夜。
既に日は落ち、星と月の明かりしか光源のない、そんな時間帯。
雪村千夜は坂柳有栖を姫抱きして森の中を爆走していた。ただでさえ暗いのに、森の中は樹々で更に光が遮られているのだ。常人ならこんな速度で走れはしないし、走ろうとも思わないだろう。並外れた身体能力と視力を有すればこその離れ業である。
こんな夜中にそんな真似をしている理由はただ一つ。スポットを再占有するためだ。あわよくばそれ以外のスポット占有も目論んでいる。
「それにしても千夜?」
ポツリと有栖が口を開いた。
「ん? 何だ?」
その足は止めず、千夜は訊き返した。
「いえ、ちょっと口説きすぎではないかと思いまして。綾小路くんと櫛田さんと堀北さん。この短時間で既に3人ですよ?」
「待て。咎めを否定はせんが、清隆を含めるのは止めろ。俺は至ってノーマルだ。決して男色家じゃない」
悪戯じみた有栖の小言に、千夜は思わず真顔で返した。
人材登用的な意味ならその3人を挙げられても決して否定は出来ないが、今の声音は別の意味を彷彿とさせる。そっちで考えると、流石に清隆を含めるのは勘弁願いたい。
「と言うことは、やはり櫛田さんと堀北さんについては違わないのですね?」
「……否定は出来ねえ。俺はあの3人の生き様に心を揺り動かされている。惹かれている。そして、その対象はこれからも増えるかもしれない。相手が男なら間違いなく恋愛感情はないと否定出来るが、女が相手となると断言出来ねえ」
更なる追及を重ねる有栖に、千夜は申し訳なさげに答えた。
「よもや、この学校がここまで俺にとっての鬼門になるとはな……。入学する前と、入学した頃には思いもしなかったよ」
「『貫けば、誠になる』でしたか。難儀な家訓ですね。確かに、この学校のスタンスを鑑みれば、貴方が食指を動かされる相手には事欠かないでしょう。……はあ。そもそも、貴方をこの学校に誘ったのは私なのですから、これでは文句も言えないではないですか……」
有栖は家訓と言ったが、どちらかと言えば『業』だろう。雪村の業だ。
盛者必衰が世の理とは言え、実際に滅びかければ素直に頷いてなどいられない。中興を果たした当代は気にしていなかったかもしれないが、周囲や子孫はそうでなかったということだ。
何せ雪村は東国を統べる鬼の頭領だ。その立場、その血の重さは、そう簡単に見捨てられるものではない。なればこそ、幕末の折、生き残った雪村の姫たる千鶴に対し、中央を統べる八瀬の姫たる千は親身に接し、西国を統べる風間の頭領たる千景は嫁にしようと迫ったのだ。
しかして、千鶴と結ばれたのは土方歳三だった。変若水を飲み鬼の紛い物と化したとはいえ、元はただの人間だ。
羅刹は生命を削り続ける不安定な存在だ。改良型の変若水を飲んだため初期型のそれよりマシとはいえ、副作用により時折狂ったように血を求める。その衝動をただ精神力で堪えていた男を救うべく、千鶴は己の血を与えたのだ。
人とも鬼ともつかぬ存在となったその男が、風間千景に己を認めさせたのだ。鬼の頭領が紛い物を『誠』と認め、鬼の名を与えるに至ったのだ。
雪村の家訓――『貫けば、誠になる』とは土方歳三の生き様そのものなのだ。だからこそ、人間に対する畏敬の念が込められているのだ。
同時に、中興を果たせばこそ、雪村は今度こそ純血を保つべく戒めているのだ。
とは言え、土方歳三のような人間など早々生まれるわけもない。生まれていても、巡り合えるとは限らない。結果、多くの雪村は心奧で人間に期待を抱きつつ、純血を保つことに重きを置く。
だが。
もしも。
土方歳三のような、貫き誠となせるような相手と出会ったならば、雪村が心が揺さぶられるのは間違いないだろう。欲したとしても不思議はない。……いや、正に今の千夜がそんな状態なのだ。
「悪いな」
だから、有栖と恵に対する不義理さを自覚しつつ、千夜はその一言を発するしか出来なかった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「神崎隆二。現在の所属はAクラスだ。うちのクラスからは俺一人が参加となる。よろしく」
無人島試験2日目の朝。
点呼の終了したアイドル活動参加者たちは、船着き場へと集まり顔合わせを行っていた。クラス順に自己紹介を始めたところである。――とは言え、神崎を除けばこの場にいる生徒は茶柱クラスだけだった。
そしてこの神崎だが、外見で判断するなら紛うことなきイケメンだ。
「ああ、よろしく。茶柱クラスの雪村千夜だ。……しかし、まさか神崎以外はうちのクラスしかいないとはな。流石にこれは想定外だ」
「それには同感だが、俺としてはお前たちの参加人数にも驚いているのが正直なところだ。……ああ、すまない。思わず口を挿んでしまった。自己紹介を続けてくれ」
「綾小路清隆だ。省エネ主義を標榜している」
