魔王、辞めさせられました~え?勇者に負けたの我のせいじゃなくない?~ 作:アメリカ兎
赫轍の魔境。その名前にある通り、魔界の大地の中でも熱源と紅色が特徴的な大地だ。住み着いている魔物も熱に強いリザードマンや獣人等が主とされている。また、魔界北部の大魔境との境目には竜人族の集落も確認されていた。
魔界の南西部、僻地とも言える魔王城より愚直なまでに獣覇王ライゲンの居城を目指していた刃魔卿スレイヴは道を阻む百獣騎兵団を斬り捨てていた。僅か三千の兵ですら倍の兵力を持ってしても崩せない力量差に尻込みしていた衛兵の耳に届いたのは撤退の命令。
副官リィザがモノクルを押し上げて喉を鳴らす。
「獣覇王殿は兵を下げ、これ以上の損害を抑えるつもりですな。賢明な判断です」
『俺の狙いを知ってのことだろう、こちらも手間が省ける』
べったりと血糊のついた刃を払い、血振りをしてから腕を戻す。周囲に視線を向ければ戦々恐々としながらも隙を突かんとする眼光に取り囲まれていた。
鼻で笑い飛ばし、刃魔卿スレイヴは再び進軍を再開する。
素通り同然に獣覇王ライゲンの居城へと辿り着いた刃魔卿スレイヴ率いる兵たちは、全貌計り知れぬ丸石の王城を見上げていた。
城門に立つ猿人の衛兵から向けられる大槍に冷ややかな視線を向けつつ、刃魔卿スレイヴは門が開くのを待つ。伝令が耳に届いたのか、ようやく獣覇王ライゲンと対面することが叶った。だがあくまでも相手は同じ地を踏むことを良しとせず、開放感のある窓枠より身を乗り出して見下ろしていた。
「貴様が刃魔卿スレイヴか! 噂はかねがね聞いている! 何用あっての狼藉かぁ!!」
高さにしておよそ四階。地上より十数メートル以上か。正門までの距離を踏まえれば百はある。だがその張り上げた声は魔界の空気を震わせ、城壁の間を反響すると大地を唸らせていた。かつては『戦斧の赫獅子』と名を馳せた豪傑ぶりに衰えが無いことを視認して刃魔卿スレイヴは炎を滾らせる。
『お初にお目にかかる、獣覇王ライゲン殿! 東の名工イル・ウェルエより献上されし逸品、この目で一目見ようと馳せ参じた次第!』
「くだらぬ! 招待した覚えなどない! 今ならばまだ許そう! 即刻我が前より失せよ!」
『なにか勘違いをされているようで大変恐縮ながら、断固として拒否させていただく』
一閃。刃魔卿の両腕から奔る蒼炎より鍛造された刃が猿人の太い首を刎ね飛ばした。
『もとより貴殿の許しを得るつもりなどない。寄越せと言っている。魔界の法と掟に従い、獣覇王ライゲンより簒奪の意を此処に示す! これは挨拶代わりだ!』
拳を突き出し、肘関節に圧縮した炎を炸裂させる。打ち出された籠手がダークウッドの原木より削り出された城門に突き刺さると間もなくして爆炎の狼煙を挙げた。
肘鉄より先を射出した刃魔卿スレイヴを見て、副官リィザが背負っていた鞄より予備の籠手を差し出すと蒼炎で関節を繋ぎ直し、拳を鳴らす。
『往くぞ。遠慮などいらん、存分に暴れてこい』
肩紐より下げていた角笛を鳴らし、副官リィザの開戦の号令と共に魔王軍三千の兵達が風穴の開けられた城門に我先にと雪崩れ込む。
蛮勇、凶行、あるいは妄念。突如として戦場と化した城内に、仮初の平穏を寝床としていた獣人達が血に染まる。
牙を剥き出しにして獣覇王は憤怒に満ちた顔で刃魔卿を睨みつけた。戦火の中を悠々と歩く姿へ斬りかかる兵士達は一太刀で斬り伏せられていく。
『かつては百獣騎兵団と恐れられた強者がこの体たらくか』
柱の影から奇襲を仕掛けてくる獣人を石柱ごと断ち切る。
背後から飛び掛かる相手を見向きもせず、頭を鷲掴みにして地面へ叩き伏せた刃魔卿スレイヴは脚甲を刃に転じて首を刎ねた。
『退け、死体が増えるだけだ。獣覇王にこれ以上負担を強いるつもりか?』
「だ、黙れぇ! 我ら百獣騎兵に臆病者などいない!」
『奇遇だな。我ら魔王軍もそうだ、死を恐れぬ強者だけかかってこい』
