たぶん待つ、ってことが嫌いなんだろうな、あたしは。この、心がムズムズ感じに息が詰まって気分はいいもんじゃない。
いつも通りに、三人椅子にかけて、リビングで食事をいただく。
閉じたカーテン、閉め切った窓。閉鎖的ではない、これが普通だったのに。どうしてか心苦しい。
冷食のフライドポテトを軽くつまむだけで、米だの唐揚げだのに手が伸ばせない。
「どうした杏子。食べんのか?」
「そうだよ。なんか……変。」
2人が心配そうに見つめてくる。でも変わりやしない心持ちに心底イラつくよ。
「……なんにも。ヘーキだよ、あたしは。」
柄にもなく、思ってもいないことをペラペラと吐く。もどかしいったらありゃしない。
今日のやることを全部終わらせ、モモが寝た後に告白するというのが杏子の腹積もりだった。
モモを避ける理由は単純。背負わせたくないからだ。
イオリから詳細な事情を聞いたわけではないが、モモはあの日、何が起こったのか見ていて、おそらく理解もしているだろう。なら、告白に付き合わせ罪を精算するのが正道だ。身内とはいえ杏子の被害者なのだから。
しかし子供、それも、実の妹だ。
一家がぐちゃぐちゃになった原因は私です。それを馬鹿正直に言うのが正しいか?
そのやり方がうまくいかないことを、佐倉杏子はよくわかっていた。
ところで。当然、人間とは一つの思いだけで成り立っているわけではない。さやかにはあんな親、と父親のことを悪く言っていたがその実、自分が一度信じたもの。自分自身がこれで良いとしたものを信じていたい。そうやって信仰にあぶれた父の晩年の面持ちを、痛いほど理解していた。
夕食をとってから2時間が経過した頃。
今一階にいるのは杏子とイオリの二人だけだ。モモはすでに2階の自分の部屋で就寝している。
杏子はリビングでそわそわしていた。過度にトイレに行ったり、そのたび洗面台で手と顔を洗ったり。
今に始まった事ではないが変わった自分が不甲斐なかった。けれど杏子は強い。ひとたび、よしやろうと意気込んで、イオリの元へ向かうのだった。
イオリは晩ごはんの後処理をしていた。唐揚げを作るために使った油を再利用するため、フィルターで濾すのだ。けれど両手はべたべた。油をフィルターに流し入れるときに、勢い任せにやってしまって失敗したのだ。
それで、今はATフィールドを使って両手の油をツーっと鍋に滑らせたところだ。このときばかりは自分の力に感謝しかけたが、この力がなければ今の自分の苦しみはないことに気がついてやっぱりやめた。
普段ならもっと器用にできるはず、それはイオリ自身わかっている。うまくいかないのはどぎまぎしているせいだ。
イオリは全て知っている。杏子が今苦しんでいることも、告白も、なにもかも。
世界がワルプルギスを強くするという理由で、何もできなかった。*1必死こいて余裕そうに振る舞っているが、気を抜けば緊張から滲み出る冷や汗と責任感が醸し出す吐き気で倒れそうだった。
世界に咎められるとか関係なくどうせワルプルギスに負けるのに。
「イオリ」
そんなこと気にしている場合じゃない。やり遂げないと。
「……なんすか」
演じ切らなきゃな。
「あのさ、洗い物が終わったら時間あるか?少し話がしたい。」
「あー……うん、いいよ。」
地獄へ行こうか
「……そういうわけで。あたしは魔法少女ってやつで……で、さっき言った通り願い事として、みんなが親の話を聞くことを願ったんだ。」
「……はぁ。」
「……わかったか?」
「まぁ大体は。」
テーブル越しに対話は始まった。イオリは始め怪訝な顔をしていたが、次第に表情はほぐれていって相槌を打ちながら聞いていた。いかにも無知って感じだ。
「信じるのか?こんなこと。」
「杏子がこんな突拍子も無いこと言うとは考えにくい。きっと本当のことなんだろうと思ったからだよ。」
「……そうか。」
「それで……どうなった?」
「……失敗したよ。父親に魔女も契約も、ずるずるバレちゃって。それであたしは父親から魔女呼ばわり。みるみるおかしくなって死んだ。母さんも道連れにしてさ。」
「……」
「……一応、確認のために聞いとく。あんたはまだ、母さんを助けられなくて、後悔してるのか?」
「当然だ」
即答だった。迷いはない。それは自分に責任があることだ。
「俺のせいであの人は死んだ。過去はそれひとつだけ。受け入れて進むしかないけど、それはそれとして、俺はあの時動けたんじゃないかってさ。」
「……気にするな、とは言えねぇか。」
「うん。あの人は───」
最高に綺麗に終わったよ。
「───ひどく苦しんでた。最低な終わりだったよ。俺のせいで。」
「……」
空気が行き詰まる中、杏子は無理して話を進める。
「あんたが優しいのはよくわかったよ。だからさ、イオリ。自業自得でやらせて欲しいのさ。」
「それは……」
「あたしのせいがいいんだ。あたしが人の都合を考えずに、良かれと思ってしたことが裏目に出た。それでおしまいだ。」
「───」
イオリは思わず息を呑んだ。杏子の決意を否定なんてしたくない、かといってしゃしゃり出てはそれはしつこいんじゃないのか。
二者択一のこの局面、正解は何だ?
