■■翼の幼馴染み 作:語り部
原作とは乖離した設定で書いておりますので、考察しながら読み進めていただければと思います。
同時に原作主人公様の視点でのつばさファミリーも執筆中です。
種明かしについては、そちらにて行う予定ですので、こちらや今までの内容を読み返しつつお待ちいただければと思います。
追記
最新5話の方ではアンケートもさせていただいておりますので、よろしければ回答いただければと思います。
追々記
アンケート終了いたしました。ご回答いただいた方はありがとうございました。
004の後を反転すると読者へのサービス情報が開示されますので、合わせてお楽しみください。
つばさ
001
江戸っ子は皐月の鯉の吹流しという言葉がある、江戸の町民は口は荒いが気性はさっぱりとしているという意味だ。
俺と腐れ縁の翼はまるで逆である。口では凪いだように見えるが、心中は大嵐が渦巻いている。きっと本人に自覚はないだろうが。
家庭環境が
その過度な怒りを、衝動を、嘆きを、救援を求めるような仕草を見ないふりをして、それを口から吐き出して、晒して、求めるのを待った。
だって、そうだろう。明確に求められなければ、応えることはできない。助けることができる相手はいつだって、
きっと彼の正義の味方は、その様子だけで手を差し伸べるのだろう。心で泣いているのを察して、無理矢理にでも掬い上げようとするのだろう。
俺には、そんな無責任なことはできない。求められてもいないのに助けても、掬い上げた後問題が残ったまま、『どうして助けた』と言われても責任を持てない。掬い上げるのに失敗した時に、『どうして手を出した』と責められるのが怖い。
そんな勇気も、覚悟も、決意も俺にはできない。
だから、俺はただ寄り添った。ただ、愚痴を聞いた。ただ、共に時を過ごして、遊んで、駄弁った。
俺は、ずっと、ずっと待っていた。その相手が、俺でなくともいいから、救難信号を出してくれるのを待った。
投げ出すのが苦手で、責任を取り持つと決めたら、最後までというような意固地な女だから、そういう弱音のようなことを言うことは避けているのだろう。
故に、そう。故にだ。この皐月の初週、ゴールデンウイークと呼ばれる連休中のあれやこれやについて、俺は暦に聞くことはないし、翼からも聞くことは何もない。
ただ、一つ。事実だけを先に記そう。
このゴールデンウィークの間、
ただ、このゴールデンウィークの最終日には、その
だからこそ、待った甲斐もあり、助ける準備をしていた俺が助かる準備の出来た
それは、何故だか、どうしようもない失敗をしたような、居心地の悪いそんな腑に落ちない成功体験だった。
実際にこの時、俺は、見落としをして失敗していたのだ。それを知るのはもっと、先の話であり、ここで語られることではない。
それを振り返るため、こうして手記として忘れぬように、戒めを遺すのだ。同じ過ちを繰り返すことの無いように。
002
四月三十日、九日間に渡る長期連休の二日目。この経験を手記に遺すとして始まりをどこに据えるかとすれば、この日になるだろう。
因みに昨日こと四月二十九日は、家でだらだらゲームをしたり、新しい科学技術だとか、家電やバイクパーツなんかについてネットサーフィンで調べたり、その雑誌の発行日の確認や注文をしたりと、とにかく家こと借家のアパートから出ることなく過ごした。
これはシンプルに翼からメールで一文。
『件名:(無題)
本文:今日は、会いたくない。また、明日にでも息抜きさせて』
とのメッセージを受け取ったので、その配慮として家から出ることなく、翼に絶対に出会うことのない過ごし方をした、ということだ。会いたくないと向こうから言ってくるなら、まずこのアパートにやって来ることは無いだろうという考えからの自宅待機と言うやつであった。
どうせアイツのことだ。家族とされる立場の大人になんか言われたかされたかして、俺と距離を置きたくなったとかそんな感じの複雑な乙女心なのだろう。
朝は目覚まし時計を止めて、布団を片付け、用を足し、シャワーを軽く浴びて目を覚ますのを日課にしており、そのルーティーンを熟した後に簡単な朝食を摂りつつ、携帯のメールを確認する。
む、やはりというか、昨日のメールに合ったように翼から息抜きの予定に付いてであろうメールが今朝に一件と、ふむ、深夜に暦からの着信履歴が一件?
