そういえば、モノレールに乗ったことはなかった。
引っ越しの時、電車の窓からずん、と見えた、私に影を落とすあの巨体にはワクワクした。
でも……
「なんでそんな不満げなの?」
ほむらは今、モノレールに乗っている。席列の真ん中に腰掛けて。
そんなモノレール、不安要素が二つある。一つは風景。窓の外は暗くて何も見えず、妙に小綺麗な車内風景とは相乗効果で不気味だった。二つ目についてほむらに知る由はないが、上部の連結部分が斜め80度くらいで下方へときりきり進んでいるのだ。もしもレールと車体が分断したのなら、痛い目に遭うのは間違いない。
とはいったものの。正直クソがつくほどだるいんだよねここ直すの。てか資源カツカツ過ぎて修復できるかわからんし、使う機会はもうないだろうし。まあいっか。
イオリはほむらに遠からずも近からず。ほむらと目が合う具合に、ドアを背にして立っていた。
「別に何も。」
「あんまり楽しくないな、とか考えて──」
ほむらからイオリに弾丸が放たれる。狙いに狂いはなく、脳天めがけて放たれたそれは、イオリの眼前でピタッと止まった。橙色の壁、ATフィールドに阻まれて。
「図星?」
とイオリ。人をおちょくる、にやりとした笑顔でほむらを揶揄う。
「あなたは人をイライラさせないと生きていけないの?」
「なんでそんなこと言うの?ひどくない?」
とは言いつつも、意外とほむらはイオリに好印象だった。ループの最中、会話したのはだいたい見滝原のあの5人。どっかの誰かのタンカスメンタリティに骨を折ってきたためか、物理的にも精神的にも頑丈なイオリは、良いストレスの吐口になったのだ。
「はぁ。それで、私が知りたいのは……」
「ああ、わかってるわかってる。皆まで言うな、これなんだろ?」
そう言って、イオリはポケットからあるものを取り出した。黒いウォークマンだ。それも、カセットテープを使うタイプの。
「これはこの世界とあっちの世界の架け橋だ。で、今こっちの世界……エヴァンゲリオンに来たわけ。ほれ。」
ひょい、と投げ渡されたそれを、ほむらはそれを好奇の目で観察した。イヤホンは刺さっていないが、傷ひとつなく、ボタン一つで動き出しそうな状態にある。
普通の、ウォークマンだ。
だがそれを訝しんだ。なにせ、ほむらはこの世界にこれを使ってきたのだから。イオリの家でこれの再生ボタンを押した瞬間。一瞬の暗転の後に、砂浜に立っていた。目の前に広がるのは真っ赤な海と世界に広がる歪な暗がり。
正気でなくなりそうな光景が広がったあの衝撃は、今後忘れないだろう記憶として深く刻まれた。
「よっこらせと。」
イオリがほむらの横に腰掛ける。
「エヴァンゲリオンってのはさっき見た馬鹿でかい十字架だ。ほら、真っ赤な海にそびえ立ってた。」
確かに、さっき見た。二つあって、どちらも胸の部分がひどく抉れていた───暗くてよく見えなかったが、そんな気がした。
「ああ、あれ。あれは巨人か何か?」
「そっ……うだ。よくもあれが巨人だって分かったね。」
妙に鋭いほむらにイオリは動揺し、言葉は若干上擦った。すぐさま心を入れ替え、対話を続行する。
「あれは神様モドキ。全人類溶かして一緒くたにしようとして……やめたの。」
「やめた?」
「彼は純真な子供だった。全人類溶かしたのは嘯く大人のせい。大人に流されるまま流されて、最後に自由を得たところでやっと自分を発露したの。で、やめたの。」
「……」
「それでこの世界はおしまい。みんな死んで終わりを迎えた。ハッピーだったかどうかはさておいてね。」
「さておいて?終わりが幸せかどうかは重要だと思うけど。」
「そうかね。終わりってのは始まりだ。何かが終われば何かが始まる。これは必然で絶対だ。ま、少なからず、彼らにとっての苦しみの時間は終わったんじゃないかな。この世界は何も生まれない、虚無にはなったけど。」
「そう……虚無、ね。」
「……俺はそうしたいんだ。」
「?」
「君の生まれた世界を。」
ぎょろりと大きな目だけを向け、言い放った。その姿形にほむらは慄いた。
