「ただいまー……」
陽が落ちる前に玄関をくぐりリビングに向かうと、ほむらが黒い、三人がけのソファに座っていた。
背もたれに寄りかかっては、ぐでーんと四肢を自由にして、ほげーっと天井を見ている。
部屋に入ってきたイオリに気がつくと、面倒くさそうに目線だけ送り、体勢を変える気配はまるでなかった。
「……なに」
「……まだいたんだ。ってか、そこまでリラックスしているとは思わなんだ。」
「ひとつ……謝らないといけないことがある。」
ほむらが俺に?なんだろう。
「佐倉杏子に、会ったの。」
「うん。」
「わざわざ家に呼び込むほどの関係なのかって、質問攻めされたの。」
「……はい。」
「……疲れてて、変なこと言ってしまった気がするから、聞かれたら適当に合わせて。」
「……うーわ。」
「なんと言うか……今日一日で色々ありすぎて疲れたって言うか……今まで押さえ込んできたものが溢れたって言うか……」
まぶたはプルプル震え、今にも落ちてしまいそうな意識を精一杯保っているようだ。
「やっぱライブ感で生きてるよお前。」
「……否定できないわね。」
ほむらは苦笑した。ニヒルに笑うその顔は、爽やかではないものの、腫れ物が落ちたように妙にすっきりしていた。
素の暁美ほむらが、見えた気がした。
「出来れば対面して話さなきゃいけないことあったんだけど……それはまた今度か。」
それを聞いたほむらは心底うんざり、といった具合に大きくため息を漏らす。眠そうな目は、今日一日でこれだけ詰め込んだのにまだあるのか、と訴えかけている。その様子に思わず、イオリまで苦笑してしまった。
「なにせ一年くらい時間あったからね……段取り悪くてごめん。休んだら帰りな。また明日、昼休みにでも。」
「いや……大丈夫。とりあえず、今日のところは帰らせてもらうわ。」
ほむらはソファから降りて大きく伸びをすると、おぼつかない足取りで玄関まで向かった。イオリもそれに続いては、転んでしまわないか不安げに見守っていた。
「じゃあ、また明日。気をつけて帰り。」
「言われなくても。さよなら。」
「バイバーイ」
ほむらを見送りカチャンと戸締りをすると、一拍おいた後、ドアノブに祈るようにしがみつきながら、ずるずると膝から崩れ落ちた。溢れ出る声は若干泣いているかのように裏返る。
「はぁー……」
こころがしんどい。言葉遣い変じゃなかった?あっちでなんか口調変わってなかった?ホントに、計画だの秘密裏だのは性に合わないの。
そうやって一人うなだれるイオリのもとに、そーっと杏子が忍び寄る。
「ワーッ!」
「うわァァァァッ!?」
いきなり後ろから強襲され、屈んだ姿勢から体は飛び跳ね、腰骨をドアノブで強打した。玄関に響く鈍い音と共に、言葉にならない悲鳴をあげてその場にうずくまる。
「〜〜〜〜〜〜!!!」
「あー……うん。これあたし悪かったな。ごめん。」
「いやごめんって。機嫌直してくれよ。」
リビングのソファの端壁にもたれかかっては頬を若干膨らませ、イオリは拗ねていた。
「今晩マックな。飯作らん。」
「……それはそれで良いけどな。」
「じゃあ闇鍋。」
「や、本当に悪かったって!お前の闇鍋、味と食感が一致しねえのになんか美味いから怖いんだよ!」
叩けば響くと言わんばかりに、杏子は面白おかしく喚いた。
「……ふふ」
「笑ってんじゃねえか。……ほら、あたしも手伝うから。準備しようぜ。」
そう言って差し伸べられた手を取り、台所へ向かった。
イオリがハンバーグのタネを作り、杏子は横で食器を洗う。和気藹々と喋りながらの作業ではなく、会話は一切なかった。だが、二人ともそれを苦とすることはなく、むしろ、それが心地良いと思えるまでになっていた。
なんとなく話したくなった杏子が口を開く。
「幼馴染との再会はどうだったよ?」
「……オサナナジミ?」
予想だにしていなかった単語に思わず作業の手が止まる。
「ほむらから聞いたよ。小学校で6年間、ずっとクラスが一緒になったんだって?」
「……あー、そうそう。保健室じゃ話盛り上がっちゃったよ。」
え?何言ってんのアイツ?今度いじってやろ。
「家にまで連れ込んで……惚れてんのか?」
「無い。マジで無い。」
「ああそう。」
軽く鼻で笑いながら話を締めた杏子に安堵して、イオリも作業を再開した。しかし、安堵していたのはイオリだけでなく杏子もだった。理由は自分でもわからないが、昼からずっとざわついていた心が落ち着いた。
でも、なんでかな。そうやって心のどっかが安らいでは、どうにも消せない忌避感があった。魚の骨が喉につっかえたみたいに、また、心のどっかが痛む。
何が原因かはわかってる。それでも、解決のために一歩を踏み出せなかった。逃げたんだ。
初めて出会った日の夜。何度もごめんなさいって謝り倒すイオリに対して、全部自分のせいだって。そう言えてれば、今頃楽になってたのかな。
今になっても打ち明けられないのは、それは、怖いから?イオリを信じられないから?
