千夜の生まれ故郷である雪村の地は特殊だ。土地自体が力を持っていると言うべきか。例の一つとして湧水を挙げると、変若水の副作用を抑制する働きがあったりする。……オカルト的な言い方をするならば『霊地』と呼ばれる場所なのだろう。或いは、そんな地だからこそ雪村が居住地としたのかもしれない。
雪村の地で育った薬草は効能が高く、野菜を始めとした収穫物だって格段に美味いし栄養価が高い。その地で育った物を餌にしているからか、肉類だってまた然り。
斎藤食品が扱っているのは、そんな雪村の地で育った物ばかりである。そのため、今や一大ブランドと化しているのが実情であり、高度育成高等学校の敷地内に直営店を構えていたところで何の不思議もなかった。
入学初日。その斎藤食品と千夜は契約を結んだ。平たく言えば定期購入。予めポイントを支払うことで、定期的に食材が届けられる仕組みだ。コース別で値段は様々であり、一度の消費ポイントも大きいが、総合的に見れば格段にお得である。支払いを折半してあるので尚更だ。……まあ、冷蔵庫の空きが少なければ困ったことになるが、パーティールームに備え付けられたそれは個室の物より大きかったし、入りきらなければそれこそ個室に保存しておけばいい。
自炊出来なければ食材を買ったところで何の意味もないが、千夜にしろ有栖にしろ恵にしろ、腕や方向性に差があれ料理は出来る。そのおかげで、入学から1週間経った今も美味い食事に困ることはない。
今日も今日とて朝食をとり、弁当を詰め、いつも通りに登校してきたわけだが、教室の雰囲気はいつも通りではなかった。
「……何か騒がしいな?」
挨拶をしつつ教室に入り、自席に着いた千夜は首を傾げた。
騒がしいのは分かる。その原因も――騒がしくしている当人たちが言っているので――分かる。しかし、なぜこうも騒げるのか、その意味が分からない。
「なあ恵、池と山内は別格として、何だって男子連中の大半はソワソワしてんだ? 確かにこの時期の水泳は珍しいと思うが、水泳の授業なんて小中学校もあったし、だったら水着の女子なんて珍しくもねえだろ? そこらの雑誌にだって載ってんだしよ」
「えっ!? …………あ~、まあ、千夜だしね。何て言えばいいんだろ?」
分からなかったら訊けばいい。その判断の下、千夜は隣席の恵に確認してみたのだが、問われた彼女は愕然とした表情を浮かべて悩みだした。
「なになに~?」
「どうかしたー?」
急に頭を抱えて悩みだした恵は思いの外周囲の気を引いたらしい。何人かの女子が恵の元へとやって来た。
千夜たちとて常に行動を共にしているわけではない。大雑把な方針は共有しているが、それに向けての活動は個人の判断に任せている。1週間も経てば、それぞれに交友相手がいてもおかしくはない。
「いや、ちょっとね……。あ~、千夜、自己紹介聞いてたから知ってるとは思うけど、櫛田桔梗さんに佐藤麻耶さん、長谷部波瑠加さんに松下千秋さん。最近仲良くしてる」
「っても、私は恵以外との付き合いはないけどね。多人数で仲良くワイワイって柄でもないし。……けど、雪村くんにはちょっと興味あるかな?」
恵の言葉を補足する様に波瑠加が言った。それにより、この4人はあくまでも恵個人と付き合いのある相手だと千夜は判断した。
「よろしく。櫛田に佐藤、長谷部に松下だな。……ああ、俺のことは千夜で構わんぞ。字は違えど、クラスメイトに同じ『ユキムラ』読みがいるからな」
千夜の言葉通り、クラスメイトには幸村輝彦という男子がいる。名字だとどちらを呼んでいるのか、どちらが呼ばれているのか判断がつきにくいのは間違いなかった。
「それじゃあ、お言葉に甘えて千夜くんって呼ばせてもらうね? それで、軽井沢さんは何で急に頭を抱えだしたのかな?」
改めて桔梗が問いかければ、恵が理由を説明した。
「あー」
「それはー」
「何て言うか、言語化が難しいね……」
「んー、雪村くんは私の胸に対してどう思う?」
桔梗たちも悩みだしたが、そんな中で波瑠加が口を開いた。
「どう思うと訊かれてもな……。単純な事実として周囲の女子と比較しても大きいとは思うが? 並べるのはクラスメイトだと佐倉くらいか? それがどうかしたか?」
「あなたに分かりやすく言えば、視線や言葉に性欲が含まれているか否かということですよ」
千夜に答えたのは有栖だった。
「性欲……ああ、そういうことか。俺はお家存続を第一に考えなければいけない部分があるからな。自覚はないが、あまり意識しないようにしてるんだろう。かと言って性欲が無いわけじゃないし、男色家でもないからな。そこは勘違いすんじゃねえぞ?」
