頭が痛い。思わず堀北鈴音は頭を押さえた。
夏休み。学校が管理する無人島にて、不意打ち気味に開催された特別試験。
視線を窓の外に移せば、朝方までとは正反対なほど前向きになっているクラスメイトの姿。手のひらを返したかのようなその事実に対する痛みもあるが、単純に体調不良からくる痛みもある。
現在の茶柱クラスは、とあるスポットエリアをベースにしていた。言うなれば『ペンションスポット』だろう。その言葉通り、周囲には幾つかのペンションが建ち並んでいる。学校側からの説明は正しく、確かにペンションは用意されていたのだ。
そして一同がここを占有している以上、高円寺は――既にリタイアして船へと戻ってしまったが――千夜から依頼された役目を見事に果たしたことを意味している。
高円寺はここの他にも『畑スポット』に『滝スポット』、その他複数のスポットを占有してくれた。特定のスポットには、生活する上で役に立つ物や必需品が置かれている。畑なら食材、滝なら釣り竿、そしてここ――ペンションは言葉に尽くせぬほどだ。キッチンがある。トイレがある。風呂がある。寝室と寝具がある。細かな部分を挙げるときりがない。
この点だけで、リタイアによるペナルティを覆して余りある働きだ。それを見て取った千夜と、応えてみせた高円寺の実力の高さは決して否定出来ないものだ。実際にペナルティが発生しているため、その点について文句や不満があろうとも、これだけを揃えるのに消費されるポイントを鑑みれば口を噤むしかない。
常日頃から唯我独尊な言動が目立つ高円寺だが、学力以外にも周囲を黙らせられる実力を有しているのがハッキリと証明されたのだ。――いや、それは何も高円寺に限った話ではない。千夜を筆頭に、動く者は動いている。自分の強みをアピールしている。清隆に愛里もそうだ。
清隆の動きは入学最初の1ヶ月とはまるで違っている。実力を示しだした。期末テストでは全科目において文句なしの100点を取っている。中間テストの時のような裏技がない以上、それだけの学力を有していることは明らかだ。小テストの時からその片鱗は見えていたが、まったく見事に擬態していたものだと思う。
交友範囲の広さはそれほど変わりないが、見て分かるほど相手によって深さが違う。特に深いのは千夜と愛里だろう。それに付随する形で有栖、恵、桔梗、麻耶、波瑠加、千秋といった人物とも付き合いが増している。隣席という関係上、自分との付き合いも未だ継続しているが、深さはそれほどでもないだろう。
愛里はスクールアイドルへの参加を表明した。クラスメイトの会話を聞くにグラビアアイドルをやっていたらしい。2年間の活動で5000人のフォロワーを獲得しているんだとか。
5000人。日本人口に比べれば大したことないようにも感じるが、たった一人に対する注目度合いとして見れば十分に大したことがある。少なくとも、普通に学生生活を送っているだけではそれほどの注目は得られない。
学力、身体能力、そしてコミュニケーション能力はそれほどでもないようだが、こと『魅力』という一点にかけては他者を突き放して余りある。
(まったく、自分の見る目の無さが嫌になるわね。井の中の蛙とはこのことか……)
溜め息が漏れる。自嘲せずにはいられない。
兄に憧れた。兄を目指した。兄に認められたかった。けれど、自分は兄に比べて不出来だから、そのためには相応の代償が必要だった。
勉学に励み、運動に励み、その時間を捻出するために他者との時間を切り捨てた。
そのことに後悔はない。実際、そのおかげで学力と身体能力では高評価を得られているのだから。
しかし、その選択によって齎された歪みは相応に大きかった。そして、その事実に気付くことなくここまで成長してしまった。
兄と自分以外を切り捨てたなら、兄と自分しか比較出来る対象はないのだ。そのことを見逃していた。兄に及ばないのは自覚しているが、学校からの高評価によって『自分は優秀なのだ』と自信を持った。
けれどその実、自信は過信に過ぎなかった。期待を胸に兄のいる学校へと入学を果たし、配属されたのはDクラス。学校曰く、『不良品』、『出来損ない』、『最後の砦』。当然不満はあった。直談判したが素気無くあしらわれた。