「沖谷京介です。見た目にコンプレックスを持ってましたが、一念発起して参加することにしました。よろしくお願いします」
「櫛田桔梗です。よろしくね、神崎君」
「坂柳有栖といいます。よろしくお願いしますね」
「佐倉愛里です。一応、入学前は雫と言う名前で活動していました。よろしくお願いします」
「堀北鈴音よ。分からないことだらけだけど、お願いするわ」
そして全員の名乗りが終わった。クラス比はおかしいが、人数比で考えれば男女4:4で良い感じである。
「挨拶は終わったようですね? ムダにギスギスすることもなく、こちらとしても大助かりです。前情報だけですと、どうしても不安は否めませんでしたので……」
そのタイミングで口を開いたのは伊藤と紹介された女性だった。
クラス闘争が切っても切り離せない校風だ。その不安は妥当なものだろう。
「本日の簡単な流れを説明しますと、まずは皆さんに各々の芸名を考えていただきます。今後、仕事中は芸名を使用していただきますので心掛けをお願いします。……芸名が決まった後は、各エリアを回っての個人撮影ですね。人によってイメージや雰囲気は異なりますので、最も良さそうなものを紹介用の写真として使用いたします。本日の仕事はこれだけですが、各エリアを各時間帯で撮影しますので、甘く見ないようにお願いいたします。……この紹介用写真ですが、外部連絡が禁止となってますので皆さんの自己紹介コメントなどを載せることは出来ません。ですが、それだとこちらも仕事になりませんので、煽り文を載せて押し出していく形になります。この煽り文ですが、皆様に希望があるならある程度沿える形にいたしたいと思います。希望がなければ、こちらで適当にチョイスさせていただきます。……ここまでで何か質問はありますか?」
伊藤の問いかけに皆が顔を見合わせる。
特にありません、と代表して神崎が答えた。
「結構です。次に言うことを心して聞いてください。これは皆さんの安全にも関わってきますので」
そうして説明されたのは、愛里に対するストーカー問題だった。
入学以降、盗撮写真と行き過ぎた熱情を綴ったファンレターが、何度となく愛里の部屋に届くようになったのである。
陸の孤島である高度育成高等学校では、決してあってはならない問題だ。しかして犯人の目星も付かぬ以上、場当たり的な対処しか出来ないのもまた事実。解決には程遠い状態だった。
愛里から学校へと相談がなされ、それを受けた学校側は敷地内の全施設へとストーカー問題が発生していることを通達し、相互監視の強化を依頼した。結果、現在は届かなくなっているが、小康状態に過ぎぬというが共通した考えだ。
だが、『届かなくなった』という事実にこそ一縷の光明が発生する。『バレたくない』と犯人が思っていること、引いては犯人の自己評価が決して高くはないことが推察出来るのだ。
雫が活動休止して落ち込んでいたところ、思わぬ場所で本人を見つけてしまったために、一種の舞い上がり状態に陥ってしまった可能性は否定出来ない。そこに通達がなされたことで正気に戻った。この推測が正しい場合、このまま何も変わらなければ再度暴走する可能性は否めないが、変われば治まる可能性も否定出来ないのだ。
こういった場を用意したのは、確かに実力披露という面もあるが、犯行の抑制を願ってのものでもある。愛里が雫としての活動を再開することで、或いは犯人も満足してくれるのではないか? それが叶わなくとも、『敷地内に雫が存在する』という事実を公表することで、行き過ぎたファンレターを出しにくくなるのではないか? とこういうことだ。……なお、ブログへのコメントについては必要経費と諦めることにする。
ただ、この方法は新たなストーカーの発生や矛先の分散が危惧される。そのため、アイドル活動を行う以上は各々に危機感を抱いてもらい、報告・連絡・相談を徹底する必要があるとのことだった。
無論のこと、ストーカー問題については口外禁止である。犯人の分からぬ状態で広まってしまえば、学校全体で恐慌状態が起こりかねないからだ。その危険性がある以上、口を噤むのは正しい理屈だ。
「正直に言いますと、私と遊佐は必ずしも芸能方面に明るくありません。同社に勤めてはいますが、この問題を受けて警備部門から移動になったクチです。言わば皆さんの護衛を主とした人選です。……もちろん、部門移動に伴い研修を受けてはいますが、そこまでの自信はまだありません。そんな私たちが派遣されたのは、『この島では出来ることが限られる』という点に重きが置かれています。なので、私たちもまた仕事を通して皆さんと一緒に成長していくこととなります。ご迷惑をかけることも多々あるでしょうが、ご理解のほどをお願いいたします」
そう言って伊藤は頭を下げた。