「お家存続……。もしかしてとは思ってたけど、雪村くんって雪村病院の関係者?」
「ええ、その通りです。千夜は本家の跡取り息子ですよ。……事実としてはあまり知られてないですが、有名どころだと『斎藤食品』や『土方警備』は雪村の分家が興した会社です。有名無名を問わなければ、分家が興した会社は他にもありますね。実際、土方は警備会社以外にも色々やってますし。そんなわけで、必然的に千夜の影響力は大きいです」
そこまで言えば、4人も納得したようだった。いわゆる上流階級。基本的に一般市民には縁の無い世界だ。
「うちも実家は裕福な自覚あるけど、流石にそこまではいかないわね。親の勤め先は知らないけど、もしかするのかしら?」
「今のご時世で裕福だって言えるんなら、その可能性はあるかもしれねえな。俺自身未だ詳しくは知らねえけど、福利厚生は手厚くしてるようだしよ。或いは『八瀬』か『風間』関連の仕事に就いてる可能性も否定はできねえな」
八瀬は最も旧き血筋の鬼だ。格で言うなら雪村よりも上であり、主に中央を統べている。風間は雪村と同格の鬼であり、主に西方を統べる。……他にも純血を保つ鬼の家は存在しており、鬼の会合への参加権も有しているが、実情としてその力関係は三家に及ぶものではない。
「じゃあじゃあ、ひょっとして雪村くんに見初められれば玉の輿?」
軽い口調で、如何にも冗談交じりと分かる。言った本人である麻耶とてそんな気はあるまい。アッサリと流せば終わる程度。
しかし、だ。
「残念ながら、千夜に見初められても玉の輿は有り得ませんね。他ならぬ私が婚約者ですので。……仮に見初められても、立場的にはお妾さんが精々です。まあ、そんなわけで、出来る限り千夜の意思は尊重しますが、私にも認められないと辛い生活が待ち受けることは断言しておきましょう」
それを有栖は流さなかった。イイ笑顔を浮かべて、バッサリとぶった切る。……千夜と恵を除いた4人は、極寒にも似た空気を感じ取っていた。その身体は細かに震えている。
「……有栖。軽い冗談だろうが。そこまで脅す必要もねえだろう」
これが双方に向けた警告であることは間違いないだろうが、流石に放っておけぬと千夜は有栖を窘めた。
雪村の闇は深く、不用意に立ち入れば命の保証も出来ない。
先の言葉はそれを防ぐためでもあり、『惚れるなら自分の認められる相手にしろ』と有栖は言っているのだ。……千夜的にその懐の広さと優しさはありがたいと感じるが、そんな相手が現れるのか疑問は尽きない。
「そ、そ~そ~、冗談冗談。は、はは、ははは……」
「ふふ。ええ、もちろん分かってますよ? ただ、『好奇心は猫を殺す』と言いますからね。これで折れるか、それともなお踏み込むか。少なくとも、覚悟を測る上で一つの指針にはなるでしょう?」
「そう言われりゃあ、返す言葉も無いな」
千夜の言葉にこれ幸いと麻耶が愛想笑いを浮かべれば、有栖は先ほどよりも威圧を緩めた上で追い打ちをかけた。その内容は尤もであったので、千夜に取り得る手は降参しかない。
「残念、見捨てられちゃったね」
「あ~ん~ま~り~だ~!」
千秋がポンと肩に手を置けば、麻耶は先ほどの空気もなんのその、オーバー気味に落ち込んで見せる。
それは正に『青春の1ページ』と呼べる光景だった。
♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢
(あれはいったい何だったの? 見間違い? いえ、そんな筈は……)
水泳の授業中。プールに浸かりながら、千秋は朝の出来事を思い出していた。
後々から振り返れば『笑い話』の一言で済む光景かもしれない。しかし今に限ってはどうだろう。
一瞬。
そう、ほんの『一瞬』と感じた時間。
(坂柳さんの瞳が金色に見えた)
瞬きをした次の瞬間には元の色に戻っていた。だから、見間違いと考えるのが自然なのだろう。
けれど松下千秋という少女は、自分の能力に自信を持っている。『天才』と呼べるほどではなくとも、『優秀』と称されるだけの能力は持っている、と。
その自信が言っている。『あれは決して見間違いではない』と。
常識的な判断を下すなら『見間違い』。
自身の能力を信じるなら『見間違いではない』。
二者択一。正しく分かれ道だ。
(はは、参ったなぁ……。気になってしょうがない。私ってこんなタイプだっけ?)
