魔王、辞めさせられました~え?勇者に負けたの我のせいじゃなくない?~ 作:アメリカ兎
魔界。全人類にとって未開の大地であり、唯一の繋がりとも言える物は「門」と呼ばれる存在だけだった。
その「門」が一体いつから存在しているのか。なぜ人間界に通じているのか。その謎を究明する者は魔界において存在しなかった。
何故なら、創成期より魔界とは王を自負する者たちによる領土争いの場となっていたからだ。
トーチの肩に腰を降ろしながらまだ見ぬ人間界への旅路を心から愉しみにしている魔王ですら例外ではない。
魔界門の管理権限とは、それ即ち人間界の支配権に他ならなかった。かつては魔界も魔王同士の衝突が頻発していたが昨今の情勢は落ち着いている。その中でも異彩を放つのは、刃魔卿スレイヴによる行軍だ。領土を奪うでもなく、魔王の命令で動いているわけでもなく、ただ己の刃を研ぎ澄まし、戦利品の略奪のためだけに侵略行為を繰り返している。それが結果として、魔王の風評に繋がっていた。
執事サルバトーレはそんな魔界において唯一のエルフであり、長命の種族である利点を活かしてこの魔界の歴史を記録している。魔王城の書斎にあるのはほとんどが執事サルバトーレの著書だ。
魔界の景色は、魔王が生を受けた頃より何も変わっていない。時代と情勢だけが変わっていく。
世界を覆う赤黒く分厚い雲。赤く染め上げられた大地。枯れ枝のように細々とした植物からは萎びた花弁が開いていた。生憎と魔王は戦闘専門なのでそれがどういった植物であるか知識は備えていなかったし、興味も微塵もない。
「つまらん時代になったものよなぁ……」
『ンゴ?』
「今や魔界の王たちは自らの領土の統治と臣下を掌握すべきか、内政にばかり目を向けてわれはまったくつまらん! 面白くない! 時代にそぐわぬ、等とわれの知ったことか! われはたーたーかーいーたーいー! そうは思わんかトーチ!」
『ンゴンゴ』
トーチはその寸胴な体型のどこにあるのかわからない首をしきりに縦に振っていた。
魔像生命体であるゴーレム。その中でも魔界に満ちる
子供の描いた落書きのようなずんぐりむっくりな体型。足は短く、腕は地面に届きそうなほど長く、太い。魔王城でも庭師としての役割を果たしていたが、同時に魔王親衛隊のひとり。
こうした遠征に赴く際は移動の足にもなる。魔王の感覚としては臣下であるというよりも、ペットに近い。ある程度の自我も備えているが、何分、のんびりとした性格だからか魔王軍の中では小馬鹿にされていた。
「う~ん、なんかそう考えたらますますひと暴れしたくなってきたな! いや、待てよ? サイストの奴が敗れた、ということは魔界門を出たら即座に勇者と対面するかもしれんというわけか。なにかこう、魔王っぽいことすべきか? どう思うトーチ」
『ンー』
「ふむそうか。わかった」
低く唸るトーチの言葉に、魔王もまた頷く。
とりあえず魔界の王らしく堂々と胸を張っていればいい! 解決! ──ということにした。
──魔界門を監視している前線拠点。拠点とは名ばかりの場所では、魔物達が思い思いの生活を過ごしていた。魔王の領地に存在している唯一の魔界門であるがここ数百年の間、勇者による侵略行為は行われていないことから中間管理職の左遷地として名高い。……だが、今は違う。
四天魔最弱の鬼牙族。最強種のオーガが討たれた。その訃報によって混迷を極めている。
勇者が来るぞ、と魔物たちは恐怖に怯え、パニック状態に等しい惨状を目の当たりにして魔王は深く落胆の声を挙げた。
「貴様らそれでも魔界の者達か……?」
『ンーゴー』
「はぁー、情けない。こんなのがわれの臣民と思うと泣きたくなってくる」
崖から飛び降りるクレイゴーレムの姿に気づいた鬼牙族達は、さらにその肩に降りた魔王の姿を見て激しく狼狽する。
漆黒の鎧に金の装飾。魔界の中でも純度の高い魔晶石をふんだんに用い、あらゆる属性の魔法防御耐性を備えた逸品は素人目に見たって格の違いが肌で感じ取れる。
