がった気がするな」

 

「今のけーちゃんがそれだけ魅力的ってことよ」

 

「俺のセンスも捨てたもんじゃないでしょ?」

 

「うん。正直びっくりしちゃったわ。絶対変なの選ぶと思ってたのに」

 

「失敬な!? ……とは、口が裂けても言えませんね。日ごろの行いが悪いので」

 

「自覚してるなら改めろや」(びしっ!)

 

「ありがとうございます!」

 

 おれの脳天チョップを受けて大喜びする律季。

 その様子を見てギャラリーが若干「おおっ!」と色めきだった。美少女にしばかれてうれしがる変態というのは、意外に世の中多いらしい。

 

「ま、螢さんぐらいきれいな人なら何着ても似合うっていうのもあるでしょうけど。むしろ俺の服選びなんかより、そっちの方が大きいと思いますよ」

 

「それにしてもすごいわ。雑誌のモデルさんって言われても違和感ないもん。これならすぐにでもみんなの話題になると思うわ」

 

「……も、もうわかったから、何回も言わなくていい……」

 

 品出しをしているバイトが仕事を放棄しておれに見とれていた。カップルが二人そろっておれの姿に振り返って、互いのパートナーの不実な視線に気づかない。スマホいじりを装って、こっそりおれの写真を撮っている奴までいた。

 そういった周辺の様子で、ちゃんとコーディネートしたおれがどれだけ可愛いかは既にわかっている。だがさすがにそろそろ慣れてきたし、もともと自分本来の体でもないから、あまり嬉しくも恥ずかしくもなかった。――はずなのに、炎夏(ホノー)から褒められると、耳どころか首まで照れて熱くなってしまう。

 

 ――しかし一方で、最大のターゲットである律季は、いまだに猫をかぶったままだ。

 両サイドに連れている先輩美女二人が、「ぼいんぼいん♡ ゆっさゆっさ♡」「むっちむっち♡」「ふりっふりっ♡」と、体のいろんな所のお肉を揺らしているこの状況に、熱くなっていないはずはない。自分で選んだ服をおれが着ているという事実も、それなりに効果があるはずだ。

 

 健全なエスコートを気取るのもそろそろ疲れただろう。どれ――きっかけを与えてやる。

 

 

 ――むぎゅ……っ♡

 

 

 

「うおっ!?」

 

「どうだ律季? お前も可愛いと思うか……? ちゃんとお前の彼女っぽく見えてるかな?」

 

「そ、そりゃもう! 俺もさっきからかなり、嫉妬の目線を感じますし……」

 

 

 

 ――ぎゅ~♡ むにゅむにゅ♡ すりすりすりすり♡

 

 

 

『――!!!!』(ギロッ……!)

 

「ふ、ふおおおっ……!? ち、ちょっと螢さん……!」

 

「あ、ホントだな♡ 一斉に周りからにらまれてんじゃねーか……♡」

 

「あのっ、すみません! 俺としては大変うれしいんですよ! うれしいんですけど……さ、さうがに目立ちすぎじゃ」

 

「いいんだよ♡ 目立つことが今日の目的なんだから……♡ って思わせとこーぜ♡」

 

 おれは律季の腕を抱きしめ、肩を胸の谷間に押し込むようにして、露骨に媚びた態度を見せる。その瞬間に周囲の客が揃って息を呑み、歯ぎしりするのがはっきりとわかった。見せつけにいったのはおれだが、こんなにも効果があるのかと自分で軽くビビってしまったぐらいだ。

 ……これはマジで、律季を一人にしたら周りの男たちにリンチされる可能性ありだな。少なくとも今日一日は責任をとっておれたちで守ってやらないとまずそうだ。

 

 律季はおれより二回りほど背が小さいので、おれに抱き着かれた状態のまま歩いていくことができない。

 左半身を包み込んでくるおれのおっぱいの感触を、振り払うこともできず目をぐるぐるさせる律季。これは決まったか――

 

「こ、この距離感は彼氏彼女って感じじゃないでしょ。なんか危ない匂いがするじゃないですか……というか、俺たち二人だけがバカップルに思われるならいいですけど、一緒にいる炎夏さんも変に見られちゃいますよ」

 

「!! ――そ、そういえばそうだな。悪い、調子に乗った」

 

「そうでしょ? ほら、ちょっと離れてください……」

 

 表面上は律季の言葉に従いながらも、内心おれはめちゃくちゃ困惑していた。

 ――うそだろ? 自分からおっぱいを触らせてもらえる都合のいい状況で「ちょっと離れてください」? あの律季の口から出た言葉とは思えない。まさかこいつ、おれのカラダに興味がない――?