成程、これが地獄ね。うん、よくわかった、わかった、だから俺は、選ばなきゃな、選択を、杏子がハッピーで俺が───俺が?
ちょっと待てよ。今、気づいたことだけど。今ちょうど、ちょっぴり勢い任せに出てきたことなんだけど、俺は俺の幸せを勘定に入れているのか?
「イオリ?」
いや、そんな余計なこと考えんな。とにかく今は杏子が納得できる答えだ。俺は二の次、それでいい。それでいいはずだ。エヴァはエヴァ、碇イオリは碇イオリ。二人のアバターで我を俺は出せばいいんだ。
それでいい。
背中は脂汗がたっぷりと滴っていた。結論を下したかのように自分を納得させているが、それは虚無のまやかしでしかない。
自分を使い分けて本音を出す。だから、なんだ。今どうやって応答する?
結論なんてなかった。覚悟なんてなかった。碇イオリには、何もなかった。
「……わかった。俺は、不器用だ。」
「あぁ。」
「即答かよ。……あー……まぁ、だから……杏子の求める答えを返せるとは限らん。」
「いいよ。」
「……優しいな。杏子は。」
「変えたのはお前だよ。お前と会って、変に臆病になってるかもしれない。」
「そっか。」
イオリには杏子が眩しすぎた。すごい、よくそんなに───覚悟が決まっているなと羨んだり、後悔したりして───そのうち、俯いた。申し訳なさでいっぱいになったのだ。今にも全て白状したかった。
そんなイオリに、急かすわけではないが杏子は声をかける。
「気張らないでいい。けど、向き合って欲しい。」
世界はお前の地獄を見ろと急かす。
「ごめん。待って。お願いだ。」
イオリは右手で目を覆って、肘をついて頭を伏せた。その反応に杏子は待つことを選び、じっと見守っていた。
落ち着け、落ち着け、落ち着け。碇イオリだったらこの時どうする?
俺だったら……
俺……
……わからん。どうすればいい?
碇イオリはすでに破綻している。
地獄を見ろ
魂と人格の乖離による被害は甚大だ。
地獄を見ろ
逃げる魂を人格が杭のように押し留め苦しみ喘いでいる。
「わかった。」
深く深呼吸して、顔を上げ、俺の地獄へ────
「これは全」部俺のせいだ
「……部が全部誰か一人のせいで片付くほどスッキリした事柄では……ないと思う。」
危なかった。逃げかけた。
この腐った魂が。逃げてんじゃないよ死んだんだぞ。
お前のせいだ。
「そりゃそう。わかってるよ。わかってるけど……」
「だからって俺は全部杏子のせいにしたくはない。……お願いだ。だってあれは、俺が何もしなかったせいで、全部、全部───俺の───!」
「おい!」
早急に杏子は立ち上がり、イオリの腕を掴むことで、すんでのところで止めることができた。手のひらはほぼイオリの頭に添えられて、もう少しで出会ったあの日のように、激情に支配された呵責が始まっただろう。
そんなイオリに杏子にも、我慢の限界がやってきた。
「あんた───あんた不器用すぎんだよ!そうやって自分のせいにして無理やり終わらせて!少しは人を信じたらどうだよ!?」
当然、必然の怒りだ。それに対し、イオリは。
「───ぁ」
情けなくも、小さく泣き声を漏らすだけだった。ただ、涙だけは一滴も流れていなかった。
「……ごめん」
情けない。お互い、そう思っていた。自分せいにしてそれで全部終わり。奇妙にもお互いの目標は同じだった。
イオリはそのまま。いつ、どこで、どのようなことが起こるのか。それを知った上でしくじった。だから、これの責任は己にある。それをそのままに言えたなら、どれほどするりと、この話が終わったことか。