簡易留守録には特にメッセージが残っていないようだし、なんの用事だったのだろうか。まあ、急ぎの用であれば、また架けてくるだろうし、後でメールでなんの用事かだけ確認しておくか。
翼からのメールにはこの様に綴られていた。
『件名:今日はよろしく
本文:ちょっと両親が体調不良なようで、病院まで見送ってから、昼前頃にそちらの家に行きます。私が私服に着替えてから今日の行き先を決めるということで』
なんともまあ、律儀なことだ。
翼の両親とされる大人たちは、翼の家族と言える存在ではない。生物学上の両親は既に他界している。即ち血縁が、血の繋がりが、遺伝子的な近似がまるでない。俺は血の繋がりこそが、生物学的な親子こそが真の家族だなんてことは全く思わない。孤児で数年前まで施設に居たからこそ、無償の愛を向け合える人の繋がりこそが家族だと思っている。あの家には、羽川家には、血の繋がりも、人の繋がりもない、同居している女子高生への配慮が最低限在るだけの、居場所と言えない、帰る場所と言えない、ただの住処だ。
俺は彼らを他人とまでは言わない、言わないが保護監督責任者なら絆を育ままないのはまだしも、全くの無関心なのはどうなのかとは思う。たまに施設の行事に参加させた時のアイツの目の輝きを思うと、尚更にそう思う。
そんな形式上、戸籍上だけの家族の体調不良に態々病院まで付き合う律儀さや異常さについて、俺は未だ他人の枠組みなので、助けを請われているわけでもなく、愛の告白を受けたわけでもなく、施設の兄妹になったわけでもない、他人なので特に口出しすることもなければ、仮にそういう関係になったとしてもなにか苦言を呈することはないだろう。
俺はお人好しではないし、お節介焼きでもないし、正義の味方でもない。ただ話を聴くだけの隣人なのだ。求められてもいない他人の問題に首を突っ込むような面倒はしない。なので、普通に『了解、昼飯用意して待ってる』とだけ返して、冷蔵庫の中身を確認し、二人分には食材が足りていないので、買い出しに出かけることにしたのだった。
003
買い出しも終わり、ついでに買ってきた機械式時計の紹介雑誌を読みながら、やや薄味の肉じゃがを頬張る。
うむ、仄かな塩気とホクホクの男爵芋がたまらない、濃すぎる味付けが食えないという訳では無いが、薄い味を堪能するのが俺の食の幸せである。施設では職員や子供たち全員で食べる食事であったため、しっかりとした味付けの料理が多かったため、こういう優しい素朴な味を好む俺にとっては一人暮らし万歳なのであった。あ、でも施設のカレーは今でもご相伴に預かりに行くくらいには大好きだ。
そんな小さな幸せを噛み締めている我が家の玄関をノックやインターホンも使わずに、ガチャリと平然に開けて入ってくる制服姿で長い髪を三つ編みにした丸メガネの
「お邪魔しまーす。洗面台借りるね。手洗いうがいしなくっちゃ」
「おう、相変わらず遠慮ねぇな。ノックか呼び鈴鳴らすくらいはしろと言ったのは覚えてないのか? 覚えてるよな、わざと無視してるよな。俺が着替えとかしてたり、裸で過ごしてたら、気不味くなるからやめろと言っているのを聞いた上で無視してるよな」
当然のように翼だった。マジでビビるからやめていただきたいのだが。前置きなしに突然、我が家に平然と侵入してくるのは本当に心臓に悪い。施設に来た際は他人行儀のように礼儀正しすぎるくらいに礼儀を重んじる仕草だったのに。俺が一人暮らしを始めたくらいの時にも、少なくとも玄関をノックはしていたのに。三年次になったころ辺りから、この様に死ぬほど無遠慮で、雑で、配慮のないドアガチャを繰り返されている。明らかに態とやっている。あるいは、あるいは……いや、ないな。
とにかく態とにちがいないのだ。
「あぁ、忘れてた。次から気を付けるよ」
「違う、わざとだ」
「ノックってなんだっけ、えーと……野球の守備練習のことだったけ」
「惚け方下手くそか。ボール叩いてんじゃねえ。扉を叩けと言ってるんだよ」
なにか別のキャラの芸風をパロディしたような、未来のネタ潰しをしてしまったかのような気もするが気の所為だろう。
「はいはい、多分次は大丈夫だよ。きっと、おそらく、おおよそ、おおかた、
「うるせえ! 言葉重ね過ぎて、暗に否定しているようなもんじゃねえか」
「最大限、善処します」
「それも状況に応じて適切に対応するの意だから、信用ならない語句じゃねえか」
「もー、別にいいじゃない。逆にそういう場面見て写真でも撮ってやろうと思ってるのに、全然そういった状況にならないんだもの。気にする必要ないわよ」
「悪意と本音が漏れ出てるぞー。と言うか写真撮って何するつもりだよ。男の裸だの下着姿だのに需要ないだろ」
「黙秘権を行使します」
「ここは裁判所でも、警察署の取り調べ室でもないが」
「そんなことより、お昼ご飯を用意してくれたんでしょう。ご相伴に預かりたいなー」
「無理やり話題を変えたな。まあいいよ、誤魔化されてやるよ。献立は肉じゃがと白米とあさげとなっております」
「おお、いいよね。あさげのお味噌汁、便利だし、美味しいし」
お前
「いただきます」
「召し上がれ」
食事中にはこの女は基本喋らない。いや、正確には自発的に何かを語りかけてくることは特になくなる。食事中にお喋りすることは行儀が悪いからという理由からだろう。まあ、こちらから話すこともないし、この雑誌を読み切ってしまうにはちょうど良さそうだから、こちらも無言でページを捲る。何やら正面から一言言いたげな視線を感じないでもないが、スルーして雑誌の機械式時計の美しさに良いなぁカッコいいなぁなんて思いつつ、何れ就職して余裕が出来た暁にはこう言った時計を身に着けたいものだと憧れる。
「…………」
「…………」
何故だか、正面から感じる視線がジトッと眼力強くなったようにも思うが、知ったことではない。今のこいつに話しかけると話題はほぼ確実にこいつの真核生物動物界脊椎動物門哺乳網霊長目ヒト科*1親属無関心種*2についての愚痴に無理矢理繋げてくるに違いないのだ。せめて、飯を食い終えた後に自分から話しかけてほしい。自主性をもっと持っていただきたい。流されるままに、受け入れるのははたから見ていて気分のいいものではないのだから。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様、流し場に置いといてくれ。あと
「えぇえぇ、そのつもりでしたとも、
そんな軽いジャブの打ち合いをしつつも、流し場で俺の分と自分が使った分の食器を洗いながら、翼はいきなり右ストレートの如く切り出した。
「それ見終わったら、玄関外に出ていてよね。
「はぁ? なんで家主代理である俺が態々家からでなければならないんだ? 着替えなら寝室とかですりゃあいいだろうが、後ケダモノって……」
「
「待った、確かに
因みにこの雑誌はあと数ページほどで読み終わる。
