苦難の陳述者?ふざけた名前だな! 作:人事プロファイル
「なあ、俺はサリアが来るって聞いていたんだが。お前がここに居る理由を聞かせてもらえるか?」
浮かんでいる感情は、困惑と警戒、それと少しの苛立ち。その矛先は、目の前の彼女に向けたものだ。今まで出会ったどの種族とも違う特徴を持った彼女は、真意を読み取りづらい笑顔で答える。
「だって、サリアは倫理委員会の仕事で忙しいみたいなの。あなたも補佐が居るに越したことはないでしょう? だったら、その相手が誰かなんて些細な問題だと思わない?」
「その答えはサリアが来ない理由にはなっても、お前が居る理由にはならないな。忙しさ、という観点ならお前程忙しい人間もそう居ないと思うが、ライン生命生態課主任殿?」
エルフの女性、ライン生命の重鎮が一人であるミュルジスは、イタズラのバレた子供のように、書類で顔を隠した。
「あなたに興味があるから、と言ったら信じるかしら?」
「信じはするだろうな。ただし、それに対する答えはこう」
中指を立てて分かりやすい※クルビアスラング※で返す。
「ライン生命関係者の言う
「だったら残りの一パーセントにも目を向けるべきだわ。科学者はその一パーセントに未来を見出す生き物なんだから、同じ視点に立たないと」
「俯瞰して物を見ろ、ってのが信条でね。まあいい。出ていくつもりは無いようだ」
苛立ちを抑えきれず、書類の角を乱暴に整えた。
□tips□
「あんな警戒心バリバリだったのに、仕事はちゃっかり手伝わせるのね」
誰かが座っていることが当たり前になり始めたサブデスク。普段より気持ち多い書類の山をミュルジスはてきぱきと処理していく。
「お前が自分で言ったんだろ。この業務には補佐が必要で、それが誰かは些事だって。それとも、ライン生命のお偉いさんは下っ端のやるような事務仕事は嫌いか?」
「好きとは言えないわね。だってあたしは会社員であるよりも先に研究者だもの。研究者の最も嫌いな時間は、興味のない論文や資料を読むことなのよ。それこそ秘書や弟子に全て任せてしまうなんて人も多いんじゃないかしら」
他のライン生命に関わるオペレーターを思い浮かべるに、彼女の言は正しそうだ。マゼラン、メイヤー、ドロシー、アステジーニ。どいつもこいつも仕事を任せた三分後には自分の研究に逃げ込んでそうだ。サリアやサイレンスのような真面目な研究者の方が珍しい。
「学の無い人間からすれば、好き嫌いの激しいお子様の言い分だ。もしかして勉強すると幼児退行するのか? だとしたら権力者が教育に力を注ぐのもよく分かるな。大人は少ない方が扱いやすい」
「それはあたしとは違う意見ね。子供の方が、癇癪を起こした時に何をするか分からないもの。でも、子供は想像力に満ちた存在よ。科学者の目指すべき指標の一つにしても良いくらいね」
「……なるほど、倫理委員会が必要になるわけだ」
脳内に保育士の格好をしたサリアが浮かんで、あまりの似合わなさにかき消した。論理の通じない子供に頭でっかちに正論を叩きつけて泣かせる姿しか見えない。彼女は調教師や刑務官の方がずっと適役だ。
「それにしても、結構な量ね。判子を捺すだけの仕事にこんなに時間が掛かると思わなかったわ。それに、どうして他の人の審査を通った後の申請書なのにこうも目が滑るのかしら。一度テンプレートを作成して周知した方が良いんじゃないの?」
「見本なら受付に行けば幾つもあるぞ。それすら読まない奴らも居るってだけの話だ。書いている人間は戦闘オペレーターだからな。誰でもクルビアの高等教育を受けているわけじゃない」
「嫌味な言い方はレディに嫌われるわよ?」
「失礼、極東の田舎者はレディの扱い方なんて知らないもんで」
積み重なった問題児どもの書類をシュレッダーにかけてペンを置く。サリア程ではないが、今まで補佐に来た誰よりもスムーズに業務は終わった。