 いや、そうではなさそうだった。律季は眉間にしわをよせて目をつぶり、鼻血をこらえるかのように鼻の骨を手で押さえて、高まった性欲をなんとか静めようと肩で息をしている。

 

(これはつまりおれに性的に興味がないってことじゃなくて、興奮はしてるけど必死に自制してるってことだよな? そもそも前はうれしそうにおれの乳を搾ってたし、興奮しないってことはないだろう。でもだったらなんで今だけ……?

 物陰に連れ込まれるのも覚悟の上だったのに……いったいどうしたんだ、今日の律季は? こいつの辞書に『自制』なんて言葉があったとはビックリだが……)

 

(――むううううううぅぅぅぅぅぅぅ~~~~~~~~……なによぅ、もぉ……)

 

 律季の行動の不自然さに戸惑うおれは、すぐ横でフグのように膨れる炎夏(ホノー)に気づかない。律季は律季で何かを振り切るかのように早歩きで進んで前しか見ていなかった。

 

(なんで、けーちゃんとデートするってなったらそんな紳士的になるのよ? ……ただのヘンタイだと思ってたのに、やろうと思えばちゃんとした振舞いができるんじゃない……? だったらどうして私にはそれをしてくれないの? いつもエッチなことばっかり要求して……。 

 考えてみれば律季くん、私ともデートなんてしたことないじゃない? ……そもそも誘われた覚えだってない。毎日会うたびにおっぱいやおしりをいじくられるばっかりで……これじゃ客観的に見たら、ホントに私よりけーちゃんの方が律季くんの彼女っぽく見えちゃうんじゃないの? ……今のけーちゃんすごくかわいいし、律季くんもしっかり優しい彼氏になってるし。

 ――私の事が好きだって言ったくせに……彼女にしたいって言ったくせに……ぐぬぬぬぬぅぅぅ~~~~~~~、こんなのおかしいおかしいおかしい……)

 

「……なぁ律季、さっきからなにキョロキョロしてんだ?」

 

(はっ!? わ、私は何を……!?)

 

「あぁ、いえ……」

 

 悶々と機嫌悪く考え込んでいた炎夏(ホノー)が正気に戻る。

 おれも次の手を考えようと律季を観察していたので、炎夏(ホノー)の様子がおかしいことは最後までわからなかった。

 

「炎夏さんへのプレゼントはなにがいいかと思いまして。――できれば秘密で買いたかったですけど」

 

「? 私へのプレゼント……?」

 

「はい。だって、そうじゃないと不公平ですから」

 

「え、なんで? 今日はけーちゃんとのデートなんでしょ?」

 

「表向きはね。螢さんが彼女で、炎夏さんがその友達。――だけど実際は、炎夏さんも螢さんもどっちも俺の彼女ですから! だから俺は最初から、ダブルデートのつもりでやってましたよ」

 

「意味が違うだろ……」

 

「……!! ――ふ、ふんっ! それ以前にそもそも、私もけーちゃんも君の彼女なんかじゃないし! 実際はなんて何気なく言わないでくれないかしらっ」

(――うんうん、それでこそ律季くんだわ……! 気にして損しちゃった!)

 

 ――あれ? 言葉のわりに、なんか機嫌がいいぞ……?

