魔王、辞めさせられました~え?勇者に負けたの我のせいじゃなくない?~ 作:アメリカ兎
玉座に坐すのは魔王の息子であるリヴェル。髪の色も、眼の色も父によく似ているが、幼さを残した顔立ちには緊張の色が見られる。
謁見の大広間を一望できる玉座の隣には、アイネス。リヴェルを挟む形で執事サルバトーレが立っており、胸板ほどまで伸ばした艶のある顎髭を撫でていた。
今は亡き四天魔、サイストの席が空いているとはいえ未だ健在の三名は立ち並び、睨み合っていた。隙あらば実権の奪い合いを始めかねない剣呑とした空間の中にありながらも刃魔卿スレイヴは大広間の中心に堂々と仁王立ちしている。
『改めて、魔王就任おめでとうございます。つきましては、我ら魔王軍、今後ますますの戦果をご期待ください、リヴェル様』
「う、うむ……」
『すでに貴方の父君より聞き及んでいるとは思われますが、当初の予定通り、これより東の赫轍の魔境へ向けて軍を動員します。異論は聞きませぬ、質問であればお答えしますが』
「ならば、私よりよいか? 刃魔卿スレイヴ殿?」
面白くなさそうにアイネスが口を開く。
『何なりと』
「リヴェルは確かにまだ幼い我が子、貴様が剣術の手ほどきをしたこともまた事実。だが王座にある以上、その頭を垂れんのは如何様な仕儀か」
『なるほど。確かにそれは不躾でしたな。奥方の言葉も的を得ている』
不遜ここに極まれり、刃魔卿スレイヴはその場で腕を組み片足に体重を預けた。
『ですが丁重にお断りさせていただく。この俺が天に仰ぎ見る王は、あの御方ただ一人。リヴェル様がその器にあると判断したその時。俺は頭を垂らしましょう』
「我が子がまだその器にないと? 力で及ばずともこの子には政治の才があるとは貴様も存じていような!?」
『無論。しかしながら、この俺は見ての通り生きた甲冑でしかない。ならば為すべきことなど、我が身を削る刃を振るい逆賊のことごとくを斬り捨てるぐらいのもの。王座が変わろうと、此処に刃魔卿ありと示すために』
その言葉は執事サルバトーレに先刻話した内容と一致している。それがこの遠征の理由を補強するものとして。誰も刃魔卿スレイヴの趣味である甲冑集めを指摘するものはいなかった。
「……リヴェル、刃魔卿の此度の遠征など取り下げてしまえ。あの男は我欲を満たしたいだけなのだ」
「母上の言葉も尤もだ、その通り。しかし、スレイヴは私に王の器たれと申している。そうあるべきと、私自身痛感してる。──刃魔卿! 此処に勝利を持ち帰ってくると約束できるか」
『無論、敗北は無いと思っていただきたい』
「ならば良し! 我が父に至らぬ、若輩の魔王ではあるがこのリヴェルの名において、戦果を期待する!」
『必ずや。それでは兵をまとめ、すぐにでも城を発ちます。これにて失礼』
会釈に留め、刃魔卿スレイヴが踵を返す。しかし、謁見の大広間を半ばほども過ぎぬうちに道を阻まれた。
「ご納得、できませんなぁ総司令殿」
『……理由は述べた通り、道を開けよ』
「総司令自ら軍を率いるほどのものとは到底思えませぬ。我らに一任すればいいだけのこと! それに勇者の件はどう対処すべきか」
四天魔最強、竜人族のコラドラプは黒鱗を大広間の灯りに照らされながら怒りに満ちた顔で迫る。背中より生えている一対の大翼は、片羽がもがれていた。残るもう片方も翼膜が引き裂かれ、斑ら模様も飛行能力も失っている。それは魔王に敗れ、決して癒えぬ傷痕と共に服従の証でもあった。
体格こそサイストに劣るが、それでも人間の成人男性を優に見下ろせるほど大柄な背丈を前に刃魔卿スレイヴはつまらなさそうに肩をすくめる。
『赫轍の魔境を越えるのであれば、お前の力でも不足はなかろうよ。だが俺の目指す場所はそこよりさらに先にある。獣覇王の居城だ』