最も、それを許せばイオリは速やかに人間ではなくなるであろうが。
杏子も同じだ。咄嗟に口から出てきた罵倒は自分にも当てはまる。自業自得で終わり。その自己責任のマインドが今、目の前のイオリを。今の自分を作っているイオリを傷つけたこと。よくよく理解し、反省を噛み締めた。だが、椅子へ腰を下しながら、閉じた歯と歯の間からは、ふーっとやりきれない吐息が漏れ出ていた。
実際、俯瞰して見れば杏子の言い分は正しい。この碇イオリという人間は信頼するに値しない。
そうだ。
こんなもの、信じる方がおかしいのだ。
そうだ。
黙って指を咥えて見ておけと。それがイオリに与えるべき正しいことだ。
きっと、そうだよな。
なら。
「イオリ。」
冷ややかな空気をずん、と穿つ鶴の低い一声。イオリはそれに身をぶるりと震わせながら杏子に目をやった。
「ごめん。あたしは、今のあんたを信じることはできない。」
「……ぁ」
「……いいよ。もう、終わりで。今日はお互い、これでおしまいにしようぜ。」
「……ゃ」
杏子は笑っていた。喜びも冷たさもない。そこにあるのは暖かさ。そこにあるのは諦めにも似た勇気。
終わることへの覚悟だった。
こうして終われば、間違いなく今後の二人に、ヒビとも、断裂とも言い難い、確かな溝が生まれる。お互いが過去、この日のこの瞬間に後ろ髪を引かれて、それでも死に伏すことはなく。かといって腹の底から笑い合えることもなく。
今までの終わり。これからの始まり。かすり傷では済ませない咎を背負い、生きる。
次へ行く覚悟だった。
「だからイオリ、もういいよ。」
その覚悟をイオリには否定できない。
「……」
「一言、いいって言ってくれれば、それでさ。」
肯定することもできない。
「……」
何もできない。
神に等しい力がこのザマ。
神だの悪魔だの。人間でないとはどれほどくだらないだろうか。
さぁ。イオリ。おい、イオリ。これは重大な分岐点だ。ほむらとの邂逅も、いや、それ以前の全てが無駄になりうる決意だ。
さぁ。
諦めるか。俺もな。
よくやった。よくやったよ、本当に。そうと決まれば記憶処理だ。見滝原の人間全員から俺を忘れさせて、で、零号機乗って終わり。
簡単なコトだ。そうだ、やっと終われるんだ!
嗚呼、そういう人間だったな!むしろ、思い切り喜んだ!!
一言いいって言えば、俺は、なんだ。楽になれたのか。
ざまあみろ、クソガキ!さっさと死んじまえ!
「……い」
でもそれは、あなたにとっての枷にならないだろうか
「……」
不意に言葉が詰まった。これだけは譲れないと、自分の本音がわがままに喘ぐ。
「……よくない。」
「……どういうことだ?」
「それでも、俺は……」
ああ
「俺は」
反吐が出るほど綺麗だ
「あなたに傷ついてほしくないよ」
可愛らしいパステルカラー。儚げな薄さ。
色鉛筆で描かれた可憐な少女。まるで生命ではないな。だからきれいなんだ。
本当に、本当にこの世界の子供なんだ。
いいよな、君らは綺麗で。
対して、これはなんだ?
汚い黒インキ。キャンバスにベタベタ塗られた
どうせもうどん底だ。
どうせもう絶望だ。
初めから関わらなければよかったかな。
「あなたには……きちんと、ちゃんと、……そのままでいてほしいから」
「……」
「年相応の経験を……きちんと……」
クソッタレ
なんだ あの顔
おい碇イオリなんだあの顔 杏子は困っている
うるせぇ
黙れよ
誰だお前
俺だろ
俺か
静かに
ruftyvguhkbjl ;
しzyかに
houbiuefhnuioaeijofjinseaofj@io
……俺はなんであんなこと考えた?