 律季も炎夏(ホノー)を見ておれと同じ感想を持ったようで、しばし二人で目を見合わせた。

 

「……? なぁに、二人とも?」(ニコニコ)

 

「い、いや……」

 

「こうなったら直接聞いちゃいますけど、なにか欲しいものありますか? 服は買いそびれちゃいましたし目立つので、また今度にしたいんですが」

 

「うーん……あっ! それならコスメストアに寄っていい? ちょうど欲しいのあるし、けーちゃんにもこの先必要になると思うから」

 

「コスメ……? 炎夏さんってお化粧とかしてるんですか? まったく自然体にしか見えないんですけど」

 

「甘いわよ律季くん。そう男性に思わせるような自然な顔の女の子ほど、裏ではバッチリ二時間ぐらいかけてメイクしてるものなの。女は怖いのよ。違和感なく変身するすべを心得てるの」

 

「おれは化粧なんかしなくても変身できるぞ。肉体がまるごと化粧とも言えるが」

 

「だったら炎夏さんは何をしてるんですか?」

 

「私? うーん、紫外線とか虫刺されのケアぐらいかな?」

 

「それは化粧と言わねぇだろう……だから嫉妬されるんだぞお前。だったら何を買うつもりだ」

 

「洗顔料」

 

「ドラッグストアでよくないか?」

 

 実際、幼い頃からずっと成長を見てきたが、炎夏(ホノー)の顔は昔からあまり変わらない。

 上背や体つき、目つきなどは相応に大人っぽくなったが、顔の造作の印象は古い記憶にあるのと大差がないのだ。童顔というよりは、昔から完成されていたというのが近いが。

 

「そりゃあまあ……俺は素人ですけど、炎夏さんや螢さんのお顔に化粧なんかする意味がわかりませんもん。変にいじくらない方がよさそうっていうか、これ以上いじりようがないというか」

 

「でも、けーちゃんに関してはまずシャンプーの選び方とか、女の子の常識からレクチャーする必要があるでしょ。あとは、リップぐらいならつけてもいいかな」

 

「あとは制汗剤とかか? これから暑くなるし……男物はもう持ってるが」

 

「そうね。ついでだし、私も今日買っていこうかな」

 

「なんてもったいないことを!!!!!!!!!!!!!!!???????

 いいですよそんなもん買わなくても! 炎夏さんのおみ汗なら俺が全部舐めます!! 毎年!!!」

 

「それが嫌だから買うって言ってんの!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 フードコートで食事ついでにアイスの食べさせあいをしたり。

 本屋で炎夏(ホノー)のちょっと変わった料理本や律季の参考書を買ったり。

 ゲーセンでユウマの好きなアニメのフィギュアを取って、律季をレースゲーでボコボコにしたり。

 遊びつくしてショッピングモールから出た時には、既に日も沈みかけていた。炎夏の門限が近い時間、もう帰らなくてはならない。

 

 終わってみればあっという間の一日だったが――結局律季は本当に、最後までエロい事せずじまい。変なものでも食ったのかとこっちが軽く心配になってしまうぐらい、らしくない事態だった。

 

(……ふぅ……のどが渇いたな)

 

 体がほてって汗ばんでいる。女の体は男よりも概して体温が低いはずだが、なぜかいつもより暑い気がした。もっとも、通常の人間とおれの体質が同じという保証もないけれど。

 おっぱいが重くて蒸れるのと、今日一日は律季の挙動に一喜一憂しっぱなしだったからかもしれない。デートがこんなにも神経を使うものだとはな……。

 

「炎夏さん、ちょっとのど渇いちゃったのでいいですか?」

 

「ん、わかった。ここで待ってるね」

 

「はーい」

 

 財布から交通系ICカードを抜いて、小走りで自販機へ向かっていく律季。

 一分もせず帰ってきたそいつの両手には、一つずつ飲み物が握られていた。

 

「はい、螢さんもどうぞ」

 

「……お前、さては嘘ついたな?」

 

「なんのことです?」

 

「お前な、喉を潤すためにあったかおしるこなんか買う奴がどこの世界にいるんだよ……」

 

 自分に買ったのは小さな缶に入ったおしるこだが、おれに持ってきたのは500mlのスポーツドリンク。おれの様子を察知して気を利かせてくれたとしか思えなかった。

 

