苦難の陳述者?ふざけた名前だな! 作:人事プロファイル
「悩み事……ですか?」
資料を読む手が止まる。今日の補佐であるマルベリーが、心配そうな目でこちらを見ていた。
「なんか独り言でも言ってたか?」
「あ、いえ……深刻そうな顔を、していたので……余計なお世話でした、すいません」
「いや、謝ることはねえよ。ちっとな、人に渡すプレゼントについて考えてたんだ」
「プレゼント、ですか?」
「だから深刻ってほどじゃない。一般的に見ればたいした悩みでも無いしな。あるだろ? 文字だけ抜き出せばなんてことない悩みなのに、本人にとっては一世一代の大勝負みたいな顔してること」
「あう……耳が痛いです」
困ったような笑いを浮かべて整理された書類を渡してくる。彼女の悩みも、本人にとっては重大で、数多くの人にとっては些事に思えることだった。それでも、今となっては笑って流せるくらいのものに落ち着いたのだろう。
□tips□
「あー、後方支援部への転属をしているのはお前か。マルベリー」
「ひっ……」
執務室に呼び出したリーベリは、これから巨大な感染生物に食べられる小鳥のように震えていた。無理もない。転属届を出したのに、呼び出された先にいるのが人事の責任者。しかも顔のいかつい大男だ。俺が彼女の立場だったとしても恐怖する。
「ま、そこに座ってくれ。人事課として、少し話がしたかっただけだ」
「ひゃ、ひゃい」
椅子に座らせてホットココアをカップに注ぐ。座るだけの動作でもスッ転びそうな様子は見てて痛々しい。ドクターのお願いが無かったら、俺は三秒で転属願を受理していただろう。
「戦闘オペレーターをやめたくなったのは、一月前の炎国での暴動がきっかけか?」
「……はい」
質問に彼女は青褪めたまま頷く。こうして話をするにあたって、ある程度の内情は既に調べ終えていた。
一月前に炎国のとある地域で起きた天災は、そこに住んでいた人々を別の場所へと追いやった。問題だったのは、そこの集落が元々感染者を多く含んでいたことだ。差別意識の強い他の都市の人々。被害者意識の強い難民達。ギリギリまで張り詰められた糸は簡単に切れてしまう。その被害を最小限に抑える為、ロドスは介入を決定した。
結果、大規模な衝突は辛うじて免れた。多くの人々が救われただろう。作戦は成功したと言える。その代償としてロドスの職員三名が大きな怪我を、一人は重い後遺症を負った。
マルベリーは医療オペレーターとしてその作戦に参加していた。炎国の災害救助組織から派遣された彼女は多くの知識でもってロドスのオペレーターを助けている。居なかったならば、被害は拡大していたに違いない。
厳しい自然や源石災害は彼女にとっては日常と同じ。感染者への弾圧は立ち向かうべき問題。それらに対しては彼女は歯を食いしばり立ち向かった。
だが、寒冷地域での過酷な救助活動を行い、優れた能力を持つ彼女でも、耐え難いものがそこにあった。
「
感染者だからといって一枚岩ではない。むしろ、被害を受けた集落は内部で派閥争いが起きていた。より良い待遇を受ける為に、より人間として扱ってもらう為に、隣人を引きずりおろし、媚びへつらう。何処にでもある人間の悪意。
元々、引っ込み思案な彼女はロドスでもコミュニケーションを十分に取れておらず、友好的ではあっても孤立しがちだった。そこに感染者集落の両派閥が揉み手をしてすり寄ってくる。ロドスからの支援を貰おうとして、同じ炎国人である彼女を狙ったのだろう。彼女の精神的な苦痛は如何程だったのか、それを窺い知ることは出来ない。性根が優しければ優しい程、板挟みになって息ができなくなる。ロドスが持つ資源はけして潤沢ではないのだ。そして彼女が上手く対応できなかったことは、報告書から分かっている。
「悪意……じゃ……ない、です」
「ん?」
何気なく発した言葉に反論が返ってきて、瞬きをした。目尻に涙を浮かべた彼女の瞳が、真っ直ぐこちらを見据えている。
「ひっ、すいま……せ、でも……その悪いんじゃ……なくて。その……」
「……いや、良い。言いたいことは分かる。彼らは皆、生きることに必死だっただけだ。そこに悪意も善意も無い」