よく見るとイオリの目は、"艶やか"だったのだ。なに、目玉一つでどうという話ではない。しかし、何かが変だ。
このゴンドラの中は現実世界に運行しているそれと変わらず明るい。おどろおどろしい具合で、ちろちろと電灯が点滅しているなんてことはない。そして照らされているのだから、何かがその光を遮れば影ができる。手を組んで猫背になってていたイオリの顔には若干の影が差していた。
この世界は、今の自分の姿は、何本もの線の集合体だ。哲学じゃない。そういうものだ。その線は時に手や頬の繊維として、すうと引かれ。その線は時に目に影としてしゃっしゃと差され。ほむらの経験からして───イオリの目はもっと繊細じゃないのかと考えた。もっと、しなやかじゃなかったかと。あれはひどく単調な色合いで、あれが命の形なのかと疑問視した。
だが、その思いは瞬時に消し飛んだ。それ以上に、この世界のように自分の世界を終わらせる宣言を、おぞましい脅威として受け取った。
「何を───」
「ああ待って、そういう意味じゃない。」
銃が効かないことはわかっているが、爆弾なら話は変わるだろう。イオリに傷はつけられないがこのゴンドラに風穴を開けて脱出することはできる。静止した2秒間でイオリの懐に爆弾は設置され、スイッチはほむらの手元にあった。
イオリは慌てず騒がず、両手を上げて降参の仕草をした。爆弾に目をやることもなく、そうして置かれていることが当然であるかのように。
なぜなら、イオリに時間停止は効かないのだ。ほむらが爆弾を置いて距離をとっている姿を見て、そんなに急いだら膝ぶつけそうで怖い、なんて心配すらしている。
「ごめん。語弊があった。俺が言いたいのはそういうことじゃない。」
「じゃあどういうことよ。答えて。」
「別に君んとこの人類皆殺しにしたいわけじゃないの。君の世界を、君の世界たらしめるモノを壊して終わらせたいの。」
「……どういうこと?」
虚をつかれたように、聞き返す。
「君の世界を君の世界たらしめるモノ。それって何?」
「何を……」
「答えて?お願い。」
「いや……急に言われても……」
「じゃあこっちも少し歩み寄ろう。君んとこを君んとこにしてるモノって、言っちゃえば魔女と魔法少女だろ?それ以外は至って普通の世界のハズ。ここだって、あのエヴァさえなきゃおんなじ普通だ。違う?」
「……そう言われれば、そうだけど……」
「じゃあそれ、無くしちゃおうって話。俺の言う終わりってのはそういうことさ。世界を世界たらしめる『特別』さえ潰せばそれは特別じゃなくなる。そうなれば誰にも見向きもされない普通になって終わる。ってコト。」
「言っていることがよく理解できないわ……つまり、何?魔法少女を皆殺しにするの?」
「……ちょっと違うかな。」
イオリの意味深な無表情にほむらはただ、警戒する。
「ちょっと違う?なに、その答えは。皆殺しに少し掛かっているの?どう言う意味なの?」
「……ま、君が恐れている全てのハプニング───鹿目まどかの死とかワルプルギスの勝利とか───は起こらないことを約束しよう。」
「はっきりしないわね。」
「悪いね、こっちも手探りなんだ。こんなこと言えるんだからトンデモな力はあるんだけど、色々制約がね……」
怪しいがすぎる。だからと言って、だ。正直、手詰まりではあった。これでもかと、己の無力と無謀さを味わった。そしてそこに、なぜかそれは居た。希望というには薄暗くじめじめした男。力は本物なのに、陰謀論者めいた口八丁。
いい。そのくだらなさ、私にはお似合いだ。
ひとつ決心の後、スイッチをしまい、てきぱき爆弾をイオリの懐から回収して、そのまま隣に、ぶっきらぼうに腰掛けた。
「信じてくれる?」
「……やけっぱちよ。相当血迷ってるでしょうね、私は。」
「あはは。血迷ってるのかは君の世界に言いたいな。なんで平気な顔して100階越えの建物が乱立してんのかなマジで。」
「……?それは普通じゃない。」
「……あっそうですか、はい。」
「あと思ったのだけど、素で話したらどう?」
「……え?」
「不器用ね。慣れないことしてるのがバレバレ、滑稽よ?」
「……マジですか。じゃやめよ。」