「ごくり……ごめん、私もいい? 見てたらめっちゃおしるこ欲しくなっちゃった……」

 

「あ、飲みます? どうぞ」

 

「そういうことじゃなくてね。ていうかもうほとんど残ってないじゃない」

 

「……えっ」

 

「間接キスになることは気にしないんですか?」

 

「――あっ!? ち、ちがっ……!!」

 

「冗談ですよ。俺だって炎夏さんに自分の飲みさし勧めるほど無礼じゃないです。逆ならウェルカムなんですけどね。――じゃ、もう一個買ってきましょうか?」

 

「……い、いいわよ、自分で買うわ……ぐぬぬ、謎の敗北感が……」

 

 炎夏(ホノー)がいなくなり、しばしおれと律季二人だけの空間になる。おれはスポドリを半分ほど飲み干して、ふと今日一日ずっと思ってきた疑問を律季にぶつけてみた。

 

「お前、これでよかったのか?」

 

「なにが?」

 

「お前はこれで本当に満足できたのかって聞いてるんだよ。おれが言い出したことではあるが、これじゃ本当に友達と遊ぶのと同じじゃないか。お前には他にやりたいことがあったんじゃないのか? ――もっとこう、『デートらしいこと』をよ」

 

「……それ、もしかして、俺が欲求不満なんじゃないかって意味ですか?」

 

「そうだ。違うのか?」

 

「……半分、正解です。というか、ぶっちゃけかなりギリギリです。

 今回は健全なデートにしようって最初に決めたので、がんばって耐えてたんですけど……今日の螢さん、なんかやけに距離感が近かったでしょ? しかもそんな超かわいいファッションで。いきなり抱き着かれた時なんかもう、頭がクラッときて記憶が一瞬飛びました。人目がなかったらどうなっていたことか……」

 

「……意識的に我慢してたってのか? じゃ、なんで今日に限ってそんな――」

 

「何の話?」

 

 話し込むおれ達に、帰ってきた炎夏(ホノー)が怪訝そうな目を向ける。

 おれが何か答えようと口を開く前に、律季はさりげなく笑った。

 

「いえ……炎夏さんに、今日は楽しんでもらえたかなって話を」

 

「……え、私? そりゃもうすっごく――うん、本当にすっごく楽しかったわよ。こんな風に一日中けーちゃんと一緒にいるなんて、中学校ぶりぐらいだったからね。久しぶりにたっぷり遊べて、何か今までの分を取り返したような気持ちになったわ。

 途中からこれがけーちゃんと律季くんのデートだって完全に忘れてたけど……邪魔じゃなかった?」

 

「まさか。さっきも言いましたけど、俺にとってはお二人とのダブルデートですから。――それで、螢さんはどうでした?」

 

「………………あぁ、おれも同じだよ。すごく楽しかった」

 

「ほんと? よかった!」

 

「……」

 

 おれの答えを聞いて、何も言わずうれしそうにおれの顔を見上げる律季。その表情を見て、さすがにおれも真意がわかった。

 おれの……いや、おれ達のためか。おれと炎夏(ホノー)の久しぶりの外遊びの機会を邪魔しないために、必死で自制していたのか。だから律季は今日一日、こいつらしくもない行動を……。

 

 ……要するに、おれの努力は完全にから回っていたわけだ。おれは律季を誘惑しようとしていたのに、その律季は今日に限って意地でもエロいことはするまいと決めてかかっていた。だからどれだけボディタッチしても一向に乗ってこなかったのだ。

 なんとも気の抜ける真相だが、一方で不思議と徒労感はなかった。当初の目的が達成できたわけでもないのに、なんだか妙に安心している自分がいる。炎夏(ホノー)と一日遊んだことで、最近漠然と抱いていた不安や焦りが心の中から消えていた。我ながら単純なことだ。その単純な解決策さえも自分では気づけなかった。

 ――もしかして律季は、そのことをなんとなく察知していたのだろうか? だから柄にもなく気を遣って……?

