5月に入って1週間が経過した。学年を問わず、放課後には教室、図書室、或いはカフェといった具合に、そこかしこで勉学に励む生徒たちの姿が見られた。今月中には中間テストがあるためだ。
無論、部活動に精を出す者もいる。中間テストは3日前から、期末テストは1週間前からが部活動禁止期間となっているからだ。
とは言え、この学校では1科目でも赤点を取ったら退学という厳しい制度を使用している。そのためか、一言断りを入れればどれだけ部活動を休んでも文句は言われない。特に運動部の場合は割合的に学業不振の生徒が多いから、そういう風にしないと退学者が続出してしまう。……まあ、部活動を休めばその分だけアピールの減少に繋がり、引いてはレギュラー選出から外れやすくなる一面もあるが、こればかりは仕方のないことだろう。
どちらの選択を取るかは生徒次第。自己把握という面での実力を測っているわけだ。
同時に、その事実こそが、この学校での運動部が大会等で優れた実績を生み出せない状況に繋がっている。『文武両道』や『知勇兼備』なんてのは数少ないのだ。まして、それに高レベルを求めるとなれば尚更に少ないのは当然であろう。チームスポーツの場合、輪をかけて難しくなる。個が優れているだけでは勝てやしないからだ。
結果、運動部では幽霊部員や退部者、あくまでも趣味で在籍している者が後を絶たないのである。これで実績を出すなど望むべくもない。
さて、勉学に励む生徒たちの中には、当然ながら寮の自室を用いる者もいるわけだ。茶柱クラスの生徒、佐倉愛里もその一人である。
もっとも、彼女の場合は自室ではなく教師役たる綾小路清隆の部屋で勉強しているわけだが、これには『人付き合いが苦手』とか『異性を自室に招くのを恥ずかしがった』という理由が存在する。男子の部屋に入るのにも緊張はあったが、諸々の選択肢の中ではこれが一番マシだったという話。
さりとて、流石に1週間も通い詰めれば当初の緊張など見る影もない。慣れたと言ってもいいだろう。寮の個室は基本的に全てが同じ作りで、とりわけ清隆の部屋には余分な物がないのも大きい。落ち着いて室内を見渡せるようになった時には、さしもの愛里も『これが本当に年頃の男子学生の部屋?』と首を傾げたほどだ。しかし、本人曰くの『尋常ならざる過去』を思えばすぐに納得したが。
そんな清隆の部屋であるが、数日前からは二人以外にも姿があった。佐藤麻耶と長谷部波瑠加だ。
麻耶と波瑠加もまた、桔梗同様に小テストで身の丈以上の点数を取ってしまった人物だ。麻耶は中学1、2年生の時に遊び歩いたのが未だ尾を引いているため現在は平均以下の学力しかないし、波瑠加も波瑠加で麻耶よりはマシなもののやはり平均以下の学力しかない。
小テストの点数は解答を知っていたからこそであり、他人に教える余裕などある筈が無いのだ。むしろ自分が教わりたいまである。
当初は自分たちに向かってくる矛先を恵や桔梗に流すことで対処していたが、それが通用しなくなれば如何ともし難い。
かと言って、過去問については口止めされているため下手に相談も出来ない。唯一相談出来るのは桔梗だが、矛先を流すのに利用してしまったために後ろめたさから気が引ける。
どうするかを二人で話し合った結果、麻耶乃至は波瑠加の部屋で一緒に勉強をすることにした。
普通に考えて、成績上位者に質問が飛ぶのは避けられない。しかし、二人はそれに答えることが出来ないのだから、下手に人の多いところで勉強など出来るわけがないのだ。
だが、それもすぐに行き詰まった。二人揃って高校の内容には理解が追い付いていないのだから、出来るのは基本的な部分――小、中学校の内容――を復習することくらいだったのである。一応、受験に向けて猛勉強したのは事実なので、その際のノートや資料を引っ張り出せばやってやれないことはない。忘れていても『ああ、こんなだったな……」と思い出すことが出来た。
しかし、高校の部分は自分たちだけだと正しいかどうかの判断が付かないのだ。
解答その物な過去問があるのだから、中間テストで赤点を取ることは回避出来る。その一方で、これが通用するのは初回限りなのも分かっている。地力を上げなければ期末以降の対処が出来ないのだ。
