苦難の陳述者?ふざけた名前だな! 作:人事プロファイル
覚悟ってのは、一度固めてもすぐに揺らいでしまうものだ。
四月三日。隣の机ではフィアメッタがいつも通りの不機嫌そうな顔で書類を処理している。お互い、誕生日がどうとかいう話はしていない。まあ別に、あいつが俺の誕生日なんか気にしているとは思っていないし、俺が過剰に気にしすぎているだけなのは分かっているんだが。
チクタク、チクタクと時計の針が動く音がやけに鮮明に聞こえる。時間が進んでいくのは早いのに、手元の仕事は遅々として進まない。定時の鐘が鳴っても、目の前の書類はまだ残っていた。
「ごめん、ちょっと席外すわね」
フィアメッタが立ち上がって執務室を出ていく。タイミングを逃したかと思ったが、あいつの机にもまだ書類が残っているから、帰ったということはないと気を落ち着ける。ポケットに忍ばせていたボトルを握りしめる。パフューマーに作ってもらった香水。改まって渡そうとするのが、こんなに難しいことだとは思わなかった。全部伝えると、俺が持っている好意も、感謝も。全部言葉にしようと覚悟していたのに。じらされるように時間が経つだけで不安に塗り潰されていく。
──想いっていうのはね。言葉にしないと伝わらないのよ。私はそれに気が付いたときには、もう声は届かなくなっちゃっていたけど。
ミュルジスが先日言っていた言葉が頭を過った。トリマウンツで起きた事件については、報告書でしか知らない。だけど、実感を伴った言葉は深く心臓を突き刺した。
ドアが開いた。拳を握り締めて、出そうとした声がゴトリという音で詰まる。俺の用意した香水よりも少し大きめのボトル。顔をあげると、目線を合わせてくれない彼女の姿。
「こいつは?」
「アロマオイル」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「誕生日」
「……マジか」
何よりまず信じられないという気持ちが来て、うっかり口を滑らせてしまった。とたんにきっと睨みつけられる。
「何よその反応」
「あいや、すまん。嬉しい。ありがとう。ただ、ちと話を聞いてくれ」
眉を顰める彼女に、皮肉を言う余裕もなく平謝りする。それからポケットのボトルを取り出して、フィアメッタがくれたボトルの隣に置く。
「それは?」
「香水」
「分かってて言ってるでしょ」
「プレゼントだよ。誕生日おめでとう」
フィアメッタがわざとらしく大きなため息を吐く。
「あっきれた。道理で仕事に身が入っていないわけだわ。ちらちらこっち見て、渡すタイミングでも計ってたのね」
「お前だって似たようなもんだろ。机にまだ仕事残ってんぞ。そわそわ時計見てたじゃねえか」
睨み合って、こらえきれず笑う。様子を窺って、滑稽だ。俺もこいつも、不器用で不愛想にも程がある。
「よりにもよって香り系で被るのは笑うだろ」
「仕方ないじゃない。あなたがアクセサリーなんてつけている姿は浮かばないし、服なんていつもロドスの制服だし。食べ物だったらプレゼントなんて回りくどい真似をするよりも、連れて行った方が早いじゃない」
「考え方まで一緒かよ。ほんとに不思議なもんだ」
サプライズのつもりが、サプライズを先にされてしまった。だけどプレゼントで終わろうとは思っていなかった。
「なあ、プレゼントついでに一つ言って良いか」
「私に可否を聞かなくても、必要なら勝手に言うでしょ。今更許可なんて取らないでよ」
「それもそうだ」
すう、と息を吸い込んだ。
「フィアメッタ。お前が好きだ」
吐いてしまった言葉はもう取り返しがつかない。
「たぶん、いや間違いなく恋愛的に。気持ちに応えてほしいとは言わない。俺は感染者だから、お前よりずっと早く死ぬことになるだろうし、触れることだって、本当は避けなきゃいけないことも分かっている。ただ、知っていてほしかった。お前を好きな奴がいるって。不愛想で、乱暴で。でも面倒見が良くて意外とドジで。そういうとこが途方もなく魅力的なお前に恋していた奴が居たってことを。記憶の片隅に残していて、ほんの時々でいいから思い出してほしいんだ」
肺に溜めていた空気を全部使いきる勢いで、一息にまくしたてた。どこかで止めてしまえば、自分の臆病さが続きをせき止めてしまう気がした。言ってしまえば、どうしてこんなに体を強張らせていたのたのかという気持ちになる。この数か月、ずっとこらえてきたのが馬鹿みたいだ。
「なんか、言い逃げみたいになっちまったな。アロマオイル、ありがとうな」