「越境だけに飽き足らず、この期に及んで“魔王狩り”などと。時勢を読んでいただきたい」
『生憎、俺は血も涙もないリビングアーマーだ。読める空気も読む気になれん。魔界の時勢を読めというならば、こちらからも同じこと』
「なんですと?」
『サイスト亡き後、魔界門を狙う賊どもが後を絶たん。警ら隊を配属させたが付け焼き刃だ。勇者なり人間なり門を使う奴がいれば報告のひとつ飛んでくるはずだが、それがない。ということは、魔王様が今頃人間界で勇者と一悶着起こしてる証拠だ』
どこか苦労を滲ませる口振りと態度で首を振ると、刃魔卿スレイヴは竜人コラドラプに一歩詰め寄った。
『この俺は魔界の掟に従っているだけに過ぎん。それを咎めるというのなら──あとは刃を交わすのみ』
「……望むところ! 私が勝ち得たその時は、我が竜騎兵団の手柄とさせていただく!」
「な、なにをしているか二人とも! 矛を収めよ!」
『ご安心を、リヴェル様。すぐ済みます』
四天魔最強のコラドラプは握っていたハルバードの矛先を突きつける。刃魔卿スレイヴも同じく、右手を蒼炎で刃に鍛造すると鋒を向けた。
「汝、欲するものを奪うべし!」
『魔界の掟に従い──』
「いざ勝負!」
先手必勝。竜人コラドラプがハルバードを素早く突き出す。最小限の動きから最高効率の刺突、手の内を通すような神速の一矢──しかしそれを、刃魔卿スレイヴは片手で止めていた。プレートメイルを狙った一撃を読んでいたのだ。
『どうした? 俺の心臓はそこではないぞ』
「チッ!」
距離を取ると、竜人コラドラプがハルバードを引く。
人の目には捉えられない無数の刺突、その中に斬撃を織り交ぜ、先端の穂先で刃魔卿の鎧を穿つ。
……そのはずだったハルバードは容易に捕らわれ、見切られていた。兜を狙った一撃に対して足を振り上げ、踏みしめられている。それを竜人コラドラプが持ち上げようとするが、ビクともしなかった。
『サイストに代わり、お前が魔界門を管理しろ。俺からの命令はそれだけだ』
「ぬっ、くっ……!」
刃魔卿スレイヴが右手を振るう。刃が食い込んだハルバードの柄は滑らかな切り口を見せて切断された。重心を失い、バランスを崩した竜人コラドラプに向けて素早く踏み込み、強靭な鱗に覆われていない、肉質の柔らかい喉笛に鋒を突きつける。
決着は、すぐに着いた。魔界でも有数の上位種とされる竜人族であっても、この魔王城にあっては決して“最強”の頂からは程遠い。
「──私と、貴方で一体なにが違うと言うのですか! 種族の力量差は圧倒的なはず!」
『その傲慢さと、慢心だ』
刃魔卿スレイヴは刃を収め、ただ一度も振り返ることなく謁見の大広間を後にした。
「スレイヴ様、お待ちしておりました。先程なにやら剣戟の音が聞こえてきましたが……」
『気にするな。コラドラプとの“戯れ”だ』
「兵力三千、ご命令通り待機しております。すぐにでも出陣は可能です」
『世話をかける、リィザ』
多種多様な魔界に生きる種族の混じった混合軍。そのいずれもが、魔王の圧倒的なカリスマ性──暴力ともいうが──に惹かれて集まった血気盛んな兵達。魔界に弱者なしを信条とした腕に覚えのある魔物ではあるが、刃魔卿スレイヴの人徳もあってのこと。魔界の掟を一貫して通す高潔さと、その精神にあるものに憧れ、またあるものは微力ながら助けになりたいという一心でこの魔王城に集っている。
広大な魔界にあって、軍を率いるリビングアーマーというのは珍しい。一目見ようとする者も、無謀にも挑んできた者達も分け隔てなく力を求めるものを拒みはしなかった。
そんな刃魔卿スレイヴの副官に名乗り出たのは、隻眼のリザードマン。残った左目にモノクルを付けた赤鱗のリィザは小脇に分厚い書物を抱えていた。
