「ここが、そうなの?」
家屋の前で、暁美ほむらはじいっと立つ。碇イオリの家は、三滝原をのびのびと流れる吾妻川の沿いにあった。白と黒を基調とした色合いは、まさに普通。家のカタログ、1ページ目に載っているような、普通。なんの変哲もない、2階建てだった。
しかしながら、暁美ほむらはそれを訝しんでいた。と、いうのも。この家を見るのは、これが初めてだったからだ。学校からの距離もそれなりに近く、そも、何度か川沿いの道は通ったことがある。にもかかわらず、これが初めてだったのだ。
「自分で言うのは何だけど、なかなか良い家だろ?」
とイオリ。ほむらの横で、そうだと言わんばかりに相槌する。
家を作る財力など、ましてや、時間がどこにあったのか。前回にはなかったはずだが。
「さ、行こっか。飲み物欲しい?」
おもむろに、イオリが、片方の手で玄関扉を開き、もう片方は広げ、歓迎のムードだ。
胡散臭いことこの上ないが、ここで行き詰まっても仕方ない。最悪時間を止めればどうとでもなるのだから、素直に従うことにした。
「……いらないわ。」
「……そりゃあ残念。」
イオリの声は、沈むように、伸びやかに消えていった。やや『含み』を感じつつも、イオリに促されほむらは住居へ足を踏み入れた。
玄関扉のその先は、自分の家のそれと同じだった。閑散として、若干暗い。
出迎えてくれる人がいない、とも言えた。
「ねぇ。あなた、家族は?」
玄関には、靴が一つもなかった。自分の家のそれと同じ。親というものがいない、その証拠だ。
ほむらに問い詰めようとする意図はなかった。ただただ、なんとなく、気になって聞いただけ。ちょっとばかし頬をぽりぽり掻くぐらいの気軽さだった。
「親ってコト?」
しかしながらイオリの反応は、ほむらの思惑以上に翻る。もしもほむらの気分が沈んでおらず、感情豊かで愉快であれば、きっとこれからのイオリの動向にはこう言っただろう──まさか、これほどとは。
イオリは、家に入り込んだほむらの後ろに立っていた。ドアマンとしての役割を終えるためだ。この状況を好機とでも見たのだろうか。逃がさないと、手に掛けていたドアハンドルを勢いよく引き寄せた。
がちゃん。と。ほむらの知るかぎり唯一の出口が閉まった。
「!?」
予想外に機敏になったイオリにすかさずほむらは跳ねるように、振り向きざまにイオリと距離をとった。
「いないよ。たぶん。いるかもね。」
とイオリ。声のトーンは無。明るさ。暗さ。一切がない。表情もそうだ。
「……どういうこと?会ったことぐらいはあるでしょう?」
「ないよ。俺は、ずっと一人だ。わかるか?暁美ほむら。おまえが、俺を生んだんだ。」
「……は?」
意味不明な文言を垂れ流すのは大義あってか。あるいは、
面倒になる前に殺す。ほむらの思考はその方向にコンバートしていく。
「おまえは、世界を薪にして時間逆行を行なった。そのうち何割かは鹿目まどか、ワルプルギス。それらに施され、今やワルプルギスは手に追えない
気づいた時には銃器は取り出され、引き金は引かれていた。二度目の弾丸は音もなく、イオリの脳天に打ち込まれた。
暗がりの中にイオリは倒れ込む。真っ赤な血で玄関を汚す。見えないが、おそらくそれは死体。動くことはない。この後ほむらがなんらかの処理をするなら、おおかた行方不明者として世間的には受け入れられるだろう。クラスメイトはまだしも、テレビでしか、伝聞でしかそれを知らない人間ならば、2か3日で忘れられる。
どこかでだれかが死んでいても、人の心はちっとも動かない。そんなものだ。
「……ッ」
それに、だって。あんな口調で話す人は気持ち悪いだろう。きっと友人なんていない。顔が良くとも気持ち悪く、誰からも見向きされない人間、だろう。せいぜい、クラスで向けられていた思いなどたかが知れてる。勝手に死なないでね。けど勝手に生きてね。それくらいだろう。
だから、私は──
人殺し。
「……フー。」
ア──ア──アア。
罪が重くのしかかる。
いる価値がなかろうと、人間を殺すのは気持ち悪い。正当化されるわけがない。人を殺すとはそういうものだ。いつになろうと、贖罪は終わらない。終わり無く苦しみを感受する他ないのだ。
分かっている。
分かっているのだ。
そうであることを選んだのも、そうなることを選んだのも、自分だ。
しかしだ。
こんな子供をここまで追い詰めることが、正当化される。
それが、美しいのか?
それは、面白いのか?
「そんなわけ、」
ほむらは。
「……ない。」
膝から崩れ落ちた。自己弁護が、鬱陶しい。客観視する誰かが疎ましい。自分の招いた結果なのに。
それは傲慢足り得るか?