 

「…………なんか、すまなかったな、律季……」

 

「いえいえ」

 

「?」

 

 すべてを悟っているかのような律季の気負わない笑み。なぜおれが突然謝るのかわからない炎夏(ホノー)は首をかしげる。

 ――あぁ……結局今日一日、おれはひたすら右往左往していただけだったな。

 

「でも助かったよ。考えてみれば、炎夏(ホノー)とこうやって遊びに行けるのも、あと何回もないだろうからな。今日があってよかった」

 

「――えっ? なんで?」

 

「は?」

 

「あと何回も遊べないって……どうして? 進路が別々とかですか?」

 

 ――なんで? なんでって……そりゃ――

 ――あれ? なんでだったっけ?

 

 炎夏(ホノー)と一緒にいられるのは高校限り。そうずっと思っていた。どうしてそう考えるようになったか細かい理由など忘れたし、いつからそう考え始めたのかもわからない。

 ただ、ずっと思っていたのだ。――魔法が使える炎夏(ホノー)は、自分よりもすごい人間だ。だからいずれ必ず、自分の手の届かないどこかへ行ってしまうだろう、と。言葉にしてみれば漠然とした思い込みだが、そう思い続けた時間が長すぎて、それはおれにとって疑いの余地がない未来図になっていた。

 しかし昔、炎夏(ホノー)自身が言ったことがある。それは覚えている。

 

「お前、三重県の神道系大学に行くんだろ? そこで神職の資格をとるって……おれは東京にするから、それからは会えなくなるじゃないか」

 

「え? ――あー、もしかして中学の時に言ってたやつ? そんなのまだ覚えてたの?」

 

「……は?」

 

「高校になってからは部活も楽になって偏差値上がったから、とっくに東京の方に志望校変えたわよ。言ってなかったっけ?

 狩人の仕事と部活と勉強と、全部両立するのは割と大変だったけど、けーちゃんと離れたくなかったからさ」

 

「――!?」

 

 ……知らない。そんなこと。寝耳に水もいいところだ。しかも『高校になってから』ということは、一年の段階ですでに進路を変更していたということか? おれは二年以上そのことを知らないまま、ムダに不安になっていたというのか?

 考えてみれば思い込みが先行して、本人に進路をどうするかは長いこと聞いていなかった気がする。聞くのがなんとなく怖かった、というのもあったが……。

 

「へー、螢さんの志望校は東京の大学なんですか?」

 

「……えっと、『の』を抜け」

 

 ほぼ放心状態のおれがそっけなく言う。

 律季はその返答をとっさに呑み込めず、一秒ほど怪訝そうな視線を斜め上に投げて、そのあとすぐにかっ開いた目でおれを見返した。

 

「――と、東大っすか!? しかも医学部!?」

 

「あっ、律季くん知らなかったの?」

 

「そりゃーまぁ、高校受験終えたばっかりの奴に進路の話をする三年はいねぇよ……」

 

 それに自分から言おうと思ったこともない。みんな驚くが、おれにはなんの感慨もこだわりもないことなのだ。大学受験などは。

 もちろんおれだって天才じゃないから、勉強はそれなりに苦労しているが、別に努力そのものに価値があるわけでも、受験自体に大きな意味があるわけでもない。肝心なのはその先にあるものだ。

 その先? その先ってなんのことだ。大学での生活にもさして興味があるわけじゃない。就職もだ。おれには社会生活的な意味で自分の将来を気にしたことなど一回たりともなかった。そんなものはどうでもいい。将来の夢など、持ったこともない。

 受験に合格すれば大学医学部に入れる。医学部で学べば医者になれる。医者になれば、その技術で炎夏(ホノー)の役に立てるかもしれない。『かもしれない』――たったそれだけの理由で医者を志望した。そんなあまりにも漠然とした理由が、おれが今まで努力してきた動機のすべてだった。誇張なく、それ以外には何もなかった。

 しかし、魔法の力を手に入れた今となってはそんなか細い可能性にすがる必要もない。今まで勉強した分をフイにするのがもったいないから医者志望のままにしているが、それも惰性に近かった。

 

