ようこそ鬼の末裔がいる教室へ   作:山上真

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9話

「おはよう、堀北」

「……ええ、おはよう。……確認するけど、あなた、綾小路くん、よね?」

 

 5月2日。

 教室に入った清隆が挨拶すると、隣席の鈴音は戸惑いがちに返事を寄越した。

 

「当然だろう。むしろ、それ以外の誰だというんだ?」

 

 全く失礼な、と清隆は目に見える形で文句を言う。……鈴音の狼狽はそれ故であることに気付かずに。

 まあ、無理はないのかもしれない。現在の清隆は未だかつてないほどに心が晴れ渡っているのだから。普段の無表情はどうした? と疑問に思うほど表情筋が働いている。

 表情とは違い、いつも通りに言葉の抑揚はない。まあ、だからこそ、かろうじて鈴音も清隆だと認識できているのだが、それはそれで不気味であることに違いはない。

 

「いえ、あなたがそんなにニコニコしてるのなんて初めて見たから……」

「……む?」

 

 言われ、清隆は自分が笑っていたことを初めて自覚した。今朝も普通に鏡の前で身だしなみを整えた筈なのに、鈴音に言われるまで気付いていなかったのだ。

 浮かれ気分、というのはこういうのを言うのだろう。よもや自分が実感する日が来るとは思ってもいなかった。

 

「昨日の放課後、思いがけぬ体験をしてな。望んではいたものの叶うとは思っていなかったから、それが今も尾を引いているようだ。タガが外れた、というやつかな?」

 

 目を閉じれば、純白の髪と黄金の瞳が鮮明に思い出せる。

 最初は互角だった。手加減などは一切していなかった。だから同い年の相手が自分と互角に渡り合えることに僅かな驚きがあった。しかし、それも最初だけだった。

 

「なるほど。この齢でこの強さだ。傲慢になるのも頷ける。……褒美だ。少しばかり本気で相手をしてやる。そしてよく覚えておけ。『雪村』とはどういう存在であるかをな」

 

 ある程度ぶつかり合い距離を取った後、千夜はそう言った。そして次の瞬間、髪は真白に染まり、瞳は金に輝いていた。

 あるまじき変化に清隆が僅かに驚いたのも刹那、身体に衝撃が奔り、目覚めた後で気絶していたことを自覚した。言い訳などつけようがない。完膚なきまでの敗北である。それは同時に、清隆が呪縛から解放されたことを意味していた。

 敗北直後はそれらの事実に理解と認識が追い付いていなかったが、時間の経過と共に実感が湧いたということなのだろう。表情筋が働いているのはそのためだ。

 

「そう、呑気なものね……」

「ま、お前がどう捉えようとオレは気にしないさ。……さて、オレもやるべきことをやるとするか」

 

 鈴音の元を辞し、清隆は一人のクラスメイトの元へと向かった。それが千夜からのオーダーだからだ。

 

「おはよう、佐倉。突然だが、今日からオレに勉強を教わってくれないか?」

「え、と、おはよう。綾小路くん、だよね?」

 

 清隆へと挨拶を返しつつ、そのクラスメイト――佐倉愛里は首を傾げた。それも無理はないだろう。清隆の台詞は上から目線なのか下から目線なのか判断が付きにくい。

 昨日発表された小テストの結果から、清隆の学力が自分を上回ってるのは分かる。それを踏まえれば上から目線で提案してきてもおかしくはない。

 だが、実際には『教わってくれないか?』と言ってきた。これでは上から目線というより、どちらかと言えば懇願だろう。

 色々な理由から地味に過ごしているとはいえ、男性目線で自分に魅力があるのは理解している。まあ、悲しいことに魅力以外に誇れるものがないのも理解しているが、あわよくばお近づきに、なんてのは十分に有り得る可能性だろう。

 そう、自分の一面を知ったのなら、近付いてくる男子がいてもおかしくはないのだ。なので、自分の一面を知っての振る舞いか? と思いはしたが、清隆からそういう気配は感じられない。

 単純な親切という可能性はあるが、それなら自分だけに声をかける筈はないだろう。手始めに自分から、という可能性は捨てきれないが。

 分からないなら、訊いた方が手っ取り早い。

 

「え、と、それってどういう……?」

「正直、オレも理解しきれていないから上手く説明できるか分からんが、それでも良いか?」

「うん、お願いします」

 

 自分から声をかけておいてそれか、と内心で思いはしたが、取り敢えず理由を聞くことにした。

 