再度二人で相談し、悩みに悩んだ末、以前桔梗が言っていたことを思い出した。そして清隆の存在に辿り着き、遮二無二吶喊した次第である。
清隆としては面倒だったが、麻耶と波瑠加が千夜たち――より正確には、軽井沢恵――の関心を買っていることは理解していた。
方針通りに千夜との距離を縮めていけば、自ずと有栖や恵との距離も縮まっていくだろう。その際の印象次第では、高校卒業後の安心が確保出来ない。あの施設に連れ戻されることを防ごうと思えば、一定以上の好印象を稼いでおく必要がある。無下に断るのは得策ではない。
その判断の下、清隆は愛里が許可することを条件とした。そして、当の愛里は二人の勢いに押されたこともあってたまらず許可を下してしまう。
こうして、現在の状況が出来上がっているわけだ。
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当初はどうなることかと思ったものの、蓋を開けてみれば案外悪くなかった。
教師役の清隆はそもそも勉強する必要がない。既に学習を終えている範囲だし、内容もきちんと覚えているからだ。そのため専ら読書に耽っており、質問されれば教えるといった態をとっている。人によっては不満を買いかねないその態度も、この面子では関係がなかった。
愛里も波瑠加も必要以上にグイグイ来られるのは苦手だ。麻耶とて理解が追い付いていない状態でどんどんと進められても困るというもの。
そんなだから、訊けば理解するまできちんと教えてくれて、それでいて度々進捗を確認してくることのない清隆はありがたい存在だった。自分のペースで勉強に向き合えるからだ。
「佐藤、長谷部。二人共、オレに投資する気はないか?」
そんな折、清隆が唐突にそんなことを言ってきた。
「投資?」
「いきなりどうしたの?」
二人が首を傾げるのは至極当然だろう。
「この部屋はぶっちゃけ狭い。今の面子だけならまだしも、更に増えれば対処出来ない。そして櫛田とか松下とかが増える可能性は否定出来ない。あいつらにだって自分の勉強は必要だからな。千夜たちの方で対処してくれるかもしれないが、オレは人の感情を学んだ方が良いらしいからこっちに寄越す可能性もある。……付け加えると、と言うよりこっちが本題だが、ハッキリ言って今のペースだとテスト範囲に間に合わない。お前たち全員、学力不振が過ぎる。無理やり進めることは可能だが、理解が追い付かなければ意味がない。そして理解を追い付けるためには勉強の時間を増やす必要があるわけだが、自習で可能か?」
3人がブルブルと首を横に振った。理解出来ているのは清隆が教えてくれているからだ。自習だけなら出来なくはないが、理解を伴うかと問われれば否定せざるを得ない。実際、だからこそ麻耶と波瑠加は突撃をかましたのだ。
「だろうな。だが、寮則により『男子が女子のフロアに入れるのは午後8時まで』という制限がある。今のように女子が男子フロアに立ち入る分には時間的な制限などないが、あまり遅くまでいると周囲からの印象は良くないものとなる。テスト期間なら好意的に見てくれると思うが、地力を上げ、維持し続けるためにはテスト終了後も続けたいのが正直なところだ。1階の談話室ならまだ大丈夫だろうが、やはり時間制限はあるし、落ち着いて取り組める保証もない。Bクラスの奴らなんかが使ってそうだしな。……なら、問題のない環境を用意するしかないだろう。それがパーティールームだ。パーティールームを買えば、そこが自室となるため時間的な制限もない。個室よりも上層だから人の目に触れる機会も格段に減る。心置きなく勉強が出来る」
普通に考えれば無茶苦茶な内容だ。パーティールームの購入など簡単に出来るものではない。しかし、身近なところにそれをやっている人物がいた。つまり、実力があるなら可能なことを示している。
また、さして広くもない部屋で数日一緒にいるにも拘らず、女性陣は一度たりとて清隆から性的な視線を向けられたことがないのも大きい。清隆が異性であることは認識しているし、そういった視線を向けられないことに女性としてちょっとショックな部分もあるが、身の危険を感じないほどの安心感を抱いてもいた。