そうやってぐちゃぐちゃの感情抱え続けて、アタシは、どうすれば───
「杏子」
「うぉっ!?」
自分の世界に入り込み、周りが見えなくなっていた。
「どうした?ぼーっとするなんて、らしくもない。」
「えっ……あー……ちょっとな、うん。」
歯切れ悪くそう答えると、食器のなくなったシンクに絶えず流れる水を止め、食器拭きの仕事に取り掛かる。イオリはフライパンに油を敷いて、ハンバーグを焼き始める。たちまち部屋にジューシーな肉の匂いが充満する。その匂いに釣られて、スキップ混じりにモモが2階から降りてきた。
「おっいしそーなーごっはっんー!」
「ずいぶんご機嫌だね!?作る甲斐あるわ、嬉しー。」
「ふへへへへー。宿題終わらせた後のご飯は格別だよ。」
二人の間に生じた和やかな雰囲気にすっかり調子を取り戻し、杏子は軽口を叩く。
「仲良いなぁお前ら……え、何?もしかしてモモ、イオリに……」
「無いよ。」
「俺も無理。」
「切り替えはっや……そーゆーとこ、好きだけどさ。」
「……俺も。」
そう言ってイオリは、目を閉じてくしゃりと笑った。子供みたいに可愛い笑顔で、なんの混じり気もなかった。
焼き上がったハンバーグを二つとそれなりのレタスを乗せた白いプレート、それと茶碗によそったご飯に味噌汁。三人分の食事をテーブルに乗せ、いただきます……と行きたかったが、ここでモモが異議を唱えた。
「待って。なんでお兄ちゃんだけ旗立ってんの?」
モモの指摘した通り、イオリのハンバーグにだけ星印の旗が立っていたのだ。
「ああこれ?俺は旗さすけどお前らはささないの?」
「言ってよ!そういうのは!」
「そうだな。アレだ、協調性に欠けるってやつだ。ちょっと今のは良くないぞ?」
「非難轟轟だな……そんな旗重要?」
「テンション上がんだろ。」
「確かに。これは俺悪かったわ。」
そう言って席を立ちキッチンの戸棚から旗を二本取り出すと、テーブルから追加オーダーが入った。
「あ、お茶お願い!」
「アタシも。氷入れてくれ。」
「立った人ってのは、そんなに仕事しなきゃならんのかね……っと。」
両手でコップを、右の薬指と中指で挟んだ旗を机に置き、三人手を合わせ、今度こそいただきますした。
「いただきます。」
箸で切ったハンバーグを口に放り込むと、なかなかに美味い。じゅわぁと溢れる肉汁とデミグラスソースが絡み合い、玉ねぎが程よいアクセントになっている。自分にこんな料理の才能があるのは、心底意外だった。
「我ながら美味いな。」
「……ちょっと今日のハンバーグ最高傑作じゃねえか?店出せるくらい美味いぞ?」
「うん。これ……やばいね」
「マジ?調子乗っていいい?」
「いいよ、そんくらい美味いから。」
「オイオイオイ……嬉しいこと言ってくれるね……」
少し照れながら、イオリはそう言ってくれた喜びを噛み締めた。