誰かを貶めることは悪意でも、その根底にあるのは生きたいという根源的な欲望だ。それを否定することは、ある意味でロドスの信念そのものを否定することになる。だが、マルベリー自身からその言葉が出てくるのは予想外だった。てっきり、彼女が折れそうになっている原因はそこにあると思っていたのだが。
「謝罪しよう」
「えっ?」
「マルベリー。お前は俺が想像しているより遥かに理知的で優れたオペレーターのようだ」
「あ、ありがとう、ございます……?」
「だからこそ、一つ教えてくれないか。彼らの努力を理解し、間違った認識を正せる勇気を持ったお前が、後方支援課に異動したい理由を」
「それ……は、その……」
マルベリーは言いにくそうに体をくねらせる。
「その、人と話さなきゃいけないこと、多くて……私じゃ上手く、言えないから、向いてない……」
「…………」
開いた口が塞がらないとはこのことか。それは彼女が異動したいという理由が、傍から見れば冗談に思えるような、人付き合いが苦手だったからではない。人によって問題が持つウェイトなどまるで違うのだから、そこの是非を議論する意味は無い。
「えーと、一つ訂正と忠告をしておこう」
「へ?」
だけど、これは流石に言っておかないとならないだろう。
「後方支援も前線以上に人と話すことが多いぞ」
「え、え?」
「人事部に入ったオペレーターがまず最初に任せられるのは受付窓口だ。オペレーターがみんな適切な書類を用意できるわけじゃないからな。受付で相手が何をしたいのか聞いて、対応する技術を磨かなきゃならない。知っている顔ばかり来るとは限らないぞ。百人以上抱えている企業だからな。初めて会う奴も居るだろうし、俺以上に無愛想な奴も居る。作戦地域なら現場の判断で強気に出ることもあるだろうが、この船の中で同じようにできるか?」
「あ、あう」
「経理部は簿記に回されれば多少楽かもしれないが、それでも使途不明金だの謎の経費申請だのやらかしてくれる奴らとメンチ切って話す必要がある。たとえばニェンなら同郷だし多少面識があると思うが、あれが火鍋の材料を経費申請してきたとき、どうにかして丸め込まなきゃならないんだぞ」
ニェン、クロージャ、カシャの三大厄介オペレーターは経理部では写真を壁に貼ってナイフを突きつけられるレベルで恐れられている。
「少し畳み掛けるように話した。だが、後方支援ってのは毎日こうやって押し切ろうとしてる奴らと戦っている場所だってことは理解してほしい」
経理部のベテランなら三倍量の正論で殴り返してきたことだろう。彼女が内気な弱点を直して強みに変えたいというのならともかく、先程の理由ではむしろ問題は悪化してしまう。
なるほど、ドクターが俺に投げるわけだ。ドクターが説明したのでは、言葉巧みで逆に伝わらない。ケルシー先生はコツを掴まないと何言ってるか分からない時がある。どっちもあしらうのは上手いが、もはや天性のものだ。
「その客観的な事実を踏まえた上で、これは俺個人の感想だが。お前は前線の方が向いているだろうよ。状況の把握能力と咄嗟の決断力。医療を基準とした豊富な知識。口下手を補って余りあるスキルだ。それがあれば、本来助けられなかったであろう人も救える」
「……その、異動願ってもう少し待ってもらったりって、できませんよねやっぱり」
「棄却しておく。本当に駄目だったらもっかい持ってこい。これで話は終わりだ」
「あっありがとうございます」
彼女の表情は、少しは気分が楽になったように見えた。
「……はぁ」
彼女が立ち去った後、甘いココアを飲み干してインスタントのコーヒーを代わりにカップに注ぐ。
彼女だけに重大な問題としてのしかかったコミュニケーション能力の欠如は、予想外のところからその信念を殴っていったのだろう。
炎国での事件を彼女は悪意ではないと言い切った。それは事実だろう。だが、もしも。純粋な悪意に晒されていたとしたら。今のような話で彼女を思いとどまらせることが出来ただろうか。
「……杞憂か」
考え過ぎは悪い癖だ。それでも、目に見えない悪略に気分は酷く落ち込んだ。
或いは鉱石病より深刻な問題