そして、翼はそれを見越してか洗い物の処理もそこそこに冷えた目線をこちらに送ってくる。この言葉の殴り合いについては、主に春休み頃の話であり、やったのもその頃の一回切りなので、どこぞの変態男子高校生と同じくくりにしないでほしい。というか、この女とその変態男子高校生のとあるやり取りのせいで、巻き込まれた側の人間なのだ。
まあ? するからには自分も相手も楽しむべきかと割り切って、割と丹念に入念にたっぷりネチネチと揉み込んだことは認めざる負えないが。ありがたいことに件の変態男子高校生にはまだその事実は知られていないようなので、安心している。もし知られたとしたら、向こうから宣戦布告もなしにエリナのファーストキスをディオに奪われた時のジョナサンの如く襲い掛かってくるであろうことは想像に難くない。墓場まで持っていく必要のある秘密である。
「あんなとんでもないことを私にしておいて、その癖、そういう本が一切このアパートに置いてないのが余計怖いんだってば。溜め込んで、いきなり爆発するタイプじゃないかと恐れているんだからね」
「お前が頻繁に来るここにそれとわかるブツを置くわけないだろうが、どのような仕方をしているかは言いたくもないが、ちゃんとそういうのは、大人の保健体育は履修しているよ」
「むっつりスケベ、日用家電のチラシとか、科学論文の雑誌とか、バイク雑誌とか、機械式時計の雑誌とか、官能小説は置いてるくせに」
「なんで、
絶対にバレない様に俺の部屋の机の引き出し裏のスペースに折りたたむようにして、本を傷めつけるようにしてまで隠しているというのにどこまでウチを探索してるんだこの異常者は。
「────ふーん、やっぱりあるんだ」
「あ、チクショウ。鎌かけしやがったな……まあ、いいよ。わかったよ。
「ああ、そっか。まだ言ってなかったっけ」
「? 言ってなかったってなにを────」
傷口を広げない内にさっさと退散しようと外に出る準備をしながら、愚痴交じりに翼を非難していたら、なにやら、翼は畏まって改めてというような雰囲気を纏っている。それになんだかとても嫌な予感がしている……。もっと事前に相談なり、打ち合わせなりをした上で決めるような話を一方的に決めるようなそんな身勝手な要求をされそうな予感が。
「私、このアパルトメントに同居させてもらうから、よろしく」
「はぁ……ハァ!?」
予感は的中し、また親友たる暦に対しての秘密が一つ増えてしまったのだった。
004
その後、事情は後で説明するとの言でその場は納得し、一旦彼女の着替えを待って、その後出かける流れとなった。そして、当然の様に着替えの間、俺は家の外で待つことになった。解せぬ。
あぁ、それといつの間にやら、暦から追加の電話連絡履歴が三件となっていた。普段マナーモードにして消費電力を抑えているために、通話も自動で留守になってしまい気付く事ができなかったのだろう。着替えの待ち時間がてら一度電話を架けてみる。
少しの間繋がったような感じで、向こうから『天野! よかった、b』と声が掛かった後、ブツリと通話が切れてしまった。こちらの充電は十分なので、恐らくあちらの携帯の充電切れかと思われる。何やら、喜んでいたような焦っていたようなそんな感じであったが、またぞろ何かに巻き込まれているのだろうか。奴の家の番号も知ってはいるが、そんなに緊急なら自宅から、外出中であれば公衆電話から、また連絡してくるだろうと彼のことは据え置くことにした。
死ぬかもしれないと言ってた春休みも、なんだかんだ平気な顔して三年次になった初日に顔を見せていたのだし、あるいはオカルト絡みなのかもしれないが、アレの心配するだけ、無駄であるというのは半年ちょっとの付き合いで学習していた。
因みに言うと、俺と暦や翼は別のクラスである。今までの小中高と翼とはほぼいつも同じクラスに配置されていたが、高校三年生でついにクラスが分たれたのだった。それでも下校は向こうの都合が合う限りは翼と帰ることもあれば、稀に暦を含めた三人で帰る事もあり、特に垣根を感じるようなことは無かったが。
そう言えば、あの理不尽なよく分からない自傷的八つ当たりも、新年度になってから時間が長くなっていたり、それが治まった後で、偶に頭痛を訴えていたりしたが、もしかしてあれか? 俺と接する時間が減ったから、それでストレスが溜まりやすくなったとか、そういう要因でストレス性の……いや、流石に自意識過剰すぎるだろう。俺への駄弁りとか相談以外にストレスケアが出来てないなんてそれこそらしくない。
新年度の新学期で相も変わらずクラス委員長を引き受けているらしいが、週二の息抜き以外に発散くらい……とそこまで考えて、娯楽の方に気を回せるほど器用な女ではなかったと気付く。翼は俺と二人きりでないときは他の面子に気を遣ったり、息抜きどころではなくなってしまっていたので、息抜きの際は基本デート方式で付き合っていた。なお、言うまでもなく、ここで言うデートとは、広義の意の男女が日時や場所を決めて出掛ける方を指す。
となれば、本日は
「おまたせー。じゃあとりあえず
はい。ここでファッションチェーック。
この女、制服以外の着こなしがダサかったりすることもあるので、あんまりに酷いようなら別の服に着替えるように言うようにしているのだ。
ふむ、白のワンピースに桃色のカーディガンを羽織って、前にプレゼントした黒猫の顔がついたポーチを下げている。シンプルながらに完成度の高い構成でホッと胸を撫で下ろす。
因みにこの時、俺は下から視線を上に上げるようにして、彼女の装束を観察していたのだが、それに気付いたのか、クスリと笑って衣装を魅せるためにくるりとひと回転して下さり、
撫で下ろした胸がどきりどきりと心拍数を上げていく。待て待て待て待て待て。待ってくれ、待ってください。取り敢えず確認せねばなるまい。緊張から畏まってしまい思わず敬語になって尋ねる。
「えっと、それは良いんだけれど……翼さん。翼さん。態々、丹念に丁寧に編み上げた三つ編みを崩すとは珍しい試みですね。如何ようなお心変わりで? 」
「べっつにぃ、施設の子たちに君の髪型の好みを聞いて、そちらをして差し上げただけだよぉ」
なるほど、合点がいった。彼奴らには今度感謝せねばな。今度、お土産でも抱えて寄り道でもしようか。
さて、丸メガネを掛けている事は変わらないが、そのはね一つないスラッとさらさらしてそうな、ストレートの髪型は確かに俺好みであり、そして、ただ髪型一つ変わっただけで、翼はまるで別人のような雰囲気を纏っていた。
なんというか、いつもが何処か一歩間合いを取って置いているような雰囲気だとするならば、今は半歩ほどの距離で機を伺って突撃してきそうな勢いすら感じるほどに親しみやすいような雰囲気であった。いや、特に翼に対して距離感を感じるようなことは中学に入って以降は特に無かったが、なんというかピッタリゼロ距離も厭わないし、逃さないというような圧まで感じるような。
まあどうでもいいのだ、この女の雰囲気がどうこうとかいう話は!