「まあ、学校側としても初の試みです。何から何まで万全なスタートなんて望むべくもないでしょう。ついでに言えば、今回の件には俺も一枚噛んでますので無理は言えませんよ。都合が良いから、と本家たる『雪村』の名を盾にして分家の『土方』へと強請りましたからね。必要な行為だったと確信しているので後悔はありませんが、迷惑をかけたという自覚はあります。現に、そのしわ寄せがあなた方へと押し寄せた形となっている。……こちらこそ申し訳ない」
千夜もまた頭を下げた。
どちらの言うことも間違ってはいない。それぞれの立場の違いから、状況への見方や接し方もまた異なるだけだ。
現に、佐倉などは伊藤の言葉を受けて安堵の息を漏らしている。
土方警備は日本有数の警備会社だ。実際には部門の一つでしかないようだが、そう誤認してしまうほど知名度が広いことを示している。そこから移って来たというのなら、それだけで安心感を得る効果がある。
仕事の手際については、現時点では判断が付かない。何しろ、『許可なき敷地外への外出』と『外部との無断連絡の禁止』により、出来ることにも限りがあるからだ。
アイドルと聞いて思い浮かべる様な握手会なんて出来る筈もない。写真撮影だってそうだろう。今回は試験に託けているから『南の島での撮影』が出来ているだけである。
そんな状況で、外のノウハウがどこまで活かせるかなど分かるわけがない。しかし、だからこそ大きなマイナスにもなり得ない。
「さて、謝罪合戦はそこまでにしましょう。……それと、可能なら今後はざっくばらんに接していきたい。敬語は確かに大切だが、一種の壁とも見れる。立場は違えど、今日から俺たちは仲間となる。『仲間内で壁なんぞ作ってちゃあ、上手くいくものもいかなくなる』ってのが俺の持論だ。無理強いは出来んが、考えてみてほしい。……まあ、矛盾するようだが、敬語だからって必ずしも壁があるってわけでもないからな。砕けた言葉遣いが苦手ってんなら敬語でも構わんさ」
それもまた事実。言葉遣いは態度の一部でしかないが、一部とはいえ間違いなく態度なのだ。要は大事な部分が機能していれば、どちらでも構わないということ。遊佐の言は、その大事な部分を機能させやすくするための一例でしかない。
「そう言ってもらえると、俺としても助かる。異論はない」
そうして、それぞれがそれぞれのペースで接していくことに決まった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「さて、一段落着いたところで芸名を決めるとしよう。佐倉さんは『雫』で構わんとして、他に誰か決まった者はいるか? まあ、どうしても決まらなければ本名でも構わんが……」
メモ帳を片手に遊佐が問いかける。伊藤はタブレットを片手に打ち込む準備だ。
「難しく考えるのも面倒だからな。俺はユキヤで良いぞ。字面は雪の夜だ」
真っ先に口を開いたのは千夜だった。言葉通りに単純な決め方だ。本名の雪村千夜から引っ張って来ただけである。
「ふむ。では、俺もユキヤに習ってシンジでいこうか。字面もユキヤと同じ方策で構わない」
次に決めたのは神崎だ。読み方こそ異なるものの、やはり本名の神崎隆二から引っ張って来た形だ。
「じゃあ、オレはアヤタカで……」
「それは止めておけ、清隆」
「うむ、流石にそれは止めておいた方が良いと思う。どうしてもどこぞのお茶を思い出してならない」
二人と同じ方策を取ろうとした清隆だが、名前を告げた途端にダメ出しを食らう。満場一致の反対だった。
「むぅ……」
全員から反対を食らえば、さしもの清隆も思わず口を尖らせた。
「私はリンでお願いするわ」
清隆がダメ出しを食らったため、3番目に決まったのは鈴音となった。やはり単純な決め方だ。
その次に口を開いたのは桔梗だった。
「ん~、じゃあ、ちょっと捻って私はヒカリで。漢字は光るだね。……さて、導き方が分かるかな?」
桔梗の言からするに、名前の導き方には何かしらの法則があるのは明らかだ。『ちょっと捻って』の一言から察するに、やはり本名を捩った形。漢字に指定を入れていることから『光』という字に繋がりがある。
それぞれが頭を悩ませる中、程なくして清隆が口を開いた。
「……明智光秀か?」
「ありゃ、簡単に分かられちゃった」
「そうか! 桔梗紋!」
桔梗紋を使った家は数多くあり、明智氏もその一つだ。そして明智氏で有名なのが明智光秀である。桔梗とも光とも繋がっている。
「あ、遊佐さん。私の煽り文なんですけど、『闇深き少女』とか、そんなのでお願いします」
「闇深き少女……か? 構わんが、何か意味でもあるのか?」
その問いかけに、桔梗は己が
「私がDクラスに配属された由縁ですね。……私、中学の時に学級崩壊を起こしてるんですよ」
笑顔で。
気楽に。
本来なら隠しておきたいだろう秘密を語ってのけたのだった。