的外れの本心が勝手に喚いてるのか
それって俺なのかな
もうわかんねーや
「……おい」
「 な何」
「お前……」
杏子の目線の先にあるものは 唇を噛み潰すイオリの姿だった
自傷行為も意に介さず カッと目を見開いて歯と歯の間から涎を垂らすソレ
あの日 会った時と同じ アレ
化けの皮が剥がれかけた アの
「───っあ」
不意に言葉が出たのはどちらの方だったか。
パスッ
「……やっちゃった」
佐倉杏子は倒れ込む。方向性も支柱もなくし、横方向に、地面に激突しかけるもATフィールドに阻止された。
原因はイオリだ。イオリはATフィールドへの造詣が深い。エヴァンゲリオンと呼称されるあの世界に、かつて存在したどの生物よりも。
佐倉杏子の"内側"に入り込み、魂と肉体の接続を切り離したのだ。それをするのに手間は何一つかからない。せいぜい目を見ればやりやすくなるくらいで、魂さえ感じれば好きなように終わらせることができる。魂が確かにモノとして存在している魔法少女であれば尚のことだ。
崩壊一歩手前の精神、百数回の肉体破棄、事実上の詰み。それらを代償にしての力だ。
イオリは、どうあがいても死ぬくせにみっともなくあがいて、あげく佐倉杏子を殺したのだ。
「」
杏子に近づきそれを抱いた。体は春だと言うのにすぐさま冷えていく。当てつけのように。
「」
「なんでっ なんで冷たいんだ?」
「俺っ俺がやった」
「俺……」
抱きつく力は自然と強くなる。胴体に絡まるように、裏で両腕を手繰り寄せても冷えは止まらない。
死んでるみたい。
「死んだのか」
「俺が。殺したのか。」
乾き切った眼は獣のようにギンギラと暗く在る。罪は喉奥にへばりつく。
キモチワルイ。
ずっと。
この世界に来てからずっとだ。喉の奥、正確に言えば白い楕円の筒、俺の魂が。じくじく震えては痰みたいに居る。
キモチワルイ。
なんでわざわざ俺を作った?
こんなものノイズにしかならないだろう。彼女たちだけで十分のはずだ。
こんな、見せ物にするだけで不都合が極まった世界。生まれたくなんかたかった。
違う ああああああ違う
いなきゃ進まないんだ俺が
核が壊死してぜんぶ壊れたんだ
キモチワルイ。
魔法なんて大嫌いだ。世界を変えるのはこの両手だろうに。
この世界なんて大嫌いだ。俺を拒絶しやがったこの世界なんて、死んで仕舞えばいいのに。
俺さえいなければひとりでに廻ったくせに。
お前が何を言っても何を思ってもどうでもいいよ。この世界を変えるのは俺だ。この世界で生きている俺だ。見てるだけのお前じゃない。
殺してやるからな。
見せ物よろしく仕立て上げやがって。
顔も性別も形も知らんがいるんだろうそこに。
こんな駄作にしやがって。
「殺してやる」
イオリは への殺意を露わにした。
自分でつけた唇の傷から血が流れて。自分で抱いた杏子の白い肌にに落ちてはスッと馴染んで。自分で汚していることにも気が付かずに。
「 あ 」
気付いた。それでも漠然と抱いた杏子を見るだけ。
ようやくまともに自分の地獄が見えた。
自分だけの絶望が。
「またか。また、俺は間違ったのか。」
その様子はなぜか面白かった。濃淡を吐き出すように喉をがらがら振るわせて、語調には笑いが混ざった。杏子は死んだ。死んだ、死んだ、死んじゃった!俺のせいで!俺がバカだったから!!
どうせ道化なんて演じきれやしない。どうせこのまま惰性で死ぬだけだ。
どうせ革命なんて起こらない。
俺は祝福されなかった。
どうせ奇跡も魔法もあるわけない。
あるのは望まれて生まれた子供だけだ。
どうせ……
……
「……なんで俺まだ生きてるんだろ」
それからの記憶はない。記憶はないが、記録には残っていた。
見返してみると、どうやら俺は何とかできたようだ。
杏子を恨むことはない。イオリが恨まれることもない。
何も変わらない日々をお互い過ごすことにしたらしい。
佐倉杏子は魔法少女で日夜戦っている。それを知った上で俺に気を使う必要はないと。
日常を続けろと。
それで終わりだった。
それが一番嫌なのにな。
それが一番苦しむのにな。
でもいい。俺みたいなのは苦しめばいいんだから。
俺みたいな優しいだけで無能で完璧主義で欠点だらけで大した覚悟もなくて
生きている価値なんてないよ
うん
……
あー
つら
でも布団の中ってすごく安心する。
何もかも隠せるから。俺が俺でいられるから、よかった。
このまま一週間くらいいられたらどれだけよかったかな
でもそれはダメだ
俺が選んだんだから。俺がそうなることを望んだんだから。
だから俺は終わらせなきゃ。
苦しみも悲しみも全部。終わ……
だったら俺も助けてくれよ
……無理
幸せは±0って言ってたようにさ
俺が一人で苦しめばいいんだから
うん それでいい
寝よ 明日も早い
おやすみ