苦難の陳述者?ふざけた名前だな! 作:人事プロファイル
「あら? 珍しいお客さんね?」
温室に入ると様々な花の匂いが、親を見つけた子供のように飛び込んできた。しゃがんで土を触っていたヴァルポの女性が、こちらに気が付いて立ち上がる。
ロドスが持つ療養庭園と呼ばれる温室は、この船でもっとも重要な施設の一つだ。それは、メンタルケアを一手に担っている療養施設だから。鉱石病の症状には有害な精神汚染も含まれている。狂気的、と言うと乱暴な言い方になってしまうが、不安定でコミュニケーションが難しいレベルの患者も少なからず存在している。先生やワルファリンにカウンセリングの心得が無いとは思わないが、やはりあの二人は研究者肌で、そして指導者だ。個々のケアまでは手が回らない。
だから、目の前にいる彼女は、その二人に並ぶ医療貢献者と呼んでも過言ではないだろう。
「どうも、パフューマー。ドクターから話は行ってると思うんだが」
「ええ、聞いているわ。少し待ってね。手入れが終わったら、ハーブティーを入れましょう」
「その間、温室を見て回っても?」
「構わないわ。でも、怖がりな子も居るから驚かせないであげてね」
「善処する」
彼女の作業を見ても、土を触っているとか葉を眺めているようにしか見えない。その動作に込められた意味を理解していない以上、手持ち無沙汰だ。暇潰しがてら、一周ぐるりと回ってみよう。
療養が目的である以上、ここにある植物には全て薬効がある。しかし色鮮やかな花びらを見ていると、観賞用としても楽しめる。ロドスが観光施設だったならば、さぞ人気スポットになっただろう。中には俺の胸元くらいの高さまで伸びている草もある。パフューマーの背丈で世話するのは大変なのではないかと、それは要らぬ心配か。
「香り……違うのは分かるけど、どれが良いかとか全然分からねえな」
手に取りやすい位置の花に顔を近づけてみる。ジャスミンだのラベンダーだのは聞いたことがある。聞いたことはあるが、それがどういう香りなのか分からない。まだ利き酒の方が慣れている分見込みがある。
フィアメッタはどんな香りが好きなのだろうか。考える程ドツボにはまっていくようだ。そもそもあいつは普段香水なんてつけていただろうか。思い出そうにも匂いなんて覚えていない。
かさ、と足音がした。視線を向ければ、逃げるように去っていく少女の後ろ姿が見える。金色の髪でフェリーンの耳。たぶん、ナイトメアだろう。彼女の特異性はプロファイルでも目を惹く記述だった。パフューマーの働きが認められたのも、ナイトメアのケアがきっかけだったしな。パフューマーを探しに来ていたのだろうか。それで見つけたのが見覚えのない角男なんだから運が悪い。
順路と思しき通路を回っていった後、パフューマーは元の場所からそれほど離れていない場所に居た。
「どう、楽しめた?」
「新鮮ではあったな」
野草を食って命を繋いだことはあったが、その種類まで気にしたことは無かった。毒草だろうが、腹に入れば同じ、とは流石に言い過ぎだが、知識がなくても栄養さえ取れれば生きていけたからな。
「そう、それは良かった。ここはいろんな人が来る場所じゃないから、来た人には素敵な気分になってほしいもの」
「この場所の重要性は一般に知られてなくても、ドクターや先生が分かっているから大丈夫だと思うがな」
「ええ。そもそもこの庭園は、ドクターくんが勧めてくれたのよ」
「そうだったのか。そいつは初耳だな。稟議書の責任者名には最初からパフューマーの名前があったと覚えているが」
「あくまで提案だもの。カンレイくんは私より昔から居るから知ってると思うけど、昔の庭園はあまり良い場所じゃなかったでしょう」
「……まあな」
療養庭園の主と言えば、皆がパフューマーだと答えるだろうし、実際全権を握っているのは彼女であると言っていい。だが、彼女は発展させた貢献者ではあっても、創始者ではない。