『ま、まま魔王様!? なぜ魔界門にまで……まさか、魔王様自らがご出陣を!?』
「ちょっと人間界に遊びに行ってくるだけだ! サイストが討たれただけでなんだその狼狽えぶりは!」
『しかしサイスト様は我ら鬼牙族の中でも最強の──』
「純粋な腕力だけであればな! だがそれだけだ! だから奴は四天魔最弱の男だったのだぞ! それはそれとしてわれは結構気に入ってたが!」
『この緊急事態に人間界に遊びに!? 正気ですか!』
『そうです魔王様!』『急ぎ勇者を迎え撃つ用意を!』『それでも我らの王ですか!?』『いったい何をお考えになられて──』
「煩い」
ただ、一言。魔王の放った言葉に拠点が静まり返る。鬼牙族だけではない、様々な種族の入り混じった前線拠点の者達がみな、揃って押し黙ってしまった。
指の骨を鳴らし、首を慣らし、魔王が深く息を吐く。
「もういい。
ギチッ……、黒鋼の手甲。革の指先を鳴らして拳を固く握りしめる魔王が笑う。
不幸なことに、近くに立っていた鬼牙族は鉄拳制裁を受けることとなった。
屈強な肉体。恵まれた体格。優れた腕力。それらの堅骨と引き換えに
魔王の拳を受けた鬼牙族が砲弾のように吹き飛ぶ。顔の骨は砕け、首がありえない角度へ折り曲がり、きりもみ回転しながら岩場へ突っ込んだ図体はめり込み、崩落した岩に埋まった。
固く握りしめた拳の周囲には、赤い陽炎が揺らめく。やがて膨れがっていき、魔王の全身を覆う
『お……お待ち下さい魔王様! 自ら部下に手を下す王が何処に──』
「此処にいるし、なんなら我は既に魔王ではない。まぁこれからぶちのめす貴様らは知る必要がないわけだが。トーチ、逃げ出す者がいたら仕留めろ。生かしておくな」
『ンゴッ』
クレイゴーレムが巨腕を振り上げ、地面を叩く。大地に眠るマナに直接振動を打ち込み、トーチは前線拠点を覆うドーム状の防護壁を作り上げた。
逃げ場を奪われ、眼の前に立つ魔界の王のひとりとして君臨する魔人を前にして魔物たちは狼狽えるばかり。しかし窮地に遭って、やはり己を突き動かしたのは魔界の掟。
すなわち──汝、欲するものを奪うべし。自らの生存権を手にするために魔物たちは魔王に向けて得物を手にして殺到していく。
魔王はただ、笑っていた。己の肉体ひとつで真正面から鬼牙族の肉体を粉砕し、蹂躙し、鳥人族を足元の石ころ一つで風穴を開けていく。
『あ、ああ……あぁぁ──、!』
虐殺を目の当たりにして腰を抜かしたリザードマンが頭を抱えてうずくまる。
そうだ。思い出したぞ。と、いつか気心のしれた鬼牙族との会話が脳裏をよぎった。
──俺たちの魔王様、自分のことを魔界最強と言っているが本当のことか?
──未だ魔界で敗けたことがないらしい。だから最強なんだと。
──聞いた噂じゃ、今の城も当時の魔王から略奪したものらしい。
……だが。
誰一人として、魔王の名を知るものはいない。
ただ魔界最強の王である、とだけ広く知れ渡っている。
うずくまるリザードマンが周囲が静まり返ったことに恐る恐る周囲を見渡すと、最期まで立っている鬼牙族の足が見えた。
足首に巻かれた紐飾りは親愛の証として贈ったもの。
顔を上げる。
『お、おい。無事だっ──』
足から脛。太ももから更に見上げて、リザードマンは絶句する。
ずるり、と胴体が滑り落ちた。
なにかが“どちゃり”と音を立てて地面に赤いシミとなって消えていく。その輪郭が黒ずみ、瘴気となって降り積もる。
戦いは終わっていた。
誰一人として生かしておかなかった。魔王の信に背いた罪はあまりに重い。しかし魔王にとって忠誠心などはどうでも良かった。
魔界に生きるものとして、魔界の掟に背いたことこそが許せなかったのだ。
魔界に弱者無し。汝、欲するものを奪うべし。これこそが魔界の法と秩序であると信じてやまなかった。
「……つまらん。嗚呼くだらん。この程度だったか、我が臣民は」
手に浮かべていた火球を握り潰すと、魔王は魔界門へ向けて歩みだす。