「まず、オレは一種の英才教育を受けて育った。学校に通うのもここが初めてだ。それだけで随分な偏り具合が分かるだろう? 1ヶ月間様子見をしながら生活をして、ある程度実力を出すことを決めたオレは、昨日千夜に接触した。だが、その際に言われたんだ。『お前は傲慢だから、まずはそれを矯正する必要がある』ってな。……オレは英才教育の結果、知識という面において人の一生をかけて習得していく量を遥かに超えて学習しているし、正攻法で戦闘のプロとやり合っても呆気なく勝てるだけの経験、実績を積んでいる。実際、オレを育てた施設の奴からは『最高傑作』なんて呼ばれていた。また、親に当たる人物からは『他人は道具だ』と言われて育った。その結果、傲慢になったというならその通りなのだろう。……そして昨日の放課後に千夜と手合わせをして、少しばかり本気を出したあいつにアッサリと敗北したわけだ。今までの経験が軽く覆されたわけだが、未だかつてないほどに晴れやかな気分を迎えている。……お前に勉強を教えるのはあいつからのオーダーだ。それがオレとお前の双方に益を生むってな。そんなわけでお前に声をかけた次第だ」

 

 なるほど、と愛里は頷く。まるっきり全部を信じられるわけではないが、大まかな流れはその通りなのだろう。

 事実、愛里が今までに観察していた限りにおいて、清隆は終始無表情で声にも抑揚のない男だった。普通に生活していてそんな風に育つとは考えにくい。何かしら抑圧されてきただろうことは否定出来ない。それが今日になっていきなり表情筋が働いているのだから、彼にとって相応に大きい出来事が起こったのは間違いないと思われた。

 ここで断るのは簡単だが、学力が心許ないのは自覚している。中間テストで赤点を取らずに済むか? と問われれば不安しかない。人とコミュニケーションを取るのは苦手だが、清隆相手だと特に苦痛に感じない。総合的に見ればお得だった。

 

「え、と、他にも誰か誘ったりする?」

「いや、現状だと特にその予定はない。後々までは分からないが……」

 

 不安な点も問題なし。その時が来たらその時として、現時点で断る理由はない。

 

「それじゃあ、お願いします」

「いや、こちらこそよろしく頼む」

 

 そんなわけで、清隆と愛里の契約が結ばれるのだった。

 

 ♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢

 

 清隆と愛里が契約を結んでいる頃、教室の一角では桔梗が苦渋を飲まされていた。

 

「いや、だからね、篠原さん。昨日から言ってるように、勉強を教えるのは構わないけど、私は雪村くんや坂柳さんほど頭は良くないからね。あの2人ほどの学力を求めないでくれないかな?」

「だからこっちも昨日から言ってるじゃん。あの小テストの結果を見て、そんなの信じられるわけないって。なんで言い訳するのよ?」

 

 クラスメイト、篠原さつきに詰め寄られているのだ。

 昨日、色々と学校からネタ晴らしをされた結果、平田の提案で有志を集い、ポイントを増やすためにどうしていくかを話し合うことになったのだ。謳い文句に誘われて入学を決めたのだから、その行動は当然と言える。

 しかし、中には参加を拒む者もいた。千夜、清隆、高円寺、有栖、恵、波瑠加、鈴音が代表格だろう。小テスト上位勢の実に半数以上である。本音を言えば桔梗も参加したくなかったのだが、普段のスタンスから参加せざるを得なかったのである。

 だが、そんな面子で有意義な話し合いなど進む筈もない。ほぼほぼ無為な時間を過ごした末に、『中間テストで高得点を取ろう!』ということになった。そして話の流れ上、小テストで満点を取った桔梗は教師役を頼まれたのである。

 教師役を引き受けるだけなら、内心どうあれ否はない。しかし、学力を過剰評価されるのは御免だった。何せ小テストの結果は素の学力ではないのだから。

 先月、桔梗は麻耶と波瑠加の3人で職員室を訪れ答え合わせを行った。『三人寄れば文殊の知恵』と言われるように、色々な案を出し合ってから職員室を訪れた。そして、その案の一つに過去問の存在があったのだ。

 恵は中間テストと期末テストの過去問を請求したが、桔梗たちはこれに加えて小テストまでも請求したのである。精査したところ、一番最初の小テストと中間テストは学年を遡っても問題が同じことが発覚。違うのは精々が出題順くらいなものだ。

 桔梗、麻耶、波瑠加の3人は、渡されたそれを入念にチェックした上で小テストに臨んだのだ。素の学力が低く問題を理解しきれていなくても、答えが分かっているのだから高得点を取れてもおかしくないのである。元々学力においても優秀だった桔梗は、2人と違って全部を覚えきれただけなのだ。

 しかして、それを言いたくても言えない事情がある。答え合わせを行った者は、皆須らく口止めをされている。当然、過去問について言及した者はそれについても口外出来ない。出来るとすれば、それを知っている相手に限られる。

 結局、昨日は上手い誤魔化しが出来ずに逃げ出した。

 そのツケが、今こうして押し寄せている。

 内心の憤懣を抑えつつ、桔梗は助けを求めて教室内を見渡す。

 千夜は――ダメだ。首を横に振った。有栖も同じ。恵もダメだった。ゴメンとジェスチャーしている。

 麻耶と波瑠加は言わずもがな。というか、あの2人は『軽井沢さんや櫛田さんと一緒に勉強してたから』の一言でちゃっかり避難している。これでは親近感の高い桔梗の元へ人が来るのは当然だろう。……更なる怒りが桔梗を襲った。正にマジで()キレる()5秒前()といったところだ。我慢するけど。