一人、また一人。刃魔卿スレイヴの凶刃の前に斃れていく。その歩みは城内に入っても止まることなく獣覇王ライゲンの待つ大広間を目指していた。中庭は阿鼻叫喚、かつて戦火の絶えなかった魔界の様相を呈している。
床に敷かれた青い織物の絨毯を踏みしめながら、ただ一人で大扉を押し開けると、大気を揺らすほどの陽炎と熱に晒された。
怒髪天のあまり、赫獅子の立派な鬣が揺らめいている。焔を首に巻いているかのような後ろ姿に刃魔卿は臆すことなく広間へ踏み出した。
石材を削り出して作られた大きな玉座まで縁を金の刺繍で彩られた赤絨毯が続いている。等間隔に並べられた石柱の影に潜むものがいないことを感じ取りながら刃魔卿スレイヴは一歩、また一歩と獣覇王ライゲンへ歩み寄った。
「……この魔境を私が治めてから何年が経った。十か? 二百か? かつて戦火に留まらず猛火の嵐の中を駆け抜けたのはどれほど昔のことか」
『少なくとも百年以上昔の話だ。あの頃の貴殿は実に凄まじい戦働きだったな。我が王もいつか戦場で相対することを待ち望んでいた』
「そうか。もうそんなに経つか……北の大魔境を越えようと兵三百万を率い、それでも越境は成せぬと敗れてから、それほどの時が経っていたか──」
しみじみと、感慨深そうに呟く獣覇王ライゲンが重く息を吐き出す。今にも破裂しかねない激情の弁を緩めるように。
『自慢の戦斧は、今どこに?』
「……戦から離れ、自らの治める魔界の大地の泰平を望むことは魔界の王に相応しくないか。それを許さぬか、刃魔卿」
『さぁな。俺は平和などに興味がない。だが、我が王は戦乱の世を所望している。今の魔界は「つまらん」だそうだ』
「あの“名無し”はそれほどまで戦に狂うておるか!」
『ならば俺もまた共に身を投じるまで。この魂の火が尽きぬ限り──斧を持て、獣覇王。例え玉座を戴く王が代わろうと、俺の為すべきことは変わらん。その証のために貴殿の牙を折らせてもらう』
穏やかな口振りに留めていた獣覇王ライゲンの瞳が、刃魔卿スレイヴの姿を捉える。
濃紺色の騎士。手首も、肘も、膝裏も足首も、おおよそ関節と呼べる箇所には紫と蒼の混じった炎が揺らめいている。一切の無駄を省き、飾り気のない甲冑からは威圧感を感じていた。魂の火、燃え滓の宿る生きた鎧がこれほどまでの傑物と成るのを誰が知ろうか。
兜の隙間、スリット状のアイラインからは炎の瞳が真っ直ぐにこちらの姿を捉えていた。
あの日の敗北から見たものは、傷つき、疲れ切った兵達の姿。痛ましくも、それでも次こそはと声を挙げた者たち。──だがそんな彼らとて、村や集落に家族も仲間もいる。友を失う痛みを知らぬわけではない。
しかしそれが、魔界の掟や戦火から目を背ける理由にはならなかったのだ。
「……礼を言うぞ、刃魔卿。まだこのオレにも、戦を望む心があることを思い出させてくれた」
『礼は我が王に言ってくれ』
「いやなに。今、貴様に伝えておかねば──」
獣覇王ライゲンが玉座の脇に建てられていた石柱に手を伸ばす。
金色の瞳に炎が宿った次の瞬間、刃魔卿スレイヴは咄嗟に腕を刃に鍛造していた。
柱を粉砕し、石礫を放ちながら引き抜いたのは巨大な戦斧。分厚く、重く、巨大な刃を持つそれは、竜の首を断つために用意した大業物。
「死した骸は口を開かぬであろうがァ!!!」
大きく息を吸い込み、一回り以上も膨らんだ胸筋から吐き出される咆哮は刃魔卿スレイヴの全身を震わせただけでなく、その身体を後退らせた。獣人族の恵まれた肺活量から叩き出される咆哮は最早兵器にも等しい。並大抵の魔物であれば身体を竦ませ、そのまま意識も持っていかれる。
礫を弾きながら着地した刃魔卿スレイヴの前で、更に左手の指を鳴らして石柱をもうひとつ殴りつけるとその中からはハンドアックスが姿を現した。グレートアクス同様に、こちらもまた分厚い刃を持っている。
「──、ゥゥゥルルル……! 赫獅子の戦斧、望みとあらば存分に喰らうがいい! 我こそは獣覇王ライゲン!」
『はは、ハッハッハ! 刃を交える前より滾らせてくれる、目覚めはどうだ赫獅子よ。俺の名は刃魔卿スレイヴ! 魔界の法の宣誓を!』
「魔界に弱者なし! 魔界の掟に従い!」
