「どうやら落ち着かれたみたいですね。よろしゅう御座いました」
一同に声を掛けてきたのは、厨房から出てきた人物であった。おそらくはこの店の料理人だろう。纏っている割烹着が、その推測を後押しする。
年の頃は30半ばから40半ばといったところだろうか。落ち着きと若さが同居しているように見受けられる。
現在は朝食を食べている最中であり、ここは店の一角だ。そんなところで騒ぎが起これば、店側が気を向けるのも無理はない。
「申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」
出てきた料理人に、すかさず幸村が謝罪した。感情の激発により泣いてしまったのは事実である。直接的な被害を出していないとはいえ、『営業妨害』と取られてもおかしくはない行為であった。
同席している生徒たちも、銘々に頭を下げる。
「お気になさらず。多少気にかかったのは事実ですが、咎めたてるほどのことではありません。迷惑というのなら、礼儀のなっていない方々のほうがよっぽどですよ」
今回の旅行中、生徒たちは船の施設を全て無料で使用することが出来る。普段は縁の無いお高い食事も、遊戯施設も、運動施設も、リラクゼーション施設も全てだ。
だが、利用の際には当然として学生証の提示が求められる。必然として、あまりに度を越す振る舞いをした生徒の情報は、クレームとして学校に届けられるだろう。引いては、PPやCPへのダメージに繋がる。決して公言されたわけではないが、少し頭を働かせれば想像のつくことだ。今まで高度育成高等学校で生活してきたのなら、尚更に。
一同が朝食を食べる店舗として選んだのは、有名な和食所だ。基本的に値段はお高めで、こんな機会でもなければ、一般的な学生ではまず食べられない店である。
そして、そんな店である以上は、客の方にも相応のマナーが求められる。黙々と食べる、とまで堅苦しいことは言わないが、無駄に騒ぎ立てるのは間違いなくマナー違反だ。
まあ、今回の船旅は高度育成高等学校の貸し切りであり、利用客は大半が生徒である。年若い者たちに高望みは酷であり、ある種の妥協点が用意されているのは間違いないだろう。
その限りにおいて、幸村が引っ掛かることはなかった、と言外に料理人は言っているのだ。逆に言えば、生徒の中には妥協点を突破している者もいる、ということを表している。
「お気遣い、感謝します」
当然、幸村はそのことに気付いた。
一言に『妥協点』と言ったところで、対象が人間なのだから、どうしても曖昧になる部分は出てきて然り。幸村が注意を免れたのは、一行の態度も一因ではあるだろうが、それを加味した上で店側の配慮による部分も大きい。礼を言うのは当然のことであった。
「フフ、お互いに良いご学友を持たれましたな? 雪村の若君に坂柳の御令嬢、そして綾小路の御子息。……どうやら、次代も中々油断が出来ないようだ。若手とは言え、既に一定の人気を博しているグラビアアイドルも加わっているとあれば尚のこと。……私個人としても、是非これを機に交流を深めていきたいものですな?」
若干雰囲気を変えた料理人は、そう言って一同を見渡した。どうやら、この人物は一介の料理人ではなかったらしい。この店の責任者――レベルでは済まないだろう。順当に考えても、会社全体の経営に食い込む立場。高度育成高等学校の生徒ではない、『家の次代』としての千夜たちを知るというのは、つまりそういうことだ。
「なるほど、それが目的ですか……。こちらとしても、新たな交流先が増えるのは吝かでありませんよ」
「そう言ってもらえると、こちらとしても嬉しいですな。……正直、直に目にして、高円寺の次代とは付き合いを変えねばならぬかと思っていたところです。能力が高く、自負もある。それは結構ですが、アレは些か傲慢が過ぎる。配慮、というものがなっていない。この船にしても、彼曰く『民間船』だそうですからな。ある意味で間違ってはいませんが、『政府御用達』という事実を蔑ろにしている。店を構えている我々に対して、喧嘩を売っているに等しい。『高円寺』と比べれば、ある意味で劣っているのも否定は出来ませんがね……」
愚痴ともつかぬ言葉が、彼の口から吐き出される。
その事実に困惑する一方で、吐き出された内容に、高円寺六助という人物を知る面々は納得していた。
「その心痛、察して余りある。俺もまた、アレと同じクラスですからね。アレはあくまでも『高円寺』として学校生活を送っている。俺にもそういう部分があるのは否定しませんが、流石にアレよりはマシだと自負していますよ」
生徒を代表して千夜が答えた。
高円寺の扱いが酷いが、同じくらい高円寺からの扱いも酷いのだ。千夜が『雪村』であるからか多少の配慮は示してくるし、事実、無人島試験では千夜の要請に応えたが、作戦とか関係なく初日でリタイアしたのも間違いないのである。
高円寺を計算に組み込むのではなく、高円寺ありきで計算を組み立てなければならないのだ。その面倒臭さは、言葉で言い表せるものではない。