「目的地は東の赫轍の魔境を越え、かの獣覇王の居城でお間違いないですか」
『問題ない』
「しかしながら、わざわざ眠れる獅子の尾を踏むこともないでしょうに」
『それくらいのお膳立てはしなければ、リヴェル様の面子が立たんだろう?』
「貴方も意地の悪い御方だ。聞いての通りだ、者共! 旗を掲げよ!」
旗持ちのガーゴイルが持ち上げるのは、刃魔卿を示すシンボルマークの描かれた濃紺色の大旗。兜に突き立てられた剣を印にして刃魔卿スレイヴ率いる魔王軍兵力三千は東の赫轍の魔境を目指す。
──東に獣覇王ライゲンその人あり。獣人族の頂点に立ち、赫轍の魔境に住む荒くれ達をまとめあげる実力の持ち主。その軍勢、実に六千万とされている。
魔界における力の象徴とは単純明快。これほど視覚的にわかりやすいものがあるだろうか。
デカくて、重い。これに尽きる。ゆえに誰もが身の丈を越えた長物であれ、自らの体重よりも重量のある得物を誇るのだ。矮小な武器を扱うものを冷笑に付し、侮り、嘲る悪習もそこからのもの。
だからこそ王を名乗る者はみな権威の象徴として城を建てる。
我こそは魔界の王である、と主張して憚らず。だがやがて気づくのだ。どこもかしこも王ばかり。皆が皆言葉を揃えて口にする最強の肩書など虚栄心を満たす“まやかし”だといずれ気づく。そうなればやがて戦火は自らが抱える臣下を悪戯に傷つける無意味な行為であると鎮まっていくのは自明の理。賢しいものであればあるほどに気づくのは早い。
口八丁手八丁、舌先三寸の上辺だけを取り繕った外交術。同盟を組み、共同戦線を張る傍らで組んだ肩をどう振り払い、相手を出し抜くか悩むだけの日々。それが今や魔界の主流となっていた。
──ただ唯一。時代に取り残されて魔界最強をいまだに自負する名もなき魔王を除いて。
「ラ、ララライゲン様ぁ! お取り込み中のところ申し訳ありません、急ぎご報告が!」
「どうしたぁ騒々しい! 客人を招いておる、後にせよッ!!!」
「刃魔卿が赫轍の魔境に現れました! 此処を目指して、一直線に進軍中です! 既に我が方に被害が出ております!」
「なにィ!?」
赤い鬣を戦慄かせて獣覇王ライゲンが吠える。驚愕と、焦りの混じった迫真の咆哮に大広間の空気が震えていた。
百獣騎兵団の一兵卒であった頃から、やがて頭角を現して今や城を持つまでに至った赫獅子は玉座の肘置きを砕かんばかりの勢いで殴りつけて立ち上がる。
「ええい、あの鎧の偏執狂め! よもや我が献上品を狙ってのことか、耳ざとい奴! 被害はどうなっている!」
「あくまでも進路を阻む者だけを相手取っています。ですが、恐ろしく強いものでして……」
「ぐ、ゥゥゥ……! 道を開けろ、目的はハッキリしている! 民の被害を最小限にしろ!」
「承知! すぐに報せて参ります!」
虎の獣人族が深く頭を垂れてから開け放たれた窓へ走り去ると、そのまま飛び去っていく。
牙をむき出しに唸る獣覇王ライゲンと向かい合う形で椅子に深く腰を預けていたイル・ウェルエが足を組んだ。
『噂には聞き及んでいる。刃魔卿、スレイヴ。魔王に匹敵する実力者と』
「イル・ウェルエ殿、此処はいずれ戦場となる。城を離れた方が良い」
『……ふむ? 気遣いはありがたいが、私は興味がある。刃魔卿、果たしてその噂違わぬ者なのかどうか』
「な、何を言っている」
『よもや、東にその人ありとまで魔界に言わしめた獣覇王ともあろう方が。逃げようなどとは言わないだろうな?』
「しかし、あの刃魔卿は貴方を狙っているやもしれません」
『ならばそれもまた良し。魔界の掟に則った武侠、私もこの目でひと目見たい』
「…………目、どこですか」
くくく、と忍び笑いをこぼして名工イル・ウェルエは首元から青白い炎を揺らす。
『なに、ただの“