ツヤツヤサラサラの魅惑のストレートヘアーは、それだけで俺の心を揺さぶるのに十二分な効果を持っている。しかも、俺の好みに合わせてしてくれたというのも、嬉しい点だ。なんだ同居という無茶を通すために、俺に媚びを売ろうというのか。良かろう、その心意気に免じて、夏休みくらいまでは居座ったとしても、何も口出しをしないことにしてやろう。
というかはね一つなく、あの三つ編みの癖を全く感じないところを見るにこの女ウチのシャワー勝手に使ってそうだな。まさか、追い出しの真の理由はこれが狙いか。まあ、ともかく感想を伝えるとしよう。そろそろ、ヤツの蠱惑的で、褒め言葉を期待している笑みを前に無言を通すのも辛くなってきた。
「すげえ似合ってるよ。私的な感想ではあるが、滅茶苦茶に可愛いぜ。デートに持って来いの衣装だな」
「ふふ、ありがと。べつに男女交際のデートでもいいのよ」
デートと言う言葉の意図は、理解しながらそれを見越して、頬を赤らめながら恋愛的な意味でのそれでも良いという
同居しようと提案してきたり、髪を下ろしている所を披露してきたり、攻めっ気のある
さて、ここで流すように返しては今日一日この女に主導権を明け渡して振り回されることを容認しなくてはならなくなるため、きちんと反撃を返して差し上げよう。
「それにはまず前提として、お前の方からの愛の告白が必要だな。それをしてくれたら
「
「ははは、それはお互い様だろ。
ふはははは、と笑いながらそう言い返すと、サラッとした風にそれでいて表情は真剣に、当然であるかのように、あるいは分かりきったことかのように、ポツリと溢れたかのような声で呟かれた。
「
なんだ、どうした。
ノーガード戦法か? いいぜ、付き合ってやろう。ただし、決着がつく頃にはお前の顔は火を吹いたかの如く真っ赤になっているだろうがな!
「ほう、そうか。なら、尚の事、愛の言葉は必要不可欠だな。何なら、俺の方からしようか。そこまで言うんだ、逃げることは許さないぞ。甘い蜜のような俺の愛の言葉にお前の脳はオーバーヒートを起こさずにいられるかな」
「ひぁ、え!? ちょ、な、なんで耳元まで顔を近、近い近い! 」
「さぁ、仔猫ちゃん。縮こまっちゃって可愛いなぁ、んぅ? どおした? 怖がることはないよぉ。よしよーし」
玄関口から部屋に押し入って、玄関を後ろ手に閉めてから、顔を耳元に寄せ、腰に手を当て身体を抱き寄せて、もう片方の手で頭頂部から後頭部にかけてゆっくりと頭を撫でる。昔、本で読んだ知識によれば、頭を撫でられるとオキシトシンという脳内物質が分泌され、信頼関係を深めたり、ストレスを抑える作用があるらしい。更に耳というのはかなり敏感な器官だ。耳を舐めるというは一種の性的興奮を煽るプレイにもなり得るという。流石にそこまではしないが、耳元で囁く甘い声は脳に響く劇薬になりうる。この囁きでは直接的な愛してるや好きだなんて陳腐な言葉は使わず、想像力を掻き立てるようなこの人私のこと好きなんだと思うような、思わせ振りな言葉を繰り返し紡いでいる。
「ほらほら、ジタバタするな。深呼吸でもしていろ、ほんとおに可愛くて愛らしいなあ、俺のためにそんなに気合を入れてきたのかぁ? んぅ? エラいなあ、カワイイなあ、ステキだなあ。つばさみたいな子が恋人だったら毎日がたのしいだろうなあ」
頭を撫で、耳を侵し、身体を抱いて逃さない。最初こそ、脱出しようと藻掻いていたが、一分もしないうちにぐったりとこちらに身体を預けるようになり、大人しくなった。たまには甘やかしてやりたい、という欲求をここぞとばかりに発散しつつ、もう抵抗もすまいというところでぱっと解放してやる。
「はい、おしまい。俺の勝ちな」
「はっ、今何かとんでもない辱めを受けたような、あるいは極楽にいたような」
「教えてやろう、翼。攻めるなら一方的にやらなければ、カウンターパンチで一撃K.Oを喰らうんだ。学びになったな」
そう言ってクツクツケラケラ
「ぐ、ぐにゅにゅぅ、と、というか今の行動の責任を取りなさい」
「はて、今の行動とは一体どれのことだ。しっかりと言葉にして何が心地良かったかをはっきり物申してもらおうか! 」
「意地が悪い! 外道! サディスト! 悪魔! 」
「ンッンゥー、負け犬の、否、負け仔猫の鳴き声のなんと心地のいいことか、フハ、ハハハハハ!」
「仔猫いうな! 」
言うまでもなく、書くまでもないことだが、この手記には戒めのため、敢えて残そう。この時、俺の心臓は超高速でビートを刻んでいたし、高揚して顔が熱くなっていたのを笑って必死に誤魔化していた。
そりゃあ、そうである。カウンターとは肉を切らせて骨を断つもの、こちらも相応にダメージは負っていたが隠し通して見せただけなのである。なんかすっごいいい匂いしてたし。こちらの胸板に当たった柔らかいものの感触とかもなんかもう語彙失うくらいすごかったし。精神的に笑ってなきゃ持たなかっただけなのだった。
だが、割と楽しかったので、隙を見てまたやろうと心に誓った。男というのは、バカだから反省出来ない生き物なのだ。
サービス情報『阿良々木暦との電話については今回起こっている怪異現象の影響によるもの』
005
あの後、お互いに落ち着いてから、俺も出掛ける用意を済ませて、家に鍵をかけ、件の複合施設へと電車を乗り継ぎ向かって、取り敢えずは息抜きからと言うことで映画を観ることにした。え? さっきの延々と続けてればそっちの方が効果的な息抜きになるだろうって?
