「……せ……や……せん……」
どこからか声が聞こえる。自分を呼ぶ声だ。いや、声が聞こえるだけではない。揺れている。揺らされている。
それを知覚した瞬間、雪村千夜は微睡から目覚めた。
視界に入るのは見慣れた寝室のそれではない。起ききらぬ頭でぐるりと周囲を見渡し、そこがバスの車内だと気付いた。
「おはようございます、千夜。珍しくグッスリでしたね。間もなく到着するそうですよ」
そう声をかけてくるのは隣席に座る少女。年齢と比較しての発育はともあれ、その容姿は端麗だ。白銀の髪が車内に差し込む陽の光を浴びて輝いている。
「ああ、ありがとう。手間をかけさせたな、有栖」
返事を返す頃には、千夜の目も覚めきっていた。ここは日本における有数の名門校――『高度育成高等学校』に向かうバスの車内だ。今日から自分たちはそこの生徒となる。
高度育成高等学校には特有のルールが存在する。資料によると『行事以外による敷地外への外出』と『外部への無断連絡』が禁止されている。当然それ以外にも色々とルールはあるだろうが、厄介なのは敷地内に門を構える各種施設にも似た様なルールが課されていることにあった。……まあ、それも当然である。如何に生徒の口を閉じたところで、大人から漏れてしまえば意味はない。それが回り回って入学予定の生徒に伝わる可能性は否定出来ないのだから。
問題だったのは、雪村も敷地内に病院を構えているところにあった。優秀な人材を揃えている自負はあるが、雪村の何よりの強みは変若水にある。そしてその使用判断を下せるのは、雪村本家か、条件付きで分家筆頭格にある土方と斎藤のみ。それ以外はたとえ院長だろうと、許可なく使えば粛清が待ち受ける。
そして敷地内の病院では、斎藤と土方との協議で判断を下す状態にあった。しかし、そこに雪村本家の次期頭領たる千夜が入学することになった。如何に学生であろうと、その立場から敷地内での最高意思は千夜に移ってしまうのである。それに関してのあれやこれやが昨夜遅くまでかかり、結果として千夜は寝不足の状態にあったのだ。バスの中で眠ってしまっても仕方ないと言えるだろう。
「しかし、楽しそうだな。俺が寝ている間に何かあったか?」
「何か……ええ、そうですね。色々と面白そうな方々もいらっしゃいますし、何より待ち望んでいた再会も叶いそうですしね」
千夜の問いに答える有栖は実にイイ笑顔を浮かべていた。頭に『天使のような』という冠を着けても違和感はあるまい。――とはいえ、それは本性を知らない者にとっての話。
坂柳有栖という少女は、淑やかで丁寧な言葉遣いからは考えられぬほどに冷徹冷酷であり、その思考も攻撃的だ。大半の相手は自身が嗜むチェスの駒の如くにしか思っていないだろう。その頭脳は天才を自負するほどに明晰であり、外部からの評価も過たないのでタチが悪い。
それでも、治療前よりは優しくなっているのも否定できない事実だ。その明晰な頭脳とは裏腹に、杖なしでは歩行を許可されぬほど身体面でのマイナスを抱えていればこそ、攻撃的にならざるを得なかったのだ。『ケガ人や病人には優しく』というのは一般的なモラルと言えるだろうが、見方を変えれば健常者からの同情だ。同情を辞書で引けば『他人の不幸や苦悩を、自分のことのように思いやっていたわること』とあるが、健常者が健常者である以上、どう足掻いたところで有栖の病を『自分のことのように』考えるなど不可能なのだ。
その生まれに頭脳も相俟って、有栖は非常にプライドが高い。そんな彼女にとって、身体面のマイナスで必要以上に優しくされることは『見下されている』としか捉えられなかったのである。
しかし、今ではそのマイナスの要因たる先天性心疾患も長い闘病生活を経て完治とは言えずとも治っている。杖の補助なく歩くことも可能であり、ある程度までなら運動も出来る。治療の過程で変若水と雪村の血も投与されており、食事も雪村の地で採れた物――販売は『斎藤食品』である――が大半を占めたために羅刹化の反動も最小限だ。ごく短時間なら無いに等しい。
こうまでくると、余裕が生まれて然りである。物事の捉え方や考え方が変化しても不思議はないだろう。……まあ、如何に優しくなろうとも、ベースとなる部分が大きく変化するには時間も要因も足りない。言ってみれば『多少丸くなった』程度でしかない。