友を殺された恨みよりも、恐怖心が勝ったリザードマンはただ地面にひれ伏す。平伏する他になかった。惨めさと情けなさが込み上げてくる、だが死の恐怖に縮こまるばかりの自分に嫌気が差してくる。涙が溢れ、だが視界の端に映った長槍を手にする気も起きなかった。
「おい貴様」
『ひ、ィ……!』
「なぜ這いつくばる」
誰もが疑問に思った。果たして本当に我らが王は、天に仰ぎ見るべき存在なのかと。
統治も
「なぜ得物を手に立ち向かってこない。亜人としての矜持はないのか?」
敵うわけがない。それは本能で理解できた。
『ンゴォ~』
後ろを見やれば、クレイゴーレムの両手には全身の骨を砕かれた鬼牙族が握られている。左右の顔を見比べてからトーチは地面に叩きつけ、自らの力を自慢するように腕を上げている。
「生き方を選ばんというのなら、死に方も選べんぞ」
『ウ、ぐ……ウゥ……! く、っくそ……くそぉ……!』
「怖いか」
『っ…………』
「泣くのか?」
その言葉に怒りを覚えたリザードマンが自棄になって長槍に手を伸ばし、魔王へ向けて突き出した。
難なく矛先を掴み取り、へし折る。バランスを崩した相手の鼻先に向けて氷結魔術の光球を突きつける。
「……はぁ。やめだ。つまらん、おもしろくない。まったく手応えの手の字もない。魔界はいつからこんなつまらん世界になったのか」
魔王の手元から魔力が霧散した。その場にへたり込むリザードマンを尻目に、見上げるほどの魔界門に手をかざす。軽く手で押しただけでその門は重苦しい地響きを立てながら開かれていった。
リザードマンは九死に一生を得て、胸を撫で下ろす。もっと強く在るべきだと心を入れ替えた。
「トーチ。そいつは任せた」
『ンゴッ』
しかし、そんな生き方は選ぶ前に意識は途絶える。何か重い物が頭の上から降ってきたのを最期に、リザードマンは動かなくなった。
──「門」周辺に拠点を設営し、部隊の到着を待つばかりの勇者デュラルと聖女ライリィだったが、山全体が震えているかのような地鳴りに慌ただしく守衛ガーランドの下へ駆けつける。
「ガーランドさん、一体なにが!?」
「デュラル! 「門」が──!」
四天魔がひとり、最強のオーガが守護していた「門」が開かれようとしていた。
魔界から溢れ出す瘴気が流れ込み、息苦しさを覚えながら勇者デュラルは鞘に手をかける。聖女ライリィもまた、風に吹き飛ばされないように帽子を押さえていた。
魔界の軍勢が雪崩込めば人間軍は総崩れだ。あれからわずか一週間しか経っていない。
直に到着しようという間の悪さに守衛ガーランドは鎧兜の下で苦い顔をした。
大きな足音が近づいてくる。鎧の擦れる金属音も。
まさか他の四天魔が──? 高まる緊張感に、しかし、姿を現したのはたった二人だった。
「……うん? 此処が人間界か? なんかわれの想像よりだいぶ、こう……豊かだな!」
『ンゴ』
「魔界よりめっちゃ空気良いな! いいなぁ人間界! われ気に入った!」
「……えっと。ゴーレムですね」
「そう……ですね。もう片方は……魔人?」
爽やかな笑顔を浮かべている魔人とお供のゴーレムは勇者達そっちのけで景色を堪能している。しかし、魔界との境界線に位置する霊峰は瘴気に侵されているからかあまり景観が変わらないことが不服のようだ。
まるで緊張感の欠片もない魔人に、しかし、守衛ガーランドは息を呑む。
「門」が人間界に出現してから数百年。自らの意思で人間界に踏み込んできた一部の魔物は人の言葉を解する。ほとんどの場合は言語を解することのない魔物だが、中でも人に近い容姿の存在は総じて魔界を統べるものとされていた。
「そこの魔人! 貴様、いったい何者だ!」
「われか? 魔界最強の魔王だ! 魔王辞めさせられたから人間界に遊びに来た!」
「…………なんだって?」
「勇者が四天魔最弱の男を倒したのが原因でな。そんなわけでよろしく頼むぞ、そこな勇者よ!」
──三人の絶叫が霊峰を震わせる。
それは、これから先の人間界と魔界双方にとって前代未聞となる歴史の幕開けだった。