いいかね、正論は時に人を殺すのだ。主に両者の精神力と取り返しがつかない何かを失いかねないのでアレはほどほどにするくらいが丁度いいのだ。そうに違いない。違いないったら違いない。
ところで、俺は土日には学校内の同学年や他学年の友人たちとこの複合施設内のアミューズメントで遊び呆けたり、地元のカラオケ店や喫茶店や定食屋なんかの梯子したり、俺のアパートに集ってパーティーゲームやボードゲームを楽しんだり、通信対戦式の育成ゲームや格闘アクションの対戦ゲーム、カードゲームでスイス式のトーナメント*3の身内大会なんかもしている遊び方面のプロフェッショナルこと遊び人マスター(自称)なのだ。
故に競い合うタイプの娯楽ではなく、最初に映画で物語を楽しみ仲良く感想戦というのは、とても平和で心穏やかに享受できる。競い合うタイプの娯楽についても、正直なところ、互いに楽しむのが一番良いとは思う。思いはするのだが、遊び人マスターとしてのプライドが邪魔をする。遊びのひよっこにそう簡単に負けるなどあってはならない事なのだと騒ぎ立つ。まあ、何事も本気と全力でやるのが楽しむコツなのだから、この程度の反骨精神は許容して欲しい。
さて、何故そんな話をしたのかというと、ことこの映画館に関しても、この遊び人マスターは常連中の常連。大抵その月に出た新作は良作駄作関係なく全部観終えているし、観た後はどんなもんだったかを一緒に観られなかった友人たちに伝えて、学校内の流行りだったり、話題の映画が決まっているらしい。別に映画評論家気取っている訳では無いのだが、結果的にそうなってしまったという感じである。翼が観ようと誘ってきた映画も、他の友人たちにも誘われて、既に三回くらい観た普通に良作の恋愛映画であった。
「この映画、学校内でも噂になってて、面白いらしいのよね」
「へぇ、そうなんだ。いやぁ、しらなかったなあ」
適度にとぼけて、何度も観たことを悟られないようにする。こういうのは、もう何度も観たとか白けるようなコトを言う奴は、二度とそういう場所に誘われることはなくなるのだ。人間関係では適度に惚けて、適度に知らない振りをして、バカみたいに振る舞った方が楽しく過ごせるのだから。
そんな俺の策略に気付いているだろうに、によによとした笑みを浮かべながら、翼はこう告げてきた。
「ふふ、勉強不足だねえ。努力が足りないぞぉ?」
「ははは、全くだな。ところで、俺としては、その恋愛映画の広告の隣に広告を出している来月に公開予定の三流感漂う海外ホラーサスペンス映画も気になっているんだが、お前はどう思う? 」
「私を誘うのはやめてね、お一人でご自由にご覧ください」
ふふ、こういう香ばしいのをわーい行く行くと集ってこない所がまだまだ青いというのだ。俺の調べによると、その映画は海外でも酷い出来だと話題のクソ映画なので、翼の娯楽に対する良いものとつまらないものに対する嗅覚は鋭くなってきているのは間違いなかろう。
あ、でもレンタルDVD屋で借りてきた過去のクソ映画は一緒に観てたりしてたから、劇場で見たくないとかか?
「あ、カップル割と学生割の同時適用が出来るから、節約できるとこはしとこうなー」
「うん、そうだね」
うん、やっぱりいつもの日和見癖や潔癖症を何かしらの理由で克服しているっぽいな。いつもならカップルだの、恋人だののサービスを受けようと提案すれば『怒るよ。別にそんな関係じゃないんだから、お店に対して詐欺行為になっちゃうじゃないの』とかお真面目振りを見せるのに。まあ、見せるだけで、こっちが勝手に受ける方針で進めた後にゴタゴタ言う程ではないが。代わりに呆れてものも言えないという圧のある視線をいただくだけである。
違和感が確信に変わった。理由は不明だけれど、翼は今、
いつもツーカーで言外の意図を把握し合えている仲であるからこそ、いつもとは違う意図であるという明言をしてくるのは、本当に珍しい。
とはいえ、とは言えである。別にそれを指摘する必要も、それを暴く必要も、
「ほらほら、ポップコーンを買いにいきましょ」
「ん、ああ。ポップコーンは良いけど、また水を注文するとか言う不粋なのはなしな」
「初めて映画館に来たときの事をここぞとばかりに擦らないの」
良い点なら暗黙にせず、指摘してご機嫌を取るべきではあることなのだが、良いのか悪いのか判断が付かないものはスルーに限る。取り敢えずはまあ、四度目の映画を鑑賞するとしよう。
映画の内容は普通の恋愛もの。そう、変わった点があるとするなら、
仮にヒーローをAとBに分けるとAは人助けを日課としている好青年で、ヒロインについても困っているところに手を差し伸べるような関係から始まった相手。そしてBは気安い仲であり、いつも居て当然のような身近であり、ずっと前から続いている相手。
Aに対してヒロインは、Bにはしないような善意を善意で返し合う健全で平和な、お互いを尊重し合って強い信頼関係を築いていると言えるような仲。
Bに対してヒロインは、Aには見せないような愚痴や日頃の疲れを言い合い、お互いにリラックスして接しており若干の依存を感じるような仲。
その二人から好意を寄せられて、両方から求愛を受けたヒロインの選択は如何に! というような、ありきたりな話だ。
話のオチは割愛する。この後も何度か見ている映画の
さて、そんな映画を見終えた後は、取り留めのない感想戦をしながらのコーヒーブレイクと洒落込もうとした。したが、結果的にこの映画の感想戦のイベントはこのゴールデン・ウィーク中には発生しなかった。
映画館を出るまでは良かっただの、素敵だっただの語彙力に欠けた軽い感想を交わして、ミ◯タードーナツにでも足を運ぶかーなどと言いつつ、感想戦で使う材料を組み立てていた。
そうして、映画館のテナント出口では、
「忍野さん、こんにちは。アロハシャツ以外にも衣服があったんですね」
「
「え? 今日は学習塾跡に寄ってませんけれど……というか、あの町からここまで何のご用事で来たんですか。忍野さんは厭世的というか、こういう場所に来ないものと思っていたので」
「ほほう、そうなのかい。嘘じゃあ、無いようだね。いやあ、僕は
俺を置いてきぼりにして、話は進んでいく。ん、というか今、俺の名前言ってなかったか?