「……失礼。つい愚痴を零してしまいました。皆さんにはこれを差し上げましょう」
男が差し出してきたのは、優待券と名刺であった。
「高度育成高等学校の敷地内にも、うちは店を構えておりますからな。将来有望な若者たちとは付き合いを深めておいて損はない、ということです」
一種の投資であることはすぐに分かった。受け取ったコレを店に提示することでリーズナブルな価格にまで抑えられるのだから、普通に考えれば店の大損だ。そんな真似をする以上、店側にも何らかの狙いはあって然るべき。それをひっくるめれば、『投資』と評して間違いないだろう。
タチの悪い生徒が含まれているといっても、現在乗船しているのは高度育成高等学校という名門の生徒であることに違いはない。まして、この場にいるのは『雪村』と『坂柳』の次代である。綾小路清隆という人物を鑑みれば、何かしらの機関なりが関わっているのは容易に想像がつくので、そこに清隆が含まれていてもおかしくはない。
そして、そんな次代が共にいる相手となれば、唾を付けておくに越したことはない、という判断だろう。
断ることは簡単だが、損の方が大きい。向こうとしても高望みはしておるまい。きっかけとして機能すれば上々、正味な思惑はそんなところか。正に言葉通りだ。
「ありがたく頂戴しましょう」
以上の判断の下、千夜はアッサリと受け取った。清隆と有栖も同様に。他の面々は遠慮がちに。
「乗船中、今度は別の友人を連れてきますよ」
「お待ちしております」
男が一礼して去っていくのを見送り、千夜は食事の続きに取り掛かった。
大半が冷めていたが、それでも美味しくいただくことが出来た。元からそういうメニュー構成であり、或いは今のような機会を窺っていた可能性も否定出来ない。言ってしまえば、声をかけるきっかけなんて何だっていいのだから。美味しそうに食べている相手に、お口に合いましたかな? これで十分なのだ。都合よく琴線に引っ掛かる相手が現れるとも限らないが、だからといって準備をしないのは無能の証明に他ならない。
程なくして全員が食べ終わり、一行はその場を後にするのであった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
「フッ……!」
空気を裂いて足が迫る。躱しても捌いても、一撃では終わらない。二撃三撃と続いてくる。或いは空を奔り、或いは地を這うその蹴撃に決まった流れは無い筈なのに、それが決まった流れであるかの如く流麗だ。舞踏と言っていいかもしれない。
攻め手は軽井沢恵。守り手は雪村千夜。『雪村』と、それに近しき身である以上、護身の術は欠かせない。さりとて、ここ最近は身体を動かす機会こそ事欠かなかったが、それでも、手合わせの類をしていなかったのもまた事実。
習得した技術であっても、使わずにいれば鈍り錆びるのは必定である。それを防ごうと思えば、定期的な手合わせは欠かせない。一人での訓練では、どうしても限度があるのだ。そのため、運動施設の一角にある格技場を借り上げて、錆び落としに勤しんでいる次第であった。
家の事情から刀を最も得意とする千夜だが、このご時世、表立って振るうことなど出来ない。必然として、無手の術もある程度修めている。
恵の場合、入院するまで武とは無縁だった。契約上、最低限に叩き込まれたに過ぎない。費やした密度も時間も千夜とは比べ物にならないが、あくまでも千夜と比べればの話。基礎はしっかりと修めている。逆に言えば、『雪村』は基礎しか関与していない。その後、どのように伸ばすかは恵の自由だったのだ。
「まったく、相変わらず読み辛い……!」
千夜は本領を発揮しきれず、それでいて変に技のベースが共通しているものだから、恵の虚実が読み辛い。
恵の力量は千夜に劣るが、その方向性を千夜は把握しきれていない。そして、恵は千夜の無手を知っている。
だからこそ、千夜と恵の勝負は拮抗していた。
試合スペースは5面が用意されていたが、現在使われているのは1面だけだ。豪華客船に乗ってまで試合をする生徒は少ない、言ってみればそういうことだろう。
「驚いたわ……。軽井沢さんってあんなに動けたのね……。いえ、身体能力が高いのは授業で分かっていたのだけど……」
格技場の壁際に立つ鈴音が、それを見て呟いた。興味本位でついてきたのである。
「まあ、私もそうですが、みっちりと叩き込まれましたからね……」
遠い目をして有栖が答えた。経過観察の一環、と言われたらぐうの音も出ないが、それでも病み上がりに対して行うことではない。身に着いたことは事実だし、それによって助かった場面もあったが、だからといって思うところが無いわけではないのだ。
そう……、としか、鈴音には答えられなかった。あそこまで動けるようになるには、生半なことでは不可能だ。時間にしろ密度にしろ、相応に費やす必要がある。
「けれど、軽井沢さんが学んだのは何なのかしら? 私、空手と合気道以外はそれほど詳しくないのよね……。坂柳さんは分かる?」