だからこそ、麻耶と波瑠加は前向きに考えた。とは言え、投資をする前に訊かなければならないこともある。
「説得力もあるし、この面子なら同居するのも吝かじゃないわ。櫛田さんと松下さんも許容範囲内。麻耶と愛里はどう?」
「え、と、櫛田さんと松下さんはともかく、このメンバーなら私も同居は吝かじゃないです。麻耶さんも最初の印象とは違いましたし……。でも、私には投資出来るようなポイントはありませんけど……」
「私もオッケー。お邪魔したのは私と波瑠加ちゃんだから、そこは愛里ちゃんが気にする必要は無いよ!」
愛里も同居には前向きなことが確認出来た。取り敢えずはこれでいい。
次に訊くべきはポイントの増やし方だ。麻耶と波瑠加には桔梗と色々相談した際にそこら辺の目途もついているが、清隆の方策がそれと同じかどうか確認していて損はない。むしろ、確認しないまま投資する方がおかしい。愛里に知っておいてもらう理由もある。
「でも、どうやって増やすの?」
「簡単なことだ。賭けで増やす。ポイントを賭けて勝負し、勝てば増えるし負ければ減る。両者合意の上ならば、ただのポイント譲渡であっていじめでも何でもない」
「そんな賭場なんて学校にあるの?」
「部活動がそれだ。サッカーならPK、バスケならフリースロー、陸上なら100メートル走など、或いはチェスや将棋でもいい。ともあれ、個人戦が可能なものなら運動部だろうと文化部だろうと賭けは成り立つ。やりようによってはグループを組んでの団体戦も可能だろう。……問題があるとすれば、どの部活を狙うかだ。如何にオレでも未経験な分野では勝機は薄いし、千夜や坂柳も既に動いていておかしくはないからな」
なるほど、と頷いた。
「ちなみに自信は?」
「未経験のもの以外なら、まず間違いなくオレが勝つ。千夜に匹敵するような奴が、そう何人もいるとは思えないからな」
言葉とは裏腹に、清隆の台詞には自信も過信も感じられない。だが、純然たる事実を語っているかのように淡々としている。
だからこそ、麻耶と波瑠加は信じられた。そもそも、口止め料は漁夫の利で得たに等しい。桔梗に誘われなければ得られなかった筈のものだ。全てを賭けるのには抵抗あるが、ある程度なら惜しくはない。高確率で見返りが得られるなら尚更だ。
「それじゃあよろしく」
「お願いね~」
「ああ、それじゃあ早速行ってくる。運が良ければ今日中に還元出来るだろう。……戻ってくるまでは自習を続けていてくれ」
清隆の部屋に、女子3人が残された。
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「ただいま」
その一言と共に清隆が戻って来たのは数時間が経ってからだった。気付けば日はとっぷりと暮れ、窓の外は闇に支配されている。既に午後7時を回っていた。
「おかえり~。ってか、もう日が暮れてんじゃん!?」
3人揃ってそれだけ集中していたということだろう。返事を返した麻耶が夜闇に驚いている。
「ほんとだね。あー、時間を認識したらお腹が減ってきた」
相槌を打った波瑠加は空腹を自覚する。お腹が鳴っていないのは幸いだ。
「それで、どうだった?」
「思いの外儲かったな。やはり上学年の上位クラスとなれば結構なポイントを持っている。それにこんな学校で部活動に精を出す酔狂な奴らだからな。ポイント的には不条理な勝負にも嬉々として乗ってくれる奴が多かった」
テストで赤点を取ったら退学。当然、それ以外にも退学の危険はあるだろう。そんな条件下で尚も真面目に部活動を続けるからには、相応の熱意と目的があって然るべき。そしてそういう者であればこそ、強い相手と戦う機会をみすみす逃したりはしない。
部活動に赴いた清隆は挨拶も早々に賭け試合を吹っ掛けた。賭け試合の存在は表立って言の葉に上がらないだけで、新入生でも気付く奴は気付くのだ。部活側も受けない理由はない。
受けない理由はないが、最初から全力で当たる筈もない。意気込んでいるだけの雑魚、という可能性だってあるのだから。