千秋は優秀さを誇る一方で、安定を望んでいる。
往々にして『出る杭は打たれる』のが世の常だ。下手に目立てば、足を引っ張られ無駄に頼られる。そんな面倒事は御免だ。
ならば、己の実力は示すべき相手にのみ示せばいい。正に『能ある鷹は爪を隠す』というやつだ。
(あの瞬間の空気。あれは下手に踏み込んでいいものじゃない。安定を望むなら離れるべきだ。――けど、雪村くんは紛れもない実力者だ。軽井沢さんだって、及ばずともついて行けるだけの実力を持っている)
入学当日の出来事は強く記憶に残っている。10万ポイントが配られ、大半が浮かれている中での二人の会話。大声でもなければ小声でもない。端から見れば、何の変哲もない意見交換。――その実、明かされていないSシステムの詳細に踏み込んでいた。
そして自己紹介の折も、拒む須藤をすかさず挑発。注目を集めて正論の刃でバッサリ両断。――その一方でクラス全体に対し注意を促していた。
あの会話が耳に入っていたからこそ、あの出来事を目にしていたからこそ、千秋なりに振る舞いに気を付け、色々と調べ、終いには先生に質問することで口止め料を貰うに至ったのだ。
(漁夫の利と言えば漁夫の利だけど、だからこそ私は雪村くんに近付くことに決め、その手始めとして軽井沢さんに接近した。……それを思えば、今朝の出来事は歓迎すべきだ。坂柳さんと仲が良いのだって分かっていたことなんだし)
そう思いはするものの、安定志向な考えがどうしても邪魔をする。
(いや、邪魔をしているのは安定志向な考えじゃない。そもそも、声高に叫ばれている恩恵を受けられるのはAクラスで卒業した生徒のみ。私にだって叶えたい希望はある。それを思えば、同じクラスに雪村くんや坂柳さんといった実力者がいるのはありがたい。仲良くなることで将来は縁故採用が叶うかもしれないのだから、尚更に望むところ。――それでもなお離れたいと思うのは、恐怖を抱いたからだ)
そう、松下千秋はあの瞬間、坂柳有栖を恐怖した。だからこそ、あーだこーだと理由をつけて離れようとしている。
その一方で、合理的な思考が接近を望んでいる。
感情と理性で天秤が揺れているのだ。
「揺れてるね?」
「ッ!?」
ポツリ。
耳元に声が届き、千秋は身体を揺らした。
振り返る。
「やほ!」
そこにいたのは軽井沢恵。笑みを浮かべ、顔の横で軽く手を振っている。
「……軽井沢さん。もう、脅かさないでよ」
「ゴメンゴメン」
「軽井沢さんは、よく平気だね。今朝の出来事があってから、私は怖いな……」
千秋は素直に弱音を零した。
「ん~、私の場合は順番が違ったと言うか、視野狭窄だったと言うか……。とにかく、友達付き合いする分にはそこまででもないよ。そんな気にすることもないって!」
「そうかな……」
「そうだって! 私に勉強教えてくれたのも主に有栖と千夜だし。確かに怖いところはあるけど、優しいところだってあるんだからさ。今朝のだって有栖なりの警告だよ!」
「警告って……あれが?」
「そうそう! まあ、これは又聞きに過ぎないんだけどさ」
そう前置きして恵が語ったのは、正しくフィクションで聞くような話。
雪村千夜は優良物件である。故にこそ、お近づきになりたい家は、あわよくば娘を嫁にという家は多い。
そして、坂柳有栖という少女は確かに上流階級の生まれであり天才を自負するに相応しい頭脳を持ってはいるが、先天性の心不全により歩行するにも杖が必要だったのは否定出来ない事実である。手術に成功した後も経過観察で度々病院に赴いている。
同じ上流階級であればこそ、その事実を妬み蔑む家もある。軽い嫌がらせの類から、場合によっては『事故に見せかけて亡き者に』なんて動きもあったそうだ。中には有栖だけでは対処できなかったものもある。……当然、そんな家には報復を行ったが。
「そんな作り物めいた話、本当にあるんだね……」
そうは言ったものの、真実本当かは分からない。文字通りに作り話かもしれない。
けれど、もし本当に本当だったならばどうだろうか。警戒していればこそ防げた事態もある筈だ。
こうして言われるまで想像もつかなかった。現実からは程遠い、真実想像の中の話でしかなかった。
それを踏まえた上ならば、なるほど、確かに警告だ。
「だからさ、あんまり有栖のこと怖がんないでほしいんだ」
「分かった。すぐには無理かもしれないけど頑張るよ。どの道、Aクラスを目指そうと思ったら坂柳さんの協力も欠かせないしね。……この学校じゃあ、今までのような甘い考え方は通用しない。実力のない者は淘汰されるだけ。……うん、決めた。私も実力を示していくことにするよ。足を引っ張ってくるようなら蹴り飛ばす。無意味に頼ってくるような奴なんて気に留める必要もない。これからの学校生活はそれくらいの気概を持って臨むことにする。別に安定を捨てるわけじゃない。より高いレベルでの安定を目指すだけ。私の方針は揺らがない。なんだ、メリットしかないじゃん!」
そう言って、松下千秋は笑った。
誤魔化しているだけなのかもしれない。目を背けているだけなのかもしれない。自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。――けど、それがどうした。だから人間なんだ。
一人の少女が、転換点を迎えた瞬間だった。