「え、今日は午後からにはなりますが翔と二人で過ごしていましたけど、特段変わったことはありませんでしたよ」
「そうかい、じゃあ────そちらが、天野くん。天野 翔くんで良いのかな。僕のことをさっきからすごい目で見ているけれど」
あ、視線がバレたっぽい。軽い誤魔化しを交えて挨拶をする。
「いきなり自分の知らない人に語り掛ける翼に引いてただけですよ。で、名乗って貰えますかね。俺はお兄さんの事を何も知らないので」
「ああ、ごめんごめん。と言っても阿良々木くんから名前は聞いていると思うけれど」
そう言って、
「
「はあ、そうですか。何やら暦が迷惑をおかけしているようで……なに、どうした翼。面食らったような顔して」
「────え? ああいや、忍野さんがそんな畏まって名刺を渡すとは思ってもみなかったから。びっくりしちゃって」
名刺を受け取って、そこでようやく自分の中で彼の正体が合致する。
「さて、立ち話もなんだ。ミ◯タードーナツでお茶でもしながら、すこーしお話に付き合ってくれないかな」
「え、嫌ですけど」
映画館のテナント出口前で胡散臭いお兄さんのお誘いをバッサリと切り捨て、翼の手を掴んで強引にその場を後にしようとするのだった。
そりゃあそうなのだ、そんな不審人物と聞かされては例え友人が命の恩人と慕っていようとも話をする義理も通りもないのだから。
そもそもが俺は今、翼と息抜きに来ているのだ。息の詰まりそうな話を持ってきた友人の恩人合ってまで時間を浪費する必要は全く以てない。向こうはなぜかは知らないが、こっちの無事を確認しに来たようだったし別に話すこともないだろう。
なにより、息抜きの途中でよくわからない邪魔が入るのが、一番嫌だった。
006
結論から言うと、忍野メメというお兄さんからのお話を断ることには失敗した。何故かなど過程は省く。分かりきっているだろう、
曰く、「忍野さんが翔と話をしたいってことは、話をしないと解決しない何かがあるんだと思う。息抜きについては話の後でもゆっくりできるだろうし、それに私を別の場所でも見たってことについても聞きたいし」とのこと。なんとも律儀というか、疑問を解決したがる気質は全く変わらない。
俺としても、親友の恩人相手ではある。だが、そもそもの話として、春休み中にあったという吸血鬼云々言っていたその話を事実として俺は認めていないのである。直接その状態を見たわけではないことに加えて、具体的な話は暦からも翼からも聞いていないことが大きい。というか俺の知識の専門外であり、興味も然程ない事象なので、こちらから詳しく聞こうせずにあまり真面目に取り合わなかったというのもあるのだが。
兎も角、忍野メメという話に聞いただけの全く関わり合いのない赤の他人である怪しいお兄さんとはあまり関わり合いになりたくなかった。
なりたくなかったのだが、翼の懇願染みた妨害には勝てなかった。そもそもが、
なお、会談の場はやはりというか複合施設のテナントの一つであるところのドーナツが売りのチェーン店のイートインスペースであった。各自適当なドーナツと飲み物を買って席に着く。
「いやぁ、若い二人の逢引を邪魔してしまって申し訳ないねえ」
「そう思うのであれば、早く済ませて頂きたいですね。別に
「おや、そうなのかい。でも、早く済ませるべきというのは全くその通りだね。邪魔しちゃっているのは確かなんだし。じゃあサッと僕がここに来た事情について話そう。今からざっと2時間くらい前に僕は阿良々木くんに頼まれて、天野くん、君が困っていたらサポートをしようとやって来たわけだ。僕も君と会って確かめたい事があったし、渡りに船で承諾してこうして身なりを整えて、電車を乗り継ぎやってきたんだけれど。困っているような様子では無さそうで何よりだ。阿良々木くんからの頼みは見当違いのものとして、本人にも伝えるよ。なので、今度は僕個人の確認と相談に付き合ってほしい」
「その前に、私からも確認させて貰いたいんですけど。さっき言っていた学習塾跡で阿良々木くんと一緒に居たというのは本当なんですか? 私、昨日はともかく今日阿良々木くんと会った覚えはないんですが」
「そう、まさにそれだよ。委員長ちゃんはそこに居る天野くんと午後の間は一緒にいたと言うじゃないか。僕からしてみれば、委員長ちゃんは
「それはおかしいですね。今日の朝には翼は親を病院に送って、その足で俺のアパートにノックなしで踏み入って来ているので」
「まだ根に持ってたのね……でも、その通りです。私は昨日の夜は自分の家で一夜を過ごしましたし、朝から昼前に掛けては
「なるほどなるほど。それじゃあ君たちの視点からすれば、僕が嘘吐きかあるいはおかしなことを言っているようにしか見えないだろうね。もし、
2時間前と言えば、だいたい家の前で
「つまり、貴方はこう言いたいんですね、これはドッペルゲンガー現象が発生している。と」
「おお、頭の周りが早いね天野くん。阿良々木くんより話がしやすいよ。そう、ドッペルゲンガー現象が関わっているんじゃあないかと僕は考えているのさ」
ドッペルゲンガー。ドッペルとはドイツ語で2倍や2重、生き写しやコピーなどを意味し、ゲンガーは影を意味する。2つの言葉を併せて二重身、2つの身体を意味する言葉になる。有名な都市伝説で、曰く、街角で自分そっくりの人間が向こうの通りを歩いて居たとか。曰く、自分が訪れていない場所で自分を見たという情報があったとか。曰く、もう一人の自分と正面から出会って仕舞えば死ぬとか。そんな様な
有名な話だから専門外ではあれど、それくらいの知識はある。だが、それは
「自分で言っておいてなんですが、都市伝説や超常現象とされている事柄を現実で起こっている事象と考えるというのは、余りにも突飛というか……そこを貴方の専門分野と重ねて考えるには現実味が足りないように思います」