「さすがに東大に行くのは厳しいけど、いつでも会える距離に住むぐらいのことはできるかと思って……。できれば私は高校が終わっても、今みたいにけーちゃんが隣に住んでる生活を続けたいの。――いや? けーちゃんは一人の時間が欲しい?」

 

「いっ、いやじゃない! いやなわけないだろ……!」

 

「ほんとに? よかった。もし何年も離れ離れなんてことになったら、すごく寂しいと思ってたから……。前に何日か自分から話しかけないようにしただけでも、正直つらかったからね」

 

 それはおれも同じだ。

 あの数日間でまとまった睡眠をとれたことが一度でもあっただろうか。炎夏(ホノー)が離れていく悪夢にうなされにうなされて、枕にびっしり抜け毛がついて、寝汗でシーツまでびっちょりになって、吐いたのも一度や二度ではなかった。食欲がなかったせいで吐くものがなかったのもつらかった。学校にはちゃんと行っていたはずだが、どう過ごしていたか記憶すらない。

 考えてみればたった数日でそんな廃人同然の状態になったんだから、離れ離れに引っ越しなどできるわけがない。たとえ炎夏(ホノー)がどこへ行こうとおれが志望校のレベルを変えて近くに行けばよかったのだ。進学先など最初からどうでもいいことだったのだから。

 

「おやすみ律季くん、けーちゃん。またいつでも誘ってね」

 

 たわいのない会話を交わしている間に、いつしか天道神社の鳥居前についていた。

 手を振る炎夏(ホノー)の後ろ姿を見ながら、おれは思考を再開する。

 

 ――きょう、再確認できた。おれには人生の目的がない。炎夏(ホノー)がおれの目の届く距離で息をしてくれればいい。それ以外には何もない。だからこそ、その時間だけは誰にも絶対に邪魔させるわけにはいかない。相手が律季であっても。レイン先生であっても。

 その時間を少しでも引き延ばすためなら、勉強ぐらいなんてことはなかった。同棲を誘惑することだって、できるはずだ。

 

(そうだ、おれは必ず律季を虜にしてみせる。炎夏(ホノー)の隣を、こいつに渡すわけにはいかない――)

 

「螢さん、変な勘違いしてたみたいですね。誤解が解けてよかったです」

 

「……あぁ……そうだな」

 

 後ろ暗い決意を固めるおれに、律季は気づくはずもなく当たり障りのないことを言う。

 帰り道では、律季にとっていわば恋敵であるおれが、高校を卒業しても炎夏(ホノー)のそばで暮らす話をしていたのに、こいつは眉一つ動かさずに聞いていた。

 

「……ったく、生意気なやつだよお前は」(人がこんなに焦っているのも知らないで……)

 

「そうかもしれませんね。2歳も後輩の分際で、お二人の将来を気にするなんて」

 

「……なに?」

 

「でも本当、見てて心配になりますよ。同じ魔法使いになって隠し事する意味もなくなったっていうのに、相変わらず言葉が足りないんですから……。もっとちゃんと話さなきゃダメですよ? 仲がいいほど言葉はいらないなんてただの驕りなんですから」

 

 おれは驚いて律季の顔を見返した。少し怒ったような、あきれたような瞳がそこにあった。おれはそれで初めて「誤解が解けてよかった」という律季の言葉が、自分が秋月螢よりも炎夏(ホノー)に近いという余裕からくるものではなく、本気でおれ達のことを案じる心情からきたものだと知った。

 

 

 

「それと、心配なんかしなくても、俺は螢さんから炎夏さんをとったりなんかしないですよ」

 

 

 

 正面から心臓をひと突きされるような感覚に、おれは思わず5センチほど後ろによろめいた。一方、律季の表情は全く変わらない。呆れたような半目。

 ――まさか――いや、やはり、気づいていたのか!? どうして!?