「そうか……。愉しそうで何よりだが、お前に目をつけられた相手はご愁傷様だな」
故に有栖という少女の本性を知る千夜は、当然ながら見惚れることもなかった。かといって特に諫めることもしない。その対象が同級生だろうと、現時点では見知らぬ相手だ。軽い同情を抱いて終わりである。
「……と、どうやら着いたようですね」
その言葉通り、程なくしてバスは停車した。赤い制服を着た集団が次から次へとバスを降りて行く。降りて真っ先に目に入るのは、天然石を連結加工した作りの門。
「ここが……」
「ええ。ここが、高度育成高等学校です」
さあ、高校生活の始まりだ。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「――なんて、ゲームのスチル風にキメてる場合でもねえな。……たしか校舎の入り口横に掲示板が用意されてて、そこで自分のクラスを確認するんだったか?」
「ええ、そうですね。その後は暫くクラスで待機。担任がやって来るので、改めてこの学校のルールについて説明を受ける。そして体育館で入学式。……入学案内によるとそのような流れだった筈です」
「んじゃ、行くか」
掲示板の前は正しく人の群れ、群れ、群れだ。まあ、バスの中でも多く感じたのに、入学生の総数はその比ではない筈なので当然ではあるのだろうが。あの中に突っ込んで確認するのは、さしもの千夜とて面倒臭い。かといって人が空くのを待つのも時間のムダだ。
そうである以上、取るべき手段は限られている。
「ん~、俺とお前はDクラスのようだな」
「……見えるのですか?」
未だ掲示板からは相応の距離がある。おかげで人垣の隙間から掲示板を確認出来なくはないが、有栖にはかろうじて字と認識するのが精いっぱいだった。それとて前情報があればこそだろう。……前情報を抜きにしても、何の道具も無しにここから名前を確認するにはどれだけの視力が必要なのか。
「ちょっとばかしコツが必要だけどな。慣れればお前にも出来るとは思うぜ?」
己の瞳を指差しつつ、軽いドヤ顔で千夜は答えた。よく見れば、その瞳はいつの間にか金色と化している。……鬼化している証であるが、角も生えていなければ髪の色も普段のままだ。言うなれば限定的な鬼化だろう。
「器用なものですね。……天才を自負する私ですが、簡単には出来なさそうです」
「技術の発展に伴い、俺たちはより慎重と秘匿を心掛ける必要を余儀なくされた。これもその過程で生み出された術の一つ。先達より継承された努力練磨の結晶だ。言葉通り、お前ならいずれ出来るようになるとは思うが、そう簡単に真似されたらこっちの立つ瀬がねえよ」
鬼化を解除した千夜は、肩をすくめて有栖に答えた。
ともあれ、クラスが判明した以上、足を止めている必要は無い。二人は校舎へと歩き出す。
「……しかし、多いですね。流石にこれを『特殊』の一言で片づけるには無理があると思いませんか?」
「それには同意だが、そうは言っても他に適当な言葉も無いだろうよ。素直に『監獄』とでも言うか? 途端に入学生が減るに決まってる。……諸々込みで『特殊』ってことだろうさ」
教室に向かう道中、その足を止めぬままに有栖がポツリと呟く。それに対し、千夜は同意しつつも否定した。未だこの学校について二人が知ることなど少ないのだ。学校にあるまじき数の監視カメラが設置されていようと、実態が分からぬ以上は『そういうもの』として受け入れざるを得ない。
それを補強する材料の一つとして自動販売機が挙げられる。生徒用玄関の近くに幾つかの自動販売機があったが、現金が使えなかったのである。電子マネー用と思しき読み取り口はあったが、対応している電子マネーは分からなかった。
販売商品の金額は敷地外の物と大差なかったが、水だけは0円表示だった。それも一つだけではない。その場にあった多種メーカーの自動販売機で、水だけはどれも共通して0円だったのだ。……これもまた『特殊』のひとつなのだろう。
「どうやら教室に着いたようですね。席は……机にネームプレートが置かれているのですか」
教室内を見る限り、現在登校している生徒は半分くらいのようだ。着席済みの者もいれば、一塊になってお喋りに興じている者もいる。