「なるほど。ふーむ、なるほど。いや、君らの前で君らの前で『なるほど』*5なんて口にするのは野暮だったかな。ここはそうだね。
「いやいや、私は忍野さんの立場であれば、そう考えるのは間違っていないと思います」
「俺も話の腰を折るような事を言ってしまって、失礼しました。とはいえ、俺は
「いや、この仮定で天野くんならどう考えるのかを聞いてみたいかな。ドッペルゲンガーが発生しているとして何の理由で──」
「いや、改めて話を振ってもらって申し訳ないんですが、
俺は素直に正直に真面目に率直に、そして食い気味に自分でも驚くほど冷えた声でそう返した。俺は頭の中で考察したり、考えを巡らせて、たまに軽いアドバイスをすることはあるが、
そもそも、
拒絶を吐いたその口にほろ苦く温かいコーヒーを注ぎ込み視線をドーナツに向けて今回の話について、興味を無くして会話に混ざるつもりはもうない旨を言外に伝える。
「──良く、分かったよ。じゃあ委員長ちゃんはどう思う? 原因や理由で思い当たることはあるかな」
「えっと、まず連れが無愛想なのは許してください。この男、ファンタジーとかホラーとかは嗜む癖に
「うん、そうだね。ドッペルゲンガーの一般的な仮説だ。今回は霊魂が飛び出してしまったのが理由として、その原因について何か思いつくことはあるかい」
「原因……思い、付かないです。最近、何か変わったことがあったかと聞かれても、思い至ることがないほどには、普通の日常でしたので」
これは嘘だ。なんか思い至ってる。その上で自分の中で推論を組み立てている。長年の付き合いでそうわかりはしたものの、普段なら思い至ったなら相手の善意を信じて、包み隠すことなく普通に共有するのがいつもの翼なのでやはり、なにかが異なっている。特に理由もないしこの会話に混じるつもりもないので指摘はしないが。
「随分と、嘘が下手になったんだね。委員長ちゃん。いや、あるいは嘘を吐くことに慣れてない故なのかな。何か心当たりはあるけれど、僕に話す気にはなれないと言ったところかな」
「え、いえ。本当に心当たりなんて……、合ったのなら正直に共有しますよ」
民俗学を専攻していると言っていたが、心理学的な知識もあるのだろうか。一挙手一投足を見逃さぬと言わんばかりの観察眼はただの研究者であれば不要ではなかろうか。いや、地域の風習や習慣を見定めるために身に着けたものなのかもしれない。
とはいえ、この人の歳の割には相当熟練しているようにも思える。人のウソホントを断定すると言うことが必須である様な環境に身を置いているくらいには、見透かしているぞと言わんばかりの観察力があるようだ。
そんなことを考えながら、団子が輪のように連なった様なドーナツ*6からプチリと一つの団子状の生地をつまみ取って口に頬張りながら、関係のないやり取りを横目にしている。話に混じるつもりはないが、この不審者の目的が何なのか、話をどこに落とし込みたいのかという点には興味がある。
「本当に何も知らないように振る舞えると思っているのかい。委員長ちゃん、君は今回の件について
不思議な事に
しかし、隣の翼を観ると怯えて困惑して狼狽えているので、
何の話かは分からないが、なにやら翼の問題みたいだし、チラチラ見られては居るが服引っ張ったり、縋ってきたりのアクションがない限りは助け舟を出さないつもりだ。否、つもりだった。
「分からない、わからないんです。私は何が起こっているのか皆目検討も──」
「ついている。君の中で答えは出ている。委員長ちゃんも思春期の女の子ってことなんだろうけど。君の
ア? コイツハ翼ノ何ヲ知ッテイテ、ソンナコトヲ
知っていたか知らなかったかなどはどうでもよくなってしまうくらいに頭に血が上って、自ら誓った無干渉などは無かったように踏み躙って。
思っていたが口には出さなかった無礼、失礼を無遠慮、無配慮に口にする。
「おい、アンタは
「お、おう。いきなりそんなに捲し立てて元気が良いね。なにか良いことでもあったのかい」
「元気がいい? ああ、そりゃあ良くもなるさ。人の連れを散々傷つけるような発言を繰り返してくる不審者を相手にするって決めたんだからな。翼が『異常』ならアンタは『正常』なんだよな? そんな
俺は手を付けていないドーナツをそのままに、まだ熱い温度を保っているコーヒーをそのままに、フリーズしてしまっている翼の腕を掴んで立ち上がり、翼も引っ張って立ち上がらせる。
「それは、なんとも言いかえし難い反論だね。全くその通りで何も言えない。もう会話の空気ではないか」
「アンタが悪いよ、行くぞ翼。時間を無駄にした」
目の前の不審者の居心地の悪そうな顔を最後に、それから目を離して周囲の視線を背に俺は翼を連れてその場を後にした。残したドーナツや飲み物が少し惜しいと思ったりもしたが、俺や翼にとってあそこに置いてきたのは不愉快な時間そのものだったので、同じ系列のドーナツ店に足を運ぶ機会はしばらくないだろう。少なくとも、俺自身は他の友人とでも誘われて行くことを拒むくらいには避けていた。
店を出て、少し歩きエスカレーターで下を目指す。
「どこ、いくの? もう帰る、とか?」
その弱弱しい声を聴いて、先の件で頭に上っていた血がすぅーっと引いて落ちていくのを感じた。特に考えなしにもう家路に着くような想定をして、翼のことを何も考えていなかった。
今日はそもそも
一つ、大きく深呼吸をしてから、振り返って翼を見る。そこにいたのは、困惑と恐怖と少しの罪悪感を抱えて今にも崩れ落ちそうなほど狼狽えた
ここは大いなる反省点である。怒りに身を任せて、護るものまで見失っては本末転倒だ。漸く、翼が俺を頼ってくれたのだから、俺は答えねばならぬというのにこの始末だ。
