「……すまない、親父殿。もう一度言ってもらってもいいだろうか?」
自宅の一室。特に重要事項を伝える際に使われるその部屋で、たった今父親から告げられた言葉に俺はそう返すしか出来なかった。敬語じゃないのは仕方あるまい。何せ聞かされた内容が内容だ。思わず言葉が崩れてしまっても不思議じゃないだろう、と自己弁護する。
未だ幼い身とはいえ、自分たちが普通と違うことは理解している。そのことを鑑みれば、まるっきりおかしな内容ではないのかもしれない。
「んじゃもう一度言うが……有栖ちゃん、いるだろ? あの娘、お前の婚約者だから」
どうやら聞き間違いではなかったらしい。
脳裏に浮かぶのは一人の少女。幼いながらに容姿は端麗と言ってよく、本人が『天才』と自負するほどにその頭脳は明晰だ。年末年始を始めとした会合の時ぐらいしか会うことがなかったので、てっきりどこかの分家の子だと思っていた。俺の知る限り『坂柳』という名字は分家に存在しないが、所詮は俺の知る限りでしかないのだから。
まあ、それはいいのだ。そこまでであれば、俺の認識が間違っていたという話でしかない。
婚約者、というのも許容範囲内だ。我が家系『雪村』は人間ではない。世間一般ではお話の中の存在でしかない『鬼』と呼ばれるモノだ。姿かたちは人間と遜色ないが、一個の生命体として見るならば雲泥の差を誇る。
そんな鬼も純血となれば数少ない。元より鬼の社会において女性は生まれにくいのだ。生まれないわけではないから、かろうじて純血を維持できている部分もある。多くの鬼はその血を残すために人間と交わり、結果として人間と遜色ないほどに弱まっている。
その状況を鑑みれば、この日本において東国を統べる鬼の頭領たる雪村の嫡子である自分に婚約者が用意されるのは妥当と言えるだろう。
「そこは理解しました。婚約者というのも、まあ納得できます。……呑みこめないのはその後です」
「その後ってぇと……これから一緒に暮らしてもらう話か。まあ、無理もねえな」
そうして父親から説明されたのは、俺の知らなかった部分が多分に含まれる。
我が雪村の本邸は田舎でこじんまりとした診療所を運営しているが、一歩田舎から外に出れば日本各地に勢を誇る一大病院を築いている。……なお分家筆頭格の『斎藤』は食品会社を運営しているらしい。同じく筆頭格の『土方』は色々だ。剣道場だったり、警備会社だったり、雪村の補佐だったりと手広くやっている。また、会社を興している分家は他にもあるようだ。
これには理由があって、平たく言えば『嫁探し』だ。先述の通り、鬼の女性は生まれにくい。立場が上の者から純血の者同士で結ばせるようにはしているが、そうそう毎回年齢的なタイミングが合う筈もない。そうなれば、どうしたって人間の中から嫁を見繕わねばならなくなる。血が薄まるのは問題だが、絶える方が大問題なのだから。とはいえ、そんなことを続ければどうしたって血は薄まっていく。
しかし、雪村にはそれを覆す術があった。それこそが『
その先駆けとなったのが他でもない雪村だ。幕末の折、我が雪村は人間に攻め込まれ滅びかけたという。生き残ったのは時の頭領の子供――男と女の双子だ――と分家の極僅か。それとて多くは生き別れ、子を生すことなく亡くなったらしい。その際に宝刀たる『大通連』も紛失している。
分家の男に引き取られて育てられた女の子――雪村千鶴は、紆余曲折あって新選組に身を寄せる。……歴史では語られぬ部分だが、このとき新選組にはお上から密命が下されていた。それこそが変若水の研究である。今と異なりデータも何もない状態での研究だ。当然ながら多くの問題が噴出し、千鶴が新選組に身を寄せることになったのにはその部分も一因として存在する。
尊王攘夷運動の陰、鬼の紛い物を生む変若水を許せぬとして西の鬼の頭領――風間千景の一派も動いており、必然的に新選組とぶつかった。
結果、新選組の中には変若水に手を出す者たちも現れる。中には名高き隊長格もおり、雪村中興の祖となった土方歳三もその一人。
羅刹は身体能力や治癒能力の著しい向上を促したが、それは諸刃の剣でもあった。本来の寿命で使うべき部分を前借りしているに過ぎなかったのである。それを消費しきった者は死体が残ることなく灰と化して消えていった。
本来ならば土方もそうなる筈だったのだろうが、彼には転機があった。様々な要因が考えられるが、最も大きなものは二つだろう。
土方は千鶴から血を与えられ、千景から鬼の名を与えられたのだ。その名を薄桜鬼。
羅刹は白髪紅眼だ。実際に土方も初めのうちはそうだった。……が、千鶴の血を与えられた彼は金眼と化したという。これは純血の鬼がその本領を発揮した際――分かりやすく『鬼化』と呼ばれる――と共通する特徴だ。もう一つの特徴である角こそ生えなかったものの、紛い物は紛い物でなくなったのだ。そして二人の間に生まれた子供は純血と言っていい存在だった。
物語的にここで終わればまあ幸せだったのだろうが、現実はそんなに優しくなどない。時世はそれを許さなかった。ひっそりと暮らしていた千鶴たちは時の政府に発見され、変若水の研究を強要されたのである。
如何に個の強さは上であろうと数には勝てない。子供という弱みもあった。千鶴たちは従わざるを得なかった。
その後、時の流れの中でパワーバランスの変化を迎えつつ今に至っている。今では雪村の方が優位であるとさえ言えるだろう。
羅刹化による治癒能力が寿命の前借りと言えど、その場で死ぬよりは遥かにマシである。戦乱が収まれど交通事故などは枚挙に暇がない。変若水を安全に使うには、データは勿論ながら純血の鬼と雪村の地が欠かせない。名づけのためにも友好的な関係を維持する必要がある。……様々な理由から、上流階級や権力者と繋がりを持つことは想像以上に簡単だったのだ。
契約の下、有力者の系譜に変若水を投与し、鬼の名を与え、その者と縁を結ぶ。西や中央もその恩恵に与っている部分が少なくないため、正に雪村の発言力はうなぎのぼりだ。
有栖の生家である坂柳家もそんな内の一つである。まして有栖は先天性心疾患を持っていた。変若水が通用する保証はなかったが、それを込みで優位な交渉を結んだとのこと。言葉を悪く言えば、有栖は一種の
そんな有栖だが、どうやら手術の目途がたったとのこと。流石に今すぐと言うわけではないが、中学生になる頃には術後の経過観察に移れているだろう見通しだ。
そして田舎の本邸に住んでいる分には実感しにくいが、雪村は大きいのだ。社交的な付き合いといつまでも無縁でいるわけにはいかず、中学生になると同時に田舎を出て都会の別邸に住み顔見せをしていくのが暗黙の了解なんだとか。
ならば、それを契機に同居させて子供同士の交友を増やそうという結論に至ったらしい。本人たちの同意なしに結んだ婚約とはいえ、仮面夫婦になることなど雪村も坂柳も望んではいない。出来れば幸せな家庭を築いてほしいのだ。
同居となれば、良い部分も醜い部分も、否応なく互いに対する発見は増える。そして完全な無視も出来ぬ以上、それに対処していけば自ずと交友は深まっていくという寸法だ。
「言わんとすることは分かりますが……。はあ、どうせ断ることなんて出来ないんですし、前向きに捉えさせて頂きますよ」
半ば次期頭領としての義務感から、俺は溜息まじりに頷いたのだった。