「言い逃げだって思ってるなら最初から言うんじゃないわよ」
「そりゃ正論だな。まあ戯言と切り捨ててくれたら良いさ」
「はあ……ちょっと耳貸しなさい」
言われるがままに顔を寄せる。両手で頬を挟まれ、ぐっと引き寄せられた。
「なんっ……」
疑問をあげようとした口が塞がれる。柔らかい感触。
フィアメッタの紅玉のような目がすぐ目の前にある。赤くてきれいな目が潤んで、糾弾するように俺を見ていた。目を離すことができない。目を瞑ることが禁忌のように思える。今、起きていることをすぐには理解できなかった。
「ぷはっ」
数秒、息が止まりそうな時間の中、彼女の顔が離れていく。あっけに取られていた心がようやく動き出した。
「お前、何やって」
「分かってるわよ。感染者とキスすることが、どういう意味かってことくらい」
彼女は頬を赤らめて、唇をきっと強く結んでいた。鉱石病は粘膜接触による感染があり得る感染症だ。実際のところ、人体同士の接触感染はレアケースで、それこそ口づけ程度では感染することはまず無いらしいが、ゼロと一には甚大な差がある。実情よりも、その行為が持つ意味はずっと大きい。
「あなたね。好きでもない相手をわざわざスイーツに誘ったり、晩酌に肴持ってきたりすると思ってるの?」
「そりゃ、嫌われてないとは思ってたけど。それを恋慕と結びつけるのは思い上がりだろ……」
「鈍感だものね」
「悪かったな」
会話してるだけなのにどっと疲れた気がする。というより、気がまだ動転している方が正しいか。今でも彼女の唇の感触が残っている。昔読んだ漫画か何かで、キスの味はレモンだったりイチゴだったり例えられていたような覚えがあるけれど。現実は少しだけ、鉄の味がした。
「前にも言った気がするけど、見てて不安になるのよあなた。自分じゃ気が付いてないだろうけど。アーミヤやドクターと同じタイプよ。勝手に背負い込んで、一人で傷ついて。あなたにはアーミヤみたいに人を惹き付けるカリスマもないし、ドクターみたいに支えてもらう愛嬌も無いでしょ」
「言い方が酷過ぎるだろ」
「あなた自身が支えてもらうつもりもないじゃない。むしろ負担にならないよう避けてる」
「……そんな大層な思惑じゃねえよ」
「じゃあ頼るのが下手」
彼女の声は少し、震えていた。その震え方は、俺が彼女に過去を話した時とよく似ていた。
「覚えていてほしいって言うのなら、あなたも覚えていてよ。あなたと飲むお酒が、一緒に食べるスイーツが好きな人が居るってことを。あなたが居なくなったら悲しい人だって居るの」
「……悪かった」
こんなに思われているなんて、知らなかった。生きるのが下手くそな自分に構ってくれていたのも、好き勝手なこと言って困らせてきたのも、彼女なりの優しさだと思っていた。それが、最悪な形の勘違いだったことは彼女の頬に流れる涙が雄弁に語っていた。フィアメッタの涙を見たのは初めてだ。彼女は強い人だから、どんな時も泣くことは無いと漠然と思っていた。それが、自分のせいで泣いている。
「ねえ」
目元を拭って、彼女が言う。
「一つって言ったけど、今の言葉で終わりなの?」
「……お前はほんとに。俺が腹決めてようやく出来たことをいつも超えてきやがる」
これで言わなかったら、俺は最低の人間になっちまう。もう逃げたりはしないって決めたんだ。好きな人を泣かせて、逃げるわけにはいかない。
「……改めて。お前が好きだ。恋人になってほしい。記憶だけじゃなくて、お前のそばにずっと居させてほしい」
「……遅いのよ、馬鹿」
そして、今度はさっきよりずっと、深くて長い口づけを交わした。
【第四資料】
あの子は変化がきっと大嫌いなんだと思う。アーツの影響かまでは分からないけどね。もしかしたら過去の出来事がそうさせているのかもしれないし、あの事件のせいかもしれない。チェルノボーグの件は……あの子の頑なさを助長する結果にはなったと思うけど。だから、不安なのよね。変化を嫌うってことは前に進むのも嫌がるってことだから。誰かがあの子の手を引っ張ってあげられたらいいんだけれど……え? 恋人がいる? 待ってその話私聞いてないんだけど。どこの誰? ロドスに居るの? カンレイの奴、私に何も言わずにそんな面白いことしてるなんて信じられない! 今度会ったら逃がさずに全部聞き出してやるんだから!
──エリートオペレーターBlaze
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次回、最終回