よって、多くの部活で最初に相手をするのは中堅どころとなる。これと渡り合えないようでは意味がない、ということだ。
そんな部活側の思惑を推測した上で、清隆は圧倒的な実力差を叩き付けた。それに目の色を変えるのは上位陣だ。偶にこういう猛者が現れるから賭け試合は止められない。
部活側にとっては未所属の実力者と手合わせを行う貴重な
清隆の賭けるポイントは常に一定。麻耶と波瑠加からの投資によって得た、元手となる20万。
部活側が賭けるポイントは、清隆以上なら自由だ。20万100でも構わない。しかして、清隆の実力をどれほどと見積もるか、己の眼力を絡めた上で賭けることとなる。そんなだから、余りにも賭けポイントが低ければ、『自分には人を見る目がありません』と宣言しているに等しい。
結果、無論のこと手持ちにも左右されるが、部活側は相応に高くポイントを賭けざるを得なくなる。
中には自身の敗北を前提とした上で受ける者もいる。高次の実力者との勝負はそれだけ貴重だということだ。『賭け試合』という面で見れば清隆が挑戦者だが、『勝負』という面で見れば部活側が挑戦者となる逆転現象が起こっていた。
そうして、清隆は大量のポイントを稼ぐことに成功する。何せAクラスの所属者の中にはポンと100万を賭けてくれる者もいたのだ。Bクラスなら50~80万は堅いし、Cクラスだって25万~30万は賭けてくれる。賭けるポイントのないDクラスの者はというと、これまたきちんと勝負をした。代理勝負だ。部活動の利を追求すれば、そういったことだって起こり得る。
「これが大まかな儲けだな」
「ええっ!?」
「ちょっ!? マジで!?」
「素直に驚きだわー」
清隆の携帯端末には900万以上のポイントが表示されている。数時間で得たとは思えない額だ。まるで現実味がない。
「綾小路くん、付き合ってください!」
「ええっ!?」
「悪いが断らせてもらう。興味がないわけじゃないが、まずは友人関係というものを満喫してみたい」
目を¥マークにした麻耶が頭を下げ、愛里が驚き、清隆が素気無く断った。
「まあ、まずはポイントの分配といこう。大雑把に4等分でいいな?」
「……ええっ!? 私も!? 私、投資してないよ!?」
清隆の言に、もはや驚きマシーンと化している愛里が返した。
「そもそもが俺と佐倉ありきの状況を維持・改善するためにやったことだからな。佐倉も分配対象になるのは当然だ。……佐藤と長谷部も儲けが出ているんだから文句はないだろ?」
「もち!」
「これで文句を言ったら罰が当たるよ」
麻耶と波瑠加が清隆に投資したのはそれぞれ10万ポイントだ。それが何もせずに200万以上となって戻ってくるのだから文句などある筈がない。若干愛里のポジションに不満がないわけではないが、後から押し掛けたのは自分たちだという負い目もある。清隆の優先順位や投資の手数料と思えば許容できる程度のものだ。
「それじゃあご飯にしよっか。綾小路くんのおかげでポイントも増えたし、私が出すからどっか食べに行こ? それとも何か出前とる?」
正直、今から食事の準備をするのは億劫だ。奢ってくれると言うなら清隆に断る理由はなかった。
「今から出かけるのも怠いし、出前で良いんじゃない? ってなわけでゴチになりまーす」
「えっと、ありがとうございます。御馳走になります」
「良いって良いって。ピザで良いかな?」
「オレは何でも構わんが、出前を取るなら先に部屋を買った方が良くないか? 勉強だけならともかく、4人で食べるにはスペースが心許ないぞ?」
「……それもそうだね!」
思いがけない収入と予想以上に高い清隆の実力が相俟って、主に麻耶のテンションは急上昇だ。麻耶ほどでなくとも、愛里と波瑠加の気分も上向いている。
どうせならと一番高い部屋を買い、ピザとドリンクを頼んで再び勉強に精を出す。
空気感が合っているのだろう。苦手な勉強に向き合っているにも拘らず、3人はちっとも苦痛に感じなかった。……『霊力マスター』だの『気功大全』だの『世界の神秘』だのを読み耽っている清隆に対し、若干間違った印象を抱いてはいたが。