「touchはお前が発展させてから庭園に来たことはあるのか?」
「ええ、一度だけ。丁寧な感謝の言葉を頂いたわ。それと謝罪も。仕事の都合だから仕方がないのに」
「まあ、それに関しては俺のせいとも言えるから申し訳ないな」
touchも余裕があったのならパフューマーの良きアドバイザーとして庭園に関わりたいことだろう。外勤小隊の指揮官に任命して、庭園を放置させたのは差配した俺の落ち度である。彼女の指揮能力と調査任務が優秀な者であり、その差配が間違いとは思っていないが、庭園のことを軽視していたのもまた事実だ。
「でも、彼女も今の仕事は自分が一番有効だから仕方ないって。あなたを責めるようなことは言ってなかったわよ」
「それは救いだな。陰口を叩かれていたなんて聞かされたら、彼女の査定に影響を及ぼすところだった」
冗談にパフューマーもくすくすと笑う。
「そうそう。ここに来てくれた理由を忘れるところだったわ。談話室があるから、そちらで話を聞きましょうか」
「ああ、よろしく頼む」
彼女の後について庭園を出る。温室という名の通り湿潤な環境だったから、外に出るとすっと乾いた涼しい風を感じた。連れてこられた場所は談話室と呼ぶには小規模で、休憩用のテーブルと呼ぶ方が相応しく思えた。常在するオペレーターの人数を考えれば、二、三人座って休めれば十分なのだろう。
「どうぞ」
パフューマーが淹れてくれたハーブティーはすーっと鼻に抜けるような香りがした。この香りには覚えがある。モヒートを作るときの香りだ。
「ミントか」
「ええ。それとレモングラスをブレンドしたものよ」
「レモン? 柑橘類もハーブティーになるのか?」
「いいえ、レモングラスは香りがレモンに似ているけど立派な香草なの」
飲んでみると爽やかな甘みが広がる。ハーブと聞いて苦いのだろうかと緊張していたが、そうでもないらしい。
「ふう。お願いの確認してもいい?」
「ああ。認識合わせを忘れて後で食い違っても困るしな。その……人にプレゼントする香水を頼みたいんだが。香水というものに疎くてな」
「プレゼントね。とっても素敵なことだと思うわ。その子が好きな香りが分かれば一番なんだけど」
「好きな香り……チェリー、は味の好みだな。それにハーブでもない」
「甘いものが好きなのかしら」
「それは間違いないな。スイーツにはうるさい奴だ」
「じゃあ、甘い香りをベースにしましょう。パルファンとオーデコロンだと、どっち寄りが良いかしら」
「パル……なんだって?」
「パルファン。そうね、香水の強さって考えて。パルファンに近いほど濃く長く香りが続くの」
「強さか……」
「好みが分からないなら、カンレイくんのイメージでもいいわよ?」
フィアメッタから強い香りがするイメージは無い。ただ、ふとした瞬間にふわりと感じるときがあるような、そんな気がする。それは、いつも言葉が荒かったり、態度がふてぶてしかったりするあいつが時々見せる優しさのようなものかもしれない。そこまで考えて、だいぶ自分が気持ち悪い思考をしていると自虐する。
「おーでころん、とやらだな」
「うんうん、分かったわ」
「悪いな。抽象的な注文ばかりで」
「香りを考えるのは私も好きだもの。苦にならないわ。でも、カンレイくんこそ、私の作った香水で良いの?」
「どういう意味だ?」
「私が作るものよりも、市販されている高級品の方が良いんじゃないかなって。もちろん私も出来る限り品質は高めるつもりだけど。香水作りのプロってわけじゃないし」
「ああ、それは少し考えたんだがな。まあ、俺側の勝手な都合だ。気にしないでくれ」
あまりに恥ずかしくて、答えることは難しい。
プレゼントするなら、特注品を渡したい。その香りが、俺からのプレゼントだって思い出してもらえるようにって。そんなの、初心過ぎるだろう。
モヒートはだいぶ好きなカクテル