「さて……? 『雪村』から教わったので、ベースとなったのは天然理心流だと思いますが、それも身体を動かす上での基礎程度のものでしょう。まあ、立場の違いもあれば、個人個人で向き不向きの違いもありますからね。本家嫡流の千夜とは違い、私たちに対しては『護身が叶えばそれでいい』的な対応でしたし」
これは、有栖と恵が変若水の服用者であり、鬼の血も与えられていればこその対応である。平たく言えば、普段から身体能力に上昇補正が掛かるのだ。補正率は羅刹化時には及ばぬものの、よほど隔絶した力量の相手でなければ、身体能力だけでゴリ押し出来る程度には補正が掛かる。そして基礎能力が上がれば、最終的な数値も高くなる。
武道なり武術なりを学ぶのは、穴埋め的な意味合いが強い。言ってみれば保険である。
流派や得物が異なれど、それが『武』である以上は、必ずどこかしらに共通項が存在する。極論、得物や流派の違いは、『何を重視したか?』の違いでしかない。
重要点を抑えていれば、あとは身体能力で対応出来る。有栖と恵は、これを前提とした考えの下で武を学ばされたのだ。
「実際、私は体力が低いので、千夜や恵ほどには動き回れませんしね。動き回れたとしても、すぐに限界が来ます。将来的にはともかく、現状では二人と同じことなど出来ないのですよ」
「確かに、それは道理ね」
有栖の言葉に鈴音は頷いた。
性別、体格、性格、あらゆる意味で同じ人間などいない。如何に平等を掲げたところで、真なる平等など有り得ないのだ。
「ところで、堀北さんは合気道を学ばれているのですか?」
「ええ、兄を追いかける過程でね。流石に腕前の程は兄には及ばないのだけれど……」
「……ふむ。どうでしょう? 私と手合わせいたしませんか? 奇遇なことに、私も合気に力を入れているのですよ」
「……そうね。一手、手合わせしましょうか」
暫し考えた末、鈴音は了承した。
正直に言えば、鈴音は他流試合などあまり興味がない。合気道も空手も、学んだのは兄に認められるための手段でしかなかったからだ。
その一方で、兄に認められるにはそういった考えを変える必要がある、とも結論付けている。
まして、試合を持ち掛けてきたのは坂柳有栖である。自身が所属するクラスにおいても、確かな実力を見せつけている少女だ。交流を図る相手として不足はなく、学ぶべき部分も多分にある。断る理由は薄かった。
鈴音から見て、有栖の言葉には信憑性があった。合気の神髄は相手の力を利用することにある。同年代から見ても小柄な有栖にとっては、最も似合いの武道と言えるだろう。
同時に、警戒も怠らない。有栖は、合気に力を入れている、とは言ったが、教わったベースは天然理心流、とも言っている。合気の試合、とも断言はしていないのだ。
異種混合格闘技の試合に臨む心持ちで、鈴音は舞台に立った。向かい側には有栖が立っており、隣の舞台では未だに千夜と恵がやりあっている。
「では、始めましょうか。カウント5でよろしいですか?」
「構わないわ」
正規の試合ではないので、審判などもいはしない。そのため、開始の合図も勝敗も、全てを自分たちで決める必要がある。
「3」
有栖が。
「2」
鈴音が。
『1』
そして同時にカウントし。
直後、二人の少女が舞台上でぶつかり合った。
「へえ、よく防ぎましたね? 正直に言って驚きましたよ!」
「お陰様でね! 言葉をバカ正直に受け止めてるだけじゃあ実力者たり得ないってのは、入学以来散々に示されてきたもの!」
有栖が驚きを露わにし、鈴音がそれに返答をする。
有栖が繰り出したのは太極拳の一手である。純粋に合気の試合として臨んでいた場合、不意打ち足り得る一撃だ。
警戒していた甲斐があって、鈴音はそれを防いだのである。空手と合気道以外は詳しくない、それに嘘はないが正しくもない。健康法としての一面を有する太極拳は、書籍上の知識だけだが有していたのだ。特に、身体の弱さを強調する有栖にとって、太極拳は合気道とは別の意味で似合いである。その一手を警戒するのは当然と言えた。
ぶつかり合ったまま、次の一手を仕掛けるべく互いに動こうとし、それを見て互いに防ごうとする。ぶつかり合ったままだからこそ、出来ることは限られる。
「ふぅ……。私の負けですね」
「まだやれると思うのだけど?」
だからこそ、有栖が敗北を認めるのは必然であった。呼気と共に力を抜く。
それに応じて力を抜きつつ、警戒したまま鈴音が問うた。
「言ったでしょう? 私は体力が低いんですよ。不意打ちが防がれ、次の手も許してもらえないとあれば、私の敗北は決定です」
そう言われたら、鈴音に返す言葉はない。あくまでも手合わせである以上、守るべき一線が存在する。それに則って考えるなら、有栖の言は理に適っている。敗北した悔しさが見受けられないから、素直に認められないだけなのだ。
「……分かったわ」
とはいえ、相手が敗北を認めている以上、こちらがごねるわけにもいかない。釈然としない面持ちのまま、鈴音は頷くのであった。