だが、それも仕方がないと心のどこかで納得していた。なぜなら、自分は何もしていない。当たり前に登校し、当たり前に授業を受けて、当たり前に下校していただけだ。気を付けたのは、支給されたポイントを使い過ぎないようにすることくらい。意味ありげな言葉の裏を深く考えることもなく、授業中に騒ぐクラスメイトに注意することもなかった。ヒントはいくらでもあったのにだ。……後から文句を言うなんて、それこそ『負け犬の遠吠え』でしかない。
そうして、5月以降は自分なりに何とかしようと思った。けれど出来なかった。他者を『不要なモノ』と切り捨ててきた自分には、他者との接し方が分からない。
分からないなら学ぶしかない。そうは思っても、自然と他者への言葉はキツくなる。なぜなら、不用品を優しく扱う必要などないからだ。
いけないと反省しても、長年で染みついた感覚はそう簡単に治らない。多くは『その場限りの誤魔化し』と受け取られ、今や自分と会話する者など数える程度。
(こんなザマで私は……! 兄さん……)
不甲斐ない自分に怒りを覚え、次の瞬間には成長しない自分に呆れ、落ち込む。端から見ても情緒不安定だろうし、自分でもそう思う。
そして何より情けないのは、何をすることもなく、ただ寝具に身を預けている事実そのものだ。
動きたいのに。クラスの役に立つ何かをしたいのに。自分の価値を見出したいのに。それが許可されることはない。
「無理に動いて悪化し、リタイアされる方がよっぽど困る」
千夜から告げられた、冷酷なまでのその一言。彼が心配しているのは自分ではない。リタイアによるペナルティだ。『
それに理解と納得を示せる自分が嫌いだ。
自分が今まで他者に行ってきたことだというのに、それだけで動けなくなる自分が嫌いだ。
グルグルと回る自己否定感に苛まれながら、やがて堀北鈴音は眠りについた。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「ん、んん……」
目を覚ました鈴音は、茫洋とした頭で状況を思案する。取り敢えず頭痛は治まっている。次に、ここはどこだったか? と頭を巡らせていると――
「目が覚めたようだな。調子はどうだ?」
横合いから声がかけられた。
振り向く。一人の男子がいる。見知った人物だった。同時に、寝る前のことを思い出した。
「……千夜、くん?」
漏れた声は弱い。多分に疑問を含んだ声だった。
「どうしてここに? 貴方にとって、私は見舞う価値のある相手とは思えないのだけど?」
次に出た声は、先ほど弱くはなかったが、多分に自嘲を含んでいた。
「うん? ……あー、そういうことか。お前相手には理を説いた方が説得しやすいと踏んだんだが、弱ってる時に言われれば、そう捉えても無理はないな。悪かった」
鈴音の言葉を聞いた千夜は首を傾げ、暫しの後、そう言って頭を下げた。
そう言われ、鈴音もまた理解した。確かに、悪化の心配をされただけならば無理にでも動いただろう。そもそも、ムダに心配されるのを厭えばこそ、体調不良を隠していたのだから。……まあ、それも容易く見破られてしまったわけだが。
「いえ、私こそごめんなさい。わざわざ見舞ってくれた相手に言うセリフでもなかったわ」
そう言って、鈴音もまた頭を下げた。……完全に自嘲が抜けたわけでもなかったが。
千夜を相手にすると、鈴音は劣等感を刺激されて仕方がない。いや、相手は千夜に限ったことではないだろう。清隆であれ誰であれ、前に進む姿勢を見せている相手なら同じである。
この学校に入ってから、鈴音は成長している実感がない。皆が前に進む中、自分だけがその場で足踏みしている感覚に囚われている。
再会した兄にも言われた。『今すぐこの学校を去れ』と。『お前には上を目指す力も資格もない』と。地面にも叩き付けられた。痛かった。身体もそうだが、何より心が痛かった。
それでも、『自分は間違ってない』と虚勢を張って、どうにか頑張ってきた。だけれど、何も変わっていないのだ。何も変えれていないのだ。『Aクラス』を目指すと意気込んで見せたところで、何の役にも立っていないのだ。
学力には自信がある。運動能力にも自信がある。しかし、そのどちらも自分より優れている人物がいて、自分には出来ないことを成し遂げている。クラスを導いている。
なら、私のいる意味は何だ? 私が何の役に立つ? 唯一のしたいことを否定されて、私はこれからどうすればいい?