 

「いや……そんな風にしょっちゅう殺気ビシビシ飛ばしてたら、さすがにバカでもわかりますよ。

 好きな人の大切な親友は、俺にとっても大事な人です。独占欲が強い方だとは自覚してますけど、それとお二人の仲を引き裂こうとするのは全然別でしょ。

 ……むしろこっちがショックだなぁ。そこまで無粋な奴に思われるだなんて……。俺は螢さんのことを尊敬してるのに」

 

 まるで心の中を読んでいるかのように話す律季に、おれは言い返すどころか口をパクパクさせることしかできない。「というかね――」と言葉を区切って、律季は一歩踏み込み、おれの顔に手を伸ばした。

 

「っ……!?」

 

「ありえないでしょ? そんなこと。俺が、螢さんを仲間外れにするなんて」

 

 おれのあごを優しい力加減でつまんだ律季は、背伸びして間近から顔を覗き込んでくる。

 底のない黒をたたえた、瞳孔の開ききった目で。――牝をわが物にしたくてたまらない牡の欲望が、油のように膜を張った眼光で。

 

 

 

「俺はあなたも炎夏さんも、仲良く彼女(モノ)にする気なんだから」

 

 

 

 ――ちゅっ……♡

 

 

 

「んぅ……っ!?♡」

 

 

 

 逆らえなかった。

 律季の、自分よりずっと背が低い二つ下の後輩の、猛悪なまでの所有欲に満ちた口ぶりにも、静かに隅々まで口中の粘膜を味わい尽くす舌の動きにも、なだめるようにおれの頭を押さえつつ撫でる繊細な手つきにも。

 突き飛ばそうと思えば突き飛ばせる。そうだ、そうしてしまえばいい――頭の中ではそう考えているのに、なぜかおれの手はだらんとして言う事を聞かず、買ったばかりのスカートの裾を掴んで震わせるだけだった。

 

 ――こんな風におとなしく俺にかわいがられていれば、炎夏と一緒にいられるぞ。

 お前らの仲を引き裂いたりする気はない。その友情ごと愛でてやろう。それこそが俺の望む最上の貢ぎ物なのだ。

 

 だからまずは、俺のモノになれ。

 俺の腕の中に抱かれて、二人仲良く奉仕をしながら、望み通り親友を続けるがいい。お前らのすべてを俺によこせ――

 

 そんな声が聞こえてくるような、しつこいディープキスがいつまでも続く。

 分泌されるそばから舐め取られるよだれと一緒に、抵抗の意思も律季に吸われつくした。だんだん体が脱力していき、律季に崩れかける背中を支えられて、なお俺は口内をむさぼられ続ける。

 

 

 

「――ちゅぱ……っ♡♥」

 

 

 

 唇がようやく離れると、おれの平衡感覚も回復する。

 なお軽く腰がふわふわと浮つくような感じが残ったが、それでもかろうじて二本の足で立った。

 

「バカ野郎……急になにしやがる。誰かに見られたらどうするんだよ……♡」

 

「見せつけてやるんじゃなかったんですか? 誰もいませんよ、残念なことに」

 

「――っ♡ く、くそが……っ♡」

 

 かろうじて絞り出したずれた抗議も、笑顔で流される。

 その柔和な態度を蓋にして、律季は煮えたぎった性欲を抑え付けていた。その底なしの欲望に燃料を注いだのはおれ自身だった。そのことがわかっているから、怖くて刺激する気になれなかった。

 おそらく律季は限界だ。これ以上挑発すれば大変なことになる。今日はここまでにする、という決定権は俺ではなく律季の方にある。おれはキスの辞め時すら自分では選ばせてもらえない立場なのだ。体が勝手に敗北を認め、主導権を譲ってしまう。いざ襲われれば、きっと拒めない。

 

「炎夏さんも言ってましたけど、またいつでも誘ってくださいね。俺も螢さんのお誘いならいつでもウェルカムですから。

 

 ――よければ明日にでも来てくれていいですからね。じゃあ……」

 

 

 

 ある意味ではレイン先生以上に正体不明の男は、年上の同居人に電話で連絡を入れながらおれの前から立ち去っていった。

 

 

 ――水鏡律季篭絡作戦初日。デートは成功するも、結果は完敗。前途は多難であった。

 

 

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