「今日の分はこれで終わりだな。幸運なことに定時終業まではまだ少し時間がある。目論見があるならそれに付き合ってやっても良い」
「あら良いの? 実験体扱いを嫌がると思ったのに」
「仕事への対価だ。逆説的に、対価以上の要求は拒絶する」
「そうね。じゃあ少しお話に付き合ってもらおうかしら。頼みごとをするのにも、お互いを知ってからだと思うもの」
ライン生命の研究者に俺のことを知られてメリットになることなんて、殆ど無い気もするがな。
「あなたに興味がある、って言ったのは事実よ。詳細に言えば、あなたのアーツ能力に」
「俺のアーツ能力か」
隠している事象ではないにせよ、新参のオペレーターが知っているものでもない。サリアから聞いたか、もしくはドクターや他の古参オペレーターから既に話を聞いているか。
「そういえば、ひそかに潜り込んでオペレーターのプロファイルを盗み見ていた不逞の輩が居たな」
「あら、バレてたの?」
ミュルジスは子供っぽく舌を出す。
「ライン生命とは提携関係にあるからな。いざという時の脅し文句として残していた」
「それならもう時効かしら」
「これからはサリアに言いつける時の脅し文句に変わるだけだな」
「……それは、迂闊なことはできなくなるわね」
彼女でもサリアを怒らせると怖いようだ。今後、何か厄介事に巻き込まれそうになった時にカードとして使わせてもらおう。
「で、俺のアーツがどうしたって? 便利ではあっても、研究者が目を向けるような特異性は無いと思うが」
「アーツ学の研究者にとってはそうでしょうね。彼らが興味を持つのは他人へ説明することが不可能な、そして再現性の無い奇妙なアーツでしょう。それか、サリアが使うような、緻密な操作技術と知識が両立しなければ実現しないようなアーツ」
「先生やワルファリンの話を聞くに、俺のアーツはあくまで身体強化と医療用アーツの延長線上だ。
「そうね。でも、あたしが考えるにあなたのアーツはもっとすごい部分にあると考えているの。あなたも自分で考えたことはあるんじゃない? 解毒と呼ぶには、範囲が幅広いでしょう。あなたのアーツは即ち、生存活動への最適化と呼ぶ方が近い。十分な熱量さえあれば、栄養素が不足していても自身で適切な状況に整えてしまう。フィジカルの不調はあなたにとっては無縁のものなんじゃないかしら」
実際、その話はガウィルからされたことがあった。お前の体は不健全なまでに健康的すぎると。ワルファリンに指摘されたこともあったが、健康で困ることはないと彼女はそこまで気にしていないようだった。
「で、それがどうした」
「トリマウンツであった出来事の報告書を読んでいるのなら察しはつくんじゃない? あたしの研究目標は、大気圏外でも生存できる環境の作成にもあるわ。もしあなたの最適化を一般化することが出来れば」
「宇宙環境で人間が活動することも可能になると。そりゃ夢のような話だな。夢のようで、まったく現実味がない」
俺には、便利ではあっても万能なものには思えない。
「好きな相手に触れることすら憚られるんだ。最適化なんて言われても欠陥品だよ」
「え、なに好きな相手が居るの?」
食い気味で身を乗り出してくるミュルジスに身を逸らす。
「お前なんでアーツよりそっちに食いつくんだよ」
「恋の話は誰だって聞きたいに決まってるわよ。誰なの? あたしの知ってる人かしら。もしかしてサリア?」
「んなわけあるか。これ以上は対価切れだ」
「何々、どうしたら話してくれる?」
なおも食い下がってくるミュルジスを見てこう思う。研究対象を見る科学者より、トークに飢えた女の方が、よっぽどしつこいらしい。
あと二話か、三話くらいでメインストーリーは終わるんじゃないかと思います