席は列で男女が分かれているわけではなく、入り混じっているようだ。
「まったく面倒な……。では千夜、また後で」
「ああ」
一つ溜息を吐いて、有栖は教室内へと歩を進めた。机の間を歩くようにしてネームプレートを確認している。同年代の女子と比較しても小柄な彼女にとってはその方が確実だ。人が座っている席にも視線を投げているのは、
千夜もまた歩を進めた。掲示板の時と同様、限定的な鬼化により視力を強化することで既に自分の席は確認してある。その足取りに迷いはない。
教室前方、教壇の真ん前。そこが千夜の席だった。鞄のかかっていないところを見ると、隣席の者はまだ来ていないようだ。
「有望な奴がいればいいんだがな……」
千夜自身は然したる理由があってここに入学したわけではない。強いて言うならば有栖の付き添いだ。その旨は面接の時にもハッキリと告げている。本音を言うならば、これで入学できたことに驚いている。
とはいえ、入学出来た以上は何かしらの目的を持って臨んだ方が日々にメリハリがつく。故に千夜は人材確保を目的に掲げた。怪しさ満点の学校だが、それでも国内有数の名門校なのだ。有望な者をスカウトできれば、正式に雪村を継いだ際の助けとなり得る。実際、表関連の仕事に就いている者の大半は裏の事情を知らないのだから。
「お隣さんだね、よろしく」
千夜が教室内の生徒に視線をやり、さり気なくその所作を確認していると声がかけられた。気配で人が近付いているのは察していたが、どうやら隣席の生徒が来たらしい。声からして女子。言葉を返すべきだろうと振り向きつつも、どこかで聞き覚えのある声だと疑問を抱く。
「ああ、よろしくたの――恵か。まさかお前もこの学校だったとはな……」
振り向き、納得した。友人だったからである。女生徒の名前は軽井沢恵。将来的には雪村の一門に加わることが確定している少女だ。
「――っ!? 驚いた。ほんっっと驚いた。まさかここで千夜に会うなんてね~。ってことは有栖もいるの?」
「ええ、ここにいますよ」
言いつつ、いつの間にやら恵の後ろにいた有栖が息を吹きかけた。
「うひゃっ!? ちょ、止めてよも~う」
「ふふ、可愛らしい反応をありがとうございますね、恵」
いわゆる『正妻』と『妾』ポジションにいる二人だが、その仲は良い方だ。
出会いは中学時であり、恵が雪村の病院に担ぎ込まれたのがきっかけである。当時の彼女はいじめを受けており、それは直接的な暴行にまで及んでいる。通常の医療ではどう足掻いても深い傷跡が残る怪我を負わされる程だ。
しかし、それが雪村の目に留まった。年頃の少女にとって、醜い傷跡が残るのは喜ばしいことではない。だからこそ、怪しい契約も受け入れてもらいやすいのだ。
普通に考えて、醜い傷跡の残る女を妻にする男は少ないだろう。それでも妻にするならば、何かしらの理由があって然るべき。
ならば、怪しいというだけで契約を蹴ることに何の利があるというのか。世間一般的な目で見て雪村は大家であり、十分な当たり物件だ。分家とはいえそこに嫁げるのなら、ましてや多少は年の差があるかもしれないが同年代の相手だというのなら、断る理由は少ない。契約を受け入れれば、雪村独自の薬で傷跡も残らぬようにしてくれるというなら尚更だ。
若干の視野狭窄はあったかもしれないが、そういう感じで恵もまた契約を受けいれたのである。
その後、どの家に嫁がせるかを決めるために改めて恵のパーソナルデータを確認した際、千夜と同い年であることが発覚。結婚相手は有栖で確定だが、万が一を考えて妾ポジションに置かれることが決まった次第である。
そのことは当事者である千夜たちにも通達され、恵の入院中に顔合わせが取り行われ、そこから付き合いは続いている。……そうは言っても、住んでいる場所も離れていれば、通う学校も違うのだ。恵が退院してしまえば、電話やチャットなどでのやり取りこそあれ顔を合わせる機会は減っていった。互いの進学先を知らなかったのはそのためだ。
「ま、ともあれよろしく! 前評判とは裏腹に何か色々ときな臭そうだけどさ!」
「ああ」
「はい」
担任教師が入ってきたのは、それから間もなくのことだった。