『勝利を──!』
「──奪い取るのみ!」
『勝負だ、獣覇王ライゲン!』
「ほざけ小童、噛み砕いてくれるわ!!!」
上階より轟く咆哮と剣戟の音に副官リィザがモノクルを持ち上げた。轟音と共に飛び出してきたのは刃魔卿スレイヴ、その後を追う形で獣覇王ライゲンが飛び出してくる。
「おやこれはまずいですな。おっと、失礼。またまた失礼、これまた失礼。ご無礼ッ」
斬りかかってくる獣人を尻尾で払い、脚で蹴り飛ばす。身体を回転させて薙ぎ払い、壁に向かって駆け出すとそのまま手足の鉤爪を使って登り出した。後を追おうとしてくる獣人を素早く伸びる舌で迎撃すると隙を突いてクッション代わりにする。
投擲されたハンドアクスを弾くが、その重量に押し負けて空中で体勢を崩した刃魔卿スレイヴが鎧の隙間から蒼炎を噴射して素早く受け身を取った。
『リィザ、他のものを下がらせろ』
「もちろんそのおつもりです。巻き込まれてはたまったものではありませんからな、全軍退避ぃ! おっと獣人の皆様方もお気をつけあそばせ!」
地面に這いつくばる形で副官リィザはトカゲよろしく、そそくさと逃げ出す。
魔王に匹敵する者同士の決闘は、それだけで戦争に等しく、あるいは災害にも匹敵する。それほどの戦いなのだ。故に、兵たちは王の決闘が始まったその時無力な傍観者となる以外に生存の道はない。誰だって命は惜しいのだ。
ズシンと音を立てて落ちたハンドアクスを拾い上げながら、グレートアクスを振り回して獣覇王ライゲンが叩きつける。
刃魔卿スレイヴが片腕で捌きながら距離を詰めようとして蹴り飛ばされた。腰ほどまでしかない相手を払い除けるなど容易なこと、吹き飛ぶ身体を石柱が受け止め、さらに城壁を砕いて止まる。
咆哮と共に獣覇王ライゲンが駆け出した。
その威容、その怒髪に満ちた赤い鬣がなびく。
百獣騎兵団の誰もが、その姿を見て胸を奮わせる。
かつての栄光。獣人族の栄華の象徴。かつて夢見た英雄! その人が今、此処に戻ってきたのだと。気づけば声を挙げていた。
──我らの赫獅子に、栄えあれ! 武器を掲げ、獣人達が歓喜に奮えながら吠えた。
それは合唱となり、獣覇王ライゲンの背を押す。
刃魔卿スレイヴを奮わせる言葉は、誰一人声にしなかった。それどころか城内にただ一人残して魔王軍は既に撤退している。臆病風に吹かれたわけではない、見捨てたわけでもない。
むしろ、
──光が奔る。それはやがて疾風となり、風となって吹き荒れていく。土煙を晴らし、その中に立っていた獣覇王ライゲンが驚愕に満ちた顔で後ろへ跳んだ、その直後。歴戦の強者である獣覇王の肩鎧が砕けた。
『──ふふ、っはっはっは。ハハハハハハハ、いいぞ、それでいい! もっとだ、もっと!』
無数の剣閃が疾走る。石畳を切り刻み、丸石を砂塵と切り払い、城壁を紙のように裁断して塵となるまで灼き尽くす。
魂魄炉心──リビングアーマーにとっての心臓。魂の炉。それは刃魔卿スレイヴも例外ではない。
感情が昂ぶれば昂ぶるほどにその炎は火力を増していく。魂を宿した鎧を溶かし尽くすほどに。
『この俺の魂に、火を焚べろ獣覇王! その生命を極限まで研ぎ澄ませ。その炎を見せろ!』
濃紺の鎧が沸騰していく。赤熱化した表面が溶け出し、中から現れたのは黒の鎧。血管のように全身に浮き出た装飾は金色に縁取られていた。
歩く熔鉱炉そのものと化して刃魔卿スレイヴの身体から蒼炎が溢れ出し、城壁を溶かしていく。さしもの熱に強い獣人達であってもその異様さにたじろいでいた。
だからこそ、みながみなリビングアーマーの幼体を踏みにじるのだ。
その火がいつか、業火となって我が身に降りかかる前に。
紫炎を纏い、蒼炎を揺らし、焔の化身が刃を研ぎ澄ます。鈴の音にも似た風切り音を奏でながら、無手で構える。
──赫轍の魔境と呼ばれるように、名もなき魔王の待ち構える南西部にも魔境がある。
それを越えるのは容易なことではない。生半可な軍勢では、残るのは骸だけ。
いつしかこう呼ばれるようになったという。
“刃鎧魔境”と。