とにかくここは流れを変えねばなるまい。この後どこに行くか、か。少し振り返ってから少し考えて俺も困ったようにしながら答える。
「さーてな、とりあえず今日の夕食の材料と泊りの準備に必要なもん買うか。いやな時間もあったし、ダッツ*7なアイスも許そう」
その言葉に翼は少し安堵し、しかし怯えたようにしながらまだ弱弱しく返した。
「え、いや、でも。結局私がしたいって選んだことで、翔が不快になるような結果になっちゃったわけだし……」
「気にしない。しばらくドーナツ食わないかも知れないけど、そんなことより重要なことがある。これからしばらく同居するってやつがうじうじしてる方が空気悪くてやり辛いという問題がな」
その言葉を聞いて、ようやく心のつっかえが取れたのか、笑顔で返す。
「そっか、それもそうだよね! じゃ、バニラのやつねー。後調味料もいくつか買い足して、シャンプーも切れてたよね」
「ああ、だけどお前が買ってるの少し高いのよなあ。前まで、髪質とか別に気にせずに俺のやつ勝手に使ってた癖してよお」
空気感がいつものように戻っていった。だけど、この時俺は気付くべきだったのだ。翼にしては感情の切り替えが妙に遅いことに。
そしてここからは、ちょっとした幕間だ。語り手は妖怪変化のオーソリティー忍野メメ。
場面はドーナツチェーンでしっかりと場に残されたドーナツを食べきってから、店を出て学習塾跡地にもどるところ。
いやあ、
この時点で僕ができることはもうないかな。この街の怪異のバランサーとして、そこまで重大な案件でもないようだし。あの天野くんという少年が委員長ちゃんの心をたっぷり満たしてくれればその内に治まるでしょう。可哀そうだけど、阿良々木君には犠牲になってもらうしかない。
着慣れないネクタイを緩ませつつ、そんなことを考えていると
─────しまった。やらかした。そう言うことか、僕はこの怪異を勘違いしていた。
ブラック羽川なんて名付けたが本質は違う!
なんとか学習塾跡地に戻って阿良々木君にこの事実だけでも伝えなくてはいけない。
今回の起点は、阿良々木君のところのブラック羽川……否、
「にゃあ、忍野さん。こんばんは、良くもさっきはあんなことをしてくれたにゃあ。さっそく、お礼参りに来たのにゃ」
目の前のメガネをかけた、三つ編みの猫耳女子高生に戦慄をしながら、この動揺を悟られないように。できるだけ、皮肉ったようにこう告げる。
「あらら、委員長ちゃん。随分とまあ、元気がいいねえ。何かいいことでもあったのかい。例えばそう、愛しの彼氏に慰めて貰えたとか?」
そうしてこの出来事は影へと隠れる。日常に生きる高校生たちには知られることもなく。
全参加者が複数回の対戦を行うが総当たりではなく、勝敗数に応じて同じ程度の実力者と当たり続けて、一度当たった相手とは再戦しない規則に則った形式の方式で最も勝利数が多い者が優勝となる。
1895年にスイスのチューリッヒで行われたチェス大会にて初めてこの方式を採用していたことに因んで名付けられた。
ご拝読いただき感謝です。
因みにこの天野くんと会っている羽川翼は、
まあ、4月29日に天野くんが知らない何かがあった事は確かですね。
のんびりと次回を待っていただければと思います。
(003までのあとがき)
次回からは阿良々木君視点のつばさ
理由としてはラバーズを続けて読むより、ファミリーを一旦挟んだ方が面白くなると思ったためです。
ラバーズの続きはファミリーの内容がキリの良いところまで進んだらと考えています。
二重の裏面、拙作主人公がイチャついている裏で阿良々木くんはどのように過ごしていたのかを描いていきます。
(006までのあとがき)
追記
感想がもらえないのはもどかしいので
何でもいいので感想を頂けると反応で作者のモチベーションに繋がります。
この作品好きでも、この主人公良いねでも、羽川変わりすぎぃとかでもモチベーションになりますので、何卒。何卒……。
また、「ここすき」にて好きな部分や西尾節を感じるところや気になった部分を示して頂けますと
今後、その部分についての深掘りについても考えますので、気軽に「ここすき」もお願いします。
今後の投稿形態について次の内から最も好ましいものを選択ください。(今後の投稿形式の参考とさせていただくだけであり、必ずしも最も票を集めた回答に合わせるものではありません)
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最新話章3話分、総集編合併の形式(現行)
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上記+全話各項番単話形式へ変更
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最新話章6話分、総集編合併の形式
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上記+全話各項番単話形式変更
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今までの項番3つ分ずつ投稿
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項番3つ分+最新話章3話分
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項番3つ分+最新話章6話分
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作者さんのやりやすい方で(無回答)