再び、自己否定感が鈴音を襲う。グルグルと回り続ける。
「……ただの体調不良ってわけじゃなさそうだな。お前は何に落ち込んでいる? 何がお前をそんなに苛む?」
それを、千夜に見破られた。完全にではなかろうが、鈴音が自嘲を抱いていることは見破られたと見ていい。
「そう、ね……」
そして、気付けば鈴音は語っていた。
苦しみを、苛立ちを、悩みを、願いを、感情の赴くまま、支離滅裂に語っていた。
まるで、泣き喚く幼児のように語っていた。
「兄さんに褒めてほしいって思うのはいけないことなの!? 兄さんに認めてもらいたいと思うのはそんなにダメなことなの!?」
その慟哭に対し、そうさなあ、と千夜は相槌を打った。
「俺はお前じゃないし、お前のような過去を過ごしてもいない。だから軽々に『その気持ちは分かる』なんてことは言わんし言えん。それでもなお言えることがあるとするならば、お前もお前の兄――生徒会長も高望みをしすぎだ、ということだろうな」
「……たか、のぞみ?」
「ああ。ヒトってのは千差万別。似たようなヤツはいれど、全く同じヤツはいない。実に不便で、だからこそ面白い。それがヒトってもんだ。……その前提で考えれば、お前が兄に願うことと、お前の兄がお前に願うことは違って然りだ。それがどうしようもなくかけ離れたものであるならば、向き合うことが出来ても擦れ違って然りだ。んで、聞くにお前らは互いにそこら辺をきちんと話し合ってはいないだろう? いや、お前の兄はそれとなく伝えているのかもしれないが、それが正しくお前に伝わらなければ意味がない。『言わなくても分かる』なんてのは、相手への甘えであり高望みだ。まあ、期待の裏返しでもあるがな。不器用なんだろうよ」
「……ふふ。兄に対して不器用なんて言ったの、私が知る限り貴方が初めてよ」
未だ涙が流れてはいたが、それでも笑顔を浮かべて鈴音は返した。
「そうかい? そしてお前の場合、まあ色々とあって人付き合いを改善しようとしたが出来なかった。会話するヤツも減ってった。んで、その事実に打ちひしがれたと。……何を打ちひしがれる理由があるんだ? それでもなお、お前と会話するヤツはいるだろうが。現に、今こうして俺はお前と会話している」
「……あっ?」
本当に気付いてなかったようで、千夜の指摘した事実に鈴音は呆気に取られた表情を浮かべる。
「まあ、それだけ精神的に参っていたってことなんだろうがな。だが、こうしてお前は知った。気付いた。自覚した。なら、あとは簡単だ。その繋がりを大切にすればいい。そうして、少しずつ輪を広げていけばいい。一歩一歩前へ進むようにな。……第一、最初から万人と親しくしようなんざコミュ障に出来るわけがねえだろうが。それを出来ると思うなんざ、高望みに他ならねえよ。自惚れとも言うな」
「……まったく。知ってはいたけど厳しい人ね。傷ついた女の子は優しく慰めるのがセオリーなのよ?」
悪戯気な表情で鈴音が言う。既に涙は流れていなかった。
「ハッ、セオリーはセオリーでしかねえよ。当て嵌まらねえヤツは当然いるし、他ならぬお前もそのタイプだろうが?」
ふてぶてしい表情で千夜も返した。
「泣いたら何かスッキリしたわね。……ねえ、千夜くん? 私もアイドル活動に参加するわ。自慢じゃないけど見目は良いから。それに、よく知らないけど世の中にはクール系っていうのも需要があるんでしょう? ……兄に認められたいのは変わってないわ。今までずっとそうしてきた私の根幹だもの。そう簡単には変えられない。だけど、そのために何をすれば良いのか? 何をしたいのか? が自分でもわかっていないのよ。ただ、そんな状態でも、このままクラスの皆と特別試験に臨んだところで、私に何が出来るのか分からないっていうのが一番大きいわね。要するに逃げよ」
「良いんじゃねえか? 世の中、逃げたことのねえヤツなんていやしねえよ。それに、見方によっては確かに『逃げ』かもしれねえが、見方によっては『挑戦』だ。どこかしら吹っ切った今のお前なら、確かに人気は出るだろうよ。美人ってのも間違ってねえしな」
「あら、ファンになってくれるのかしら?」
「おお、良いぜ」
打って変わった軽口の応酬を行った後、どちらともなく笑いだした。
今の鈴音には、さっきまでの鬱屈とした気分はもはやない。少なくとも、今この瞬間は心が晴れ晴れとしていた。今までにないほど、視界が色付いて見えた。
「さて、そろそろ晩飯の時間だ。行こうぜ?」
「ええ」
出来損ないの中からまた一人、歩き出す少女が現れた瞬間だった。
或いは、堀北さんに「いま、私を笑ったかしら?」と言わせる可能性もワンチャンありました。地獄兄妹ならぬ地獄シスター。