 

「その辺にしておくでござるよ、篠原殿」

 

 桔梗にとって救いの神となったのは外村だった。

 

「よく言うでござろう? 『普段おとなしい者ほどキレると何をするか分からない』と。櫛田殿もそのタイプでござる。奥底にはストレスが溜まっているんでござるよ。先月、小生は千夜殿に誘われたんでござるが、その場には軽井沢殿に誘われた櫛田殿たちもおられた。その際に千夜殿の提案でTRPGで遊んだのでござるが、そこで小生らは櫛田殿の闇の一端を目撃したのでござるよ。元々そういう面も持ったゲームとはいえ、普段の櫛田殿からは想像も出来ない姿でござった」

 

 口を挿んだ外村は忠告がてらしみじみと語った。

 

「私も外村くんに同意見。ってか、その場には私もいたから」

 

 間を置かずに千秋も続いた。

 勝手に人の隠し持つ一面を語り始めた外村に怒りを抱くものの、桔梗はすぐに思い直した。

 そもそも、人はストレスと無縁ではいられない。大なり小なり日々の生活の中でもストレスは溜まっていくのだ。違いがあるとすれば発散具合と溜め込み具合なものだろう。

 この二人の言葉によって、クラス内に『櫛田桔梗はストレスを溜め込んでしまう』ことが周知された。一般的な良識のある人物ならば、接し方にも気を配るようになるだろう。期待の出来ない相手もいるが、総合的には今よりマシになる筈だ。

 

「それに篠原さん、そんなに櫛田さんに詰め寄って、彼女が勉強を教えることを忌避すればどうするのよ? 退学者が出たらどんなペナルティがあるか分かったもんじゃないし、彼女ほど顔の広い人物はうちのクラスにいないのよ? 須藤くんとか池くんとか山内くんとか、彼女以外に誰が勉強を教えられると思ってるの? 平田くん? 論外ね。彼が良くても向こうが是とはしないでしょ。そんな文句を言うな、って意見もあるかもしれないけど、なら篠原さんも櫛田さんに詰め寄るのを止めるべきでしょ? 櫛田さんは『勉強を教えないと』は言ってない。ただ『高望みするな』って言ってるだけなんだから。……第一、そんな風に詰め寄るよりも、『どうして』を考える方がよっぽど有意義でしょうに。どうして櫛田さんはあんな風に言っているのか? 少し考えればその答えは見えてくる。そして答えが見えたなら、詰め寄っても無意味なこともまた分かる。この学校の基準では、それに自力で気付くのも実力ってことでしょ? 考えても分からないなら、自分の実力はそこまでないことを素直に認めて、やるべきことをやった方がよっぽどクラスに貢献出来るわ。今の場合は勉強ね。……私はAクラスに上がりたい。そのためにクラスの団結は必要だと思ってるけど、『団結』と『仲良しこよし』は違うのよ。皆もAクラスに上がりたいんなら、そこら辺をもう少し考えるべきだと思うわ」

 

 これ幸いと千秋はマシンガントークをぶっ放した。現状、桔梗と篠原ではどちらを優先するかなど考えるまでもない。篠原を見せしめにクラスメイトへ忠告したのだ。……初日の千夜たちと同じ手法である。

 言葉はきついが言っていることは間違いではない。

 赤点を取ったら退学なのだ。退学は嫌で、学力に自信がないというのなら、余計なことは考えずに勉強に力を入れるべきなのだ。

 三バカを筆頭とした男子の件もそうだ。バカさ具合やデリカシーの無さは、先月で嫌というほどに理解している。少なくとも、女子の中に好き好んで彼らの勉強を見ようという者などおりはすまい。

 かと言って、常日頃からイケメン嫌いを宣言して憚らない池と山内が、素直に男子から勉強を教わるとも考え難い。

 しかし、放置して退学となった場合のペナルティも怖い。結局は誰かが勉強を見る必要があり、その候補は桔梗くらいしかいないのが実情なのだ。

 考えが足りないから篠原に同意していた者たちは、退学のペナルティという危険性を口にされたことで、掌を返したかのように篠原を視線で責めた。考えが足りないからこその責任転嫁であり、人の弱さが明確に表れている光景だ。……まあ、一部のまともな者は考えの及ばなかった自分を恥じて項垂れていたが。

 

「さ、分かったら解散解散。テストまで時間がないし、退学が嫌なら勉強への意欲と姿勢を示すのが賢明だよ」

 

 言うだけ言ったら千秋は手を叩いて解散を促す。

 入学早々のクラス昇格という実績とは裏腹に、茶柱クラスは暗雲に覆われていた。

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