暁美ほむらは、自分の地獄を直視できていなかった。
自分に課せられた業を。人殺しの罪を。役割を。
故に。
「君も救うよ。」
イオリが。
「なァ。暁美、ほむら。」
動き出した。壊れたはずの肉塊が、再び立ち上がった。
「人のはんあしは最後まd機構よ。」
「……え?」
「……あ。人の、話は、最後まで、」
「……なんで?」
思わず、後退した。イオリから目は逸らさず、床についた手を滑らせ、奥へ奥へと逃げていく。しかし、すぐに壁と背中がつき、逃げ場を失ったほむらにイオリは近寄る。
彼を後押しする僅かな光。ぬかるみを歩くほどに遅い足取り。目に映るシルエットは、破綻した人間。撃ち抜かれ頭蓋が欠けようと。”ありえない”が、生きている。
「……バケモノ。」
とほむら。吐き捨てるように。ひり出すように。
「……どうだか。おまえたちは、本当にまともな人間なのかね?」
とイオリ。ピタリと止まり、言い放つ。イオリの言う人間とは、どうやらほむらだけではないようだ。
イオリとほむらの距離は2mもない。ほむらとイオリは蛙と蛇。もっとも、イオリはほむらを殺すつもりはない。ましてや傷つけるつもりなど、さらさら。
しかし、ほむらには、イオリは恐怖の禍根でしかない。
それを知りつつも、イオリは続ける。
「魔法少女だけじゃない。おまえたち。まともに産まれてきた、おまえたち。原罪に囚われた糞虫が。のさばりおって、偉そうに。悪くないさ。おまえたち。あいつらのせいだもんな。」
今度の言葉にあったものは恨み。怒り。軽薄な言葉の数々が霞んでしまうほどに怨嗟が宿る。
「あなた……何を知ってるの?」
「……あ」
イオリはほむらの限界が、ここいらであることに気がついた。
「うん」
これは
「やり直しだ」
歩を早めずんずんと、足を折ったほむらに歩み寄る。土足でも気にせず、一つのゴールのために。
「何を──」
当然ほむらも警戒し、時間停止を試みる。盾はほむらの背後にあった。保健室でどこからともなく銃を取り出せたのも同じ原理だ。変身せず、盾のみを顕現し、それを自分の体で覆い隠す。それだけのことだが、相手に手を見せないのは優位に立てるものだ。
だが。時間停止、なんでもできる逆転劇。その、シークエンスに差し掛かった瞬間。
「──は?」
自分の指が、盾の動きを、押さえつけていた。かしゃかしゃ動くその歯車じかけの最中に指を突っ込み、なんと圧力により骨は露呈していた。
ほむらはそれを、自身の目で見たわけではない。それに気がつけたのは、流れ込んできたからだ。今、自分の指がどうなっているのかを。見ていないのに、見えたのだ。
指を動かす感覚なんて、なかった。思考だってそうだ。
いいや。それよりも、恐ろしいのが。
ちっとも、痛くないのだ。
痛覚は切っていない。
痛いものは痛い。
なのにどうして。
「あ」
それじゃない。
もともと、繋がってなかったんだ。
座ったままの姿勢で。暁美ほむらの四肢は、胴体と切り離されていた。
ここで、最も恐ろしいことがある。四肢の切断となれば、その痛みは凄まじいものになるだろう。全身に激痛が走り、人間であれば数秒で絶命できる。魔法少女は例外だが。
その現状を把握してなお、ほむらには一切の痛みがなかった。血液さえも、欠損した部分から流れなかった。
どこまでもその殺意は優しいのだ。
「ごめんね」
「……あ」
抵抗の意思をなくしたほむらに、イオリは跪く。愛する人にキスでもするように。
ポケットの中を、わかっているようにまさぐる。その体が自分のものであるように。
「許してくれ」
ほむらの意識がなくなる直前。見えたものは、二つだ。一つは、脳みそ。
暗がりにいたためイオリの損傷具合はわからなかったが、ここまで近づけば少しはわかる。右目と、その周りを円状に、弾丸は抉り取っていた。それにもかかわらず。
脳みそが毀れていなかった。せいぜい、空っぽの頭蓋骨がそこにいただけだった。
二つ目。これは、本当に意識を失う直前の話だ。
ポケットから奪ったほむらのソウルジェム。暗く見辛いが、黒がかった紫のそれ。それに、イオリは。喰らいついていた。
「どうした?」
ほむらははっとして、ぼやけた意識を覚醒させる。
「入らないのか?」
「……っと」
自分は確か……そうだ、イオリに招かれ、ここへ来たのだ。
「いや。失礼するわ。」
「はいようこそー。」
今度は、扉は緩やかに閉まった。ほむらが靴に言及することも、なかった。
ドアにこびりついた赤い血は、未だ取れずにいた。